第二章 13 :鼓動よ届け君へ
ユウトは気がつくと空を見上げていた。
――あれ、なんで空見上げてるんだろ……
山が反対に2つ見える。まるで空に対して水平になっている。
――え?空に山?――
「お目覚めになられましたか?」
山の間からレイナが顔を覗かせる。
「え?」
空からレイナの顔が見えるのは?
手探りで頭の下を触ってみると……張りのある肌っぽいものがある。
――これは……おそらく手触りと形からすると、脚……だな…………ん!?――
手を動かすとレイナが少し恥ずかしそうにしてる。
山に見えるのは、山ではなくて……女性についてるあれだとすると、レイナの顔がそこにあるから……
「レイナ……」
「はい?」
「僕、今レイナにひざまくらされてるのかな?」
恥ずかしそうに微笑んで
「……はい。そう……です。」
と答えた。
――えええええええええ!――
「ごめん!よくわからなくて、起きる!起きます!起きまする!!」
レイナは起きあがろうとするユウトの肩を軽く押さえた。
「ユウト様!だめです! こちらに来られてから気を失われたのですよ?」
――え?――
「こちらに来られてから、衛兵はもういないよって言われて、そのまま意識が戻らないからこうして……」
――そうなんだ……
ははは……全然覚えていないや……――
と起きようとしてもレイナに簡単に押さえられて起き上がれない事がわかったので、お言葉に甘えてそのままでいることにした。
「……そういえばミシェルは?」
見渡してもミシェルの姿はない。
「先にタマモに連れて帰ってもらいました。ここにいるよりかは安全だと思ったので。」
「そうなんだ……よかった……」
少し沈黙が続いて、レイナが切り出す。
「ユウト様、あの右腕は……」
ユウトはレイナが質問したのは、初めて見た深緑の右腕の事だとすぐにわかった。
「ああ、あれ? なんかローシアが言ってたけど、あれが僕の持っている力……だと思う。うん。」
ユウトは右腕を目の前に持ってきてまじまじと見つめた。何度見つめてもいつも見慣れた右腕だ
拳を握ったり開いたりしたが、これまでと何ら変わらない。
何も変哲もない手をどけると、レイナが悲しそうな顔をしていた。
「私……ユウト様がエオガーデに剣で刺された時……この世の終わりだと思いました……」
剣でかき混ぜられた腹を撫でた。傷なんてどこにもなく、記憶だけが残っていた。確かに死の淵から落ちたはずだったとユウトも思っていた。
「うん。僕も正直言って死んだと思った。あんなに血が出るところ見たことなかったからね。でもなんで生きてるんだろう? 」
自分に起きた奇跡のような出来事を、事もなく饒舌に説明するユウトは、自分が起こした奇跡の意味がわからないと問うが、レイナの方がもっとわからない。
「なぜでしょうね……でも、嬉しいです。」
「嬉しい?」
「はい……とても嬉しいです。」
「……そうだよね。姉妹の悲願である黙示録の破壊がかかってるもんね、僕がいないとね。」
それはそう。それはそうなのだが、レイナの言葉の意味は少しだけ違った。
確かに全てを知る者は姉妹の悲願を達成するために必要な人だ。
だが、レイナはユウトがエオガーデと戦って帰ってきた時、全てを知る者のことはすっかり忘れていた。ユウトが帰ってきたことを心から喜んだのだ。
その感情を言葉にするのは、今のレイナには難しかった。
そうではないです。と言いたいが、全てを知る者としてというのも実際は合っている。でも違うと、レイナは説明できずに黙ってしまった。
レイナはユウトが意識を失っている間、これまでの自分の事を話しておきたいと思っていた。
膝枕でユウトが意識が戻るまで顔を見ていたら、エオガーデから救ってくれたユウトにだけは何も秘密にしたくないという思いが湧いてきた。
だが、ユーシンとの事を話せるかどうかわからなかった。そして、嫌われたら……という思いに苛まれていた。
ずっと考えていたが、命をかけて守ってくれた理由が、自分を助ける事なのなら、命を賭けてまで戦ってくれたユウトにだけは、この国にまた訪れて自分が起こした出来事は、少なくともユウトには話さないと後悔するような気がして意を結した。レイナなりのケジメだ。
「ユウト様……お話させていただきたい事があります。」
「……うん。」
「今日私がこの国にきてから起こった事を、ユウト様に聞いて、知っておいてほしいのです。私を命懸けで助けてくれたユウト様には……」
「……うん。わかった。聞くよ。」
レイナは一つ大きく息を吸った。そして意を決して話し始めた。
「……私、お姉様達とこの国にきて、ずっと姉と離れていたんです。」
「うん。」
「ユーシン様とずっと一緒にいたのです……それで姉とはぐれてしまったのですがしばらく合流出来ませんでした……理由は……」
脳裏にユーシンの黙っていてほしいと言う声が蘇る。レイナは葛藤する。言うべきか否か。ここまで話せば言えるような気がしていた。勢いに任せて話せるだろうと。
だが……
「……言えません……ごめんなさい……」
「……うん。」
言えなかった。約束は守るためにあると教えられてきたレイナにとって破ることは勇気のいることだが、ミストでローシアに会えなくなったあの雰囲気を思い出して勇気がでなかった。
大切な姉に拒否される、周りの人たちから侮蔑される事が耐えられなかった恐怖で、ユウトを信じることができなかった。
レイナは我ながら情けなくなったが話しを続けた。
「そして、ミストに行く機会があって、姉が狂犬エオガーデに襲われたって……」
「うん。僕も聞いた。」
「私……それまでずっと離れていて……」
レイナの声が震え出した。
「ローシアのいる部屋に入れなかったんだよね?」
「……はい。」
「嫌なこと……言われたんだよね。」
レイナは両手で顔を覆って鼻を啜りながら頷いた。
――卑しい女、穢らわしい。――
心を乱した言葉が蘇る。
なんて自分は世間知らずでバカなんだろう。男の人と一緒にいるだけで、あんなに拒絶されるなんて思いもしなかった。
ドワーフの村を出るときに行き先で半ば無理矢理にヴァイガル国にしてしまったことと、今回のユーシンのことで二度も過ちを犯してしまったことに、レイナは心が締め付けられるように苦しくて泣いていた。
レイナのその後の行動は、ユウトが話し始めた。
「それで、自分にできる事をしようって思って、ミシェルを一人で探しに行ったんだよね?」
レイナは嗚咽しながら何度も頷いた。
「……知ってる。僕が知ってるレイナだ。」
レイナは我慢できなくなって、声を漏らしながら泣いていた。
誰も信じてくれない辛さがユウトにはわかっていた。心を尖ったものでいたずらに突かれるような、一つ一つの痛みは小さいのに、耐えられなくなってしまう目には見えない痛み。
――わかってる、その痛み……僕も知ってる。――
ユウトはレイナが落ち着くまで待って、意を決してレイナに口を開く。
「レイナ……僕のわがまま聞いて欲しいんだけどさ。」
「……はい。」
「もし僕を信じているならさ、教えてよ。秘密を。ユーシンさんと一緒に行動してた時の事。」
レイナは驚いてユウトの目を見た。
とても澄んだ目をしてレイナをじっと見ていた。
――とても澄んだ眼……
話せば信じてくれるのでしょうか……
でも、信じてくれなかったら……
いやだ……
ユウト様のこの優しい目が
見れなくなるかもしれない……
絶対に嫌だ!
それだけは絶対に……――
レイナは首を横に振った。
言ったところで信じてもらえるかわからない。なら、言わないほうがいい。だがユウトは聴きたいと言う。言ったところで信じてもらえるかなんてわからない。それどころか穢れているなんて思われたら……
ここにきて、ユウトに侮蔑されたくない、その一心で首を横に振ったのだが、ユウトは笑ってレイナの手を見つけて、優しく両手で包んだ。
「大丈夫!僕を信じてよ。」
「……!」
「僕とユーシンさんと比べて、まあ……僕は引きこもりの弱々しい男で信じられないかもしれないけど……」
――違う!それは絶対に違う!
だって……比べるまでもない!
あなたは私を命をかけて救ってくれた人!――
ユウトがくれたチャンスにも一歩が踏み出せなかった。ミストで味わったような同じ感情がこの膝の上で起こったら、もう生きていく力も無くなりそうだった。
でも、ユウトにだけは信じて欲しいという小さな光が心の中にあった。ユウトはレイナの心が落ち着くよう、にこやかに優しく言う。
「言ったら、きっと楽になるよ。僕を信じてよ!」
「……!」
信じてという一言は、レイナの心を支配していた闇を握って搾り出すように、優しく掴んでユウトの暖かい気持ちが、ゆっくりとレイナの心に流れてくる。そして心の奥の小さな光が呼応するように、まるで、内からも外からも闇を打ち消すように、ユウトの言葉と自分の心の中の光は、レイナに勇気を持たせるきっかけになった。
――こんなにまでボロボロになった私を救ってくれたユウトに様にだけは、ちゃんと伝えよう。
大丈夫……きっと信じてくれる。いまこの心に届いたユウト様の声は、そう信じれるから。――
胸に手を当てて、心に言い聞かせるようにして、大きく呼吸をし、ユウトを見つめながら意を決して話し始めた。
「私は……………………」
「うん。」
「この国についた時、馬車から降りて、ユーシン様にみんなより先に大鏡のところに行こうって言われて……従いました。」
「うん。」
「そこで広場についたら、ユーシン様が突然体調悪くなられて……横になりたいって言われたから、寝かせる場所が思いつかなくて……」
「うん。」
「私たちの家なら寝かせることができる思って、連れて行って……」
「うん。」
「ユーシン様のお側で看病しておりました……」
「うん。」
「それで……ユーシン様が、お薬をお屋敷に忘れてきたって言われて……」
「うん……」
「そのことがバレると皆が心配するから秘密にしておいてほしいって言われました……」
「うん。」
「それで、その後に家に来た衛兵さんから候補者はミシェルになって……殺されるために追いかけられてるって聞いて、はやくみんなと合流しようと思って……ミストに行ったら……お姉様が血を吐いて……」
「うん。」
「私、混乱しちゃって……今はお姉さまのそばに居たいと思って……でも……お姉さまが苦しんでる時にいないのはお前は穢らわしい奴だからって言われて……」
「うん……」
「私は穢らわしい、卑しい人間の女……なんだそうです……穢らわしいならみんなの側にはいる事ができないかもって……でも、ミシェルは関係ないからって思って助けようって思って……ここに来ました。」
「うん。」
「私は世間知らずで、男の人と長い時間共にすることは、そういう風に見られるってわからなくって……今考えると断るべきだったなって……」
「……うん」
「……………………終わりです。」
「うん? つまり、ユーシンさんを休ませてたって事だよね?」
「はい……」
フッ……
「あーっはっはっはっはっはっ!! そんな事で!!クックックックック……はっはっはっは!!」
ユウトはレイナのひざまくらの上で、弾けるようにユウトが笑い出した。
「な、な……何がおかしいんですか!!」
せっかく勇気を出して話したのに!とレイナがむくれてしまった。
「あ……ああ……ごめんごめん……いや……それは流石に笑っちゃうよ。」
「だから……なんで笑うんですか!」
「だって……穢らわしいとかそんなこと言われてもさ、関係ないじゃん? だって違うんだし。」
「それは……そう……ですけど……」
「レイナはユーシンさんと何もなかったんだよね?」
レイナは首を全力で横に振って。
「ないです!ないです!絶対ないです!」
と完全に否定する。
「レイナは体調が悪くなったユーシンさんの休む場所を確保して休ませて、ユーシンさんのいうことをちゃんと聞いて守って、ミシェルを助けに行ったんだ。それだけだ。それが真実だよ。」
「……」
「それ以外に何もない、レイナは二人もいない。たった一人だ。だからレイナがしたことは一つしかない。誰が何を言っても関係ない、レイナはレイナの正しいと思うことをしたんだ。」
「……はい。」
「苦しむことなんてないよ。僕は今のレイナのいう事は間違いないって信じれる。」
「…………本当ですか?」
「うん。嘘をついていないってわかるよ。レイナは本当のことを僕に伝えてくれた。僕は信じる!レイナは少しも間違ったことをしていないよ!」
「……!!」
ユウトの額に、涙が落ちた。誰よりも信じて欲しい人に信じてもらえた嬉しさと、心の中をきれいにしてくれた大切な人が、全く変わらない笑顔で自分を見てくれていることに涙が溢れて止まらなかった
ユウトは、自分が同じように苦しんでいた時に、誰かに言ってもらいたかった一言をレイナに言った。
「だからもう気にしないで? 誰がなんと言っても君を信じる。絶対に一人にさせないから!」
「…………ありがとう……ありがとうございます。」
レイナは今になって思う。姉があまりにも酷い傷を負ってたことで気が動転していたんだと。ユウトの言う通り、自分がそれまでにやってきたことは恥ずべきことじゃない。
――周りが勝手に言っているだけ。きっと信じてくれる人がいる。お姉様はわかってくれているはず。
あの時だって私に行かせなかったのは、他の皆の考えていることに気がついていたから……
きっとそうだ。
あんな酷いことを言われるくらいなら、私を離したほうがいいと考えたんだと今になって思う――
ユウトはまさにレイナの太陽のように、心の闇を完全に溶かしてしまった。
もう何を言われても平気だ。なぜなら目の前に全てを受け止めてくれる人がいるから……
レイナはユウトのおでこと髪の部分を愛おしく撫でた。
全てが愛おしく感じていた。
ユウトは涙が引いたレイナの顔を見て、レイナの傷もあざも無くなった頬に手を伸ばす。レイナは顔を近づけた。ユウトの指が頬にかかるとレイナはその手を握って、頬にもっと近づけた。
ユウトの手のひらが、レイナの左の頬全体を包むと、レイナはユウトの手を軽く押さえる。
白くきめ細やかな肌は、手のひらに吸い付くようで、ずっと手を置いていたい気持ちになるが、ユウトはレイナの顔の傷が全て治っていることを触ってわかった。
「キズ……完全になくなったね。痕もないや……よかった……」
「はい……ユウト様のお陰です。」
「いや、レイナのおかげさ。」
「そうなのですか?」
「うん……だって命をかけて助けるって覚悟したらあの力が出たんだ。だからレイナがいなかったらできなかったかもしれない。」
――命をかけて……
レイナがいなかったら……――
レイナの脳内で、一部の言葉がリフレインして顔が赤くなる。
「あれ……レイナの顔熱いよ。大丈夫?」
「ひぇっ! え、 は、はい!大丈夫ですよ。」
ユウトはレイナの顔の傷がまったくない無くなったことがわかり、暖かくなったレイナの頬から手を離そうとすると、レイナがそれを許さないように、ずっとユウトの手を頬に置くように手を重ねていた。
もう一方の手はユウトの鎖骨の下あたりにそっと置いて、指先からユウトが生きている鼓動を感じていた。
トク、トクとわずかに指に届く鼓動すら抱きしめたくなるほど愛おしかった。
ユウトはレイナの頬からわずかに体温が高い事を気にしたが、とても嬉しそうにじっと目を見つめてくるので、きっとそうしてほしいのだろうと何も言わず目を閉じた。
そして迎えの馬車が到着する間まで、生きていることを感じ合うように、お互いの感触と鼓動を確かめ続けた。




