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僕と異世界姉妹が魔女の黙示録へ送る復讐譚  作者: ワタナベジュンイチ
第二章 :鼓動よ届け君へ
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第二章 9 :狂犬と自死


 ミシェルは、口と鼻から、体いっぱいに空気を流し込みたいのをグッと堪えて息を潜めていた。

 建物のそばにある鬱蒼と伸びて手入れもされていない茂みに身を潜めて、口と鼻を押さえて呼吸の音が漏れないようにしていたが、手の隙間から心臓と肺が欲する酸素の供給を止めるまでには至ることができず、呼吸音は漏れていた。


「ほぉん……隠れても臭うねぇ。プンプンとねぇ……」


 狂犬は、隠れていたミシェルの間近に分銅を叩き落とすと

茂みが爆発するように弾けてミシェルが吹き飛ばされて、何度か後転しながら壁に背中をぶつけ、肺の空気が押し出されてようやく止まった。

 

ミシェルの頭上には、ゆっくり近づいて来たエオガーデの不気味な笑い顔があった。


「……さぁて、もう少し逃げるかい? アタシは構わないよ? もう少し焦らしておくれよ…… 楽しみは最後にとっておきたいんだ……」


 しゃがれた声で、雨に濡れた体に下着のような衣服から輪郭も色も透けているのに気にせずミシェルを舌なめずりして見る。


 ミシェルは泣くのを我慢していた。

 

 ――この怖いお姉さんは誰……――


 子供でも生存本能が警笛を鳴らすようにずっと逃げろと警告していた。


 ミシェルは泣くのを堪えながら立ち上がり、エオガーデの横をすり抜けて、小さな歩幅で走り出す。

 大人なら早歩きで追いつくような速度だ。


「……いいねぇ……いいよいいよ……泣くのを我慢してる……怖いんだろうねぇ……」


 エオガーデの恍惚の笑みを衛兵は見ていられなかった。


 ――あんなにいたぶる必要もないだろ……候補者様には申し訳ないが、せめてひと思いに……――


 エオガーデに狙われて生きていることなんて出来ない。だがその前に嬲る事で快感を得ているエオガーデの儀式と言ってもいい一連の行為はいつも見ていられない。


 ――これが人間のやることか……

 子供相手に……女のやる事か……――



「ハハハハハハハハハハ!にげてにげて? 早く逃げてー! ハハハハハハハハハハ!」


 まるで自分のいる場所を知らせるように大きく笑いながら歩く。


 ミシェルは目の前に開ける道があれば走った。

 子供だから道があればそこを走るくらいのことしか思いつかない。



 必死に心臓が飛び出そうなくらい拍動しながら走る。

路地から大通りに出ると、曲がり角がある、そこに行き止まりの看板があり、衛兵が一人いた。


「さあさあさあ! もっと逃げなさいな!」


 追い詰められるミシェルは、息を切らしながら意を決して通行止めの看板の方に走り出した。


 まだ知らない場所で通ったことがない道だった。あそこの看板を抜けて行けば逃げられるかもしれない。


 ミシェルは一心不乱に走る。涙をこぼさないように。呼吸というよりも過呼吸に近いほどの荒々しさで、喉を鳴らしてしまうほどに。

 泣いても誰も助けてくれない。知っている人は誰もいないのだから。


 だが



 看板の前まで走ると空から何かが落ちてきた。

 地面に激突し水溜りが弾けるように飛び散る。ミシェルは驚いて後ろに飛ばされて尻餅をついた。


 エオガーデだった。

 後ろにいたはずなのに急に空から降ってきたエオガーデにミシェルも衛兵も目を丸くさせていた。

 エオガーデは立ち上がって看板をノックする。


「あらぁ……この文字読めないのかねぇ。進入不可 まぁ子供だから読めなくても当たり前よね。仕方ないね。」


 ミシェルは、この人からは逃げられないかも……と思うと涙がこぼれてしまった。涙を拭うこともできないほど体が恐怖で硬直してしまっていた。


「そうね?怖いね? わかるよ。でもね、あなたは逃げるの? 私を楽しませるためだけに。わかる?」


 頷くこともできなかった。


「でもね、私、騎士団長って仕事してるの。この国の安全と平和を守る隊長の一人なのよ。だから、ルールを守らない人には罰を与えないとね。」


 と、エオガーデが手を振り抜くと乾いた音が響く。


 ミシェルの視界が、涙で揺れるエオガーデから真横の建物の壁に切り替わる。痛みが頬に来てようやく叩かれたのだとわかった。


 傭兵は目を逸らしていた。


 ――叩く必要あるのかよ……――


 衛兵は、ミシェルにビンタするエオガーデがあまりにも身勝手すぎるが、口答えする勇気などなく目を逸らすだけだった。



「はい。これが罰。さあ、逃げなさい。捕まると罰どころじゃないわよ? 死ぬ前にもっと楽しませて?」


 ミシェルは叩かれたことよりも恐怖で涙がポロポロこぼれた。


 それでも立ち上がってエオガーデの反対に走り出した。

 口をへの字にして、んーんーっと鼻から声を漏らし、やがてしゃっくり混じりになりながら声に出して泣くのをこらえながらエオガーデから離れるように走り出す。


 ――くそ……見ていらんねぇ……!――


 衛兵は歯噛みしても救えるはずもなく、ただ歯噛みして見ているだけだった。


「にーげーろーにーげーろー!ハハハハハハハハハハ!」


 エオガーデはミシェルの行動を制御していた。目的地は住宅街の外れにある資材置き場。

 木材や石や鉄鉱石を管理するヴァイガル国営の資材管理倉庫がある場所だ。


 資材置き場だけあって広く、そして今は誰もいない。一日中明かりがあるので夜といえども視界はそれなりに良好。


 ミシェルは自分の意志で逃げているつもりが、エオガーデの巧みな移動管理で資材倉庫まで走ってきていた。



*******


「ほらほらほら!!ハハハハハハハハハハ!!」


 雨上がりのふやけた土に、ミシェルが転がる。分銅で逃げ場を失わせてわざと転げるように鎖で足を引っ掛けた。


「うっ、うっ……」


 泥まみれで体を起こすミシェルは声を出して泣くこともできない。泣いて助けを求める人がいない。蛇のようにミシェルをしつこく少しずつ痛めつけて、小さな体に死の恐怖が植え付けられる。


「なくなクソガキ。ほら、立ってみろ、早くにげろーってな!」


 鎖の先についた分銅を操り、ミシェルの足元に叩き落とす。

 衝撃で土が四散してミシェルの頬を掠める。切れた肌から血がひとしずく垂れる。


 メインディッシュを誰にも邪魔されたくないエオガーデは、資材置き場入り口にだけ傭兵を立たせていた。

 傭兵はエオガーデの方を見ることは出来なかった。ミシェルには申し訳ない気持ちはあるが、胸糞悪い見張りはしたくなかった。



 ミシェルがそれでも必死に木材置き場にある木材の山に隠れる。


「隠れても無駄だねぇ。お前の血の匂いがするんだよ。ハハハハハハハハハハ!」


 木材置き場の山に分銅を叩きつけると、山はけたたましい音を立てて雪崩を起こすようにミシェルに落ちてきた。


「もっと走れ!クソガキが!」


「……!!」


 上を見た時に木材はすぐ目の前まで来ていた。

 ーーもうだめ……ーー

死を受け入れるしか、解放されないと悟ったミシェルは、ぎゅっと目を閉じた。


 が


 体が急に引っ張られて木材下敷きは免れた。エオガーデの顔が急に不機嫌に染まる。


「……邪魔な臭いがするねぇ。」


 ミシェルは引っ張られた後、ゆっくりと目を開けた。

 眼前には銀色の髪が濡れて色濃くなっていたが、見上げたその顔は、ミシェルの大好きなレイナだった。


 ――れいながいる……――



 ミシェルは緊張の糸が解きほぐされ、小さな手がガタガタ震えた。死をも覚悟したミシェルの全身まで震えが伝播してゆき、今まで縛り付けてきた助けて欲しいという願いが叶った喜びと、エオガーデにしつこく何度も痛めつけられた悔しさが押し寄せて、ゆっくり、声を上げて泣いた。


 その声にエオガーデが顔を顰める。


「ったく……クソガキの泣き声はどうしてこう癪に触るのかねぇ……」


 分銅が癪に触る声で泣くミシェルとレイナを狙う。

 レイナはミシェルを抱えて飛び、避ける。


 分銅が地面にめり込むどころか、勢いで地面が破裂するようにえぐれた。その威力は一目で分かった。


 ――あの分銅、とてもじゃないですけど受け止めたら怪我じゃ済まない……アレを食らったのね、お姉様……――



 レイナは資材の集まる場所に、身軽に飛びながら移動して、エオガーデから少し離れた場所に逃げた。


 ミシェルの足が地面につくと、レイナは膝を折って、ミシェルの両肩を持って、レイナの考えをわかりやすく伝えた。


「ミシェルちゃん。あのお姉さんはとても怖い人だから近寄ったらダメ。お姉ちゃんがあの怖いお姉さんを引きつけるから、その間に逃げるの。いい?」


ミシェルは涙を溜めて首を横に振る。


「れいなも。れいなもいっしょにいこ?」


 レイナは優しく微笑んで、ミシェルを抱きしめた。


「お姉ちゃんはミシェルちゃんを守る。だから、お姉ちゃんは少しだけミシェルちゃんがちゃんと逃げられるようにするの。だから少しだけ。ね?」


 今にもまた声を出して泣き出しそうなミシェルは、レイナが助けに来てくれたからこそ、レイナのいう事は正しいと信じ、グッと堪えて力一杯レイナを抱きしめた後、頷いた。


うっすらとエオガーデの声が聞こえる。


「匂うんだよ……匂うねぇ……さあさあどうするのかねぇ……」


 ミシェルを離すと、行って!と肩を押す。ミシェルはエオガーデの声がした方とは反対に走り出した。


 そして、レイナはエオガーデの場所に飛び出していった。


 エオガーデは立ち止った。レイナの気配を感じた。


「……いいねぇいいねぇ」


 レイナが刀を抜いて頭上から縦切りに落ちてきた。


 すぐさま鎖がエオガーデの頭上に集まり、鈍い音をさせて刀を止める。


「いいよあんた!迷いがないね! 私を殺したいって伝わってくるよ!」


 レイナは鎖を足蹴にして離れて、エオガーデの胴を刀で狙う。が、これも鎖に弾かれる。


 ――まるで蛇みたいね……


 刀を持ち替えて下手に返して逆の胴を狙う

 が、エオガーデの剣で弾かれる。


「いいねいいねいいよあんた!ゾクゾクする速さだ……たまらないね!」


 エオガーデが剣を持ち、その周りを蛇がとぐろを巻いて威嚇するように鎖がうごめく。


 ――あの鎖……なんとかしなきゃ――


 レイナはエオガーデに気付かれないように詠唱を始めた。


「ひひひひひひひ!今度はこっちからいくよ!」


 エオガーデと鎖がレイナに飛びかかる。

分銅がレイナに狙いを定めて風を切って腹部を狙う。

 それを避けると


「そっちだと思ったよぉ!」


 避けた方向にエオガーデが剣を振りかぶっていた。


 分銅を避けた体重移動で向きを変えることはできず、刀で受け流す。


 ――この女の力も半端ないわ……まともに正面からは無理……――


身軽にエオガーデと距離を取る。 

詠唱が終わったレイナの片手には、風の球ができていた。


「あん?なんだそれは?」


 何も言わずに、エオガーデに渡すように放つと、風の球は風切り音と共にエオガーデににまっすぐ突っ込んできた。

 

「ふん……こんなもの……」


 分銅をあやつり風の球にぶつけた。

すると、分銅で裂けた球の中の圧縮された空気が解放されたかのようにエオガーデの全身にぶつかるように襲い、後ろの木材の山まで簡単に吹き飛ばす。


 爆発音に似た音が響き渡り、木材の山が崩れてエオガーデの上にまとめて落ちてきた。

 だか、レイナも少し飛ばされた。


 ――これで終わるわけ……ないわよね――


 仮にも騎士団長だ。レイナの考えは当然その通りだった。

 エオガーデは木材を吹き飛ばして起き上がった。

 

「……んだぁはぁ! いやいや魔法か! 懐かしいもの見せてくれるじゃないのよ!」


 何もなかったかのように起き上がったエオガーデ。

 だが口の中を切ったのか血を垂らしていた。

それを舌なめずりで拭き取り飲み込む。


「いいね……いいねいいね!アンタ……剣も魔法も使えるのかい! サイコーだねぇ!」


 分銅がまたレイナを狙い襲ってくる。

 しつこい野良犬のように。


 レイナも分銅の動きはほぼ見切っているので、準備さえしておけば避けれた。


 ――魔法は通るなら、私が有利!――



 詠唱し始めると戦闘が終わるまでやめないレイナは、攻撃さえ当たらなければ魔法と刀のどちらも使える。そのため、相手の攻撃を避けることに関しては鍛錬を重ねている。

 速さにもよるが、この分銅とエオガーデの速さくらいならなんとか避けれる。

 あとは背後や頭上の攻撃に対しては、自分が移動することでリスク回避する。

 分銅さえ見切れば、いけると踏んだ。


 詠唱によってマナはしっかりと共鳴している。刀を納めて両手を広げると、風の球を五つ作り出す。


「おいおいおいおい!怖いねぇ! さっきのが五つもかい!? すっごい怖いねぇ!!」


 興奮止まないエオガーデは、下品に笑う。

 

 ――さすがに五つは避けるはず。避けたところを斬る!――


 レイナは五つの風の球をエオガーデに向けて放った。

 エオガーデの背には崩れた木材の山。後ろに避けることはできない。


 空気を裂くようにエオガーデに直線的に向かう。その後ろからレイナがついていくように刀に手をかけて飛びかかる。


 次に動いた方向に反射的に動けるよう、邪魔な感覚は消した。

 神経を研ぎ澄まし、エオガーデの様子を風の球の隙間から伺う。

 最初の所作で反応する。


 あと少しで風の球がエオガーデに届く。

 だが所作がない。


 ――なんで……



 エオガーデは動かない。だが、鎖が動いた。

 エオガーデの前で円を描き、蛇がとぐろを巻くようにして、盾を作り出す。


 ――っ!


「避けねぇよ!  バァーーカ!!」


 よまれていた!と思った時にはもう遅かった。

 目の前で風の球が鎖の盾にぶつかると、圧縮された風の力がまとめて破裂するようにレイナに返った。

 

 まともに五つ分の風の球の力が返り、レイナは吹き飛ばされ、高々とその身が打ち上がり、地面に激突しながら衝撃の勢いそのままに後転したが、地面を手で確認し、足の拇指球から地面について、衝撃で後ろに飛ばされるのを前屈みの体制で堪えて止まり、立ち上がる。


 だが、地面に激突した際のダメージが右肩から腕にかけてあった。立ち上がる際に顔が歪む。


 ――折れてはないけど……これじゃ――

 

「ひひひひ、ダメージは深刻そうだね。」


 鎖の盾を解いたエオガーデは剣を持った。

 と、鎖の方も限界だったのか、真ん中からヒビが入って粉々に砕けた。


「あーあ……割れちまったかい。仕方ないね……あまり柄じゃないけどこいつでやるかね!」


 エオガーデが剣を片手に走ってきた。


「オラァァぁ!」


 掛け声と共にレイナの頭を横から振りかぶって斬り払う。

 難なく避けて刀を抜く。


「ひひひひひひ!いいよいいよ!いい顔してるねぇ!」


 抜いた際の痛みで顔が歪むところを見るエオガーデが気色悪い笑いをこぼす。


「ほらほらほらほら!ひひひひひひ!」


 振りかぶってレイナの体を目掛けて剣を振るう。

 だが、レイナはうまく避ける。避け切れないものは刀で払う。

 払うたびに腕に激痛が入る。


 ――剣の使い方がまるで鈍器のような使い方、まだわたしにもチャンスはあるはず。しかし狙いはおそらく……――



「ほらほらほら!腕が壊れるか!お前が勝つかどっちが先かなぁ!!」


 エオガーデはレイナに刀です受け流させるように攻撃を仕掛ける。

 受け流すだけでも腕に衝撃が走る。刀から手を離したら、やられる。詠唱も痛みで集中できない。

 隙を見せたら斬られるどころか骨まで折られる。

 刀は剣を受けるようには出来てはいないので受け続けると刀の方が折れてしまう危険もあった。


 レイナの戦闘は、風の魔法で相手を牽制する使い方になり、魔法で虚を突き、刀で実を取る方法だ。魔法で終われば話は早いが、仕留められない場合は刀を使う。

 

 近接戦闘は刀と回避で立ち回り、離れた時に魔法を使うため、どちらかが使えなくなると、相手の虚を突ける機会が減るので戦闘能力は落ちる。その上肩の痛みでまともに刀も扱えない状態だ。


 刀は素早く相手を斬ることに適している。剣は相手を叩きのめす使い方ができる。

 エオガーデの攻撃は、刀を折るためにレイナが刀で防御せざるを得ないように狙っている。


 肩のダメージがある事を見抜いたエオガーデは、そのダメージに苦悶するレイナの表情が見たくてずっと顔を見ていた。


 防戦一方のレイナはエオガーデの剣撃に耐え切れず、一旦離れるが、当然追いかけてくる。


 剣と刀がぶつかり合い、金属音が幾重にも響く。


 レイナはその金属音でさえ痛みに感じ始めた。


 腕から肩にかけて芯が熱い。痛い。受けるたびに熱く痛みが増す。


「いいねいいねいいね!その顔いいね!」


 髪を振り乱し、涎を垂らし、恍惚の表情を浮かべながらエオガーデの剣撃が続く。


 ――もう……無理かも……――



 刀を持つ手が震えて力が入らない。


 エオガーデが左から右に剣を振るうと、レイナの手から刀が空に弾かれてくるくると回って木材の山の頂点で刺さった。


「……終わりだねぇ……」


 舌なめずりして剣も舐めて、上段に構える。レイナは痛む肩を押さえて、息切れしていた。


「……楽しかったよ……ひひひひ!」


 エオガーデの剣がレイナの銀髪に向けて振り下ろされた。


 ガキィィン!


 金属音が響く。

 レイナは背中の鞘を頭上に掲げて剣撃を耐えた。


「なっ……」


 鞘を横にして受け流して剣の先端を地面放り投げるようにし、下を向いた剣の柄を踏みつける。


「……!」


 衝撃で剣から手を離すと鞘の紐を素早く鞘から外したレイナは、後ろに回り込んでエオガーデの首に紐をかける。

 背中を向けて、重い荷物を背負うように体をくの字に曲げ背にエオガーデを背負う。

 痛む右肩に堪えながら、背中で暴れるエオガーデの首を全ての力を振り絞って歯を食いしばり締め上げる。

 背中に断末魔のように苦しむ声が響く。 



「ぎぎごぎぎぎ……ぐ……ぎぎぎぐ……」


 もがき暴れるエオガーデは、脚をばたつかせていたが、徐々に力を失い、何度か全身の痙攣の後、全く動かなくなった。


 ――……やった……――



 締め上げていた紐を手放すと、エオガーデはレイナの背中を滑るように地面に力なく倒れ込んだ。


 レイナは右肩と腕を押さえ、痛みに苦悶しながら座り込んだ。


「……勝った。」


 勝てた……騎士団長に勝てた……

 姉を痛めつけた狂犬に勝てた……


 安堵の笑みが自然と出てきた。

 とはいえミシェルが衛兵に捕まっては意味がない。早く合流しないと、と痛む肩を押さえて立ち上がる。


 振り返るとエオガーデが仰向けで空を漠然と見ているような顔で倒れている。


 肩を押さえながらエオガーデに近づくと、首にはくっきりとレイナが締め上げた紐の跡があったが、喉の正面で跡は切れていた。



 ちょうど指二本分。


 エオガーデの目がぎょろりとレイナに向く。



「バカだねぇ!バカだねぇ!キャハハハハハハハハハハ!!指を首に置かなかったら流石にこの私も死んでたよヒヒヒヒヒ!」



 生きていた!と距離を取る間もなくレイナは足元から平衡感覚を失うかのように倒れた。


「っ!ぐぅっ!!」


 右肩から倒れ込んだレイナは激痛に襲われる。


 ――なんで……



 足元を見ると、銀色の液体がレイナの足元に絡みついていた。


「クックックッ……鎖が固形だなんて……だぁぁれも言っちゃあいないけどねぇ!ひひひひひひひ」


 鎖が……固形じゃない?



「私の能力は、液体操作。私のマナと血液を練り込んだものなら重さ関係なく動かせる。鎖なんて見た目してるけど液体さ!アタシの意のままに動かせて、生体魔石の力で固められるのさ!」


 割れたんじゃなかったの!?


「鎖が割れたのは本当だけど、液体化させて警戒されても嫌だからねぇ……それに肩を痛めたオマエなら剣だけでも充分だったけど、絶望させるにはこのくらいの演出が必要だろう?ひひひひひひひひひ。」

 

液体が蠢いて、レイナの体を足元から腹部、胸部と巡り、両手首に移ると、磁石のように両手首を手錠したかのように繋がれて、足元が僅かにつかないくらいの高さまで軽々と宙に浮かせた。


 エオガーデはレイナの顔の前に人差し指を立てて口角を上げて問うた。


「さて、ここで質問です。団長として私は候補者の殺害を命じられました。ですが、今候補者のことはそっちのけであなたと戦って楽しんでいます。それはなぜでしょう?」


 

エオガーデは手を上げて招くように振った。


 …………!!


「正解は……」


 ミシェルが液体にレイナと同じように拘束されて宙に浮いていた。


「私は逃してなかったからでーす。アタシの液体操作の有効範囲は、この資材置き場なんて目じゃありませーん!こ、れ、も、生体魔石のおかげでね……ひひひひひひひひ!」


 レイナの顔が絶望に曇る。


「ひひひひひひ! お前が私に最初に攻撃した時にはもう手の中さ! ああああああいいねいいねいいよその顔!!」


 ーー私は……何のために戦ったの……

 ミシェル……ごめんね……ごめんなさいね……

 お姉ちゃん何もできなかったねーー



「ああ!たまらん! 希望のスパイスをかけた絶望は! 熱いお風呂に入った後にあびる冷水のようにクセになる!!ああああああ!!」


 ミシェルの顔には複数のアザがあった。

 先ほど会った時はなかったアザだ。きっと必死になって鎖の一部から逃げていたのだろう。


 ――そっか……ミシェルも戦ったんだね……

  逃げるために……

  がんばったね?えらいよミシェル……

  痛かったよね……

  ごめんね……おねえちゃん……

  ダメだった……

  何やってもグズで……

  誰の役にも立たなかった……

  ごめんなさい……――



 レイナの瞳から枯れたと思っていた涙が、瞳からこぼれ落ちた。結局何もできなかった。命をかけてもと言いながらこの有様は、もはや何の言い訳もできない。

私はどうしようもない女だったのだと思い知らされた。


「ひひひひひひ! たまらんなぁ……絶望は。さてさて……これからどうしようかねぇ……」


 顎に手を当ててエオガーデは思案し始めた。


 *******


 資材置き場の交代の衛兵が来ると、気絶している衛兵がいるのを発見し駆け寄った。


「おい!大丈夫か!」


 頬を何度か叩くと意識を取り戻した。

 どうやら鈍器のようなもので殴られたらしく起き上がると後頭部を押さえていた。


「酷いな……おいオッサン!」


 壮年衛兵が振り返る。


「アンタ、エオガーデ様の様子を見てきてくれ。」


「あ……あたしがですかい?」


「そうだ。俺たちはコイツらを救急施設に連れて行く。なに、話してこいってわけじゃない。ちゃんと候補者を始末してるか見てこいってことだ。」


 壮年衛兵はしぶしぶ受け入れた。



 資材置き場の中に入ると所々で木材の山が崩れている。エオガーデの仕業だとすぐにわかった。


「エオガーデ様はどこなんだろうねぇ。」


 ド派手に暴れていれば音でわかるが今は水を打ったように静かだ。


 ん?


 何か粘着物が殴られるような音がかすかに聞こえた。

 どこだろう……

耳を澄ますともっと奥の方だ。

 恐る恐る近づくと段々と音は大きくなる。


 女性の笑い声が聞こえる。

 

 ――これは、エオガーデ様の笑い声か……――


 ゆっくりと近づいて、木材の山から少し顔を出して音のする方を覗き込んだ。


 ――……!ーー



 エオガーデが宙に浮く女を殴っていた。

 側で同じように浮いているのは、候補者だ。


「……そろそろ内臓イっちゃうころかしらねぇ……」


 エオガーデは女の腹を殴り続けていた。口から血を吐き、それがエオガーデの拳にかかりレイナの腹を殴るたびに、ビチャリ!という音が鳴る。


 ――あの女性は……――


 壮年衛兵は、銀髪と服装で思い出した。家にお邪魔した美男の男を連れ込んでいた女……

 雨の中、びしょ濡れで空を見上げてた人だ。


 ――だから言わんこっちゃない……エオガーデ様の

  逆鱗に触れたのか……

  すまんね。私はあなたを助けられんよ……――


 手を合わせて仲間の元に戻ろうとした時、木材の上に光るものが見えた。


 ――なんだあれは……ん?――


 人がいた。

 木材から駆け降りるようにして走り出していた。



 ――エオガーデ様に……!――


 木材の山から駆け降りた人物がエオガーデに膝蹴りをしたように見えた。

エオガーデはそんなところから人が走ってくるとは思っていなかったようで避け切れずに吹き飛ばされた。


 膝蹴りした人も地面に倒れ込んだ。


 壮年衛兵は激突の瞬間目を閉じていて、エオガーデが憤慨するのではと恐る恐る目を開けた。


 

 

 

 

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