第四章 6 :視界のその先にある顔は
寝覚めの悪い朝だった。ユウトは眠れない夜を越えて、太陽が昇った事を漏れ入る光で知り、瞼を擦りながら起き上がって、大きなあくびと背伸びを合わせて眠気がどこかに吐き出そうとしたが抜けずに、仕方なく服を着替えた。
いつもならレイナがやってくる時間だが、こなかった。
静かな朝がユウトの心を締め付ける。
眼球に皺が入ったかのような眠気を手首で瞼を擦りながら拭うが抜けるはずはなく、着替え終えたユウトは、また大きなあくびをしながら食堂に向かった。
――せめて、食堂にいてくれたらいいな……――
願い虚しく、食堂にはすでに朝食をとり終えたタマモしかいなかった。
「あ!にいちゃん!おはよ!」
「うん……おはよ……」
と、またあくびが出た。
「眠たそうなんだ。」
「うん……寝れなかったよ……」
「でも顔色はいいね!」
尻尾を激しく振るタマモは、昨日の夜に顔色の悪かったユウトのことが心配だった。
眠たそうではあるが、昨日の顔色に比べたら安心できたタマモの心境は尻尾に現れていた。
「おかげさまでね。ありがとうね。」
タマモは笑顔で「うん!」と元気よく返事した。
今日の朝食当番はアシュリーだった。今日から復帰したらしく、体の傷を隠すように長袖と丈の長いスカートを履いていて、その服を選んだ気持ちを慮る。
盆の上にユウトの朝食を乗せてやってくると、久しぶりとは思えないなれた手つきで配膳していく。
最後のパンのカゴをおくとアシュリーはユウトに向き直る。
「ユウト様……今日から復帰しました。ご心配をおかけしました。」
と深々と頭を下げた。
「よかったね。そう言えばギオ……」
「ああああああっとおおおお!!」
アシュリーは慌てふためいてユウトの口を手で押さえた。
目を白黒させてアシュリーの方を見ると、視線はタマモを向いていた。
タマモがキョトンとした顔でこちらを見ている中、アシュリーはユウトの耳元に顔を寄せて小声で話し出す。
「ギオン……様のことは内密にお願いします……知っているのはユウト様とレイナ様だけですので……」
なるほど、と納得したユウトは言葉を出さずに頷いて了解と示すと、アシュリーは咳払いして、顔を赤らめて離れた。
「何やってんだ!二人ともさ!僕に秘密の話か?!」
当然タマモが気になって不機嫌そうな顔をする。
「い、いえいえ!なんでもないのよ!オホホホホ……」
アシュリーはきっと隠し事できないだろうとわかる乾いた笑いにユウトはなんとも言えない呆れた笑顔でタマモを見たが、納得はしていないらしく頬を膨らませていた。
――バレるのも時間の問題かも…………――
ユウトはアシュリーの事で何を聞かれても知らないと答えようと心に決めた。
そして、ここにいるはずの二人がいない理由に話題を切り替えた。
「ローシアとレイナはまだ来ていないのかな?」
レイナと言うだけで心臓の鼓動が速くなった。
「お二人はもう朝食を取られて出られましたわ。」
ユウトは二人がすでに屋敷にいないことに驚いた。
「ご心配は要りませんよ。屋敷の警備は万全。ユウト様に身の危険が及ぶ可能性はあり得ません。この私とリンがいれば可能性は皆無。数字で表すならゼロ。有り得ませんわ。」
ユウトはそんなことを聞きたいわけではなかった。
「二人は……どこに行ったの?」
アシュリーは目を丸くさせて、手で口を隠す。
「ご存じではないのですか? まさかユウト様に何も言わずに行かれるなんて……お二人はご実家であるエドガー大森林に向かわれました。」
「え? 何故?」
「……なんでも、昨日の夜にローシア様とレイナ様がエミグラン様から何か指示を頂いて……だそうですわ。言われて考えますと、ユウト様に何も言わずに行かれたのは不思議でございますね……」
「置いてけぼりか……」
全てを知る者であるユウトに何も言わずに離れるなんてことは一度もなかった。
前向きに考えればユウトの実力を認めているのかもしれないが、それでも何も言わずに離れるなんて考えもしなかった。
アシュリーは不安そうなユウトを見て咳払いをした。
「ですので今日は一日お屋敷におられますようお願いいたしますわ。」
「え?」
それは都合が悪いと異議を申し立てようとしたところ、アシュリーは仁王立ちしてユウトの前に踏ん反り返る。
「ユウト様の身の安全は、このアシュリーとリンに一任されました。今日は一日おとなしくお部屋でお勉強などいかがですか?」
ユウトは今日、双子花を取りに行く予定にしていた。ローシアとレイナへのプレゼントなので二人には秘密にしておきたくて、今日の状況はまさに絶好のタイミングだ。しかし、アシュリーは鼻息荒くユウトの身の安全を守る事に息巻いている。
――こっそり抜け出すしかないか……――
「べ……勉強はいいかな。すこし疲れているし今日は休むことにするよ。」
アシュリーの申し出は丁寧に断って朝食を食べ始めた。
タマモはユウトの向かいで尻尾の手入れを始めた。今日も晴れるらしい。
――双子花を探す絶好の機会じゃないか……どうしよう……――
尻尾を入念に手入れをするタマモをじっと見る。
――……タマモ……そうだ!――
いいアイデアを思いついたユウトは、タマモが不思議そうにユウトのしたり顔を訳もわからずキョトンと見つめていた。
**************
――エドガー大森林
ヴァイガル国に近い森林の奥では、ローシアとレイナが、故郷のドワーフの村に向かっていた。
休憩はなかったが、途中で少し前にユウトがサイ達に襲われた所でレイナは立ち止まって、ユウトが腕を押さえて座ってきた木の下を見つめた。
初めてユウトにヒールした場所でもある。心なしか、ユウトが座った跡がまだ残っている草が折れ曲がっているように見えた。
ユウトにヒールを施した指が、何かを探るように右手の指頭を擦り合わせて、あの時に感じたユウトの体内に眠る力を思い出す。
ユウトに一言謝りたかったが、エミグランから急ぎの用である事と、昨日の朝の件が引っかかってユウトに何も言わずにここまできた事を後悔していた。
昨日の朝、ユウトから離れたくないと言う気持ちだけで決意を踏み躙ってしまった事を詫びたかった。
離れてわかる心の温もりは、その熱を失うことなく想いをはせる。
――ユウト様……お一人で大丈夫なのでしょうか……――
先を行くローシアは立ち止まったレイナに気がついて、何故物憂げな目をして立ち止まったかを、周りを見渡して、ユウトと初めて会った場所だと思い出してため息をつく。
「ユウトのことが心配なのかしら?」
「えっ? いえ……その、心配は心配ですけど……」
「……その割にはユウトをヒールした場所でボーッとするのは何故かしら?誰のことを思い出してるのかしら?」
意地悪くローシアがにやけて言うとレイナは顔を赤くして「もう!お姉様!」と頬を膨らませる。
子供の頃から頬を膨らませるクセはなおらなかったレイナを見て、子供の頃を思い出し、意地悪くしていたローシアも思わず笑った。
子供の頃から遊んでいたエドガー大森林は二人の遊び場で、自然と童心に帰るらしく、館を出る前のレイナと比べで生気が戻ったように見えた。
「ここにくると色々思い出すワ。」
「……良いことも、悪いことも。ですね。」
返事はなかったが、ローシアはユウトと共に村を出る前のことを思い出していた。
ユウトと出会うもっと前の過去、まだ両親が健在だった頃まで。
懐かしさと、もう顔もはっきりと覚えていない両親の事。
レイナは何を思い出しているかはわからない。だが、表情からは決して楽しい思い出ではないことはわかった。
そして今は、これから起こるかもしれない可能性の話を切り出す機会でもあった。
きっとエミグランが、村に戻るように指示したのは、この時間を与えてくれたためなのかもしれないと。
だからこそ、村に帰る前に言わなければならない。
「レイナ。」
過去の思い出に浸るレイナを現実に呼び戻す。
「はい。なんでしょうか?」
「あと四日で私たちはようやく黙示録に辿り着くのよ。ようやくね。」
「……はい。辿れば私たちのご先祖様……マーシィ・リンドホルムさまからの悲願ですわ。」
「そうね。アタシ達の人生をかけてでも達成しなければならない。そのためにはどんな事でも成し遂げなきゃならない……」
ローシアが真剣な顔になっていたので、自然とレイナも鏡を見ているように同じ顔つきになる。
「ここにきてなんだけど、アンタの覚悟を聞いておきたいんだワ。」
「私の……覚悟?」
ローシアは正直なところ、今からレイナに聞くことを話すかどうか躊躇っていた。
だが、聞かなければならない。あの日あの時に出会ったユウトのことを想うレイナに聞かなければならないと。
「もし、黙示録にユウトが近づいて……ユウトが命を落とすことになったら……アンタどうするのかしら?」
「……えっ?」
これ以上ないほど、レイナは目を見開いた。
「……エミグラン様に聞いたんだワ。もし黙示録にユウトが近づいたらどうなるのか……ヴァイガル国の言い伝えだと世界の終焉が訪れるとされているのよ? 何も起こらないとは思えない……」
「それで!エミグラン様は何と? ユウト様は?!」
ローシアは首を横に振った。
「エミグラン様はわからないって……そもそも全てを知る者と黙示録が近づく事がカリューダ様の生前でも起こり得なかったことなのに、エミグラン様でも知りようがないって、言われてみれば確かにそうなんだワ」
「……ユウト様……」
ここにユウトがいなくてよかったとレイナはそれだけが救いだった。こんな話をユウトにできるはずがなかった。たとえ姉でもユウトの前で話したら冷静に話せる自信はなかった。
「アタシ達の悲願にユウトの命がかかっているかもしれない。何が起こるか誰も何もわからない……それを知ってアンタはどうするのかしら。」
「どうする……とは?」
「四日後に、神殿の地下にユウトを連れていくことを許せるのかって聞きたいんだワ。黙示録の近くに。」
「許せるかだなんて!! そんな……」
ローシアには伝えることができなかったが、心の中では絶対に許せるはずがなかった。
言い淀むレイナの考えていることは、姉妹の絆の力でわかる。だが、こういった真剣な話をする時、ローシアは絆の力は使わない。
「アタシもエミグラン様に同じことを聞かれたんだワ。もしユウトが死ぬことになるとしても神殿に連れて行くのかって……」
「……お姉様はなんと答えたのですか?」
「アタシは連れていくと答えたワ」
「……」
姉ならばそう答えるだろうと予想していて、その通りの答えが返ってきた。
だからこそ、悲しさとやるせなさがレイナを苛む。
「アタシはアンタに覚悟を聞いておきたい。アンタにとってユウトが特別な存在だってことはわかる。だけどアタシ達の本懐は、たった一つなんだワ」
遠回しに、ユウトを殺してでも悲願を成し遂げる覚悟があるのか、と聞いてくるローシアに怒りが湧かないはずはない。
だが、それでも、犠牲があるとしても本懐だというローシアの覚悟もわかっていたから言い返す言葉もなかった。
夢や想像と現実は乖離するものだが、時に現実はあまりにも残酷なことを突きつける。
だからと言って簡単に現実を受け入れて、希望を諦めるほどレイナは現実主義ではなかった。
「私は……わかりません……お姉様の言う通り、黙示録の破壊は私たちの悲願です。でも、それで誰かが死ぬ事、それがわかっていながら、死ぬことと知っていながら何も思わないのは……認めてしまうのは……間違っていると思います。」
甘いと罵られるかとレイナは思っていた。
「……そうね。アタシもそう思うんだワ。」
「お姉様……?」
「よかったワ。アンタはアンタで。それで良いのよ。」
レイナはローシアが明るく微笑んでいる顔を見て呆気に取られた。
「本当はユウトを連れて行きたくないのよ。アタシも。」
「えっ?」
「でも、連れて行かなければならないのはアタシだけじゃない。エミグラン様も同じ。その目的はアタシ達だけではなく、この世界をより良い世界にするため……もうアタシ達の目的は世界を大きく変えるためのきっかけなのよ。」
世界に祝福が訪れる……
姉妹や魔女に関わる者達に祝福が訪れるなら、と考えて出された答えは魔女無き世界を生み出す事だ。今もなお魔女狩りの話がどこからか噂か真実がわからない話が耳に届くくらい、いまだに世界に影響を与えている。
魔女の歴史を時間がかかったとしてもなくすためには、魔女のいた痕跡を無くす。その最たる怨嗟の象徴であるカリューダの黙示録が残した祝福の道のりは、皮肉にも黙示録の破壊で成し遂げられる結論になった。
大災の魔女カリューダが破壊を望んだかはわからない。どんな思いで最後の記載を紡いだのかもわかるはずがない。
ただ、姉妹の悲願は、目の前の事だけを見て周りのことを考える余裕がなかったが、本来なら、世界を大きく変える事なのだ。
ローシアは、カリューダの黙示録の最後の記載を信じていた。理由は簡単だ。
「世界に祝福が訪れるなら、ユウトも訪れなきゃおかしい。だから、ユウトは死なない。アタシはそう信じてる。」
ローシアが出した答えは、レイナが言いたかった答えで、ローシアへの感謝の言葉より先に涙が溢れてきた。
絶対にユウトを死なせない。命を落とすようなことはさせない。ローシアにそう励まされているように感じた。
「アンタが守りたいものはアタシも同じなのよ。三人で黙示録がない世界……実現するんだワ」
「……はいっ!」
レイナは涙でぼやける先のローシアの顔は見えなかったが、きっと笑顔に違いないと思った。




