第一章 5:叩きたい背中
全てを知る者として、この村を出ていく決断をした姉妹とユウトは、ギムレットの提案により宴を開くことになった。
宴となるとドワーフ全員が協力的だ。もともと宴が大好きなドワーフ族は、いきなりすぐ宴を開くとなっても誰も嫌な顔ひとつせず、むしろ皺深く凝り固まった顔が破顔し、宴の準備が始まった。
天気も良く夜になっても冷えることはないらしく、外で夜空と焚き火を囲って行われる事になった。
村は三十人ほどのドワーフが暮らしており、屈強な男は村の広場の中心に、二メートルほどの高さに乾かした薪をくみ上げた。
ローシア曰く、薪に燃焼遅延の魔石を使っているため、普通の薪と比べても二倍以上の時間も燃え続けるため、村のエネルギーとして薪は常に第一線の活躍をするらしい。
宴を開く資金になる村の収益は、石炭や鉄の加工物が主で、たまに掘れる魔石をヴァイガル国中心に卸すことで良好な関係を保っているらしい。
とはいえ、全てを卸すわけではなく、いくつかは自分たちのもしもの蓄えとして残してあるそうだ。
「辺鄙なところだけど、特に何か困るわけでもなく、見た目ほど貧相な村ではないんだワ。」
宴の用意であちこち動いてようやく落ち着いて一休みしていたローシアにこの村のことについて聞くと、開口一番にそう言った。
薪を運ぶ役の、ローシアが自分の体積の二倍以上の薪を運んできたところを目の当たりにした周りの屈強なドワーフたちも、ローシアに負けるものか!と、この村のドワーフの中でも一番屈強な一人が、俺がやる!と仲間たちに薪を山のように積んでもらった。
自分の二倍近い薪を背負わされ、歩き出そうとする。が、足を上げることすらもままならない様子で、真っ赤に染め上がった苦悶の表情のまま二歩三歩踏み出すと、薪で倍以上になった重力に逆らえず崩れるように倒れ込む。それを見たドワーフの仲間達とローシアが声を上げて笑った。
ーーローシアもこんな風に笑うんだーー
見た目は子供だが大人のような立ち振る舞いを見せる彼女に、ユウトは血は繋がっていないが姉のような尊敬にも近い親近感を覚えていた。
姉のローシアの方がレイナと比べて、背丈の差はあれど、力強く頼り甲斐のあるお姉さんのように見えるし、言動もそう感じさせる。
隣でケラケラと笑うローシアを見て、こんなにも笑うなんて意外だと、ユウトからするとささやかな驚きだった。
「アンタ。ぽやーっとした顔してるけど、覚悟は決まったのかしら。」
隣からいつのまにか目の前に立っていたローシアに声をかけられた。
顔はいつものキリッとしたローシアに戻っている。
「えっ?…うん、覚悟というか、もうなるようにしかならないだろうなとは思ってるよ。何ができるか全くわからないけど。」
「そうね。アンタに何ができるのかワタシにもさっぱりわからないんだワ。でも…」
「でも?」
「ワタシ達姉妹は、アンタを利用するんだワ。悪い言い方になるけど。ワタシ達には成し遂げなければならない事があるんだワ。」
「……うん。それはわかってるし、僕も同じだよ。二人がいないと、僕は多分生きる事ができないと思う。」
ローシアは固く拳を握りこちらに向けて
「目的が果たせるまではアンタを守る。この大地がアンタを選んだのなら、ワタシ達は守る運命なのよ。だから安心なさい。」
と力強く言い放つ。
「…うん。そうだね。」
「…お互いに目的が果たせるといいわね。」
最後の一言がやけに重く感じた。
ローシアが一つ息を吐いて意を決してユウトの眼前に歩み出て
「…一言だけいいかしら。」
「…え? 何?」
「…私たち姉妹のこと、よろしく頼むんだワ。」
「は…はい。」
決心をしている相手に対して間抜けな上擦った声で返しまった。
それでもローシアは、一つ満足を得たように笑顔に戻り、ユウトの背中を大きく叩いた。
「あいたっ!」
「そのくらいで痛がってるようじゃ、先が思いやられるんだワ。」
重々しい話から打って変わって弾けるように笑いながら、アタシにやらせるんだワ! と飛び出して行き、力自慢真っ最中のドワーフの集まりへと合流し、重すぎて持てなかった薪をいとも簡単に持ち上げて、目を丸くさせているドワーフ達の間をすり抜けて運び出していった。
**************
日が暮れ始めた頃に宴はギムレットの乾杯で始まった。
ドワーフ達の車座の中には炎々と燃え盛る焚き火があり、その前で酒に酔うドワーフの踊りやら、力自慢達の腕相撲に興じており、老若男女問わず宴を楽しむ姿が見られた。
これまでずっと静かな森の中で平和で楽しく暮らしてきたのだろうと察することができた。
得体の知れないヒョロいユウトのことなど宴の始まりから意にも介さないし、得体が知れない人間を受け止めるだけの余裕がある。
ユウトはギムレットの隣に座っていたが、ギムレットはファファと笑いながら果実酒を飲み続けている。
用意した果実酒は、実に二十樽。
一人につき相当な量だなぁという考え方はこのドワーフ達の飲みっぷりで、逆に足りるのか?と心配になる程だ。
ユウトは酒こそ飲めないものの、雰囲気に酔っていた。村に受け入れられたわけではないが、自分がまだここにいてもいいんだという安心感があった。
間違えば今頃獣人に売り捌かれていたかも知れないことを考えると、今この環境に自分が存在していることが不思議でもあり幸せに感じていた。
「となり、いいですか?」
ドワーフ達の喧騒から静かに、そして透き通った声がユウトの耳に届く。
声の方を見るとレイナが果実ジュースを手に横座りで隣に座ったところだった。
「賑やかでしょう? この方達は宴になるといつもそう。でも、すごく楽しい。」
「うん。そうだね。僕も同じだ。」
ユウトも完全に同意見だった。
「お姉様、とても楽しそう。」
ドワーフ達と踊ったり、腕相撲で勝ちまくって負けたドワーフに果実酒を一気に飲ませたりと
おそらく一番楽しんでいるように見えた。
「そうだね。とても楽しそうだね。明日にはここを旅立つのに。」
ヴァイガル国に狙われるであろうユウトは、この村にとっては邪魔者でしかない。村が見た目ほど貧しくないのは、ヴァイガル国の友好があってこそであり、友好関係が無くなれば辺鄙な場所に位置する村の不便さも相まって、村の財政も落ち込むことは想像できる。
ユウトを1日でも匿うリスクは村にとっての致命傷の可能性となりうるのに、それをよしとするのは、単に姉妹の村の貢献度によるもので、ユウトが選ばれた存在だからという理由ではない。
全てを知る者を心底求めているのは、ドワーフではなく、姉妹だけなのだ。
そして、もし全てを知る者が現れたときに姉妹が出ていかなければならないこともわかっていたはず。
ドワーフからすると邪魔者以外の何者でもないユウトが今ここに宴を楽しむことができるのは、一から十まで姉妹のおかげでもある。
姉妹が村を出ていくと告げた時、ギムレットは驚くどころか反対もしなかった。受け入れたという事実は、姉妹の命をかけて果たす目的も知っていることを意味している。
あの涙は、今生の別になるかも知れない覚悟の涙なのだと。
姉様が酔い、ユウトへの意識が向いていない今、聞くチャンスだと。
「レイナ…さん。」
「あら、はじめて名前を呼んでくださいましたね。レイナでいいですわ。」
レイナの顔にほのかな微笑みが浮かび見つめられると、ユウトの心臓が一つ高鳴る。
思春期の男の子には刺さる微笑みの拘束力をとりあえず意識的に心の邪魔にならないところに置いておき尋ねた。
「君たち姉妹の目的ってなんなのかな?」
微笑みが口元からゆっくりと消えて、焚き火の方に向き直した。
「お姉様から、何か聞かれましたか?」
「いや、私達姉妹のことをよろしく頼むとは言われたけど、目的のことまでは…」
焚き火のそばでは、もう腕相撲で十連勝くらいしたローシアがドワーフにいっきに飲ませる果実酒を注いでいるところで、満面の笑みで腕相撲に負けたドワーフの目の前に、大きな木の器に並々と注がれた果実酒が置かれた。
その後ろには酔い潰れたドワーフが山積みのように倒れていたが、
まだ我こそはと待っているドワーフもいるようでお開きになる気配はまだ見えなかった。
姉様のやりとりを見つめながらレイナは、最後の宴になるかもしれないから少し酒を飲めばよかったかもしれないと少し後悔していた。
「やっぱり、ローシアから聞いた方がいいかな?」
「お姉様がおっしゃっていないのであれば、残念ながら私から詳しく申し上げることはできません。」
「そっか…」とユウトはレイナと同じように焚き火の方を見つめた。まだ炎々と燃え上がる焚き火もローシアのどんちゃん騒ぎも終わる気配は見えない。
居た堪れない空気の中、レイナは意を決した。
「…ですが、私たちには、ユウト様を守る理由があるのです。そうしなければならないのです。」
「そうしなければならない。って?」
レイナは強い眼差しを焚き火に向けて、小さく一言
「――魔女が残した全てをこの世から無くすため。」
ユウトは、レイナが発した言葉をなぞるようにつぶやくことしか出来なかった。
そして、それから宴が終わるまで、魔女のことについて話す事はなかった。
**************
宴の夜から一夜明けた早朝。
まだ薄暗い川辺と、村に一つだけ備え付けられた桟橋に、今日旅立つ三人はすでにいた。
「ほれぇ!ユウトちゃん足元気をつけなきゃ川に落っこちまうヨォ!」
「だ、大丈夫ですから!ーーー う、うわぁ!」
気をつけろと言われた矢先に小さな木製の桟橋から足を踏み外し、川に落ちそうになったユウトの腕を掴み引き寄せたのはレイナだった。
「大丈夫ですか?ユウト様?」
「あ…うん。ありがとうレイナ。」
一つ深呼吸をして呼吸を整える。
「ほれぇ!だーからいったべさぁ!あんたぁ昨日からぼゃーっとしてっからぁ!」
先ほどから酷く訛りの強い野太い声をかけるのはギムレットの娘のビレーさんだ。
ローシアとレイナの母親として二人を育て上げたというその姿はまさに
恰幅の良い肝っ玉母ちゃんだ。
昨日から、と言う言葉で昨夜の宴の出来事を思い出した。
*******
――魔女が残した物を全てこの世から無くす。――
焚き火にくべられた燃えている木の水分で小さく指を鳴らすようにパチンと鳴った。
ユウトとレイナの間にビレーが、「間に入ってもいいかねぇ?」と言葉通りに間に入って座った。
神妙な話をしていたのを察知したのか、宴に必要なのは歌と笑顔とうまい食べ物と酒と言わんばかりに、両手に持ちきれないほどの料理と酒を持ってきていた。
「ユウトちゃん、少し話したいねぇ。せっかくこの村に来てくれたんだからさぁ」
そこからユウトのことを根掘り葉掘り聞かれて、レイナもユウトを気遣ってビレーさんを嗜めようとしたが、
ユウトは全く悪い気はしなかった。
これまでに起きたことを全て話すと、わからないことが多いけどもと前置きして
だいじょうぶだよぉ!生きてさえいりゃどーにでもなんだよぉ!
と、一笑した。
確かにそうなのだ。
生きてさえいれば希望は見えて来る。詰まるところ、希望に向かっていくことができるかどうかなのだ。
言葉で発しなければ、当たり前のことでさえも見落としてしまう。
生きていなければ未来は訪れないし、前に進まなければ、景色は変わらない。見えるものは変わらない。
ーー今は進むしかないんだーー
宴の間、レイナはビレーさんの話をずっとしていた。
小さい頃にビレーさんと初めて会った時、ここではあんたたちの母ちゃんは私だよォ!と涙をこぼしながら抱きしめてくれたことや、読み書きや料理を厳しくも優しく教えてくれたこと。
ビレーさんは姉妹にとっての本当の母親のようになっていたこと。
誰かに聞いてもらいたい気持ちが隠しきれず堰を切って溢れ出し止まらなかった。
自慢の母親を知ってもらいたくて。
そんな思いが見てとれた。だからユウトは、レイナが話やむまでずっと聞いていた。
三人とも、笑顔で。
**************
桟橋にはビレーさん、ギムレット、ローシアに潰されて二日酔いのドワーフ達と村のほとんどが見送りに来ていた。
すでにビレーさんはハンカチを時折目元にあてがいながら、ローシアが準備していた川下りの舟の出発準備はもう少しかかりそうだ。
ギムレットが護衛に両脇を支えられるようにして桟橋までやってきた。
「レイナや。」
船の準備をしているローシアに遠慮して、レイナを呼んだ。
「はい。ギムレット様。」
「もし、何かあった時のために、ドァンク共和国のイシュメル殿に手紙を送っておいた。何かあったら尋ねてみるが良い。」
「イシュメル様…もしかして貴族会の?」
ギムレットは一度、頷いた。
「何か大きなことを成すなら、おそらくは彼の力が必要になる時が来るじゃろう。いずれ会わなければならないと思うての。ほれ、わしもいつポックリいくかわからんからなぁ。フォッフォッ」
最後の冗談はレイナは冗談でも言ってほしくはなかったが、半分は本音なのだろうと思った。
ここで、涙を流しては本当に最後になるかもしれないと、気持ちを踏みとどまらせ、鼻の奥でツンとつく痛みを堪えて、ありがとうございます。と一礼した。
ギムレットはレイナの少し後ろにいたユウトを呼び、手を両手で包み込み
「二人を、どうか……どうかよろしく頼みますぞ。」
と優しく、そして真っ直ぐにユウトに告げた。
力強く握ってきた手は、とても硬く、厚く、暖かかった。
ドワーフは山を掘り、鉄を加工することを生業としている事をローシアから聞いていたが、ギムレットもまた同じように鉄を掘っていたに違いない。
ヒョロガリなユウトの手で感じるギムレットの硬い手は雄弁に語る。
ギムレットは杖や護衛の支えなしでは歩くことも不自由に見えるほど年老いていた。
だが、握ってきたその手はユウトの何倍何十倍も逞しかった。
「…はいっ」
何もできない、力もないユウトは、その手を握り返して見え透いてるはずの身の丈に合わない約束を誓った。ギムレットに、そして自分に。
続いてギムレットは、ユウトの後ろで旅立ちの準備を終わらせたローシアを見つけて手招きをした。
口を尖らせてわざと目を逸らしていたローシアは、ギムレットの誘いに一つ息を吐いて応えた。
ローシアのほおに手を当て、優しく撫でて眼帯を軽く親指で撫でた。
「よいお姉さんになったのぉ。ローシアよ。」
「…」
「やんちゃだったが、妹思いのとても優しい子じゃ。」
「…」
「お主たちはわしの自慢の孫じゃ。どこにいても、二人の幸せを願っておるよ。」
ローシアの肩が震え出した。
その様子を見ていたレイナも下を俯いて唇を噛んでいたが、頬には涙がひとつ伝っていた。
「昔のように、おじいちゃまと呼んでくれんかの?」
ギムレットも僅かに声が震えていた。
ビレーさんに至っては人目を憚らず滂沱の涙をこぼしながら声を上げて泣いていた。
「おじいちゃま…申し訳ございません…恩を返せず旅立つ私たちをどうかお許しください。」
ギムレットは大きく首を横に振り、大きな手でローシアの頭を撫でた。
「ばかもの。孫がそんな気を使うことはなかろう。どこにいても、どんな時でも、元気でさえくれればそれでよいのじゃよ。それが一番の恩返しなのじゃよ」
「…はい。必ず生きて帰って参ります。」
「うむ…信じておるよ。」
二人のやりとりにビレーさんが叫び声に近い大きな声でローシアを呼びながら桟橋を踏み鳴らして駆け寄り抱きしめた。
恰幅の良い体に包まれ、小さな体を抱え上げられたローシアの耳元でビレーさんが優しく語りかけた。
「ローシアちゃんはどんな時でも優しいお姉ちゃんだよォ…ビレー母ちゃんは全部、ぜーんぶわかってるからね?一人じゃないんだからね?お前さんたちの故郷はここなんだからね?わすれちゃぁいけないよ?」
「…はい。」
「元気でね。さよならはいわないよォ。また必ず帰ってくるんだよォ。」
「…はい。」
名残惜しそうにローシアの小さな頭を何度も何度も優しく撫でるビレーさんの手を名残惜しそうにすり抜け隻眼を真っ赤に晴らしたローシアは、意を決して舟の方を振り向いて乗り込んだ。
ユウトはレイナに促され、おぼつかない足取りで船に乗り込み、後に続いて身軽にレイナも飛び乗った。
すると、桟橋に入れ替わるようにビレーさんを含むドワーフたちが雪崩れ込んできた。
いよいよかと、思い思いの別れの言葉を三人に投げかける。
全てに応えることはできないが、思いは充分に伝わってくる。
「それじゃぁ出発するんだワ。みんな!元気でね!」
先程の別れのやりとりが嘘のようにケロッとしたローシアが、桟橋と舟を繋ぎ止めていた縄を外し、桟橋を蹴って、舟を川の流れに乗せる。
推進力を得た舟は、船尾で舵をとるローシアの操作で
ゆっくりと陸地から離れる。
レイナは、優しい眼差しで大きく手を振った。
お元気でと別れの言葉を、精一杯の音量で伝えながら。
**************
故郷からの旅立ちから三十分くらいだろうか。姉妹も落ち着いてようやく元の明るい二人になっていた。
そして川下りはとても順調に進んでいた。
ローシア船長曰く、予定より早く目的地につきそうだとのこと。
出発して早々に、何か手伝おうか?とのユウトの申し出にクイ気味に、いらないワとバッサリ断られて正解だった。
ローシアは、涼しげな表情で自分の身長の数倍はあろうかという舵を、いとも簡単に操り、安定した船旅になっている。
レイナは舟のへりに腰掛けて、風の流れを楽しんでいるようで、手持ち無沙汰の話し相手にはレイナがいいだろうと話しかけた。
「これからどこいくのかな。」
「ヴァイガル王国なんだワ」
レイナに聞いたつもりが、ローシアがまた食い気味に答えた。続けてため息を最初につけて。
「アンタ、おかあちゃんの言う通り、ぽやーっとしてんのね。自分がどこにいくかくらいは舟に乗る前に聞きなさいよ。それともアンタはどこにいくかわからない乗り物に乗っても行き先を聞かないの?」
「いや、そんなことは…ただ、二人を信じてるから…」
意外な信頼を置いてくれた事に驚きと喜んだ表情なのはレイナ。鼻を鳴らしてやや怪訝に顔をしかめたのはローシアだ。
「まぁ。嬉しいですわ。」
「はん。どーなんだか。」
返す言葉も対照的だ。
「…僕がぽやーっとしてるのはとりあえず置いといて、ヴァイガル国って行っても大丈夫なのかな。例の聖書記のこととか…カリューダの黙示録と僕の事とか…」
ヴァイガル国がユウトの存在を認知しているとは考えにくい。昨日突然現れたのだから。
しかしレイナがユウトのマナに触れた際に、恐ろしい何かを感じた事は、『普通の人間』とは違う何かを持っていることの証左になる。
カリューダの黙示録を全てを知る者が手に入れたら世界が終わると考えているのであれば、厳重に保管されてるとは言え、近づけさせないような方策は練っているはずだ。
そして、全てを知る者を見つけ次第……
何故ヴァイガル国にいくんだろう……と若干不安になってきた。
「フン……何も考えてないと言うわけではなくて安心したんだワ。簡単に答えを言うと、むしろ今だからこそ。なんだワ。」
舟の進行方向に大きな岩が立ちはだかるようで、舵を体一杯使って舟の進行方向を岩から逸らすルートに変えようとする。
レイナが代わりに私からお答えします。、と前置きして語り出した。
「聖書記候補が決まるまで、入国審査は簡易なものになりますの。」
「へー 厳しくなるわけじゃないんだ。」
「はい。昨日もお話ししたように、決まるまでは警備体制が大きく変わり、一番手薄になるのが城外警備、その次に城門です。場内警備がかなり厳重になりますので。」
「外から入ろうとする人は止めないんだ。なんかそう言う大切な儀式なら、そもそも人が入ることを止めればいいのにと思うけど。」
「ヴァイガル国はとても大きな国です。人の行き来を止めることをしてしまうと商人の反発が起こります。」
大岩を避けて余裕ができたローシアが額の汗を軽く拭って話を付け足す。
「お金は人も国も大切なものというわけなんだワ。まぁ当然よね。カリューダの黙示録は誰もその場所を知らないのだから。」
この世界でもお金の価値は命の次に大切なものなのだと理解した。
昨日のギムレットの話や宴でのレイナの告白でカリューダの黙示録のためにヴァイガル国に行こうとすることは察することが出来る。
だが、一つの疑問が拭えない。
「ローシアとレイナがカリューダの黙示録のためにヴァイガル国に向かうことはなんとなくわかるけどさ、行って何をするの?ギムレットさんの話だと厳重に守られてるんでしょ?行ったところで、って思うんだけど……」
「カリューダの黙示録の情報を集めるんだワ。話はそこからよ。それ以外のことは何も決まってないんだワ。」
今度はレイナが話を付け足す。
「私たちも多くの情報は持ち合わせておりませんの。村や人伝で聞いた話ばかりなのです。そもそも村を出ることが少なかったので…ですからヴァイガル国に入って居を構える事、その後に黙示録の情報を集める事になりますわ。」
「なるほど……って…… ん? 居を構える?」
レイナは小さく笑いながら「ええ。」と肯定する。
いやいやちょっと待ってほしい。
居を構える?
「居を構えるって…三人で何処かに住むって事…かな?」
「ええ。そうですわ。」
屈託のない笑顔でレイナは肯定する。
ーーいやいやいやいや。昨日出会ったばかりの年頃の男女が保護者なしで一つ屋根の下で暮らすとか……
二人の年齢はともかく、未成年が間違いなく一人いるのにそもそも三人で暮らしてたら近所からなんて言われるかわからないじゃないか。ーー
まてよ、この世界ではそういった倫理観がそもそも違うのか?
…よく考えれば元服だと十五才で男子は成人していたわけだし、この世界では成人の扱いが二十才ではなくもっと下なのかもしれない。
であれば別に三人で暮らしていてもおかしくはない。
…
……
いや、おかしいだろ!
男一人女二人で住んで、男の方が役立たずなんてヒモ野郎と叩かれるやつじゃないか!
自分を知る人は誰も見てないし、なんだったらこれから会う人は全て初対面のはずだし、なら割り切ってしまった方が良いのだろうか…ーー
ユウトの脳内では倫理観が激しいバトルを繰り広げており、その様子をキョトンと見つめるレイナ。
何度かユウトを呼んでみるが、頭を抱えてウンウンと唸っている。
ーーここはどう回答するのが良いのだろうか。大黒柱よろしく
俺に任せとけ。
…いや、こんなヒョロイうえに何もできないみでありながら、ここは俺に任せとけ!なんて口が裂けても言えない。
おそらくこの世界のカーストで最下位から数えた方が早いくらいの力しかない。
なんだったら一番下でもおかしくない。
じゃあ、よろしくお願いします。だろうか。
…
……
あほー!何をよろしくお願いするんだ!ーー
ユウトが絶賛脳内バトルを繰り広げる姿を見て首を傾げたレイナは、指先でユウトの頬を軽く突いてみたもののまるで気がついていない。
「放っておくんだワ。」
「で…でも。具合が悪いようでしたら横に…」
ユウトに向けて、呆れと白けた視線を向けるローシア。ため息を一つついて首を横に振った。
「幸せな想像してんだワ。邪魔しないことね。」
「で…でも。」
心配そうに顔を覗き込むレイナの思いとは裏腹に、思春期の妄想があらぬところまで及そうなユウトは、ニヤつきそうな顔を、崖っぷちに立たされている理性がかろうじて押さえ込む闘いをつづけ、それはヴァイガル国近くの桟橋に舟を付けて、ローシアに思いっきり背中を平手打ちされるまで続いた。




