第三章 18 :騎士のいない騎士団長
ヴァイガル城内の玉座の間に併設されている会議室は、赤光の間と呼ばれる円卓が真ん中に鎮座する会議室がある。
ヴァイガル国の重要な会議に使用されるこの部屋に入れる者は限られており、王族、大臣、将軍、騎士団長、そしてイクス教の司祭と神官のみだ。
リオスは赤光の間に向かっていた。
夕刻を迎えて大臣から緊急招集がかけられ、イクス教関係者を除く城内の王族から騎士団長までが集まるよう伝達があった。
リオスはそこで行われる会議に見当はついていた。
玉座の間を警備している傭兵に手を上げて軽く挨拶をしてを通り過ぎ、赤光の間のドアが重々しく開くとすでに人が二名いた。
入り口から中央に鎮座する円卓に向かって左側にいる椅子に浅く座って気だるそうにしているのが
ヴァイガル国の政務を取り仕切る大臣『スルア・ボリクス』
禿げ上がった頭頂部と丸々と肥えた体ですぐにスルア大臣とわかる。
でっぷりとした腹を放り出すように浅く座って眠たそうに口を半分ほど開けていた。
対面に座っているのが国防を取り仕切る将軍『ヤーレウ・リチャード』
左眼を大きな傷で塞がれ、白髪混じりの頭髪は全て後ろに束ねられ、顎全体が白髪混じりの髭に覆われた凛々しさが表面に滲み出る壮年だ。
身なりはスルア大臣と比べても対極にいる人物と言っても過言ではない。
リオスはいつも通りヤーレウ将軍の左隣に座った。
「随分とご身分の高い登場ですな、騎士団長様は。」
スルア大臣のいつもの嫌味が赤光の間に響くほどの声で言われたリオスは心の中で舌打ちをした。
「ええ。任務後に少々別件の用事がありまして。失礼しました。」
別件とは顔を重度の火傷を負ったサンズの事だ。あれからすぐにサンズのもとに走っていったが面会できず、サンズのいる治療室から治療にあたったヒーラーが出てきて、命に別状はないと言われてようやく安堵した後に会議の話が舞い込んできたのだ。
同じ仲間が重傷なのに足取りは軽くなるはずもなく、そして、いずれにせよ会議でエオガーデとサンズの事が議題に上がることは確定的だと思っていた。
スルア大臣の嫌味を聞いてそれが確信に変わった。ヤーレウ将軍も微動だにしないが、同じように議題は予想できていたらしく眉間には皺が寄っていた。
――やっぱりここ最近の騎士団長の失態の件だな――
リオスは席についてもスルア大臣の嫌味は止まらなかった。
「おやぁ? たしか今回の会議は王族と大臣に将軍に騎士団長でしたなぁ……招集メンバーは。ちょいと少なすぎやしませんかねぇ?」
ヤーレウ将軍は目を開けることもなくスルア大臣の質問にため息を先に出した後答えた。
「……サンズはご存知の通り……ツナバは諸事情により、そしてシャクナリは東の国『ダイバ』に出払っているため欠席……そう先ほど申し上げたはずですが?」
「そういえばそうでしたなぁ……シャクナリちゃんは元気にしてますかねぇ?」
シャクナリは、エオガーデ亡き今は唯一の女性騎士団長だ。好色漢なスルア大臣は下品に崩した笑顔で目を閉じているヤーレウ将軍に問うと、ご心配なく。と一言で断ち切った。
スルア大臣はどう感じているかはわからないが、ヤーレウ将軍は怒りを噛み殺しているようにリオスは感じていて心苦しく唇を噛む。
スルア大臣は別の切り口で同じ傷に塩を擦り込むようにじくじくと嫌味を続けた。
「それにしても……もう一日が終わろうというのに呼ばれた理由は何でしょうねぇ? 私は『鼠』を懇切丁寧に可愛がらなければならないのに。ぐふふふ。」
下品な笑い声が喉の奥から液体が絡まるような音のように聞こえてリオスの不快感が顔に出た。
「鼠……とは?」
スルア大臣は、ヤーレウ将軍に問われると途端に笑いを止めて気だるそうに右手の小指で耳の穴をほじりながら答えた。
「私の右腕がとっ捕まえた鼠ですな。まったく……我々は頭脳を働かせるのが仕事だというのに、力仕事しかできないような者の仕事も変わってやらねばならんとは……嘆かわしい。」
暗に騎士団の事を指していっていた。
ここ最近城内部に噂されていた賊をスルア大臣が捕まえて調査中と聞いていた。
もっとも、賊は女だったらしく好色漢のスルア大臣が責任持って調査するとの事だったが、リオスはその女の賊を憐れんだ。
どうせ調査などするはずもなく、自分の好きなように弄んでいるに違いないと勝手に想像していた。
いずれにしろ、中立で今回の件を見た場合、騎士団長に全て非があると言われても仕方ない。
エオガーデは目的を果たせなかった。
サンズは顔に大火傷を負う重傷。そして城内部に潜入したとされる賊を、騎士団ではなく大臣の側近が身柄を確保した。
こんな短期間で国防を司る騎士団長が何度も失態を犯した責任は全てヤーレウ将軍に負わされても不思議ではない。
そしてスルア大臣は、正義漢であるヤーレウ将軍とソリが合わないどころか犬猿の仲とさえ言われており、将軍を失墜させるには良い機会とも言える。
会議は将軍側にとって深刻なものになる事は言うまでもなかった。
ヤーレウ将軍はようやく目を開けた。
「ところで、その賊から何か情報は吐かせたのですかな?」
「フン……お構いなく。我々の管理下に置かれているのでね。まあ力仕事になるようだったら話しますよ……まあ、お話ししたところで今のあなた方にこなせるかどうか分かりませんがねぇ……ぐふふふふ」
剣を抜けば一瞬で切り裂くことができる肉塊が何を偉そうに……とレオスが血が出るほど唇を噛むと、ヤーレウは目線をリオスに向けた。
抑えよ。と目線でヤーレウ将軍から暗に警告され、気持ちを抑えた。
暴れたところでヤーレウ将軍の責任が変わるどころか重くなるだけだ。小さく頭を振って冷静さを取り戻す。
下品な笑い声が聞こえていたのはそれから少しの間で、また重々しく扉が開かれた。
衛兵が一人入ってきて
「王様がご入室されます!」
と声が響き渡ると三人は席を立ち、頭を下げた。
衛兵の後ろから、王が赤光の間にいる三人を見渡して一番奥の席にゆっくりと歩み寄り、席についた。
王が席につくのを見た後に、三人もゆっくり席についた。
ヴァイガル国王 『アグニス十三世』が、円卓に両手を置いて三人をまた見渡すと。
「おまたせ。待ったかね?」
と気軽に声をかける。アグニス王はすでに五十を超えた年齢だが、本人は皆から話しかけられるよう、自らが気軽に話すようにしているが、逆に緊張感があるり、スルア大臣が手のひらを揉みながらご機嫌を伺う。
「いえいえ。そんなことはございませんよ。」
「そう?なら早速始めようか。今日は……なんだっけ? 今日はスルア君だっけ?進行は。」
「はい。王様。」
「そう、なら進めてよ。」
「承知いたしました。」
スルア大臣が議題を書いた小さな紙を取り出すと、大きな声で読み上げた。
「今回の議題は、騎士団長の失態について、聖書記の最終儀式について、今後のドァンク共和国への対応について、の三点でございます。」
アグニス王は、椅子にもたれかかると明らかに気だるそうに肩の凝りをほぐすように首を回した。
「随分と重たい議題だね。まぁさっさと片付けようか。どれも繋がりのある件だしね。ドァンク共和国の対応は最後にしよう。」
スルア大臣からの議題は、騎士団長の事をよく知らないスルア大臣に指摘される嫌悪感と、結果としてヤーレウ将軍の責任になってしまうことにリオスは苦渋を舐めたような顔を隠せなかった。
アグニス王はリオスの顔を一瞥して
「まずは騎士団長の件からいこうか。状況説明は……これはヤーレウ君の方がいいかな?」
ヤーレウは重い腰を上げて、アグニス王の方に向いて口を開く
「一点目は、聖書記候補様の身柄を確保し処分する任務について、アグニス王のご指示のもとエオガーデに命令したところ何者かの阻害により任務失敗。エオガーデは命を落としました。」
アグニス王は辛そうな顔を見せながら何度も頷いた。
「そうだね。私の命令だったから心苦しいさ……まさか命を落とすとは思っていなかったからね。現場に花と礼は添えさせてもらったよ。」
ヤーレウ将軍はアグニス王が話終わるのを確認して続けた。
「二点目、これは先ほど起こった事件で、騎士団長サンズが独断だドァンクの獣人がヴァイガル国の重要な情報を握っていると容疑で衛兵数十名を連れて確保に向かいましたが、失敗。サンズは重傷を負ってここにはきておりません。」
「その話さ、さっき聞いたけど何でも聖書記候補の護衛なんでしょ?」
やはりその話も筒抜けか、と最悪の状況に立たされている事を再認識した。
ヤーレウは頷いて続けた。
「サンズの聞き取りは意識が戻ってから行いますが、おそらくは確証があってのことだと考えられます。」
アグニス王はへらへらと笑いながら、まてまてとヤーレウを静止する。
「いやいや、確証とかの話じゃなくてさ、違うでしょ?問題点は。」
ヤーレウ将軍はアグニス王から視線を逸らさずに続けた。
「はっ…… 問題点は国防を司る騎士団長が短期間で二人もやられてしまった事……です。」
「そう! それなんだよ問題は。はっきり言うとあり得ない。全然あり得ないよ。あってはならない事だよこれ。」
円卓を人差し指で叩きながらアグニス王の言及を聞くヤーレウは視線を逸らす事なく背筋を立てて直立不動で聞き入れる。
「はっ……」
「国防ってわかってる?ヤーレウ君。国を守る事だよね?私や国民を命に換えても守る事が最大の任務だよね?」
「はっ……」
「それが二人も一気に使えなくなるって、どうなの?国防の観点から考えるとさ……あり得なくない?」
見かねたリオスは立ち上がった。
「アグニス王……騎士団長から申し上げたい事があります!」
エオガーデの件は、そもそも聖書記候補の抹殺は王と大臣が命令に一枚噛んでいた。その意思に従って苦渋の思いでヤーレウ将軍が命令を出していた。
ヤーレウ将軍は子供を殺す命令を出すことに最後まで反対していたのだが、王の特権で騎士団長に命令を下した。
サンズの件は、そもそも大の獣人嫌いだったサンズとわかっていながらリオスに別の任務を下したのは王だと聞いていた。
言葉を間違えれば王への反逆にも捉えられかねないが、リオスは言わずにはいられなかった。
だが、物申すまえにアグニス王は。
「黙っててよ。リオスちゃん。」
と制して、ひどく無感情な視線がアグニス王から向けられて、思わず身が固まる。
「君の言いたいことはね、わかるんだよ。王だしさ。全ての責任は結局は私にあるからね? でもさ……失敗するってのは私の責任かな?」
「……」
「君たちが日々どんな鍛錬をしているのかまでは知らないさ。それは国を守る事が最重要任務だからものすごい鍛錬してるんだろうさ。私が行ったらすぐに根を上げるような鍛錬をね。でもどんなに厳しい鍛錬を行なっても結果が伴わなかったら、それは君たちの責任じゃないかな?」
スルア大臣が王の言葉に乗じて
「そうだぞ。無礼なやつめ。王の御前である事がわからぬのか?」
と付け足しするが、アグニス王は宥める様にスルア大臣を手招きする様に手を動かして制する。
「スルア君、いいよ。そこまで言わなくても」
「はっ……」
ヤーレウ将軍は悔しさを噛み殺し、俯いているリオスを一瞥して認めざるを得ない事をはっきりとした口調でアグニス王に伝える。
「今回の失態は、王の言われる通りに、結果を出せなかった我々に非があります。」
「そうだよね? そうだよね?」
アグニス王は目を大きく開いてヤーレウ将軍を小刻みに指差しながら言うと、ヤーレウ将軍は頷いて続ける。
「この責任は、私の不徳の致すところ。処罰は何なりと……」
アグニス王は手を広げてヤーレウ将軍の言葉を遮った。
「いや、それ以上は言わないでいいよ。処罰は私の望むところではないからね。今後の活躍で晴らしてくれたらいいよ。うん。」
「……承知いたしました。」
「んで、次は何だっけ? スルア君?」
スルア大臣は手元のメモに視線を落として目を細め
「えー……聖書記候補の最終儀式の件でございます。」
「おお。そうだね」
アグニス王は引っかかっていた記憶が蘇った弾みで手を叩く。
「賊はもうスルア君が捕まえた。多分ドァンクからの差金だろうね……んでドァンクの護衛をやっちゃったことも踏まえて多分イシュメルちゃんから何か言ってくると思うんだよね。面倒な事をさ。」
「想定されるのは、護衛を襲った理由……これは期限付き不可侵条約を締結している関係からおそらく必須。そして明確な回答が得られるまでの儀式の延期……でしょうかね。」
ヤーレウ将軍はスルア大臣の方を見て問うた。
「捕まえた賊の女はドァンクからの差金と認めたのでしょうか?」
思い出す様なそぶりをするスルア大臣だが、ヤーレウ将軍には本当のことは言わない。
「さて、どうだろうね? 何ならドァンクらしく右手を切り落として貴族会に送ってみるかい? 力仕事は将軍殿にお任せするけどね?」
そんな事をすれば聖書記どころの話ではなくなってしまう。下品に笑うスルア大臣に、食事前に気持ち悪い冗談はやめなさいよと冗談で笑い返すアグニス王のやり取りを見て、リオスはこの会議はヤーレウ将軍を陥れるデキレースだと拳を握り込んだ。
――今大臣を殴っても、結局は将軍様の責任になる……堪えろ……――
リオスの我慢などそっちのけで会議はスルア大臣の進行で進む。
「聖書記誕生をこれ以上遅延されるのはヴァイガル国としては避けたい……と。これが私が想定する貴族会が作るシナリオの元になるかと考えます。」
スルア大臣はドァンク側の動き方を客観的な視点から伝えると
「それは私もそう思う。だが聖書記が決まる日時なんていつでも良いよ。大切な事は、『聖書記になってさえくればいい』だね? スルア君?」
スルア大臣は満面の笑みで深く頷く。
「もちろんですとも。我が国も過去の呪縛から解き放たれる時が迫っております……アグニス十三世のご指示のもとで……」
アグニス王は満更でもない顔を見せた。
「まあ私の指示ではないけど、何事も効率良くやらないとね。聖書記が国の根幹を握るっていうのは今回みたいな事が起こったら面倒臭いじゃない。貴族会と話し合いしなきゃならないとか。そのための手続きとか……はぁー思い出しただけで非効率。」
スルア大臣もアグニス王の非効率という言葉に合わせてため息混じりに「全くです」と合わせた。
リオスはここまでの会議の流れが将軍側にイニシアティブがないことがはがゆかったが、ここ最近の騎士団長の失態からすれば大臣にくってかかる事もできず、ヤーレウ将軍が目を閉じ、黙して堪えているところを隣で同じく耐えるしかなかった。
何を言ったところで『結果』が出ていないのだから。
王とスルア大臣の話は続く。将軍と騎士団長はこの場に存在しないが如く。
「まぁ三つ目の議題と似てるよね。結局のところ。まずは聖書記をどうやってドァンクから剥がせるかって事だよ。ほんの少しの間だけね。」
「それはもう……お任せするのは……」
スルア大臣はじとりとヤーレウ将軍を見やった。目線で力仕事はお前の仕事だろと言いたげに。
「できるかな? 聖書記候補を最終儀式の後にドァンクからひっぱがして確保して欲しいんだけども。」
「王よ……貴族会との約定はいかかなさるおつもりか。」
「そんなの……破ればいいじゃない? 守る必要なんてないよ。」
あまりにも一方的な言い方にリオスは思わず席を立つ。
「国と国の約定を破ることになれば、近隣諸国からの信頼を失います!」
リオスは至極もっともな事を何故ここで言わなければならないのかと憤っていた。顔を好調させ鼻息も荒いリオスの様子を見てアグニス王は何故か微笑んだ。
そして、笑顔が消えた。別人格になったかの様に。
アグニス王はレオスの目を突き刺す様に鋭く見つめる。
「私は……と言うよりも、いにしえから代々あのドァンクを国と認めた事はない。国の体をなした集落の様なものとしか見てはいない。先代も先先代の王も同じ認識だよ。」
「なっ……!」
リオスは言葉を失った。貴族会の元トップであり、ヴァイガル国の重役だったエミグランをヴァイガル国から追い出したのが二百年前。ドァンク共和国はエミグランが作った国だと言う事は、この辺りに住む人間なら誰でも知っている子供でも学ぶ歴史だ。
ドァンク共和国はヴァイガル国に少なくはない影響を与える存在の隣国であり、本来なら手を共に取り合ってお互いに武力を行使しない様に首脳が手を取り合うべき存在のはずだ。
二百年前にエミグランが建国を宣言し、みるみるうちに発展を遂げたドァンクを国と認めないと言うのはいささか一方的な言い分ではあるし、何よりも学んできた歴史とは違う事を今アグニス王は口走ったのだ。
「国として認めていないとは……どう言う事でしょうか……」
「まぁ君たちはそういう風に歴史を学んできたと言う事は知ってるよ。そう言うふうに教えなさいと指示したのは、歴代の王族とイクス教だからね。見方によってはその様に見えなくはないよ。でも、エミグランはこの国にとって忌むべき存在だ。本来なら生かしてはおけないのさ。」
「それは……どう言う……」
アグニス王はめんどくさそうに手でリオスを追い払う様に振ると
「そんな話は今すべきことじゃないよ。それよりもだ、ヴァイガル国にとってドァンクは邪魔者でしかない。そして、聖書記はドァンクにいる。エミグランが作った集落にね?これが私にとってどれだけ忌々しい事かわかるだろう?」
「……つまり、ドァンクと聖書記様を一度引き離せ……それを我らに行なってほしいと言うことなのですな?」
ヤーレウ将軍は静かにアグニス王の意図を汲み取って言うとアグニス王は満面の笑みで頷いた。
「その通りだよ。今回の議題で上がった失態はそれでチャラにするよ。悪い話じゃないだろう?」
失態の指摘から始まり、将軍に頭を下げさせて要求を飲ませるように仕向けている様にしか見えない。むしろアグニス王とスルア大臣は組んでいる様にしか見えず、リオスはこの会議は無理矢理要求を飲ませるために仕向けられたワナだとしか思えなかった。
だが、ヤーレウ将軍はそんな思惑など関係なかった。
「……わかりました。全ては国のため、王のために。」
「将軍!」
リオスは流されるがままに従うヤーレウ将軍の腕を掴んだ。そこまで言われるがままになる必要はないでしょうと言いたかった。だがアグニス王はヤーレウの返事を待っていたかの様に手を叩いて喜びを表した。
「ありがとう将軍。我が国の輝かしい未来のため、聖書記をエミグランの手から取り戻すために。聖書記が誕生すればドァンクはもう用無し。好きにしていいよ。」
「しかし王よ……ドァンクにはエミグランが健在です。過去にあった獣人戦争のことをお忘れではないでしょう。」
ヤーレウ将軍は会議で初めてアグニス王に待ったをかける様に獣人戦争の話を持ち出した。
直近の歴史でヴァイガル国が窮地に立たされた獣人のと人間の戦争はドァンク共和国を建国するきっかけであり、中心にはエミグランがいてまだ健在だ。
スルア大臣は咳払いをして耳目を集めた。
「エミグランは貴族会を引退している。これは名目上とは思われますが、私の調査ではその力は獣人戦争の頃とは比べものにならないほど落ちていると……つまり、ドァンク共和国で警戒すべき二点のうちの一つは恐るるに足らず。」
スルア大臣のエミグラン評に物申したのは意外にもヤーレウ将軍だった。
「まてスルア大臣! エミグランへの評価見積もりは正確かどうかはわからぬであろう!」
スルア大臣は慌てる事もなくじとりとヤーレウ将軍を見て仕方なくと言った様に答える。
「私の情報は確かですよ。それとも将軍は私の情報が嘘であると……そう言いたいのであれば反論に足る情報を示してもらえませんか?。」
ヤーレウ将軍は口角唾を飛ばす勢いで反論する。
「大臣よ……お主は獣人戦争を再燃させるつもりか! 相手を見くびって間違えると戦争にしかならんぞ!」
リオスもあまりにも激情する将軍の姿に驚く。確かに王と大臣の言う事は、ドァンクを国として認めず、ドァンクの人間を引き剥がす。それもすでに聖書記候補の護衛に一方的な嫌疑で重傷を負わせて、だ。
あまりにもヴァイガル国が一方的にドァンクへ攻撃的に行動している。
聖書記候補者を無理やり引き剥がす事を認めれば、死地に立つのは将軍配下達で、ヤーレウ将軍としても譲れない強い思いがある事をリオスは理解している。
だが
「さっき今後の活躍で晴らす事。ヤーレウ君は承知したよね?」
王の一声で静まった。
「しかし!」
「しかしじゃないよ。この発端はサンズ君で言わば仕掛けたのは君たちだよ。それにエオガーデちゃんの失態もあった。その責任はあるよね? それに誰が聖書記候補の護衛に手を出せと命令したの? 私じゃないよね?」
「もちろん私でも無いですよ?」
とスルア大臣も王に続いて否定した。
ヤーレウ将軍は回答に窮して言いよどむ。
エオガーデに命令したのはアグニス王だが、命を落としたのはエオガーデの実力。サンズの件は話を聞いていないがヤーレウ将軍ももちろん攻撃命令なんて出すはずはなく、この様子だと王も大臣も噛んでいない。つまりサンズの私怨による独断決行の可能性がある。
将軍側に非がある結果しか無いのだ。
アグニス王は少し俯いて歯を食いしばるヤーレウ将軍に構わず続ける。
「元々ヤーレウ君の配下にいた、馬に乗って非効率な戦いしかできない騎士団を解体して、リオス君達の様に力のある子達をわざわざ配下につけたのにこの体たらく……言い訳できないよね?」
「……ぐっ……」
「騎士団長の役職も君の願いで残したのにさ、汚名を残すことしかできてないじゃないか。それでいいのかな?」
リオスは『騎士団長の役職をヤーレウ将軍の願いで残した』というこれまでヤーレウ将軍から聞いた事がない話が出て驚く。
確かに騎士団は存在しないが騎士団長という役職は残っている。それがヤーレウ将軍の希望だった事は知らなかった。
話はスルア大臣が王の言葉にまた便乗してヤーレウ将軍を責める。
「人体魔石の効果は実験で、元ある力を倍増させるか新たな力を付与する効果がありますから、それを用いて失態を犯すのは、いささか管理不行き届きと言わざるを得ませんな。ええ。本来であれば懲戒処分は避けれない……しかし我が王は寛大であるが故に、汚名返上の機会を与えてくださる……ちがいますかな?将軍。」
聞こえはいい。だが、結局二人が言いたいのは争いの火種を将軍に起こさせる事だ。
それもスルア大臣が入手したドァンクの情報も本当に信ぴょう性があるのかもわかっていない上でだ。
王も大臣も、まるでドァンクと戦う事もやぶさかでは無いといった立ち位置であり、リオスもヤーレウ将軍も二人が言いたい事は察していた。
黙るリオスとヤーレウ将軍に王は続けた。
「まあよく考えてよ。最終儀式はサンズ君の件が片付かないと動かないだろうし。遅くても三日後には結論くれればいいさ。ドァンクの動きもその頃にははっきりするだろうしさ。下知は追って伝えるよ。」
と言って立ち上がったアグニス王は
「議題はこれで全部だよね?帰っちゃってもいいかな?」
とスルア大臣に尋ねると
「ええ。お疲れ様でございました。」
と深々と頭を下げた。ヤーレウ将軍は会議が終わったことにハッと気がついて、遅れて王に深々と頭を下げ、リオスも慌てて続いた。
「では、私も失礼しますよ。」
スルア大臣も足取り軽く赤光の間から出ていき、将軍とリオスの二人きりとなった。
ヤーレウ将軍が大きく息を吐き出すと、リオスは
「あんまりじゃないですか。流石に。」
何が、とは言わずヤーレウ将軍に聞くと、少し寂しそうな顔をして
「仕方あるまい。まだドァンクに対して何かことを起こすことがまだ決まったわけでは無い。王も大臣も心変わりするかもしれん。それにサンズのことも心配だ……」
大きな両手で顔を押さえると上を向いて顔を何度か擦った。
「もう何年も前に騎士団は解体され、当時の団長達も散り散りになって……それでも二百年前にあの獣人戦争を戦い抜いた栄光の騎士団を守りたかったが……団長職まで奪われたらワシの代で潰えてしまうのだな……」
騎士団長は存在するが騎士団はない。アグニス王の代で騎士団は非効率ということで解体させられた。だが王の発言でヤーレウ将軍のたってのねがいで役職としての騎士団長は維持されることになったと初めてリオスは知った。
だが、ここにきて騎士団長の失態が相次ぎ、役職そのものの維持も危うくなってきた。
歴史を紐解けば大災の魔女が現れた以降に結成されたヴァイガル国騎士団は、度重なる外部からの攻撃に真っ向から戦い勝利を収めてきた英雄と言われている。
今やその騎士団は物語の本の中にしかなく、団長も人体魔石で強化された人間だけだ。
ヤーレウ将軍も騎士団に憧れて懸命に努力し、戦いで隻眼となっても騎士団と共に生きてきた元騎士団長の強者だ。
そのヤーレウが自らが将軍の代で騎士団を解体させられたのは身を引き裂かれる様な出来事だった。そして次は騎士団長までも存続の危機となりつつある。
しかし、ヤーレウ将軍は確固たる思いがあった。
レオスに向き直ったヤーレウ将軍は立ち上がってリオスに歩み寄って肩を持ち
「だが、大切なのは騎士団でも騎士団長の名前でもない。この国を……国民を命をかけて守ることだ。」
「はい……」
「お前達には迷惑をかけるが、今一つ辛抱してワシについてきてくれ。頼む……」
リオスの肩を握る手に力が入っていく感触があった。そしてヤーレウ将軍の野太い力強い声が震えている様にも聞こえた。
リオスは鼻の奥がツンとする刺激を堪えて答えた。
「俺は騎士団長です。将軍と共にどこへでも馳せ参じます。」




