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第10話 美琴の深層

 美琴の頭の中に遠く優華の声が聞こえる。数をカウントしている声だ。そのうち光が見え眩しいと感じた途端、自分ではない姿が浮かぶ。これが私の前世なの?そんな事を思ったかと思うと、すぐにその人物と自分が重なっていった。優華の傍らで美琴が話し始めた。


 私は自分が嫌いだ。小さい頃から、嫌いだった。今でも夢に見る。ひとりぼっちの広い部屋、ひとりぼっちのお人形遊び。しつけと学習、行儀見習い。何も楽しくない。

 でも、ただ一度だけ、とても楽しかった日を覚えている。お屋敷のサロンに来た楽団。美しい音楽と楽しいダンス。見ているだけでワクワクしてくる。その日は朝から晩までずっと騒がしい日。でも、終わってしまうとまた寂しいいつもの毎日。


 両親とも、お互いに冷え切っていて、いつも不在。お屋敷はばあや達使用人しかいない。ばあやは、ご両親はお忙しいから、と言うけれどきっと私のことが疎ましかったのだろう。なぜかって?私が女の子だから。お父様は伯爵家の後継に男の子が欲しかった。でも生まれたのは私。お母様は女の子しか産めずお父様とは気持ちがすれ違い、愛人と過ごしていていつもいない。お父様も私の顔を見るたびため息ばかりついていた。どうして私は女の子なんだろう、どうして産まれてきたのだろう。誰の役にも立たない自分が嫌いだ。そんな事ばかり考えていた。


 ある時、私の縁談が決まり、屋敷は賑やかになった。私の夫になる人はお金持ちの子爵。お父様は珍しく上機嫌。格下でもお金持ちだ。その方とお会いしたけど、優しそうなおじさま、結婚てどういう感じなんだろう、と感じていた。よくわからないままかなり年上のその人に嫁いだ。


 夫はとても優しく、私を妹のように愛してくれた。華やかなプレゼントや、華やかなパーティ。私を喜ばせるためにいつも努力してくれていた。後継を早くとお父様に言われたけど、何故かなかなか授からなかった。でも、幸せだった。実家にいるよりは穏やかに過ごせていた。


 あの日までは。


 あの日、いつものようにお屋敷で開かれたサロン。賑やかなのは大好きだ。子供の頃を思い出す。そこに初めて招待した楽団。とても人気らしいと聞いた。楽しみにしていた。

 その楽団の、美しいプリマドンナ。彼女がフロアで舞う姿のなんと美しいこと。あまりの素晴らしさに見惚れていたが、その隣で夫が恋してしまったのを知ってしまった。何故こんな風に人の気持ちがわかってしまうのだろう。知らなくていい事、わからなくていい事を気づいてしまう性分が切ない。夫の瞳が潤んで輝いている。私へ向ける瞳とは全く違う。ああ、あの美しい人、たくさんの人から愛されているあの綺麗な人。私の夫からも愛されて当たり前だ。私のような誰からも愛されない人間よりも。

 心が潰れる音がした気がした。身体が凍えるようにとても寒かった。ばあやが私が顔を青くして震えているのに気づいた。すぐにそこから連れ出してくれた。私は部屋でベッドに入り掛物に包まり、泣いた。初めて声を出して泣いた。

 それから何日か経ち涙もすっかり枯れ果てた。私は氷のように笑わない人形になってしまった。夫は私に申し訳ないと思うのか、以前よりもお金をかけて償おうとしていた。でも、自分の気持ちは抑えられなかったようで、いつしか側にいてくれる事がなくなった。


 美琴の話を聞きながら、優華は強い罪悪感に襲われていた。やっぱり繋がりがあるとは思っていたけど、まさか、美琴があの幼い妻だったとは。そして彼女の大きな心の闇を初めて思い知らされた。結婚した時の彼女は幼く華のように美しく輝いていた。可愛らしい大切な人だった。まるで子爵が乗り移ったかのように気持ちが蘇り、辛かった。

 優華は美琴の話にのめり込んでいた。が、

「さぁ、更に先に進んでみましょう。」

優華は、深呼吸し、我に返り、美琴に時間の経過を促した。

 美琴はさらに語り始める。


 それからというもの、その楽団は何度もうちの屋敷のサロンにきた。夫がパトロンになったから、彼女は堂々とうちに出入りしていた。見るのも嫌だった。でも、ある時から変わった。あの人の事に気付いてからは。


 美琴の話し方が変わった。穏やかな口調になった。優華は続けて聞いた。

「あの人?それは誰ですか?」

すると優華も子爵としても知らなかった事実が語られた。


 私はただ、毎回夫の隣に座り空間を見ているだけだった。キラキラと舞う光、耳に聞こえてくる音。はっきりとモノをみないように過ごす事でその場をやり過ごしていたのだ。

 でも、ある時、その人の歌声と詩の内容がこころに染み込んできた。枯れた地面に水が染み込むように。

 その人は、やはり美しい男性で、いろんなサロン中の女性が夢中になっている吟遊詩人だった。歌声もその詩も皆を虜にしていた。

 私は今までにも何度もその人を見ていたはずなのに、その時だけは違っていた。まるで私に語りかけているような詩の内容。その歌声を聞きながら、知らない間に涙が流れていた。無表情の顔に涙が溢れる。そんな自分に耐えきれず、サロンから逃げ出した。涙も枯れたはずなのに、彼の歌でこんなになるほど泣いてしまうなんて。自分でもよくわからない感情だった。

 どこのサロンに行っても、私や夫のことは噂になっていた。だからこそ、表情に出さず自分のサロンで平然と過ごすようにしていたのに。その日の涙は、吟遊詩人の評判を更に上げた。氷の若奥様の心を動かす程の素晴らしい歌を歌う吟遊詩人、と。そんな風に噂され、私は、サロンが開かれるたび、益々目立たないようにしていた。

 ある日、いつものように遠巻きに楽団を見ていた。やはりあの彼の歌は素晴らしい、とため息が出る。聞き終わってもまだ胸が熱い。

 演目が終わり喧騒から少し離れたところで、いつものようにひとり静かに星空を眺めていた。

「こんばんは」

と男性に声をかけられた。

「星が綺麗ですね。」

少し暗いからか、誰だかわからない。でも、聞き覚えのある声だ。

「いつも、一人で離れた所にいますね。寂しくないのですか?」

男性は、驚く程、顔を近づけて話しかけてきた。それはあの吟遊詩人だった。私は驚いて、無言のまま目を丸くして彼を見た。すると彼は優しく微笑んで、

「そんな表情もするのですね。もっと貴女さまのいろんな表情を見てみたいです。」

そう言って私の手を取り、口づけをして、

「初めてご挨拶します、若奥さま。」

と礼を尽くしてくれた。

 私はびっくりしてしまい、そこから逃げるように部屋へ戻った。暗かったがきっと顔が真っ赤だったに違いない。その後もなかなか動悸がおさまらなかった。こんなことは初めてだった。

 それからというもの、彼は、サロンが開かれるたび、人目を盗み、私を探して現れては、色々な話をしてくれた。吟遊詩人らしく、色恋に通じているだろうから、口説いてくるのかと思いきや、そんな野暮はしない。彼は優しく朗らかで、旅回わりの話が殆どだった。知らない街や国の話がとても楽しかった。そして必ず私が笑うまで面白おかしく話をしてくれた。私は自然と笑う事を思い出し、彼が来るのを楽しみにし始めていた。

 そしていつしか、夫のことも愛人の事も気にならなくなっていた。

 だが、ある日使用人たちが教えてくれた。夫の愛人の踊り子が、彼の妹なのだと。彼が妹のために、私の気をそらし二人から遠ざけようとしている、と。彼は元々プレイボーイでいろんな貴族の奥様が手玉にとられているそうだ、とも聞いた。彼に目的があったと知り私は悲しかった。彼の話を聞いている時間や彼の歌が好きだったから、余計に切なかった。やはり、私は誰からも愛されない人間なんだ、と思い知らされ益々自己嫌悪に陥った。

 それから、私はサロンにさえ出なくなった。もうこれ以上笑い者にはなりたくなかった。徐々に部屋からも出なくなり、鬱となり、食事も手をつけない程だった。

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