第二章 14 :エミグランは嘘をつかない
次の日の朝、ヴァイガル国の厳戒態勢は解除され、城門は通常通り開門され、いつも通りの朝の姿になっていた。
ミシェルを亡き者にしようとした王族の目論見は、狂犬エオガーデの敗北によって破綻してしまった格好になり、ドァンクの候補者とエオガーデの件を天秤にかけて出した結論は
『賊は確保、候補者を狙う輩を追ってエオガーデは犠牲になった。』
というカバーストーリーを用意して厳戒態勢は解除されたという事になるらしい。
らしいというのは、その通達はどこにも発表されてない。結果として衛兵がしらみ潰しに捜索を行った事で国民のほとんどが事件の掴みを知っていて、次の日の朝に厳戒態勢が解除されたことをもって察しろ、と言いたいのだろう。
ドァンクに騎士団長をも勝る何者かがいることは、ヴァイガル国にとっては都合が悪いらしく、黙する事が今の最善と判断したようだ。
それはそうで、もしまた衛兵なり騎士団長なり派遣して資材置き場のような戦闘を白昼堂々と繰り広げられることになって、万が一でも騎士団長がまたやられる事になってしまい、国民の目に晒される事になれば、団長を失う事と国民の求心力を損なう一大事で、国防と国政を揺るがす大事件になる。
もうこれ以上のリスクを背負えないと判断し、イシュメル達を見送る事で、一旦は事なきを得る方を国として選んだと言う事だ。
これは、ユウト一人の力で実現できたことは、ヴァイガル国では騎士団長レオス以外に知る者はいない。
国としての事情を別の国とはいえイシュメルはそこはかとなく察してヴァイガル国を後にする決断をした。
大きな借りをつくったセトに話をして、恩返しというわけではないがユウト達四人をミシェルの警護に長期間の派遣を依頼した。これは騎士団長を屠ったユウトの力を高く買っていた事も一因だ。
それに、ミシェルもレイナに懐いているので、ミシェルの警護にも色々と都合が良かった。
セトは依頼を受ける代わりに条件を出した。
『ミスト、ドァンク支部の設立』
これはイシュメルに取っても悪い話ではなく、自前で武力を金で買うドァンクにとっては、国内で兵力に相当する人材育成も賄えるというプラスになる話だ。乗らないわけがなかった。
逆にドァンクに与するセトの立場が悪くなるのでは?という懸念には。
「関係ないさね。そんな法はないさね。」
と一蹴した。
イシュメルも乗り気になって二つ返事で了承した。ドァンクのどこに設立するかまで案があるそうだ。
そしてユーシンについては、レイナは事の真相については誰にも話さなかった。
レイナは
「ユウト様だけが真実を知っていてくれれば大丈夫です!」
と、昨日とは打って変わって明るくなった様子を見たユウトも、レイナがそう思うならとそれ以上何も言わなかった。レイナとしてはあの夜のことは二人だけの事にしておきたかったと言う思いが強かった。
イシュメルは昨日乗ってきた馬車にイシュメルと三人の家で世を明かしたユーシン。馭者はアシュリーでドァンクに向かった。
残ったユウト、ローシア、レイナ、ミシェル、オルジアは、後ほど来るタマモが馭者の馬車でエミグランの屋敷に戻る事になった。
そして、今はヴァイガル国を無事に出国して、エミグランの屋敷に到着したところに至る。
すっかり日も高くまで昇り、ようやく屋敷に着いた五人は、休む間もなくリンに促されてそれぞれの部屋に案内された。聖書記候補が聖書記になるまでの契約で、その間はエミグランの屋敷で過ごすことになる。
ユウトは結局クラヴィの部屋とは別にされた。当たり前ではあるが、結局一夜を共にすることはなかったものの、ユウトはクラヴィには感謝していた。
とりあえず今日は聖書記候補がドァンク共和国から選ばれたお祝いのパーティーをするとのことで、屋敷の中にはこれまでみた事がない人数の獣人メイドが準備にあたっており、何の役目も預からなかったユウトは、屋敷のだだっ広い庭に出て、レイナが昨日一人で座っていた木の下にいた。
風が体を触れるように心地よく流れていく。
この三日間いろんな事があった。
引きこもってた時には考えられないくらいの人たちと出会えることができた。
特にレイナは、あんな酷い目に遭いながら、自分を大切にしてくれる事に感謝しかない。
もし、レイナがいなかったらと思うと怖くて想像もしたくなかった。
あのエオガーデと向かい合った時に出てきた深緑の右腕……腹を裂かれても死ななかった事。
これが全てを知る者の力なのか確証もなかった。
だが、ローシアやレイナを守るために得た自分だけの武器だと思っていた。この世界で自分だけかもしれない武器。
――どうやったら出るんだろう。
ユウトはあの時と同じように何者かに脳内で語りかけてみる。
…………
何も返事はなかったし、腕も割と細く白い色そのままだった。
そりゃ簡単に出たら苦労しないよな、と不貞腐れて寝っ転がったまま背伸びをした。
空を見ると高く丸々としてゆっくり柔らかそうに動いている雲が、まるで自分の事を笑ってるかのように見えた。
――何やってんだかなー 僕は……――
「あ、いた! ユウト様!」
屋敷の方から声がした。
もう声だけでレイナだとわかるらしく緊張もしなくなっていた。
庭の芝生の上をリズミカルに駆けてくる音が聞こえた。
そういえば昨日からレイナの様子が変わった事を思い出した。
ローシア曰く
――人との距離の取り方が、アンタにだけぶっ壊れてるワ。……――
……よくわからないのだが、レイナからとても信頼を置かれていると言うことなのだろうと結論づけた。
影が顔にかかり、目を向けるとレイナが笑顔で立っていた。
途端に正座で座ったかと思うと。
「はい。どうぞ使ってください。」
と自分の膝の上をポンポンと叩く。
「へ?」
「ひざまくらです。」
ユウトは痰が気管に入ったんじゃないかと思うくらいに咽返して起き上がり。一通り咽せた後に手を横に振って
「いやいやいやいや!いいよいいよ! どしたの!?」
こんなところで意味もなく膝枕してると誰かに何か言われる事を懸念してまずは理由を問う。
「……お気に召しませんか?」
「いやっ!そう言うのじゃなくて……お気持ちだけいただいておきます……はい……」
というと、レイナは少しだけふてくされたような顔をして足を崩した。
風がまた二人の間をすり抜けていく。
レイナがここで泣いていた時のことを思い出す。
「なんか、色々と思い出すね。」
レイナに語りかけると。
「そうですわね……」
「うぉ!! びっくりしたぁ……」
声が大きくなったので振り返ると、かなり近くにまで体を寄せていた。思春期の男の子の心臓を高鳴らせるには充分すぎるくらいに近い。
レイナは、何か?みたいな顔をしているが、ユウトからすると、なんなんですかそんなに近くに!と聞きたくなる距離で、わざと離れるのも気を使うのでユウトは肩身が狭く感じた。
距離感ぶっ壊れてるの意味をようやく理解できた。
と言っても、エオガーデの件でお互い戦地から生きて帰ってきたような気持ちがあった。ユウトとレイナだけが持つ確かな手触りの真実だ。
――あんな目にあったのに……――
ユウトの腹に、ちくりと痛みが走る。
――あの時、腹に刺された剣……――
ユウトの脳内でフラッシュバックし始めた。思い出したくない過去は、記憶の隅に確実に残り続ける。そして突然に、鮮明に思い出す。
見下ろしながら恍惚の表情で剣をぐりぐりとかき混ぜるエオガーデの顔……
腹の奥で、何かがプツリと切れて血が腹から噴き出す……
確かに触った死の感触。
思い出と言うにはあまりにも残酷で苦しくて耐えられない恐怖に呼吸が乱れ、脂汗が流れるように出始めた。
――いやだ、いやだ、死にたくない……死にたくない……――
「……トさ……ユウ…………ま」
――いやだ……いやだ……――
「ユウト様!!」
「!!」
ユウトがハッと気がつくと頭を抱えてうずくまっていた。
背中を優しく撫でられている感触がした。レイナが優しく背中を撫でてくれていた。
突然苦しみ出して腹を押さえて背中を丸めたのだ。レイナからするとあまりにも突然すぎて、ユウトの背中を撫でながら声をかけることくらいしかできなかった。
「ユウト様……大丈夫ですか?」
――そうだ、エオガーデの事はもう終わったんだ。
今はエミグランの屋敷にいるんだ。――
「……ごめん……なんか嫌なこと思い出しちゃってた。」
体を起こして元の体制に戻るが、その答えではレイナは納得していない。
「何を思い出したのですか?」
と今にも泣きそうな顔で聞く。レイナにはある程度予想がついていた。お腹を抑えながら震え出したのだ。昨日の夜の事が思い浮かぶのは当たり前だと。
「え……、あの、あれだよ、エオガーデに腹を刺された時」
やっぱり…… そう表情に表して、顔を曇らせてレイナは俯く。
「あれ、やっぱり夢じゃないんだよね……レイナも見てた……よね?」
レイナはうつむいたまま、しっかりみてないと見落としそうなほど小さく頷いた。
「……なんで僕は今生きてるんだろう……」
「……いいじゃないですか。もう終わったことなのですから。」
「うん……確かにそうなんだけど……でも確かに意識が無くなって行く時のこと覚えててさ……フラッシュバックするとは思わなかったけど、でも……」
「やめてください!」
強い口調でレイナが制する事に驚いてぴたりとユウトの説明は止まってしまった。
「レ…………レイナ…………さん?」
「……ご、ごめんなさい。でも……あの時のことを言わないでください……」
声を震わせて、膝の上で手を固く拳を結び、言葉を間違えないように、今の気持ちを言葉にのせる。
「……私、あの時、ユウト様は完全に命を奪われたと思ってしまいました……その時の気持ち今でも忘れません……もう二度と帰ってこない……今、そんな事を思うと……胸が苦しくて耐えられません……」
「レイナ……」
「私……全てを知る者だから、死んでほしくないって思っているわけではありません……ユウト様が……ユウト様がいなくなる事が…………もう……耐えられないんです。」
レイナはあの夜、ユウトの生きている鼓動に触れた左手を見た。
「あの夜、ユウト様の鼓動をこの手で感じた時……本当に生きていらっしゃるんだって思えて、嬉しかった……心の底から嬉しく思えたのです……」
ユウトはエオガーデを倒した夜、膝枕をされてずっと左手が胸の上に置かれていた理由がわかった。腹をかき混ぜられたところを見て、死んだと思った人が突然動き出したのだ。本当に生きている事を確かめたかったのだと。
そこまで心配してくれていた事に今更ながらに驚いた。それは、事を成した本人からすると何とかなったと簡単に片付けてしまいそうな事が、他人から見るととてもじゃないが奇跡でも起きない限りできるような事ではないのに、それをやってのけた事が奇跡だと思ってしまうように、ユウトはあの夜のことはレイナから見たらとんでもない奇跡だと思っていた事を思い知らされた。
ユウトは、少しだけ寝て起きたような感覚に近かったので、うたた寝をしていたくらいの感覚になっていたのだが、フラッシュバックした事でそんな優しい記憶ではなく、また、レイナから見れば完全に奇跡なのだ。
「だから……死ぬとか言わないでください…………もし本当にそうなったら……私はもう、耐えれません……」
「レイナ……」
「もし、あの時のことを思い出して辛いのであれば、わたしがずっとお側にいます! 生きている事が感じれるように……死ぬことの恐怖が少しでも薄まるように、私がずっといますから……だから……どうか……」
それ以上は言葉にならなかった。しゃべってしまったら、今こうしている事が普通であって欲しいと願ったら、いつか壊れてしまうような気がしたからだ。
言葉にする事は時に人に不安を与えてしまう。そばにいて欲しいと言う事が叶わなくなってしまうなら、言わないほうがいい。言わずにいつか必ず来る別れの事を忘れ去りたかった。
側にいてほしいと言葉にする事がレイナは怖がっていた。
全てを知る者という重責をユウトは背負っている。
エオガーデの一件は、これから姉妹やユウトに降りかかる現実の一端だと思うと、いつか今こうしている事がいつか無くなってしまうのではないか。その不安がレイナの心のどこかにあった。
レイナの心にあるその不安は、言葉で説明するにはまだ難しく、言えないことが彼女なりの説明だった。
ただ、ユウトにはこうして側にいて欲しい。自分が側にいたい。側にいて欲しいと思って欲しい。思いの手触りが間違いなく心の中にあっていつでも感じられる。
レイナはその感覚が消える事はないと確信していた。
ユウトは何もいえず悲しそうにしているレイナを見て、あの夜のことを考えていた。
レイナは腹をかき混ぜられた光景を見ていた。ユウトは自分自身のことだから簡単にいえてしまうが、もしか逆の立場だったらどうだろかと考えた。
結論は簡単に出て、レイナと同じように思い出したくないに違いないだろうと思った。
レイナがエオガーデに腹をかき混ぜられているところなんて絶対に忘れることは出来るはずがない。
レイナはユウトが腹をかき混ぜられた事は忘れるはずがない。でも思い出したくないのだ。二度と忘れられる事ができないトラウマになっているのだろう。自分がもしレイナの立場ならと振り返ってようやくレイナの気持ちがわかって今更ながら自分の浅はかさに心の中で自分を卑下した。
いくつかの奇跡を具現化しないと有り得ない事だが今生きている。それだけで充分じゃないか。
自分の身に何か奇跡が起こったことは間違いない。
ユウトは、今はこうして目の前にあれほど助けたいと願ったレイナがいる。生きている。あの夜に自分が願った事でそれ以外に重要なことなんてないはずだと。それがありえない奇跡だとしても。
それに少しずつだが、自分の力の事も目に見えてきた事はユウトにとっても大きな前進だ。少しずつ前に進んでいる。それで今はいいんだ、と。
ユウトは申し訳なさそうに頭をかきながら、涙を手で拭うレイナに座ったまま向き直って頭を下げた。
「レイナ……ごめん。君の気持ちになって考えてあげられなかった。本当にごめん。」
「…………ユウト様」
拭ったはずの涙がまた溢れる。ユウトが頭を下げながら気持ちを伝えてくれたことに驚いた。
レイナのユウトへの想いは自分のワガママだと思っていたからだ。頭をあげたユウトはバツの悪そうな顔をしてレイナにお願いを口にする。
「…………もし今度、あの時のことを思い出したら。その時はレイナに側にいてもらうようにするよ……」
「……本当……ですか?」
ユウトは、当たり前だよ、といつものように笑顔をレイナに見せた。
「あの時……あの場面を知っているのはレイナだけ。……あの時の辛さを知っているのはレイナだけなんだ。だから、レイナじゃなきゃダメなんだと思う。」
――レイナじゃなきゃダメ――
あの時、何も役に立てなかった自分が、本当に大切な人に自分でないとだめなんだと求められた事が本当に嬉しかった。自然と涙は止まって抑えられない気持ちがこらえ切れず、態度に現れるように爆発した。
「ユウト様……ユウト様ーー!!」
「おわっっ!!」
レイナがユウトに抱きついた。
二の腕がちょうど首側面を締め上げて頭に血が上らくなるわ、気管も少し締まって酸欠気味に陥る。
「……く…………くるじい……」
「ユウト様! 私が必ず!必ずお側におりますから!」
絶対に守る。守って見せますと心に強く違うレイナの腕のなかで、ユウトが酸欠で痙攣を始めるにはまだもう少しの時間が必要だった……
二階のバルコニーから、リンが警戒のため木の下にいるユウト達を見ていた。
「あらぁリンちゃん真面目ね。お仕事中かしら?」
どこからともなくクラヴィが現れた。姿が消えていたら全く気配の感じないクラヴィの登場にはいつも体が無意識にピクリと反応してしまう。
リンはクラヴィを見るとそのまま木の下を指差す。
まさに今、ユウトがレイナの溢れんばかりの胸の中で酸欠を起こすところをレイナが気づいて離したところだった。
クラヴィはその姿を見てくすくす笑った。
「あらあら、ユウトちゃんはレイナちゃんとも仲がいいのね。私も混ぜてもらいたいわ……」
「……気にならないのでしょうか?と質問します。」
「気になる? うーん……何が気になるのかを聞きたいのかわからないけど……特に気になるような事はないわね。それがどうかした?」
「……私は、嫉妬をしないのかという質問をしたつもりです。わかりにくいようでしたら申し訳ございません。」
あー!とリンが何を言いたいのか察したようで、手を叩いて笑い出す。
「嫉妬ね? 全然ないわよ? だってユウトちゃんがどの女の子を好きになろうが私には関係ないから。」
「関係ない……」
「そうよ? 私がユウトちゃんのことを誰よりも好きって言う事が大切なのよ。この身も心も捧げられる人が、私の目の前にいるのかいないのか。他の女なんて関係ないのよ。」
「なるほど……」
クラヴィは木の下で笑いながら話すレイナとユウトの様子を眺めて嬉しそうに笑った。
「……よかった、ユウトちゃん嬉しそうね……」
リンは二人のやりとりをじっと見つめている。ユウトに好意を持つクラヴィに聞いてみたいことがある事を質問した。
「質問があります。もし、ユウト様が誰かを殺して欲しいと言われたら。」
リンはクラヴィはユウトの前で誰かは殺すことはできないと考えていた。もし大切なユウトがクラヴィにそういう話をしたらどうなるのかわからなかったので聞いてみたが、クラヴィは即答する。
「即、殺すわ。だってユウトちゃんをそこまで思わせる人間は本当に最悪なんだろうから。理由も聞かないわ。喜んで殺しにいくわ。はいはーいってね。」
リンは少し考えた。ユウトに殺しの仕事のことは見られたくないのではないかと考えていた。だが、クラヴィの答えは、それを知られても全く動じないものだと理解した。
そして興味本位で、もし殺す相手が自分だったらどうするかと聞いてみたくなった。自分に対するジレンマの質問の答えはリンはいつも出せない。回答はいつも現実的な方を選ぶだけだが、正解とは思っていなかった。リンはその答えの選び方が聞けるような気がしていた。
「では……あなたに死んでほしいと言われたら……クラヴィはどうしますか?」
クラヴィはまたも表情も変えず即答した。
「死ぬわよ。喜んでこの命も体も差し上げるわ。それが私の惚れるってこと。」
好意とは人をそこまで思わせる事ができるものなのかと心の中で少し驚いた。自分の命を捨てる選択をする事を即時に選ぶクラヴィの考えを理解できなくなっていた。
表情は全く変わらないリンはそうあってほしくないと思っていたが、質問した手前、回答を反故にする言葉を言う事はできなかったが、リンの気持ちを表すように徐々に顔は曇る。
「……」
「でもね、私が惚れたのはね。」
リンがクラヴィの方を向く。
「ユウトちゃんは、たとえ自分の命が危険に晒されて死ぬような危険な目にあっても、どんなに追い詰められても……私に誰か殺してほしいなんて言わないし、私に死んでほしいなんて絶対に言わないっていう確信があるの。だから惚れてるのよ。私だけを見てくれるから。」
クラヴィはユウトとレイナを仲睦まじく遊ぶ姿を眺める母親のような母性に満ちた目で二人を見ていた。
リンは母親の顔を知らない。母親と言うべき人はリンのこれまでの経験からエミグランだと思っている。
いつか見たことのあるこの優しい眼差しは、母性に似ていると思うにはまだ知識も経験も足りなかった。ただ、
リンはこの話は続けてもわからない事が多いので変えようと思い、クラヴィを見つめるという話で連想的にユーシンのことを思い出した。
「ユーシン様も昔、あなたをずっと見つめていて言い寄っていたのを覚えています。」
というとクラヴィは途端、胸糞悪そうに顔を歪める。
「あー、アイツは私のこの魅力的な身体がお好みなのよ……反吐が出るわね。あんだけマジマジ見られたらどんな鈍感でもわかるわよ。」
「……確かに」
リンが同意するとクラヴィがリンの方をみて目を丸くさせて驚く。
「え! あいつリンにもそんな目してたの……最悪ね……私は血みどろの姿を一回見せたら二度と声かけられなくなったけど。そんなんでビビるくらいなら最初から声かけてほしくないわね。」
リンは殺しの仕事をしていると言っても全く動じなかったユウトなら、どの姿を見せても驚きはしないだろうとも思い至った。ここまでの話でリンはなにかの結論を得て、思考を止めて少し強く息を吐く。
「なるほど……理解しました。」
リンの理解についてはさておき、クラヴィはとろけた目で言う。
「それに比べてユウトちゃんは………………ああ……あまり想像してたらユウトちゃんに抱きつきたくなるからやめておきましょ……だから、あのレイナって子がずっとユウトちゃんのことを気にする気持ち、わかるわ。放っておけないもの。」
クラヴィがとろけてる最中に、ドァンク街でユウトとクラヴィが向かった時に現れた、紫ローブの連中と、ユウト達が初めて屋敷に来たときに現れた賊について確認しておこうと思っていた。
リンは賊と紫ローブの連中は、ユウトが襲われた事で、屋敷にきた賊も同じ組織か人間に指示されているのではないかと考えていた。
全員を連行したのはリンで、拘置所と呼ばれるクラステル家専用の拘置、取り調べを行う施設に運ばれた。
入ったら二度と生きて出られないが今回は二十名もの多い人数を収容し、昨日の夜にエミグランに呼ばれてクラヴィも向かったはずだ。
「クラヴィ、質問があります。」
「何かしら?」
「昨日の夜の拘置所の事です。」
「……ああ、なかなか骨が折れたわね。それよりも私とユウトちゃんとの時間を奪うなんて……覚えていなさいよ……ホント……」
恨めしそうに言う相手がエミグランだと言うことをリンはエミグランから聞かされて知っていた。
昨日の夜、簡易炊事場から部屋に戻ったクラヴィはユウトがエミグランと話していた事にわずかに殺気立った。
エミグランがクラヴィに気がつくと、一緒について来いと言われたが、無論ユウトを守るために全力で拒否してユウトにしがみついたが、知りたいことが終わればすぐ開放するというので、エミグランに完全に逆らう事はユウトの視線があったのでできるはずも無く、さっさと終わらせるために渋々ついていった。
帰ってきたときにはユウトはヴァイガル国に行っていたので、怒りが頂点に来たクラヴィは、エミグランと激しくやりあった、とリンはエミグランから聞いていた。
「言質はとれたのでしょうか?」
「そんな大層なものではないけど、おばあちゃまは何か確信を得たみたいよ。ローブの奴らはプラトリカの海からの使者、ここに来てアンタに刺された奴らはその親玉の手下だろうって。プラトリカって何なのかしら? 聞いたことないわよねぇ……」
「プラトリカ……海……」
リンはその言葉に聞き覚えがあった。同じようにエミグランから過去に聞かされた言葉だった。
「あと、あのローブの奴ら……初めて顔見たんだけど、なんと!口がなかったのよ! ないってのは、潰されたとかそんなのじゃなくて、ないの!口のところがツルッとしてるの! どうやって喋ったりご飯食べたりするのかしら?」
「……そう、ですか。」
「道理で色んなところから血が吹いても声一つあげないはずよ……まあおばあちゃまは何かわかったらしいから私に仕事を頼んできたんだけどね……」
クラヴィは背伸びした後、手すりに手を落とし、仕事に気持ちを切り替えてリンに向き直る。
「そろそろ私行くわ。」
リンはプラトリカの海の話を聞いて、行く場所にある程度目処がついていた。
「……答えは彼の国、でしょうか?」
「ピンポーン!大正解。まあほとんど戦争状態だしね、それにアイツラの差し金があの国なら私にも行く理由があるわ。ユウトちゃんを狙うやつはわからせてあげないとね!」
「帰還の予定は?」
「さぁ? 相手が尻尾を出すまで……かな? ユウトちゃんのこと、よろしくね? いいようにしてあげてくれる?」
「かしこまりました。」
クラヴィは少しユウトを名残惜しそうにして視線を切ると、手を振りながら姿を消した。
*******
その日の夜、ドァンク共和国の貴族会と家族が集められ、聖書記候補のミシェルを祝うパーティが、開かれた。
ユウトはリンに用意されたパーティ用の正装に着替えて、後で部屋に行くから待ってるんだワとローシアに言われたので部屋で姉妹を待っていた。
ドアがノックされた。
「ユウト様……入りますね?」
レイナだ。
「はーい。」
返事をして入ってきた二人は、エミグランに用意してもらったドレスを着ていた。
「おおおおおお……」
思わずユウトに感嘆の声が漏れる。
ローシアは赤を基本としたワンピースドレスで、膝にかかるくらいの丈。
「スカートは、スースーするからいやなんだワ。」
と少し恥ずかしそうにしているのがユウトからすると高得点らしい。
レイナは白のチューブトップドレスだ。
元々、レイナの主張が著しく激しいバストが本当に所狭しと言わんばかりにいつも以上に主張しているが、足の細さも際立っている。これは錯視の効果があると思わざるを得ない。
でも二人とも共通して言えるのは……
「どう?似合うかしら?」
ローシアがぐるっと回って全貌を見せる。その姿もいつものローシアと違ってかわいいし、レイナは顔を赤らめて上目遣いでユウトを見ていた。
「二人とも完璧だよ!すごいかわいいし似合ってる!」
ユウトを照れさせるつもりが二人共かわいいと言われて、姉妹は一緒に顔を赤くした。
ユウトから離れて、大森林で出会ったときのように内緒話を始めた。
「……お姉様……ユウト様はっきりとかわいいっておっしゃいましたよ……」
「なかなかやるわね……」
たまには女の子らしくして照れさせよう作戦の失敗を確信したが、かわいいと言われてまんざらでもない二人。
「じ……じゃあ会場にいくんだワ……」
ユウトの純粋な反応に、逆にやられてしまった二人は、ユウトを先頭にパーティ会場に向かった。
大広間には既に三十人ほど、貴族会のメンバーが家族や知り合い同伴で重い思いの場所で談笑していた。
ライトアップされた迎賓室はこの屋敷で一番大きな部屋だ。
所々に置かれた丸テーブルには軽食が種々様々置かれていたが、会話と高級な果実酒に人気が集中しているやうでほとんど手をつけられていなかった。
入り口からこっそり覗いていた三人は、なかなか入りずらい雰囲気でなかなか中に入る事ができない。
引きこもりだったユウトには、全く縁がないと思っていたテレビドラマや映画の中のような世界がそこにあった。
本パーティーの主役であるミシェルは、昼間に仲良くなったローシアを追いかけ回す遊びに疲れて眠たそうにうつらうつらとしながら席に座っている。
「……き、緊張す、するね。」
カチカチに緊張しているユウトの背中を叩いたのはローシアだ。
「ここまで来て何弱気なのよ。」
意を結したのはローシアで。
「先に行くワ。エミグランに話もあるし。じゃあレイナのこと頼んだわよ。」
というと一人中に入って行った。
「ユ……ユウト様……ど、どうしましょう……」
「と……とりあえず行こう。」
「ユウト様……怖いです。」
「ぼ、僕も怖いよ……こんなところ入ったこともないから……」
レイナがユウトの腕を掴む。
「あ、あまり速く歩かないで下さいね……」
「お、おう。」
頼り甲斐のある男を演出しようと返事だけ変えてみたが、あまり効果はないようで、二人でゆっくりと入った。
煌々と煌びやかなパーティ会場にゆっくりと入る。
「おお!主賓の登場ですな!」
と、モノクルの老紳士がいうと、近くにいた全員がユウトの方に向く。
「へ?……」
歓声と共に迎えられたユウト達は、貴族会の人達に取り囲まれてしまった。
「へっ?……えっ?」
「いやぁ!あなたがあのエオガーデを屠った方ですか!見た感じはそんな様相ではないので驚きました!」
「まぁまぁ、こんな可愛らしい方ですの。」
「彼の国に虐げられてきたドァンクに光が舞い降りる!いやぁさすがエミグラン公もイシュメル公も慧眼ですな!」
「よければ握手をしていただけませんか!」
「やはり歴戦の猛者は奥方もお美しい!」
ユウトは矢継ぎ早に貴族会の賛辞をこれでもかと聞かされる。
どうやら、ユウトのエオガーデの一件は、既に貴族会に知れ渡っていたようだ。
握手を求められ答えて、エオガーデのことを聞かれて、思い出して話したり、空笑いで愛想振り撒いたりと、忙しない人間関係のやり取りに辟易としていた。
――パーティってこんなに疲れるんだ……――
レイナは少しユウトから離れて見ていたらいつのまにか気品高い夫人に囲まれて、まるで新人夫人が仲間入りしたような歓迎を受けて話しかけられていたが、やはりこう言う場は慣れていないせいか挙動不審だ。
「すてきな旦那様に見染められましたのねェ……素敵ですわ。」
「だん……!? いえ、私は……その……」
「ホォんとステキですわねぇ……どちらで知り合いましたの? いぇね?うちの娘もそろそろそう言うお年頃……あーたの年齢くらいかしらね、今後の事を考えなきゃならないの……ホント大変……」
「えっと……その……わ、わたしは!……」
「そうそう!ワタクシのところもユウト様位の男なんだけど……浮ついた話が全然なくってねぇ……」
「あらぁ奥さまのところもですの? うちもそうなのよ……男の子だから、わからなくってねェそう言うの……主人に聞いたら『そのうち見つかるだろう』なぁんて悠長な事いいますのよ?」
「まぁ奥様のところも? うちのところもなのよぉ……」
レイナそっちのけで自分達の子供の話が弾み出した。
一息ついてると、ユウトはレイナの近くに寄って耳元で小声で提案する。
「ちょ……ちょっと外に出ようか……」
貴族会の熱烈な歓迎を受け、話の切れ目を何とか作ってバルコニーに出てきた二人は一緒にため息をつく。
一言目はパーティの感想でユウトから述べる。
「……疲れた……」
「ユウト様もですか……私もです……」
レイナはユウトの同伴者と見られていたようで、婦人たちに言われた言葉を思い出した。
――すてきな旦那様に見染められましたのねェ…――
レイナが一人の夫人に言われたことを思い出す。
――ステキな旦那様……か……
ユウトを見る。
出会った時は頼りなさそうな人だと思っていたが、たった一夜でまるっきり見方が変わってしまった。
――ステキと言う言葉は完全に同意できるけど……旦那様……――
レイナの顔が赤くなり妄想で惚気ていると……
「おい!」
ユウトが誰かに声をかけられている。
この声は聞き覚えがある。特にレイナは。
レイナがユウトの方を向くと、ユウトの目の前にユーシンが立っていた。
*******
ローシアは一人で会場に入ると、リンがお盆の上にワイングラスに果実酒を入れて歩いていたので、一つ頂戴すると、エミグランがイシュメルと話しているのを見つけた。
イシュメルが一礼して去るとエミグランがローシアの考えなどお見通しと言わんばかりに目を合わせてこちらに来いと合図しているように見えた。
――フン……何か聞きたいことでもあるのかしら?って顔ね……――
エミグランに歩み寄ると、ワイングラスをこちらに向けてきた。
「聖書記候補、誕生のお祝いじゃな。」
ローシアはグラスを出して軽く合わせると、軽い音がした。
果実酒を口に含ませて飲むとローシアから質問した。
「ミシェルが候補になることは知っていたのかしら?」
「……それを知ってどうするかの?」
鋭くロージアを見るエミグラン。
「……こっちは命かけてたんだワ。聞く権利はあると思うけど。」
「フフフ……そうじゃの。知ってたか、に関しては。その通りじゃの。知っておったよ。」
――やはり……――
話が出来すぎていた。ミシェルが聖書記候補になり、イシュメルが広場でとった行動は全て想定内としか思えない手の打ち方だったからだ。イシュメルの演説はあの魔石の効果で、あの場にいたほぼ全員が知るところとなって、聖書記候補はドァンクにいる事が一夜にして周知の事実となった。
どうしてミシェルが聖書記候補だとわかったのか、という問いには答えないだろうと思っていた。そもそも何も聞かされずにエミグランの思うがままにことは進んだのだろうから。
エミグランのやりたかった事の一つは、ドァンク共和国から、聖書記候補が現れたことを広く周知させること。だろう。
もしイシュメルが宣言しなければ、ヴァイガル国の王族のこれまでのやり方を踏まえて推測すると、ドァンク共和国が候補者を誘拐したと嘘の情報を巻いて国民の支持を得て、力任せにドァンクに攻め入る事があり得たかもしれない。
ヴァイガル国民の前で宣言する事で、国民の前に居る王族と、国の運営のために手段を選ばない王族の二つの思考の妥協点を作り出すために、あの場にいる必要があり、そこで宣言することで王族の足枷を作った形になったが、それこそがエミグランの狙いの一つだと思っていた。
そして、もう一つの目的の事も確認しなければならなかった。何故ユウトを向かわせたのか。
「ユウトを越させたのも計算通りということかしら?」
「はて? どう言うことかわからんの?」
とぼけるエミグランに詰め寄るローシアは、絶対に答えてもらうとエミグランに重ねて問う。
「嘘をつきたくない時はとぼけるのかしら?彼の国には置いておけないと言っておきながら行かせたのは理由があるはず。違うかしら?」
エミグランは果実酒を飲み干して、テーブルにグラスを置いた。
ローシアはさらに意見を裏付ける根拠を突きつける。
「それに、最後にユウトに持って来させた魔石は、何も入っていない。ただの石。ユウトにアタシ達に何かあったと思わせてヴァイガル国に向かわせるための口実なだけ。違うかしら?」
ローシアは見え透いた小細工だと思っていた。あんな空の魔石なんて、ユウト以外なら誰でも気がつく。つまり、このように問われても仕方ないと考えていたに違いない。ならその通りにやろうじゃないの、と今こうしてエミグランに突き付けていた。
「……フフフ、お主のような尖ったニンゲンは好きじゃよ。そうじゃ。全てを知る者を入国させるタイミングはこちらで図っておったよ。あの魔石は全てを知る者を向かわせるための口実……まさにその通りじゃな。」
――やっぱり――
最初からエミグランはユウトをヴァイガル国に行かせるつもりだった。
「なぜ……あのタイミングなのかしら?」
「アシュリーには、わしの飼っている鳥をつけさせておくと伝えておいた。何かあったら連絡せよと言っておいての。あの国のやり方は嫌と言うほど知っておるからの。想定される初動で全てを知る者をあちら側の手に渡したくなかった。でわかるかの?」
想定はおそらくイシュメルの宣言の後のことだろう。あの場から離れるために最適な行動を取るには、大人数でないほうが良いだろう。結果としては全員無事だ。
ただ、イシュメルにあの宣言をさせたことは、最悪の事態としてイシュメルが囚われることも覚悟していたのだろう。おくびにも出さないが。
ユウト一人が増えるだけで警備の負担は増える。言い換えると、その場面さえ超えればユウトが居ても問題はなかったと言える。
しかし、エミグランにはまだ聞かなければならない。それでもあの場面にユウトをヴァイガル国に来させた理由だ。これには答えの当たりをつけていた。むしろそれしかないとも思っていた。
「何故、あのタイミングでユウトを来させたか……全てを知る者としてのユウトの力の事を知っていたからかしら?」
エミグランの口元が緩む。
「素晴らしいね。正解じゃ。ミシェルが候補に選ばれた時、最悪全てを知る者が犠牲になって衛兵に捕まることだけは避けたかった……衛兵相手では全てを知る者の力は出せんと思っておったからの。色々とあったがそなたら姉妹には迷惑をかけたこと、心から謝るよ。」
「ユウトの力を知っていた……確信があったのかしら? 狂犬相手に勝てるって。」
「信じておった……が正解じゃな。どうせ彼の国は過去の歴史の通り都合の悪い候補者は屠ると思うておったし、騎士団長も使うことも予想通りじゃ。賭けの要素もあったが無事勝てたよ。これで色々とこちらの都合よく動ける。ワシも、ドァンクも、そしてお主たちの悲願もな?」
ヴァイガル国のやり方を知っているらしいエミグランは、騎士団長を出すことを予想していた。そして、あの場にいる誰もかなわないことを想定していた。
勝つためには全てを知る者の力が必要だろうと言う結論になったのだろう。
結果はこの場にいる者すべてが知るとおりだが、それは運だと認めた。
エミグランとしても全てを把握しているわけではなく運の要素もあったらしいが、本当にそれが事実なのかはわからなかったし、聞いたところで答えもしないだろう。
――全て手のひらの上で転がされていたってわけね…… その中にアタシ達の悲願も入っている。
今はそれに乗るしかないのかしら。――
エミグランは笑いが込み上げるが押し殺しす。そしてじとりとローシアを半笑いで見やる。
「心配するな。ワシはおぬしらを操って何かをしようとしておるのではないよ。あまりにも幼いからの。考えておる事が……幼子を導くのは大人の役目と言うところじゃ……気を悪くせんでくれ。」
これまでの行動を考えると、腹立たしいが感謝もしなければならない事が存在することに歯噛みする。
エミグランがローシアに指を二本立てた。
「あと、聞きたいことは二つだけ答えよう。今回の仕事の等価交換にはそのくらいで良かろう。それに、挨拶待ちの連中もおるのでな。」
エミグランが向ける視線の方を見ると、確かにエミグランとローシアの会話を待っているそぶりの壮年や老紳士がいる。
「二つじゃ。答えるぞ?」
残り少ない質問は決まっていた。当然黙示録のことだ。
「……わかったんだワ……黙示録の場所と壊し方よ。全てを知る者が壊せると言ったことは覚えているワ……じゃあ黙示録がある場所と壊し方はわかるのかしら?」
やはりと言うように二本の指をおさめる
「場所……については知っておるよ。教えてもよいが、それはまだ今は教えられんの。」
「何故よ! もう聖書記選は終わったのよ!」
声を荒げるローシア。
他の貴族会の雑踏の邪魔にはならずエミグランに自身の今の感情を伝えるには充分だったが、涼しげにエミグランは答える。
「まだ時期尚早じゃ。教えぬと言うわけではない。教えてお主らが早まってもらっては困るからの。何事も機を逃してはならんし、今はその時期ではないと言う事じゃ。」
歯がゆさが残る言い方だが、エミグランは嘘を言わないという通説を信じた。姉妹の悲願は必ず達成しなければならない。少しでも黙示録に近いエミグランの言う事なら信じるしかなかった。
「随分と慎重なのね。」
鼻で笑ったエミグランは、続けた。
「二つ目の質問の黙示録の壊し方について、わしはわからん。」
「……え?」
「考えても見るが良い。魔女の遺物じゃ。そんなに簡単に壊せるものと思ったのか?それを魔女様が他の者に教えるとでも思うたのか?」
言われて言葉を失う。確かにそうだ。壊す事についてはマーシィの末裔であるローシア達が行き着いた結論で、姉妹も壊し方などわかるはずがなかった。
「カリューダ様しか知りえぬ事じゃからな。これはワシでもわからん。ただ、魔女なき今、壊せるとしたら全てを知る者じゃ。これは間違いない。」
「どうしてそう言い切れるのよ……」
恨めしそうに言うと
「お主達の悲願なのじゃろう? 黙示録の記載の通りにことが進むのであれば、破壊される運命は全てを知る者が握っておるということじゃよ。」
ローシアは黙示録の記載と言われてすぐに最後の一文を思い出した。
『大災の名を拝してなおも全知全能たる全てを知る者を待つ。この大地と異なる世界より現れる全てを知る者こそ世界救済のかの汝。顕現される日より世界が歓喜と祝福で溢れ始める。』
世界が歓喜と祝福で溢れ始める。
ローシア達の歓喜は、黙示録が破壊される事。その一点のみだ。
世界救済を司るユウトが、姉妹の悲願を含めて全ての鍵を握ると言う確信は変わらないが、壊し方についてはエミグランでも知り得ないとなれば、ユウトの全てを知る者の力を顕現させることがエミグランの目的と姉妹の目的の近道だろうと思った
つまり、エミグランも同じようにユウトの力を顕現させることを望んでいて、そのための手段として今回は狂犬と対峙させることが必要だったと言うことだろう。かなり危険な賭けではあったが、今回はユウトが意識がある状態でその力を自認させることができた。
これは大きな前進と言っていいだろう。力の出し方がわかるかわからないかの差は、相当大きなものだ。
今のレイナが狂犬に勝てるかどうかは、一部運任せだったと聞いたら顔を真っ赤にさせて怒りそうなので、この話はローシアの胸の中に留めて置くことにした。
エミグランは、ローシアが持っていたほぼ飲み掛けのグラスをとり、側を歩いて来たアシュリーの盆に置き、新たに果実酒が注がれているグラスを二つ手に取る。一つはローシアに渡した。
「安心せい。まだ始まったばかりじゃ。ワシはお主達の敵ではないよ……エミグランは嘘をつかんよ。」
と口角だけを上げる。
そういうと、ローシアの持っているグラスにまた軽く合わせると
「乾杯」
と言って、エミグランを待っている人達のところに歩き出して行った。
手に乾杯の振動が僅かに残り、グラスを揺らして果実酒の香りを楽しむ。
――あの様子だと、質問は答えると言っても、肝心なことは知ってても言ってないわね。
敵ではない……でも味方でもない。そう言いたそうに見えたけど、気のせいかしら?――
当のエミグランはすでに貴族会の人達と談笑している。ローシアの方をちらりと見やると楽しそうに談笑していた。
エミグランは嘘をつかない。通説が一言の意味を深読みしてしまう。もっと言えばそれを利用している節さえ感じさせる。
――つくづく食えない女ね……エミグラン……――
もらった果実酒は、一気に飲み干した。
〜第ニ章 了 〜
第二章終了です。ここまでお読みいただきありがとうございました。
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