二等客室
一人しかいない二等客室の中で寛いでいると、出発を知らせる警笛と共に浮浪者のような見窄らしい身なりの男が入ってきた。
突然のことに驚き、見開いた目で男を見つめる。
男の身なりに対しては特に問題はなかった。二等客室は庶民でも頑張れば容易に手が届くため、ごく稀にこのような輩が乗り込んでくることがあったからだ。では、何が問題かというと、それは男の腰に銀貨の詰まった皮袋がぶら下がっていたからだった。ひょっとしたら盗みでも働いて逃げてきたクチかも知れない、そう考えながら自然と荷物を抱きしめる。
「……別に盗んじゃいねぇよッ。コイツは俺ん金だ」
男は凄みを利かせながらそう言ったあと、間髪入れずに「こんな小汚ねえナリをしちゃあいるが、こう見えて、俺はぁ、伯爵様のご落胤って奴でね。そんなわけだから、まあ、金もたんまりあるってわけよ」と、自らの出自を芝居がかった口調で語りはじめた。滑らかな、澱みのない声だった。
そして、男は話終わると同時に襟元から首飾りを引っ張り出し、眼の前に突きつけてきた。
「ほうら、これが俺の紋章、ご落胤の証って訳よ、」
この国では、貴族、或いはその子女は、外出する際に身分証、または身分を示す紋章の付いた装身具等を携帯しなければならない決まりになっていた。男が取り出した首飾りもその一つで、分厚い円形の銀板には、薄赤色の地に描かれた家格と家名を示す伯爵家の紋章と白地に描かれた庶子である事を示す紋章が表されていた。
「た、確かに左は伯爵家の紋章ですね」
紋章の向こうで睨みを効かせる男に怯えながらそう答える。
「……だろう?」
男は得意満面の笑みを浮かべると、ベッド兼座席に勢いよく腰を下ろした。「まっ、そんなわけでよ、しばらくよろしく頼むわ」
ふと、この男と何処まで一緒に居なければならないのだろうと思い、恐る恐る「……ど、どちらまで行かれるんです?」と、尋ねた。
「あー? そうさなぁ……。たしか、ハルストまで、だったか?」
男は切符を見つめながらそう呟いた。
愕然とした。何故なら行き先が同じだったからだ。
男は徐に立ち上がり「ちょっくら、シャワー浴びてくっからよ。……金ェ、盗むんじゃねえぞ?」と、凄みながらそう言うと部屋から出ていった。
ハルストに着くまで、今日を入れてあと四日もあった。四日間もこのような男と一緒だと思うと気が滅入りそうだった。