第一章 6 :世知辛い
エドガー大森林を分かつように流れる川を下るとそのうち平野がひらけて来た。
街道のそばの川岸に所々備え付けてある桟橋で船を止めて
ヴァイガル王国へ徒歩で向かった。
向かうといっても、およそ10分程度でつく位の距離だ。
桟橋から見ても、街をぐるりと囲う20メートルほどの高さの城壁が目立つし、街道を歩く多くの人の流れはそこに向かっていた。
城門前には、人がごった返しで大きな門を出入りしているが、門の真下にいる金属の鎧と赤いマントを付けた衛兵が両脇に立っていた。
特に入国の検査をしている様子もなく、行き交う人々を険しい表情で見ているだけだった。
なるほど、この状況なら特に何も疑われることなく、人に紛れて入国可能だと安心して
衛兵と目を合わせることもなく城壁の中に入ることができた。これで一つ目の目標であるヴァイガル王国に入国する事はできた。
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石畳の街道を行き交う人々を避けながら前を歩くローシアの後をついて歩いていた。
あたりは石と煉瓦を基本とした建築は中世ヨーロッパをベースとした建築様式となっており、辺りには人種様々に人が行き交っていた。
猫の獣人とおぼしき子連れの夫婦だったり、石畳を軋ませながら馬車を操る犬の獣人が誰かに手をあげて挨拶している。
街道の端には野菜や果物などを売る屋台が並んでおり、ここにいる人々は人間と獣人が入り混じって存在し、行き交う人々の生活が感じられる。
街の真ん中辺り、ロータリーのように円形で道が集まるようにぶつかり合う中心には噴水がある。
地図上では、北側の道をまっすぐいくと城にたどり着くらしいが、ここの噴水から見える北の山の中腹に、立派な城が見えるがきっとあれがそうだろう。
ユウトはおよそのヴァイガル国の位置関係は掴めてきていた。
そんな中。
「…ねぇ…姉さま」
ユウトが恨めしそうな声で前を歩くローシアに、負の感情を極力感じさせないよう語りかける。
「アンタの姉さまになった覚えはないんだワ。」
冷たくあしらわれるのはもうなれたもの。特に気にせず話を続けた。
「どこに向かっているのか教えてくれてもいいんじゃないかな。」
「うるさい。」
舟の上で、目的地もわからない乗り物に乗ることをあれほど小馬鹿にしていたのに、今度はこの様子だ。
お互いにため息を大きく一つついて歩き続ける。
前からローシアの顔を見たわけではないが、道に迷っていることを悟られたくないのだろうと予想していた。
交差点で馬車の通過をまつタイミングで、ローシアの手にある城門で手に入れた地図を覗き込んだ。
何度か定期的に覗き込んで見ているのだが、城門や城の位置からすると、地図の向きが上下逆になっている。
正面に城が見えるのだから、地図の上に来なければならないのに下にある。
十五分ほど前は左にあり、十分前には右にあって、地図の見方がおかしいと間違いに気がついた。
そのときに「間違えてるよ」といえばよかったのだが、城門前でレイナとは別行動をしており、もし万が一でも機嫌を悪くしようものなら間違いを正すどころではない。
先程から何度か声をかけても一言しか帰ってこないところを見ると、これ以上声をかけることは、ローシアの怒りの矛先がユウトに向けられる可能性がある。
矛先を向けられるくらいならローシアが音を上げるまで付き合おうと決めたのだが、これがなかなか音を上げない。
よく考えれば、体力でローシアに叶うはずもないユウトなのだから当然といえば当然の話だ。
ローシアが疲れて音を上げる事があれば、ユウトは五体満足でいることは不可能なレベルで体に無理を言わせているに違いない。
こうなってくると、ユウトの最後の望みは別の用事で分かれたレイナと合流するしかない状況なのである。
ただし、城門前でレイナと別れた間際に
「レイナは方向音痴なところがあるから心配なんだワ」とローシアが言っていたのが、とてもとても気になっていた。
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ローシア、ユウトと別行動をとっていたレイナは、城門でもらった地図を頼りに、迷うことなく目的地に向かっていた。
二人が向かったのは細々した物が取り揃っている商店に行くため、街の中央付近に位置する噴水近くの商店街へ。
レイナはひとまずの雨風を凌ぐ住まいのためにヴァイガル王国公認の傭兵ギルドに向かっていた。
ヴァイガル国にとって傭兵ギルドは、衛兵法で定められていることが原因で衛兵の手の届かない範囲の仕事を請け負う立場となっている。
国として民間で発生する問題の解決を民間で組織化して行うギルドの存在は、衛兵法を改正、増員する事なく解決し、衛兵を国防の主力にできると言う観点から、良しとして認めている。
仕事は民間からはもちろん、国からも仕事の依頼が来ることがまれにある。
もともとヴァイガル国は、衛兵組織が出来上がる前から傭兵ギルドが結成されており、治安維持に大きく影響してきた過去があるため、早期の問題解決に傭兵ギルドへ依頼することは異例というほどではない。
また、傭兵ギルドはヴァイガル王国に入国した場合の稼ぎ先としては最も効率が良いので、腕に自慢のある外部の人間が一番先に向かうのが傭兵ギルドとなる。
ローシアとレイナの計画では、入国できるかどうかは今日になってみないとわからなかったが、何事もなく入国できたので、次の目標は、夜までに少なくとも住処を確保することになった。
でなければ聖書記選特別価格の宿屋に泊まるか野宿となる。できる限り出費は抑えたいので宿屋に泊まることは避けたいし、最悪の野宿はユウトの安全確保を思えば絶対にしたくない。
城門前では家を借りる事ができる想定で、家事全般が得意なレイナが生活必需品を購入する案をローシアが提案したが、姉の恐ろしいまでの方向音痴っぷりを嫌と言うほど知らされていたレイナは、姉のセンスの良さと言ういつもの殺し文句で持ち上げて説得し、レイナがギルドに向かうことになったのだ。
ローシアを説得していく以上、家の確保はなんとしても成し遂げたい。
城門から城壁沿いを西側へ道なりにしばらく進むと、賑わいのある市場の明るい雰囲気から人の様子が様変わりする。
血の汚れなのか、金属製の鎧のところどころに黒い汚れが付着する物々しい雰囲気の大柄の戦士、ローブを纏い、先端が湾曲している木の杖を持つ顔も隠れた性別生年不明な不気味な人物、弓を背中に背負ういかにも身軽そうな体型と服装の目つきが鋭い長身の金髪のエルフ…
城門前のにぎやかな雰囲気とは打って変わって、重い空気が立ち込め、立ち入ることもはばかられるオーラを醸し出している。
そんな中を平然とレイナは目的地を地図で確かめながら進んでいった。
どのくらい歩いたかはわからない。城門から西側へ突き当たるまで歩くと目的地が見えてくる。
物々しい雰囲気も人数も増え、お構いなしに進むと城壁の突き当りとなり
傭兵ギルド『ミスト』に到着した。
石で作られた古い建物で、入り口前には少し朽ちたところが目立つ木製のテラスがある。
テラスに備え付けられたテーブルの周りには果実酒の入った木製ジョッキを片手に語り合う見るからに傭兵らしい男たちが談笑している。
見たところ女性は皆無でレイナの存在は完全に浮いている。
白銀の髪、白く透き通った肌、凛とした姿勢から溢れる憎々しいまでに大きな胸は人の目を引き、このミストでも例に漏れず注目の的になっている。
だが理由はそれだけではない。
ここは傭兵ギルドだ。
見たところ華奢なレイナがいるべき場所ではない。
女としてというより、何しに来たのか?という奇異な目でも見られていた。
当のレイナはそんなこと気にするでもなく、視線を
置き去りにしてミストのドアをゆっくりと開いた。
中は二階が吹き抜けで見えるようになっており、外からみた外見よりも広く感じた。
周りは木製のテーブルと椅子が乱雑にあり、中にも傭兵が二十人ほど屯しており、先程道ですれ違ったような異質な傭兵がいるが、見方によってはならず者達の酒場のような雰囲気がある。
ドアを開けた人物がレイナだと分かると、笑い声、喋る声が徐々に消え無音になった。
視線はレイナ一人に向けられている。が、一人だけ見向きもしない人物がカウンターの向こうにいた。
レイナは向かいにあるその人物に靴音をコツコツと鳴らしながら歩を進める。
見たところ齢50か60いくばくかの老女。
白髪を後ろで束ね、顔に刻まれた皺は年齢もあるだろうが威厳も感じさせる。
たばこ葉を詰めた細いパイプを咥えて紫煙を燻らせながら手元ではカウンターに麻袋から乱雑に出している金貨を磨いており、レイナの事を気にかけもしなかった。
傭兵ギルドを知る上でもう一つ有名な話がある。
このギルドをまとめ上げる女性の事だ。
ヴァイガル国が国として成った時から存在するギルドを代々守り続けてきた59代目のギルドマスターである
女丈夫『セト』
力自慢達をものともしないまとめ役として君臨するヴァイガル国のギルドを知る上で、知っておくべき常識の一つだ。
レイナも当然知っていた。
この中で女性はその老女しかいない。
「セト様…ですか?」
「…」
見向きもせず金貨を磨く。
「ギルドへの登録で参りました。レイナと申します。」
名乗ると、セトは目線だけレイナに向き、舐めるように爪先から顔まで見ると、金貨を麻袋に放り投げてようやく顔をレイナに向けた。
「あんた、この辺の人間じゃないねぇ。どこからきたんだい。」
「…それは…」
答える事に窮する。
自分の身元は出来れば知られたくなかった。
ユウトの事は衛兵にでも告げられようなら、もうこの国に住む事が出来なくなる。そして姉妹の出自も悟られたくなかった。
正直にドワーフの村と伝えれば、人間がなぜドワーフの村で?という質問がくるだろうし、さらに深掘りされて、もっと過去の事を知られたくなかった。
セトは答えないレイナに痺れを切らしてか、まあいいわと話を切った。
「あんたぁ、ここがどういう場所かわかってるね? それを承知で言ってんのかい?」
「はい!」
元気の良い返事はあまりにも雰囲気を読まないもので、素っ頓狂に聞こえた傭兵達は、誰からとなく吹き出して、大きな笑い声になっていった。
なぜ笑われているのかわからないレイナはムッとして少し頬を膨らませて全員を黙らせたかったが、次の瞬間
「おだまり!!あたしゃこの娘と話してんだよ!!」
セトの腹に響くような大声が笑い声を吹き飛ばした。
静かになったところで鼻を鳴らしてレイナに向き直す。
「見たところ連れはいないようだけど…アンタ一人で登録すんのかい?」
ユウトを含めるかをすこし思案したが、わたしやお姉様が付いていれば大丈夫だろうと、ユウトも含めて回答する。
「私を含めて三人です。二人は所用でここには来ていませんが…」
「ほー…随分と余裕だねぇ…」
セトの目つきがキツくなる。
「ふん…まあいいさね。それで、あんたは…その背中にある長いモンが武器だね。そんな大層な獲物使ってるんだ。どこか他の国での経験はあんのかい?」
「えっと…ギルドの登録は初めてです。」
セトの目つきがさらに強くなり、その視線はミスト内の傭兵に向けられた。
ギルドへ参加して稼ぎを得るとは、命の危険が伴うのは当然の事だ。刃傷沙汰も免れないのがこの世界の常識。
ギルドの初心者は当然でてくるものだが、その場合、既に登録して活躍している人に師事して経験を積み、紹介という形で登録される事が暗黙の了解となっている。ここにいるほとんど全ての傭兵はその道を歩いてきた。
だからこそ、この失礼を通り越して非常識な女には呆れて、鼻で笑うものもいた。我関せずを決め込む者もいた。
だが、ほとんどが怒りだった。怒気が現れた顔つきでレイナを見ていた。
ただでさえ聖書記選の影響で依頼がほとんどない。
せいぜい外国からヴァイガル国に入国する荷馬車の護衛くらいで、ここにいる連中の血のたぎりを満たしてくれるような依頼は当分ない。
セトはミスト内の空気が変わった事を察知し、やれやれといった表情で深いため息をついたが、その空気の中、口を開いてセトに話しかけたのは一人の傭兵だった。
「いいじゃないですか。やらせてみれば。」
低く優しい声色は、その場にいた全員の視線を集めた。
齢四十ほど壮年で、もみあげから顎にかけてつまめるほどの長さの髭を生やしていた。
髪は眉と耳がやや隠れるほどの長さで栗色。鼻筋の通った整った顔
傭兵にしては線が細い体型をしているが、普通の人からすると筋肉隆々に見える。
もたれるようにして椅子に座り、仲間とカードゲームに興じていたようだ。
その男は続けて語りかけた。
「どうせダメなら続けられるわけはないんです。試しにやらせてみる方がいいでしょう。なんせ、ここで威勢のいい返事をするお嬢さんだ。やる気は誰よりもあるんじゃないですか? ねえ?」
男はレイナに話を合わせるように軽くウインクをした。
だが、レイナがその合図に反応するよりも早く、
「オメェら!何勝手に話進めてんだコラ……ォオオオ!?」
奥の方で誰かが叫び声を上げながら立ち上がった。
かなり体の大きい男で、二メートル以上はある。
体躯も丸太のようにゴツく、ゆうに二百キロはありそうだ。頭は全て剃り上げて長いのか、日焼けが頭頂部まで及んでいる。
まるでトロルのような出立ちだ。
さらに誰が選んだのか、それとも合うものが見つけられかわからないが、サイズが合わない皮の鎧を幾重にも纏っているが、半裸にしかならない。あまりの人外れた見てくれに疑いたくなる話だが、
名をモブルといってれっきとした人間だ。
オルジアは、めんどくさい奴が絡んできたな、と内心後悔した。このモブルという男は見てくれの通りギルド一の力自慢であり、その力を存分に見せつけて相手を屈服させ従わせることで有名だ。
取り巻きの連中もモブルの力に屈した者ばかりだ。
「オルジア!てめぇ!自分で何言ってんのかわかってるのか!」
「やあ。いたのかいモブル。もちろん理解しているよ。」
オルジアは決してからかったわけではない。普通に返事をしたつもりなのだが、怒りに頭が湯立つモブルは奇声のような怒鳴声をあげながらオルジアに近づいた。周りのものはすぐに席を立ちモブルから距離を取るが
当のオルジアは臆する事なく椅子に座っている。
「このお嬢さんは本気だ。セトさんもそれを感じてるはずだ。」
「あたしゃ、何も言ってないよ。」
パイプにたばこ葉を詰め直して火をつけながらオルジアに言い返す。
だが、返答自体は否定をしていない。
怒りが頂点に達しそうなモブルは片手でオルジアの胸ぐらを掴もうとしたが、その手を難なく弾き、鼻で笑う。
「まぁ落ち着いてくださいよ。ここでは喧嘩はご法度。それくらいは知っているはずだ。」
「なんだとこの野郎!」
堪忍袋の尾が完全に切れてしまったモブルは、ご法度を破る事も頭から抜けたように拳を振り上げた、その瞬間、オルジアの目の前に銀髪がふわりと前に立つ。レイナが2人の間に入って両手を広げて制止していた。
「やめてください。どうかその拳を下ろしてください。この方は関係ないはずです。」
だが、もう冷静な判断が出来ないモブルは荒々しく鼻息を吹き出し、そこをのけ小娘!と警告する。
だが、レイナは頑として動かない。
「この方は私のために、セト様に提案されただけです。どうしてもこの方に手を出すのであれば、私が受けて立ちます。」
レイナの一言にミスト内に今日一番のどよめきが起き、さすがのセトも目を見開いた。
だがオルジアは違った。
どこまでも自分に素直なお嬢さんだ。とさらに口元を緩め、ここ最近出会ったことのない心の持ち主に小さな感動を覚えた。
だが、相手は体格が二倍以上の大男のモブルだ。
どう見積もっても力押しされたらレイナの分が悪いのは火を見るよりも明らかだ。
モブルは火に油を大量に注がれたのは見てとれて、肌も真っ赤に血をたぎらせ怒気を強めている。
さて、このお嬢さんはこの圧倒的な不利になったこの状況をどうするつもりなのか…
オルジアは腰に下げているタガーにそっと手をかけて様子を見た。
レイナの姿は後ろしか見えないが、向かいのモブルの顔を見れば想像はつく。
我を忘れてしまいもう引けない男と、自分の正義に準ずる絶対に引かない女。
一触即発な状況だ。どよめきはやがて沈黙になった。どちらが動くか…
そんな中オルジアと同じ考えで見ていたセトがついに動く。
「ここで喧嘩はやめな!やるなら外でやるんだねぇ。まだその娘はギルドの人間じゃない。」
あまりにも無慈悲なセトの提案にオルジアは一瞬顔を歪めた。
ギルドの人間同士の喧嘩はご法度。だが登録されていなければ話は別だ。
売られた喧嘩は笑顔でいただきますと買う連中だ。
そんな力自慢に歯向かう傭兵はこの国にはいない。
だがレイナは、私がこの争いを受けて立つと言ったのだ。相手が受けてしまえば命のやり取りになる。
意図せずレイナに助けられた形になったがオルジアだが、セトの提案はあまりにもレイナに不利だ。
「そりゃあんまりだろう。これは、俺とモブルの問題のはずだ。」
モブルが間髪入れず割って入る。
「うるせえ!てめえはだまってろ!元々はこの女が俺様をコケにした事を言うからだろうが!」
モブルの言葉に被せて釘を刺したのがセト。
「やめな!オルジア!アンタはギルドの人間だ。手出し無用だよ。」
これでオルジアは万事休す。小さく舌打ちをしてタガーにかけた手をゆっくりと外した。
そして小さくレイナにだけ聞こえるようにつぶやいた。
「すまねえなお嬢さん。アンタの手助けはできない。」
レイナはゆっくりとオルジアの方を振り返り、にこやかに、ありがとうございました。と頭を下げた。
だが、オルジアは、相手がモブルでその後のことが想像できるだけに笑顔をまともに見ることはできなかった。
「グァッハッハ! セト婆もたまには言うじゃねぇか! そりゃそうだこのギルドの稼ぎ頭は俺様なんだからなあ!」
この言葉は事実である。モブルはこの国で力自慢で知られている。単純に力ならモブルがトップクラスだろう。
だからこそ、モブルのいる事でギルドの威厳が保たれている側面もある。だが、オルジアはいずれギルドの汚点になると考えていた。
しかし、モブルにまともにやり合って勝てる人間なんているはずがない。衛兵が束になってなんとか動きを止められるか、もしくはヴァイガル騎兵団の団長以上が来ればあるいは…
だが、主に外国との有事の際に活躍する騎兵団長がギルドの喧嘩ごときで動くはずもない。
セトはモブルを睨みつけて
「アンタにババア呼ばわりされる覚えはないねぇ。」
と食ってかかる。モブルがずる賢いのは、逆らってはいけない人間を知っている事だ。セトにはさからうことはない。
「まぁいいじゃねえか、そんなことよりさっきの言葉は本当だな? この娘がギルドの人間でないってことは。」
レイナを親指で指すモブルに
「ああ。あたしゃまだ認めてないよ。」
と、そっけなく返すと、先程の怒りに震えていたモブルとは打って変わって、にやつきが堪えきれない顔になった。
「ほほう。つまり、あいつがどうなっても構わないということだな?ギルドは関知しないと。」
「ああ。そうだねぇ。このセトに二言はないよ。」
モブルの口角が上がった。
そして高らかに宣言した。
「そりやぁちょうどいい!好きにさせてもらうぜ!そろそろ女が欲しいと思ってたころだ!力ずくでねじ伏せて言うこと聞かせてやることにするぜ! それもかまわねぇんだよな?セト婆?」
セトが鼻を鳴らし、オルジアは歯噛みする。
二人ともどうせそうなると思っていた。
モブルの取り巻きの連中は色めきだつ。
セトは何も言わない。それはモブルが前向きに捉えても仕方のない態度だった。
「おい!そこの娘!外に出ろ、この俺様が二度と馬鹿な事を言わないように躾けてやる!」
モブルは鼻歌混じりに取り巻きの数名を指差して、一緒にくるように指示して、大笑いしながら外に出ていった。
その姿を見届けるとレイナはセトの方を向いて
「セト様。あの方を懲らしめたらギルドの登録を考えていただけますか?」
と聞いてきた。レイナはギルドの登録が最優先なのだ。
モブルのことは正直どうでもよかった。ただ、あんなに無礼な人間は懲らしめたら褒められるのではないか?という純粋な正義感と交渉としてセトに提案したのだ。
あまりにもなにか抜けているレイナの提案に堪え切れなくなってセトは吹き出して、高笑いした。
他のものは誰も笑わない。それよりも、何を言っているんだと呆れている。外に出たらモブルに痛ぶられるだけだ。その背中の刀もあの馬鹿力でへし折られる。刺しても急所まで届かず羽交締めにされて好きにされる。かわいそうに……と憐れむ視線の方が多かった。
「…あー。あんた、レイナだっけ?面白い娘だねぇ…実に面白いじゃないか。いいよ。もし懲らしめたらギルドの登録を認めるよ。残り2人もね。」
セトの答えにやったぁ!と飛び跳ねて喜んだ。
そして元気よくありがとうございます。と一礼して扉に向かった。
ふと扉の側に模擬練習で使う木製の剣と盾に目が止まった。
「セト様! この木剣お借りしても良いですか?」
「ああ? まあ別に構わないけど。それでやるつもりかい?」
レイナは満面の笑みで
「はいっ!」
と元気よく答えて、木剣を片手に外に出て行き
ミストにいる全員の緊張の糸が切れた。
「マジであの子、木剣でモブルとやるあう気かよ。正気じゃねーな。」
「まぁ、少しはやるようだしみれるんじゃねーか?最初くらいは。」
「かもな。モブルの野郎の暴れっぷりを見てやるか。どうせ暇だしよ。」
ミスト内の連中は興味本位で仲間を引き連れぞろぞろと見学に行く者、我関せずを決め込む者、厄介なモブルが居なくなってホッとした者とさまざまだ。
オルジアは事の発端を起こした者として見守る責任がある。いい方向に転がりっこない未来を見届けるのは心も体も重たくなる。
ゆっくりと立ち上がるとセトがジトリとこちらをにらんでいることに気がついた。
モブルの性格を知っておきながら女の子一人犠牲にするようなまとめ方をする人物に睨まれるような謂れはない。だが、そうさせたきっかけは自分でもある。だから、セトの目の向け方に何の感情も持たなかった。
オルジアはセトの睨みを無視して外に出ようとした。
「まちな。オルジア。」
「…」
セトの言葉に歩みを止める。
「ギルドの連中とやり合ったら両成敗だからね。それを忘れるんじゃないよ。」
念には念を押された。
「…わかってますよ。セトさん。」
ギルド内の喧嘩はご法度。
やり合ったら両成敗で追放。
誰もが知っているギルドの掟だ。
この掟はセトがいつも言っている事だ。
レイナをギルドに入れてみればいい。それは本気でそう思ったからだ。冷やかしでもなんでもない。
実力主義であるギルドの登録を得るのに師事しなければならないと言う暗黙のルールの方がおかしいのだ。
教えてもらうのは自由だが、登録する必要不可欠なことではないはずなのだ。
それが今は暗黙のルールとしてここに存在して不気味な空間の一助となっている。セトも本来相応しくないと考えていてもおかしくないのだが…
すでにミスト内は五、六人しか残っていない。
外ではモブルの下品な笑い声が聞こえて来る。
あんなやつに正直者が叩きのめされる。
全く…
「世知辛いねぇ。」
紫煙と一緒に鼻息を鳴らすセトを背に
オルジアは重い足取りで扉に向かい外に出た。