第一章3:自己評価『雑魚』
獣人三人組に襲われているところをローシアとレイナに助けられた後に、ユウトに会って欲しい人がいると説得され二人の住む村に同行することになった。
この世界で誰かに頼らないと、三人の獣人に襲われて理解したユウトは断る理由もなく、一路二人が住む村に行く事になったのだが、歩きながら会話もないのも何か気恥ずかしく、話すことがあまり得意ではないユウトから話を切り出していた。
レイナの話によると、これから向かう村の場所は、河沿いの道を北側に向かって、森と川沿いに別れる道を森側に進んだ先にあるらしい。
森の中を、二人の歩様に合わせながら会話を続け、知らない事を耳にしたら質問するユウトに、ローシアから「アンタホントに何も知らないのね。」と言う言葉を必ず頂戴する。
そのうち罵倒に近い枕言葉も頂戴したが、知らない事をそのままにしておくことの方が怖いので、構わず質問していた。回答のほとんどは九割がレイナだった。
丁寧な説明なので乾いたスポンジが水を吸収するように、すんなりと頭に入って理解することができた。
近くに世界一の国力を持つヴァイガル国が存在する事。
東側にはエドガー大森林を挟んでドァンク共和国がある事。
ドァンク共和国は獣人が九割を占める国であること。
ユウトのイメージで、人間が多く住むのがヴァイガル国で、獣人が多く住むのがドァンク共和国で出来上がった。
人間の国であるヴァイガル国は、トップに国王とイクス教という初代始祖のイクスによって創られた宗教の神官によって組織を成す宗教国家である事。
国政を取り仕切る王族と、祭事を取り仕切るイクス教が国の根幹を掌握して宗教国家として成り立っている。
ヴァイガル国は今年でちょうど建国千年の記念すべき年となるらしい。
この世界では当たり前のことのようで、レイナの説明を聞いていた先頭を歩くローシアが大きな欠伸をしながら退屈そうに
「……知らなすぎるにも程があるってもんだワ」
と悪態をついてきた。
ユウトは、もうお姉様がそう言うキャラだと認識しているのでもう気にならなくなっていたが、レイナは出会ってから、ユウトが喋るたびにずっとローシアが皮肉混じりにユウトをなじるので、顔を曇らせながらユウトに謝り続け、ユウトはいいんだよと申し訳なさそうに返す。
「……にしても、僕が襲われたところってそんなに危ないところだったのかな?」
「実は、ヴァイガル国であまり良くない事が起こってしまい、この森でさえも平穏な状況ではないのです。」
「平穏ではないって、なにか恐ろしいことでも起こったの?」
「はい。聖書記様がお隠れになられたのです。」
「せい…しょき?」
聞きなれない単語を聞き返す。
「はい。聖書記様は、ヴァイガル国の法を記すお方です。上位聖職者になります。立場としては国王様と同等か、場合によってはそれ以上の権限を持たれることもあります。」
「国王以上って……なんか想像つかないな……」
明らかに呆れた様子を微塵も隠すことのない声色でローシアが無知なユウトに説明する。
「極上に無知すぎるアンタにもわかりやすく言うと、法を記すのは聖書記のみに許されている。あの国の法律は聖書記無しでは成立しないんだワ。」
「成立……しない?」
「ええ。聖書記様が法を文字に記される事で祝福を受け、法として成立し流布される。ヴァイガル国が千年も続いてきた大切な立法の儀式ですわ。」
「周りの国からしたら、そんなので人が法に従うんだから簡単なんだワ。人も国も。」
レイナが他人を小馬鹿にするローシアの発言に頬を膨らませて、その顔を見たユウトがまぁまぁと言ってレイナの気分を紛らわせようとする。もう数えきれないくらい同じ事を繰り返している。
「……とは言え、法律を決められるもんだから、死んじゃったら大変なんだワ。」
「なんで? お葬式が高額になるとか?」
「……アンタ、本当に知らないにも程があるから、頭かち割って脳みそのシワを一本づつ丁寧に数えてみたいんだワ。きっと二本しかないんだワ」
握り拳を固めてポキポキ指を鳴らすローシア
「ちょっ……!」
「まぁまぁ……落ち着いてください。」
ローシアの武闘派な発言をなだめるのはレイナだが、このやりとりも数えきれない。もし言葉通りになってたら脳みそがぺったんこになって逆立ちして歩くくらいの事になっているだろう。
とはいえユウトもかなり素っ頓狂なことを言っているが、持ち前の世間知らずが功を奏してまだその事に気がついていない。
「聖書記様が亡くなれば次の聖書記様が選ばれます。今日から聖書記様の候補を選ぶ儀式の聖書記選が始まっております。」
「それも儀式か何かで?」
「ええ。聖書記様は、御神託によって決められます。イクス教の神官様が三日間の儀式が行われ、古代より伝わる鏡に、次期聖書記様の候補者が映し出されるそうです。」
「おお……なんかすごいね。」
「ええ。聖書記選でしか使われない鏡ですから。」
「どんな鏡なんだろう……」
「……きっと物知らずが見たらブサイクに映るんだワ。」
「もぅ!お姉様!」
「フン!」
「ははは……まぁまぁ……」
頬を膨らませるレイナがだんだんと子供っぽく見えてきた。
これまでの話から、何が大変なのかはなんとなくわかったので、答えに近い質問を投げかける。
「法を決める事が出来る……それって権力としてはかなり大きい事だよね?」
「はい。聖書記様は千年もの間、ヴァイガル国の法を作られた方……ですから他国への影響も大きいですし、国内でも聖書記選となりますと内戦になることもあったようです。」
「権力争いとか?」
「はい。聖書記様を拐かす事で得をする方々がいらっしゃる……そういうことだと思います。」
どの世界でも権力争いは起こる。そしてどの世界でも国民は置いてけぼり。つまりはそういうことなのだろうと思った。
「…つまり、今その聖書記って人が亡くなった事でヴァイガル国は次の聖書記を選んでいる儀式中ってことなんだね。」
「はい。」
「今日で儀式が始まってから何日目になるの?」
「今日が初日。ですから2日後には候補者様が選ばれるのですが、その儀式の間はヴァイガル国の警備が儀式の警護で集められるので、街道警備が手薄になり…」
「…物騒な状況になる?」
「…はい。悪事をはたらくのはユウト様を襲った獣人ばかりではないのですが、街道脇にあるこの森は、少し奥に入ると街道から見えにくくなるので、どうしても窃盗など悪事を働く者達の隠れ蓑として使われる事が多くなるので…」
「森の中に物騒なやつらがいるってことか……」
ユウトはなんで運の悪い日に森の中にいたんだろうと己の運命に嘆いた。
「今日アンタをエドガー大森林で助けたのが初めてじゃないんだワ。もう何人かも数えるのがうんざりするくらい。もう暴れすぎて疲れたワ。」
「大変だったんだね。」
「そのうちの一人はアンタだってこと忘れてるのかしら?」
「うっ……」
「まぁまぁ……もうすぐ着きますから。」
もうすぐ着くという割には村らしきものは見当たらない。大森林というだけあって、すでに体感で2-3キロは歩いているようだが森に入ってから視界が開けるようなところに出ていない。
視界の悪さや、この森で普段よりも人が襲われているとなると、心地よい森林の散歩という雰囲気ではなく、休憩で足を止めるわけにもいかなかった。
森の道は進むにつれて周りの雑草が背丈を伸ばし、歩む道も草を何回か踏み慣らした程度の簡素で歩きにくい獣道のようになり、人が近づきそうにない様相を見せてきた。
三人の口数も減り、ユウトに至っては息が上がりはじめ、森林特有の風が通らず残る湿気がまとわりつき、体温と混じって粒状の汗が体表に噴き出す。
二人は慣れた歩様で先にと進む。歩調はユウトに合わせる気は全くない。
時折レイナが振り返って様子を伺い付かず離れずを繰り返すくらいだ。
ーー……一体いつまで歩けば良いのだろう。ーー
どのくらいかかるか聞いておけばよかった。と後悔し、重たくなる脚を動け動けと言い聞かせ、汗を拭いながらそれでも歩き続けた。
**************
「ついたワ」
ローシアが事もなげにいうとユウトは「やっどづいだぁ…」と言い残して、村を見渡すことなく膝から崩れ落ち、前のめりに倒れ込んだ。
まさかそんなに疲れ果ててるとは思ってもいなかったレイナは、ユウトに駆け寄り覗き込んで、何度も名前を呼んだ。
ユウトは意識をなんとか保とうとしたが、見える世界が砂嵐のような幻覚が周りから見え始めて徐々に視界が悪くなり、何も見えないほどに遮られたころには、レイナの呼びかけ虚しくそのまま目を閉じ、ユウトを呼ぶ声と何人かが駆け寄ってくる足音が遠くに聞こえてから意識が途切れた。
**************
意識を取り戻すと、見たこともない天井が見えた。
なぜ自分がこの天井の元にいるのか記憶を辿った。
最後に砂嵐の幻覚からレイナの顔を思い出す。
「村について……倒れたのか……」
煌々と光が差し込む窓を見ても、どのくらいの時間が経ったのかわからなかった。
部屋を見渡すと体の下にはベッド、壁側には本棚と隣にテーブルと椅子が1セットある。
朧げにベッドで寝かされた時に数人のゴツい男達にに服を着替えさせられた記憶があり、着ているものを見た。
今ユウトが着ているものは、麻のような比較的強い布地でできた服で、少し堅い生地のせいで動きづらい。でも制服よりは動きやすいしこの世界には似合っている服なのかもしれない。むしろ制服の方が目立ちすぎるかもしれない。
ベッドのそばには履いていた靴も置いてあったが、隣に革でできたサンダルのような履き物が置いてある。
これを履けって事なのだろう。履いてみるとピッタリで、靴よりも馴染んで歩きやすそうだ。
「お目覚めになられましたか?」
立ち上がったところで声をかけられて振り向くと、ドアの前にレイナがお盆をもって立っていた。
「あ……うん……目、覚めました。」
「急に倒れられたのでびっくりしました。お姉様も慌てておられましたよ?フフフ。」
脳みそがぺったんこで逆立ち歩きするくらいの事をいうあのお姉様が?という疑問は言わない方がいいだろうと本能的に思った。
「お医者様にも診ていただきましたが、疲れが原因かとおっしゃっておりました。まだお身体に障りますか? 起きて大丈夫でしょうか?」
「いえ! あの……だい、じょうぶです。はい。」
大丈夫というと本当に安心したらしく表情が柔らかくなる。
「よかったです……本当に……」
「――!」
自分に向けられた優しさに心臓が一度高鳴り耳がじわりと熱くなる。
「お召し物が随分と汚れておりましたので洗濯しておきました。日が暮れるまでに乾くといいですけど……」
「そ、そうなんだ……乾くと、いいね。うん。」
この村に来るまでは、ローシアとレイナで会話を何気なくする事がが出来たのに、レイナ一人だと緊張してしまっている。
――なんで緊張してるんだ……俺――
テーブルにユウトの食事を持ってきてくれたらしく、スープにパンとサラダ。飲み物は水とカップに入った褐色の紅茶みたいな飲み物で、スープとカップの飲み物は、温めた直後のようで、薄く湯気が出ていた。
「……ユウト様?」
「――はへ?」
情けない声なのは、何を話せば良いのかと口をモゴモゴさせている時に声をかけられたからだ。
思わず口を両手で押さえると、レイナがクスクスと笑う。
森であった時は凛とした涼しげな人に見えたけど、近くで見ると銀髪と白い肌が輝きあって美しさを際立たせているような印象を受ける。
ーーこの子……やっぱりかわいい……
絶対モテるタイプだ……間違いない……
この人に俺みたいなクソ雑魚引きこもりなんて、ゲジゲジみたいに忌み嫌われても宿命だと受け止められるほどに『陽』の人だ……住む世界が違う人だ……いや、俺は今異世界にいるからそもそも違う世界の人なんだけど……――
脳内でレイナの容姿と自分の境遇を並べるという暴挙を繰り広げて自滅しそうになる頃に
「……大丈夫ですか? まだお休みになられた方が……」
レイナが心配そうに顔を下から覗き込んできた。
――いやいやいやいや!――
クルッと後ろに振り返って、両手で頬を押さえる。体温が上がっているっぽいようで少し熱い。
――いや、そんなに覗き込むんですかぁぁ……心配されてる?何故?なんか顔についてる?でっかい鼻くそ?……いや、鼻くそを覗き込んでまでみるかね?鼻くそをそんな近くで見ようとはしないよね? うん――
「……だ、大丈夫……だから。うん。」
念のためでかい鼻くそがついてないかだけは手探りで口もとから鼻をそれとなくなんとなく探ってみるが、『あの手応え』はなかった。
「そうですか……」
「……」
「……」
――なに?この間は……まさか間違えた?大丈夫が最適解ではなかった?心配される方が良かったの? もしかして弱い男の方が都合が良かった?
守りたい系女子? いやいやいやいや。なんか話が明後日から捻じ曲がった方向に進んでるぞ。
落ち着け…… 話を元のベクトルに戻せ……僕は情けなくも女の子に助けられたクソ雑魚男子だ……僕とは森で、売り飛ばそうとした獣人にローシアとレイナに助けられたんだ……
つまり彼女は……そう、彼女は……
守りたい系女子!!
……
…………
だーかーらー!!
三百六十度回るな!!裏目だってば!! 違うから!!バカが僕は!!――
脳内でレイナの容姿と優しさに溺れそうな思考に陥っていると
「あの!」
「ひゃい!!」
またも情けない返事をしてしまい、先ほどと同じようにレイナが笑う。
「ユウト様は面白い人ですのね。」
「いやっ! それほどでも……」
褒められてないんだぞ!と心の中で心の中の自分を戒める。面白いってのは、どうでもいい人だけどなんか『面白い人』も含まれるんだぞ!
「お食事……冷めますから、どうぞ。」
そういえばレイナは食事を運んできてくれていたんだとテーブルの食事を見て思い出した。
レイナが椅子を引いて、微笑みで座るように促す。
「は……ははは……そうだね。うん。食べます。いただきます。」
ありがたく椅子に座ってパンを手に取ると、向かい側にカップを持ってレイナが座った。
女性を前にして食事をするなんで皆無。せいぜい母親が座っているくらいで、他人の女性が向かい側に座って食事しているところを見られるなんで、選ばれたものにしか許されないものだと思っていた。
この空気は早めに終わらせたい。慣れていないから早く食べてしまおう。
レイナの意図なき視線はユウトの食事スピードを上げていく。
「……お口に合いますか?」
一通り食べたところを見計らってレイナが声かけたタイミングは、口の中は最悪の八分目。喋れる状況ではなく、一旦右手で待て。と示して左手で口を押さえて八分目を胃の中に飲み込む。
「………ごめ……んっがっ……」
「……大丈夫……ですか?」
涙目になりながら飲み込んで、水をひと口飲んでから
「お……美味しいです。はい。」
と答えると、目を丸くさせてことの顛末を見ていたレイナが吹き出してまた笑い出す。
「そんなにおかしいかな……」
溢れる笑みと涙を抑えて、ごめんなさいねと断りを入れ、はぁ……と笑い切った後のため息をつく。
胸に手を当てて、一呼吸整えてからカップに口をつける。
お淑やかと評するべきなのだろうが、森でサイと戦っていたことを思い出す。
今の優しそうな顔とは打って変わって険しい顔でサイの棍棒を弾き返す姿は、女戦士と言う言葉がぴったりだし、ローシアは武闘家だった。
――どうやっても勝てないんだろうな――
獣人のとんでもない力に対抗している二人を見て、力であの二人に勝てるなんて微塵も思わなかった。
お礼として二人に何も返せるものがないのだ。
何を比べても敵わない。ここまで優しくしてもらって返せるものが「ありがとう」という言葉しかない。
くだらないプライドが胸を締め付ける。何も返せない自分なんて、存在価値ないよね?他人の事なんて自分には関係ないはずなのに。そういう世界から部屋の中から出ないように逃げてきたのに。
「……ユウト様?」
レイナの呼ぶ声に我に返った。
「……へっ? あ……ごめん。美味しいです……はい。」
先程聞いた食事の感想をまた述べると、レイナは何かおかしいと心配そうに表情が変わる。
「……大丈夫ですか? まだ体調が……」
「い……いや! 大丈夫だよ!大丈夫だから。」
「そう……ですか。なら良いのですが……ご無理なさらないようにしてくださいね?」
彼女の優しさは偽善なんかじゃない。それはわかっている。きっと誰にでも優しい人なんだろう。
そして、それはユウト自身が拒み続けていたものだとも気がついた。
――優しくしてもらえるような男じゃないんだ。僕は。――
心の奥底が、思い出させるようにチクリと針が刺すように痛む。
自分にかまわないでほしい。期待に応えられるような人間ではない事は自分が一番よく理解しているから、優しくしないでほしい。
だが、心に殻をまとって逃げる事しか知らないユウトにとって、生きる事がままならないこの世界では、誰かに生きることを頼らなければ明日の朝日を浴びる事ができるかもわからないのだ。
――そうだ……雑魚なんだよな。自分って――
ここまで来るのに忘れていた、自分の事を至極真っ当に評価して自己嫌悪に陥る。だがそれが正解なのだと心に楔を打つ。忘れてはならないように。
雑魚には雑魚の生き方があると割り切ってたはずなのに……
「これ、バニ茶って言うんです。とても風味が良くって美味しいのですが、ユウト様もいかがですか?」
「……」
「……ユウト……様?」
「……あ……ごめん……お茶はいいや。ありがとう。」
「そうですか……」
寂しそうな声色のレイナの顔を見る事はできなかった。
「ごめん……少し横になるね。食事、ありがとう。」
「いえ……」
席を立ち、ベッドに向かおうと振り返ると
「ユウト様! あの!」
何かを言おうとしたが、その先は続かなかった。
ユウトも何を言うべきかわからなかったが、口癖のように言ってきた言葉を小さく吐き出す。
「大丈夫。大丈夫だから……」
それ以上はレイナもユウトに何も言う事が出来なかった。
ベッドに横たわり、レイナに背を向けて目を閉じる。
食事の片付けをして、足音で部屋を出ていった事を察すると、目覚めたときに見た天井をもう一度見上げた。
デジャヴのような感覚。一度体験していたような不思議な感覚だ。
自分が何も役に立つ事が出来ない人間だという自己評価はこの世界にもちゃっかりついてきてくれているし、どうせなら向こう側に残ってくれればこんな卑屈にもならなかったのに……と卑屈の悪循環に陥る。
大きくため息をついて何故か
「母さん…どうしてるかな…」
と自然に言葉が溢れた。
そしていつの間にか、耳はもう元通りに冷たくなっていた。