第三章 24 :重なる手
アシュリーの部屋にはイシュメルが見舞いに訪れていた。
ドァンク街から花束を届けさせて、イシュメル邸から応援に来ていたメイドのソマリに花束を花瓶に生けてアシュリーの部屋に届けるようにと指示を出した。
ソマリは、先にエミグランにバニ茶を持ってくるように指示を受けており、その後に持っていくとの事で、先にアシュリーの様子を確認しにきていた。
傷が残ると聞いていたがあまりにも数がおおく、無数の手当の数にイシュメルは痛々しく顔を歪める。
「しかし……まさか騎士団長から手を出してくるとは……度し難いな。」
アシュリーはイシュメルが怒りを堪えている事が手に取るようにわかっていた。個人のためにそこまで思ってくれていることがありがたかったが、イシュメルの気持ちを沈めるために微笑んだ。
「私は大丈夫です。キズは残りますが……生きていますし、エミグラン様のおそばでまだ仕事は出来ますから。」
「うむ。だが、アシュリーもドァンクの大切な国民だ。国の代表として国民が他国の者に痛めつけられて高みの見物はできぬ。国としてのケジメはつけてもらわないといけない。」
イシュメルは険しい顔で眉を顰めていた。部屋に入ってきてからはずっとこの顔だった。
アシュリーは、自分が政争に使われる事に思うところはない。むしろ国のために役に立てるのなら光栄な事だとも思える。
しかし、体の傷痕を撫でるたびに一生残り思い出す覚悟はまだアシュリーにはできていなかった。悲しそうなアシュリーの顔を見てイシュメルが何も思わないはずもなく
「あとは国と国とで話をつける。アシュリーよ、この度の落ち度は私にも責任がある。」
イシュメルが自らを責めるとアシュリーはすぐに否定した。だが頑なにアシュリーの落ち度ではないと言い切る。
「この私がまだ未熟であるからそのような目にあった。しっかりと彼の国との約定を密にすべきであった……アシュリーはもちろんだが、この私もその傷痕を見れば必ず今日のことを思い出すだろう。これは、私にも永遠に刻み込んでおかねばならない贖罪なのだ。」
アシュリーは仕えているクラステル家の当主、そして貴族会の頂点に立つイシュメルにここまで思ってもらえるとは信じられず、そして、まだ癒せない心の傷を優しく包み込んでくれたようなイシュメルの言葉に嗚咽しそうになるのをグッと堪えた。
イシュメルはアシュリーの手を優しく包み込むように握る。その手の甲にも矢の傷はあった。
イシュメルの太い指で撫でながらイシュメルは怒りの炎を心の奥底に鎮める。
こんなことが国の主導で行われていたとしたら、行き着くところは戦争ではないか、と
「アシュリーよ。」
「……はい。」
「クラステル家に仕えてくれて感謝する。これからも私とお母様、そして息子のユーシンのことを支えてくれ。」
アシュリーの居場所はここだ。とイシュメルに言われたような気がして、傷だらけの自分を受け入れてくれるイシュメルとエミグランには感謝しかないと、我慢できずこぼれ落ちた涙付きの最大限の笑顔で
「はい。これからもよろしくお願いいたします。」
と、答えた。
イシュメルは満足げに、そしてアシュリーの父親のように笑顔で返した。
その後ろでは花瓶に花を生けたソマリが、半べその顔で立っていた。アシュリーは涙を拭って平静を装うと
「ソマリ、聞いていたのかしら?」
いじわるっぽくソマリに言うと、肩を震わせて涙を流しながら
「だってぇ……だってさぁ……悔しいじゃんかぁ……」
とアシュリーの事を思い涙が止まらなかった。
イシュメルは二人の様子を見て、ひとまず部屋をさったほうが良いと察して立ち上がる。
「少し二人で話しなさい。今日は忙しかったからな。あまり話もできていないだろう。ソマリよ少しの間、アシュリーを頼むぞ。」
「はいぃ……」
花瓶をアシュリーの枕元にある小さなテーブルの上に置いて、すぐにアシュリーに抱きつくとワンワンと泣き出した。
メイドの仕事をしている時は凛としているとは言え、やはり女の子だな、と二人を残して部屋を出て扉を閉めた。
「父上。」
ユーシンが外で待っていたようで、久しぶりの対面にイシュメルも顔が綻んだ。
「ユーシン……久しぶりだな。大変だったな、今日は。」
「ええ。まさかお婆様の留守を狙うとは……不届な考えをする賊がいるものですね。」
「お前も無事でよかったよ。それにあとで色々と話さねばならんこともあるが……それでどうしたのだ?私に何か話でもあるのか?」
ユーシンはにこやかにイシュメルに歩み寄った。
「はい。お父様が戻られてからどうしてもお伝えしたい事がありました。」
「ほう、どういった話だ?」
「……死んでください。私のために。」
イシュメルは、体を預けてきたユーシンを両手で受け止めようと広げると、腹部に違和感と熱がじわりと広がる感覚があった。
「……ユ、ユーシン?」
「さよならさよならさようならさようならならならならならなら!!!」
「ぐおあああああああああ!!」
ユーシンの肩が激しく動き出すと腹部の違和感が激痛に変わって、痛みに合わせた声が廊下に響き渡った。
イシュメルは腹部から流れ出る血と一緒に体力を奪われていくように脚がガタガタと揺れる。
ユーシンの体を両腕の力を振り絞って遠くに突き飛ばすように押すがユーシンは離れず、ひとしきり腹を何度も刺されてユーシンから離れると、イシュメルは立つことさえもできずに力なく膝をついた。
イシュメルは遠のく意識をなんとか保ちながら腹部に手を当てると、ぬるりとした生暖かく柔らかいものを手にしたが、それが何かを探る前に手を目の前まで持っていくと、真っ赤に染まっていた。
「な……何……を……」
全身に返り血を浴びたユーシンは、口角が裂けるほど釣り上がり、手には朱に染まったナイフが揺れていた。
「クックックッ……カッカッカッ……ハッハッハッハッ!! 私を選ばなかった罪は償ってもらうよ愛しき人よ!! 私は誰より!誰よりも!世界の安寧を心から願う者!!」
「…………ガ…………ハ……」
ついには体を起こすほどの体力も失われて、フラフラと倒れそうになるのを最後の力を振り絞って堪えるが、腹部から漏れ出る命の流れは外に外に漏れる。そして意識も流れていくように遠のく。
意識遠のく中、イシュメルはぼやける視界から見つけ出したユーシンに手を伸ばした、遠のく意識の奥には、あの日あの時、両親の行き先を言えずに悲しそうな顔をしていた少年ユーシンが重なって見えた。
「……ユ…………シ……」
ユーシンに言いたかったことがあった。もうこの景色が黒く染まった時、二度と言えなくなるとわかっていた。
命を振り絞り、今はもうユーシンとは言えない者であっても、アシュリーにケジメの話をしたように、自分もケジメをつけなくてはと、フラフラと体が揺れる中ユーシンにしがみつきそうに倒れ込む。
ユーシンには話さなければならない事がある。両親が生きていると伝えなければと口を動かすが言葉が出ない。
「なんですかそんな血まみれで汚いな。」
とイシュメルの口の中にナイフを差し込んで喉の奥に突き刺さるように根元まで差し込んだ。
ユーシンは刃で肉と骨の感触に悦になりながら自然と快感に浸る声が漏れ出る
アシュリーの部屋の扉が勢いよく開かれた。
「何事ですか!」
「!!」
血まみれになってナイフを口内に捩じ込まれた無惨なイシュメルの姿にソマリは息を飲んだ。
「イ……イシュメル……様?」
ユーシンは冷酷な目で二人を見ると、興が削がれて
「はー……つまらないつまらない。エミグランもコソコソと私に付きまとうとは……愛弟子も地に落ちて実に嘆かわしい事でしょうねぇ……」
ユーシンは腰に忍ばせていたナイフをもう一つ取り出した。
ソマリは青ざめ、アシュリーは目の前で起きていることが理解できず、ナイフを出したユーシンを見て、考えたくない予測が頭をよぎった。
「何を……何をされたのですか……ユーシン様……」
ユーシンがイシュメルを殺す。そんな予測なんてしたくなかった。
「何をされたか……ですか……ふむ。愛しき人にまとわりつくエミグランという虫が鬱陶しい。でしょうかねぇ……ええ。ええ。」
「うっとう……しい?」
アシュリーは右手を拳で固めた。この人はユーシンではない。ユーシンだとしてもイシュメルをこんな目に合わせたに違いないと判断した。許せるはずがなかった。
アシュリーの口元から犬歯が剥き出しになる。
「おっと、このナイフはあなたには使いません。残念ながら、仇討ちもできない。そう!できないのです!ハハハハハハハハハハ!!!」
大きく笑うと、ナイフをユーシン自身の方に向けて握り直して、自らの体でリズムを刻むように何度も何度も笑いながらザクザク音を立てて突き刺し始めた。
何度も何度も、間違いなく内臓に届きうる深さで、紅く染まる手の内から鮮血が飛び出しても、痛みを感じるどころか、繰り返す斬撃に快感を覚えるように悦に浸る顔を見せる。
「……!!」
「気持ちイイ……! ああああ気持ちイイ!! やはり破壊は心をあらいながしてくれるのですねぇぇぇ!!」
ひとしきり自分の腹にナイフを抜き差しする姿を見て、アシュリーはユーシンに飛びかかった。
ついさっきまで優しい笑顔と言葉をくれたイシュメルがあんな無惨な姿で倒れている。ユーシンのナイフがこの惨状を生み出した。アシュリーのたった一つの居場所で、あんなに優しくしてくれたイシュメルを、鬱陶しいという理由で無惨な姿にさせた。
アシュリーの怒りはすぐに頂点に達して、溢れる怒りの叫びが屋敷に響く。
「貴様……貴様貴様貴様ぁぁぁ!!」
ユーシンを殴りかかろうとしたアシュリーの拳は、事切れたユーシンに届くことなく、仰向けに床に倒れ込むユーシンを捉えることなく空ぶった。
目の光を失いつつあるユーシンはそのまま天井を見上げたまま、命が尽きようとしていた。
「待ってアシュリー!! イシュメル様を!!」
ソマリの悲痛な呼び止めに我に返ったアシュリーは、血まみれた廊下に倒れるイシュメルの姿を見て呼吸が一瞬止まった。
ユーシンがイシュメルを殺した。そんなことが起こり得るとは全く思っていなかった。目の前に広がるイシュメルとユーシンの血の海が夢の中の出来事のようだが、生臭い血の匂いは、夢とはかけ離れて現実だと知らせるには充分だったが、それでもアシュリーは信じられなかった。受け入れられなかった。
「……そうだ……ヒール……ヒールしなきゃ……」
眼前の光景があまりにも受け入れられないアシュリーは、血で滑りそうになりながらイシュメルに近づくと、膝をついて手に白く淡い光を浮かび上がらせる。
「アシュリー!私はエミグラン様に伝えてくるから!」
ソマリが青白い顔のままアシュリーに伝えて走り出した。
イシュメルの目の光はもう無い。だが、それでも何かしなければ、ほんの少し前にイシュメルから受けた優しさに何も恩返しができていないからと、ほんの少し前のイシュメルに戻して欲しいと願いながらヒールをイシュメルの腹部に当てる。
急にユーシンの腕が動き、持っていたナイフが振り下ろされて、イシュメルの心臓のあたりに突き立てられた。
ユーシンはすでに死んでいる。だがまるで操り人形のように見えない糸で操られるかのように、明らかに無機質でカクカクとした操り人形のような動きで体を起こした。
「させませんよ。ヒールなんて無意味無意味無意味無意味。無理無駄無効ですよ。ざーんねんっ!」
とユーシンの声と全く違う声がユーシンの口から聞こえると、糸が切れたようにまた仰向けに倒れ込んだ。
ーーなんなのですか……この有様は……私は…私は何をしていたのですか……何をするべきなのですか……ーー
どこまでも小馬鹿にされ、使える主人の家族を二人も目の前で殺され、無駄とわかっていてもできることをしなければイシュメルに申し訳ないと、わずかな可能性を信じて行ったヒールも無駄と言い切られ、狩り切った抜け殻だと主人の体にナイフを突き立てられた。
クラステル家に使えるメイドとしてこれほど屈辱的なことはなかった。
アシュリーの全てが、今まで学んできた事や耐え忍んできたこと全てが役に立たないと遠回しに宣告されたように思えた自分があまりにも情けなかった。
発端は、あの騎士団長サンズとの戦いで、もしかしたらなんとかして逃げていたら、捕まって拷問を受けていたら結果は変わっていたのかもしれないと思うと、自分の存在意義がわからなくなった。自分のせいでイシュメルとユーシンが死んだのかもしれない。
獣人である自分がドァンクの為にと思って行った事がこんな結果になったのだとしたら……
アシュリーは過去の自分を責めた。責めに責めた。
拳を地面に何度も打ちつけて、嗚咽のような声で
あの時に、私が、私がいけなかった、私のせいだ。
と後悔を何度も何度も口から出す。
そして額を土下座するように何度も打ちつける。鈍い音がして額が割れるが今のアシュリーは痛みを感じなかった。
そして、アシュリーの心は壊れた。
額が割れて、顔が血まみれになり、やっと体を起こすと涙もでず、はははははははと乾いた笑いが死んだ目のアシュリーの口から漏れ出る。体と心に溜まったドス黒いものが抑え切れず口から溢れるように。
ソマリから、ユーシンがイシュメルを手にかけたとの一報からオルジアとギオンを連れて走って戻ってくると、惨劇の幕引きの様子があまりにも受け入れられないもので、二人とも硬直した。
「これ……は……」
「何という……」
アシュリーは遠い視線でブツブツ口を動かしながらイシュメルを見ていた。見るに見かねたギオンが、抜け殻のようになっているアシュリーを抱きかかえて、遺体から離すと、オルジアも廊下に倒れている二人の様子を念のため確認しようと覗き込んだが一目で死んでいるとわかった。
あまりにも衝撃的すぎる光景に、額に手を当てて冷静さを取り戻すようにトントンと叩き、思考しろと頭に命ずるが次に何をすべきか全く浮かばなかった。
そしてオルジアとギオンの後ろからエミグランが静かに現れた。
「エミグラン様……」
血は繋がってないとはいえ、息子と孫が同時に命を落とす。オルジアは何と言葉をかけたら良いかわからなかった。
エミグランは静かに無表情でユーシンの近くによりかがみ込んで満面の笑顔に見えるユーシンのまぶたを指で無理やり開いてじっと見る。
「……そうか……やはりアルトゥロか……」
エミグランは立ち上がるとイシュメルの頭の方に歩み寄り、苦悶の表情で口から喉を貫いたナイフに手をかけて抜いた。
ナイフを放り投げて、イシュメルの顔を見て優しく撫でた。
「死ぬ時に苦悶の表情をするとはの……無念だったのはこの国を思うてか? それとも息子に真実を伝えられなかった後悔か……もう話も聞けぬからわからんの……」
何度も優しくイシュメルの顔を撫でる。心なしかイシュメルの顔が緩んだように見えた。
「わしよりも先に逝ってしまうとは……もうあれほど見とう無いと思っておったのにの……わしはどれほど心許した者を見送らねばならぬのじゃ……」
もう涙も枯れ果ててしまったのか、無表情から変わらないエミグランは、泣けない事が辛いように見えたオルジアは見ていられず思わず目を背けた。
お悔やみも、怒りも、悲しみも、全て今のエミグランには詭弁にしかならないと思うと、歯を食いしばり拳を固く握ることしかできなかった。
ギオンがアシュリーの部屋から出てくると、怒りが込み上げていてすでに顔が赤くなっていた。
「……許さぬ……許さぬぞ……我々が何をしたというのだ……ドァンクが何をしたというのだ!」
ギオンの怒りの矛先はヴァイガル国に向けられていた。今のクラステル家にここまでできる力があるのはヴァイガル国しか無い。オルジアも同感だった。だがエミグランは冷静に視線をイシュメルに向けたままギオンに解く。
「まだ全て彼の国と決まったわけではない。今はリンの帰りを待つしかないの。」
ギオンの顔は完全に赤く染め上がり、一人でヴァイガル国に特攻しかねない剣幕だった。
エミグランはイシュメルの手を握った。
「……お主の無念。一つは必ず果たすからの……あとはそっちで二人で話するのじゃ……」
優しくエミグランはイシュメルに、もう届かないはずなのに言い聞かせるように言うと立ち上がった。
「ソマリ。明後日の夕刻に貴族会の緊急会議を開く旨、貴族会全員に通達せよ。不参加は認めぬとエミグランが言うておると付け加えておけ。」
啜り泣いていたソマリはエミグランの命令を聞くと、泣きながら、わかりました……と言って立ち上がり、ふらふらと歩いて行った。
「……イシュメルよ……あとは任せておくが良いぞ……」
エミグランはオルジアに向き直った。
「……お主は彼の国の生まれじゃな?」
オルジアは心臓が一度大きく高鳴った。
エミグランの指摘は合っている。この状況でヴァイガル国の人質にされても仕方ないが、エミグランに嘘はつけないからと、その通りですと肯定した。
「お主にはミストドァンクを運営してもらって感謝しておる。じゃが、今のうちに国に帰っても良い。申し訳ないが明日から彼の国とは穏当な話し合いはできぬ。アシュリーの件も含めての。」
「それは……」
エミグランの眉間に深い皺が出来た。初めてエミグランの怒りの表情が現れる。目の瞳が純黒に染まり、口角が耳の下まだ広がる。
明らかに周りの空気が重たくなると、空間が歪んでみえた。
ギオンでさえもたじろいで、一歩後ろに下がった。まるで大きな獣に噛み殺されるような緊張をエミグランが放っている。
「……すまぬが、今日はこれまでじゃ。」
エミグランの表情は元に戻っていた。だが、眉間の皺を緩めることなく、オルジアとギオンの前から立ち去った。
あまりのエミグランの気迫に息をする事も出来ずにいたらしく、自然と大きく息を吸い込んでから吐く。
ギオンの怒りはエミグランの怒りに吹き飛ばされたようになりを潜めていた。
二人に視線を移して、改めて目を閉じて黙祷する。その姿を見たギオンも同じように目を閉じた。
騒動を知って駆けつけてくるメイド達の足音が聞こえると、オルジアは目を開け改めて二人の亡骸を見た。
エミグランが握っていたイシュメルの手とユーシンの手が重なり合っていた。




