第二章 4 :受難は続く
ユウトとレイナがイシュメルと対面したのは、レイナが落ち着き、そろそろ屋敷の中に戻ろうと
していた矢先のことだった。
「油売ってんじゃないワ!!」
と、なぜかユウトに飛び蹴りをかました。
なお言うまでもなく飛び蹴りしたローシアは、ユウト様になんてことを! とレイナに叱られた。
ユウトが二人をなだめて、正面玄関前に戻るとオルジアと二人の男性が立って待っていた。
一人は壮年よりも老人よりの年齢に見えるが背筋がピンと直立しており、姿勢でそこまで年齢を感じさせない紳士。眉間に皺が集まり、立っているだけで威圧感を滲み出しており、迂闊に近寄れないオーラを感じる。
もう一人は、壮年とは打って変わって、優男。爽やかな青年男性の見本のような出立で白い歯を見せて笑顔をこちらに向けていた。
「紹介する。こちらがイシュメル公。そしてこちらが……」
「ユーシン・クラステルです。イシュメル様とは養父養子の関係です。どうぞよろしく。」
と、レイナに向けて握手を求めてきた。
「え! あ、はい。よろしくお願いいたしますね。」
まさか自分に握手を求められるとは思ってもいなかったレイナは、出された手を握り返した。
「お美しい方ですね。」
「え? え?」
突然の賛辞はレイナが慣れているはずもなく、はあ。と素気なく返す。ローシアはいけ好かないと言わんばかりに嗚咽の顔を見せている。
「……ユーシン。下がれ。」
野太い声でイシュメルが睨む。いや、眉間に皺が寄っているので睨んでいるように見えるだけかもしれないが…… 悪びれる様子もなくユーシンは「はいはい」と二つ返事で下がった。
仕切り直してイシュメルが全員を見渡ようにして顔を見た。
「ようこそ、クラステル家へ。君たちのことはギムレット様から伺っている。ここはエミグラン様の別宅でな、私の屋敷に招く事ができない事を心からお詫びさせてもらう。」
リンが続ける。
「イシュメル様のメイド組から、賊の侵入があったとの報告があり、急遽こちらにお招きすることになりました。ですが……」
イシュメルはさらに険しい顔をして顎をさすりながら
「こちらにも来ていたのだな……聖書記選とはいえドァンクまで何か影響するとは予想しておらんかったな……こちらのほうが警備体制は整っておるからな。」
リンはあの賊から奪った透明化の魔石を取り出した。
「これは、イシュメル様の屋敷の賊も同じものを持っていたと報告がありました。」
「うむ。同じ賊だろう……小癪な……」
イシュメルが魔石を睨み、眉間のシワが更に深くなる
「しかし、この屋敷はお母様の屋敷。賊がお母様の顔を伺う事があるとすれば、首と体はつながっていまいよ。」
「……おーこわ。」
ユーシンがおどけるように茶化す。
イシュメルは一度ユージンを睨んだが、咳払いをして続ける。
「それでは、ローシアとレイナにはエミグラン様のお話の通り、我々と共にヴァイガル国に向かってもらう。馭者は……」
「私が勤めます。イシュメル様。」
アシュリーがイシュメルの後ろから出てきた。
「うむ。そなたの力はリンに勝るとも劣らないと聞く。よろしく頼むぞ。」
「はい。お任せください。」
馬車の準備はもう少しで終わるとの事なので、ここで待つようにといい、イシュメルとユーシンは屋敷の中に戻っていった。
その時にユーシンが、レイナに向けてウインクしたのをローシアとユウトは見逃さなかった。
「気に入らないワ。あいつ。」
二人が屋敷に戻った開口一番、個人的なユーシン評をローシアが漏らす。
「あいつとは……ユーシン様のことですか?」
レイナはユーシンに対してなんの思いも抱いていないらしい。
「そうよ! アンタぽやーっとしてるから!」
「わ、私はぽやっとしてません!」
「ぽやっと!ぽやっと! きゃはは! ぽやっと!」
ミシェルが語感が気に入ったのか、ぽやっとを連呼し出した。
「まぁまぁ落ち着いて……」
「落ち着いてってちょっとアンタ!こっちに来なさい!」
ローシアがユウトの手を引っ張ってレイナから離れたところに連れていく。
「あっ……お姉様!どちらに?」
「ちょっとそこまでだワ!」
と、レイナに声が届きそうにないところまで離れて止まった。レイナは心配そうにこちらを見ているが、アシュリーが手を引っ張っていてこちらに来れなさそうだ。
ローシアに腕を引っ張られて体勢を崩すと、手際良く首の後ろを脇で挟まれた。
「いててててて」
「痛くないワ! それで、アンタ何の話したのよ。あの木の下で。」
「えっ?……えっと世間話をしたかな……」
というや否や首を絞めてきた。
「いてててててて!!」
「嘘はよくないんだワ。あのレイナがすぐ機嫌直すなんて姉のアタシでも無理だワ。さあ、何を言ったのか言うんだワ。その秘密がわかれば、今度レイナが臍を曲げた時でも……フフフ……」
「いてて、何!臍曲げるって!」
「声が大きい!」
シッ!と人差し指を唇に置いて声の大きさを制する。
「ご、ごめん。」
「で、どんな魔法使ったのよ。教えなさい。」
「魔法なんて使えるわけないよ。本当に世間話みたいなもんだよ……話聞いて、僕の思う事を言って……それで笑ってくれたんだよ。」
「……本当に?」
「いでででで……ほん……とうに……です。」
「ふーん……」
ユウトの首を離したレイナは考え込む。ユウトは解放されて地面に転がり込む。
そこにレイナが走ってやってきた。
「ユウト様!」
跪き、ユウトの顔を覗き込む。
「大丈夫ですか?」
「……あ、ああごめん。大丈夫だよ。ちょっとローシアと……」
たぶんローシアの今の話はレイナに悟られない方が良いだろうと勘繰って、プロレスごっことでも言おうとすると。
「お姉様!ユウト様になんて事を!」
とレイナがローシアに詰め寄る。
「ちょっ……違うワ! 力全然入れてないんだワ!何でそんなに怒るのよ。」
「力入れてなくても倒れたら同じです!」
ローシアはヒェ……っと息を呑むとピュッとユウトの後ろに隠れる。
詰め寄ろうとしたレイナがユウトの前で立ち止まった。
「ユウト様、姉をこちらに渡してください。」
レイナが仁王立ちしてユウトに迫る。
「いや……そんな怒んないであげてよ。僕が倒れたのは体勢崩したからで、ローシアに無理やりやられたわけじゃないんだよ。」
「で……でも……」
「僕は大丈夫。なんともなってないでしょ?」
「……それは。」
確かに、福に土汚れはついているものの、怪我は皆無なのは見てわかる。
「うん。だから、なんでもないから。大丈夫だよ。何もしてないんだから許すって言い方もおかしいけど。」
ユウトの屈託のない笑顔に、レイナは硬い表情を崩した。
「ユウト様がそうおっしゃるなら……わかりました。もうまもなく馬車が来るようですから、お姉様。参りましょう。」
「そ、そうね。ま、参りましょうか。」
二人のやりとりで何かに気がついて吃るローシアに首を傾げたユウト。
姉妹は並んで玄関前に戻っていった。
玄関前に馬車は到着しており、エミグランとリンとタマモがいた。
馬車は三人がここまでやってきたに馬車とは違って、馬を四頭使用した黒塗りで所々に金の紋様が施された高級感をふんだんに詰め込まれた四人乗りだ。
馬も先ほどとは違いひと回り大きい。
玄関が重々しい音を立てて、中から、オルジア、イシュメル、ユーシンが並んで出てきた。
リンに日傘で日除けをさせていたエミグランは、イシュメルに手を差し出した。
「イシュメルや。」
「はい、お母様。」
エミグランは手に持っていた、紫に輝き、石の中心に綺麗な模様が入った魔石をイシュメルに渡した。
「これは……提唱者の魔石?」
エミグランは頷いて
「彼の国で役に立つじゃろう。持ってゆけ。」
イシュメルが手にしたのは、自身も使用することがありエミグランが生成できる魔石だ。
提唱者の魔石は、その使用者の発言を聞く人に深く意図を理解させるために使用される。
無論、普段の生活で使うものではなく、貴族会集まりや交渉で発言の意図を深く理解させるために使うことが主目的で、言わばクラステル家門外不出の魔石。
何故この魔石を持って行けと言うのか理解できなかったが、エミグランの言う事ならば、と受け取った。
オルジアは姉妹が集まっている事を見ると。
「よし!揃ってるならもう出るか。早くしないと日が暮れちまうからな。」
イシュメルもそれは同意のようで頷く。エミグランに向き直り
「ではお母様。行って参ります。後のことはよろしくお願いします。」
「……うむ。どうもここも、彼の国も穏当ではないようじゃから、そなたらも気をつけての。」
「はい。お母様も気をつけて。」
「ワシは大丈夫じゃよ。」
エミグランが頷くと、アシュリーが馬車の扉を開いた。
「どうぞ。中へ。」
アシュリーに促され、前方にはイシュメル、ユーシンが乗り込む。
次に後ろの席にアシュリー、ローシアが乗り込んで、最後にレイナだ。
最後に乗るレイナは、ユウトの方を振り返ると、ニコッと笑って手を振った。
ユウトも同じように手を振ると、嬉しそうにして馬車に乗り込む。
オルジアは後ろのランブルシートに腰掛けた。
アシュリーは身軽に馬車に飛び乗り。
「それでは!ヴァイガル国へ出発いたします!」
の掛け声と共に手綱を打つ。
命令を受けた四頭は、馬車を引っ張って車輪に力を加えると、ゆっくりと動き出し、加速してゆき、やがて門をくぐりぬけた。
多分レイナが車内からこちらを見てずっと手を振っているので、ユウトもレイナが乗っている馬車が小さく見えなくなるまで手を振った。
手を振り終わった途端に
「ユウトちゃあああん!」
と背中から抱きつかれる。クラヴィだ。
「うわああああ!」
「邪魔者は行っちゃったわねぇ。さあさあさあ、今度はお姉さんと遊びましょ?」
「ク……クラヴィかぁ……びっくりしたぁ……」
「あらぁ?ごめんなさいね? ほら、ここじゃこわーいおばあちゃまが見てるから……行きましょ?」
エミグランは表情を変えずにこちらを見ている。それはそれで怖い。
「クラヴィや。」
「なにかしら?おばあちゃま。」
「わかってると思うが……」
「あらぁ、言われなくてもわかってるわよ? ユウトちゃんは絶対に守るわ。」
「ふむ。わかっていれば良い。」
「例え、おばあちゃまが相手でも……ユウトちゃんに手を出す人は……殺すわ。気をつけておくことね?」
急に火花が散り出したクラヴィとエミグランに挟まれたユウト。
「え? え? こ……殺す?」
途端に火花を抑えてクラヴィがまだ抱きつく。
「ぐおっ!」
抱きつかれて何か柔らかいものが腕に当たるのだが、力が強くて息が……
なんか、顔の横で話してるけど……
「まさかぁ! おばあちゃまは私よりもちょーっと下だけどユウトちゃんのことを大切に思ってるのよ? でも……五百年も生きてると、何をするかわからないでしょ? 念のためよ。ね、ん、の、た、め。」
「クラヴィよ。」
エミグランに呼ばれるのがあまり快く思ってないのか、明らかに嫌そうに
「なによ」
と聞き直す。
「ワシが全てを知る者を殺すとか妄想の話はまあ許そう。じゃが、お主が息の根止めてしまうぞ。」
はっとユウトを見ると、すでに顔は青白く気を失っているユウトが力なく気を失いかけている。
「ユウトちゃん!ユウトちゃぁん! ごめーん!」
揺さぶって気を取り戻したユウトは虚げな目でクラヴィを見なおす。
「……ク……クラヴィ、苦しいよ……」
「……よかったぁ……」
クラヴィが半べそになっている。
「ごめんね……ごめんねユウトちゃん。」
ユウトは朧げな目をほっぺたを叩いて気を引き締めて
「大丈夫だから。うん。大丈夫。」
自分がしでかしたユウトへの失態を全然咎めない態度は、クラヴィの心を最も簡単に打ち抜くらしく
「ユウトちゃ……ん…あーん!ユウトちゃああん、!」
今度は正面から抱きついて、姿を消してしまった。
姿を消したクラヴィを追跡することは、視覚はもちろん、嗅覚、触覚、味覚、聴覚の感覚で追いかけることはできず、マナの力でも不可能だ。
こうなってはクラヴィが何をしているのかさっぱりとわからない。
エミグランは1つため息をつき
「もどるぞ。」
とリンに告げる。
リンは返事をして日傘を閉まって、エミグランの後ろについて歩く。
「……質問があります。エミグラン様。」
「なんじゃ?」
「なぜクラヴィがあの男に心を許しているのでしょうか。」
「ふむ……それはわからんの。居心地の良いニンゲンは突然現れるものかもしれんの。」
「居心地……」
「まあ、ワシにもお主にもわからんことじゃろう。ニンゲンは五百年見守っても、単純かと思えば複雑……複雑かと思えば単純なものでな。ニンゲンの心と言うのはワシにもわからぬことが多いの。」
「……はい。」
二人は屋敷の中に消えていった。
*******
ローシア達を乗せたヴァイガル国に向かう馬車の中は、至って静かだった。
だが、年頃の女の子が二人いれば会話は尽きることはない。
「ねぇ、アンタ……ユウトの事どう思ってるのかしら?」
「ほぇ?」
呼ばれたレイナは別のことを考えていたようで、情けない返事が返ってきた。
「ほぇー!れいなー!ほぇー!」
「もう、ミシェルちゃん。真似したらダメですよ?」
ミシェルに優しく諭すレイナにローシアが、興味津々の顔で詰め寄る。
間にミシェルを挟んでいるが、レイナとミシェルのやりとりは、子供がお母さんに甘えるようにも見える。
「ねぇねぇ。アンタ……どう思ってるのかって聞いてんのよ。」
「どおって……言われましても……」
急にもじもじし出したレイナにさらにローシアが詰め寄る。
「アンタ……ユウトの事、気になってんじゃないの?」
途端、茹でタコみたいに顔を真っ赤にするレイナ。
「れいな、顔真っ赤だね?」
「ちょ……ミシェルちゃんからかわないで……」
「どうなのよ。アンタ……」
ローシアがジト目でにやつきながら再度迫る。
「いや……どうって言われましても……なんと答えて良いのか……」
ミシェルはレイナの赤くなったほっぺたを触って遊んでいる。
「何言ってんの。人間なんて会って3秒あれば充分よ。三日なんて時間かけすぎなくらいよ。」
「そ、そう言うものなのでしょうか?」
ローシアも恋などできる環境ではなかったはずなのに、恋愛マスターな先輩と思わせるような口ぶりだ。
なお二人ともこれまで恋沙汰など無縁である。
レイナはユウトへの思いは、全てを知る者以外のものはある。
それを表現することが後でも難しかった。ローシアからすると『好き』と言わせたいのだろうが、その単語は今のレイナには言えない。それを知ってか知らずかローシアは続けた。
「ええ!そう言うものなんだワ。まあ、寝食を共にしたからできる情もあるってもんだワ!」
「そ……そうなのですね!」
「んで、アンタはどうなのかしら?」
「お話のところすみませんよっと。」
レイナの前に座っていたユーシンが振り返って割り込んできた。
――チッ 余計なことすんじゃないわ――
「何か御用でしょうか?」
レイナは丁寧に聞き返す。ローシアは、そんな丁寧に聞き直さなくていいんだワ。と言う言葉を飲み込んでプイッと外の方を向いてしまった。
「失礼ですが、屋敷に残った……ユウ……ト……でしたっけ? 彼とはどのようなご関係ですか?」
「えっと……ユウト様とは……」
「お側付なんだワ。」
ローシアが外を向いたまま、念のため全てを知る者を隠してユウトの素性を偽ったが、ユーシンは、口元をニヤつかせて
「へぇ……お側付に『様』ってつけるのですね?」
と嫌味っぽく言うと、フンっと鼻を鳴らして更にそっぽを向いた。ローシアはつくづくユーシンが生理的に嫌いらしい。
「……で、ユウトとはどのような?」
ユーシンはレイナに再度聞き直す。
――何故この方はユウト様のことを気にされるのでしょうか……――
「うーん……言葉にするのは大変難しいのですが……大切な人……でしょうか。」
「ふぅん。大切……ねぇ。」
ユーシンの視線はレイナの肢体に釘付けだ。
レイナは気づいていなかったが、ローシアは横目にユーシンの目線に気がついていた。
――はぁー……なるほど、この男……レイナ狙ってるのね……――
ドワーフの村にいた頃、大森林沿いの街道を歩くと、必ずと言っていいほど色々な男にレイナが声をかけられるのだが、ビレーさんに聞くと、そりゃレイナちゃんは男は放っておかないかもね。と言われたことを思い出す。
男からするとレイナは魅力的らしい。
本人は胸が大きいことを邪魔と言ってたり、肌が白いのも、日に焼けない体質と言っているのが癪に触るのだが、たった一人の妹だ。
こんな男に妹を取られるくらいなら、ユウトの方がまだマシ。ユウトは見た目こそヒョロくて吹けば飛びそうだが、全てを知る者なのだ。
世界を祝福をもたらし、そしてエミグランの話だと黙示録を破壊できる唯一の人だ。
本来なら、今この時もユウトから離れたくはなかった。しかしあのクラヴィとかいう女がいるなら大丈夫だろう。
あの女に任せることは忌々しかったが、二人の話の内容から、完全にエミグラン側の人間ではないだろうし、エミグランのそばで馬鹿なことはしないだろうという予測の上だ。
しかし、エミグランもユウトの価値に気がついている。つまり、エミグランもユウトを拐かす理由がある。なのでヴァイガル国へ向かうこの依頼をさっさと終わらせたいのが本音だ。
ユウトは自分達についてきてほしい。エミグランに拐かされる事があってはならない。
そのために何をしたら良いのか……と思案していたが、応接室でレイナを追いかけていった時のユウトの顔を見て、あんなに弱い男でもレイナのために真剣な顔をするのだ驚いた。
――多分、ユウトはレイナの事が気になっているのよね……
なら話は早い。レイナもユウトのことを気に入ってる。それは姉妹であるローシアだからこそわかる。
レイナはどういうわけかわからないが、ユウトに惹かれ始めていることをローシアはわかっていた。
姉だからわかる。屋敷を出る前もユウトの言う事はすんなりと受け入れる。あんなに頑固の見本みたいなレイナが最も簡単に受け入れるとは思っていなかった。
レイナにとってユウトの存在はすごく居心地が良いのだろう。エミグランとの言い合いで泣いて出ていったときも、ユウトがすぐに動いてレイナの心配をして追いかけていき、すぐに笑顔を取り戻していた。
これはローシアからしたら驚きでしかなかった。落ち込むとしばらく引きずるレイナがこんなにかんたんにもとに戻ることは想像できなかった。さまざまなことを鑑みて、その要因は間違いなくユウトだ。
姉がなし得なかったことを簡単にやってのけてしまうことに嫉妬はあったものの、レイナが心穏やかにしてくれることは姉としても安心できる。
レイナが嫌なら別の方法を考えるべきだが、レイナの気持ちを汲んで、ここは姉が一肌脱ぐ時だ。
決して、ユウトをダシにして自分の姉としての立場を確固たるものにしようとは……少しだけ思っている。
本音を言えば、ローシアは誰よりも妹が幸せになることをねがっている。そのためにレイナが世間知らずだからこそ、言い寄ってくる男は姉のフィルターを通さねばならない。
ユウトはフィルターを通す通さない以前に、レイナがものすごく気に入っているのがわかる。
多分無理に引き剥がせばレイナと大喧嘩になるだろう。そうなると、家事が大変なことになる。ローシアが家事をすると、破壊になってしまう。
――それに……私がずっとレイナのそばに居るとは限らないものね……
と考えていた矢先にこの男だ。
ローシアフィルターの網目に全身からぶつかって絡み合う男だ。こいつだけは無理だ。
それにしてもまだ舐め回すように見ているのにレイナの無防備さが腹立たしさ超えて呆れる。わざとらしくミシェルに向いてユーシンに聞こえるように
「ミシェルちゃん? レイナのお膝に座って見たらどう? 座り心地いいんだワ。」
とレイナに指差した。
「ほんとー? すわってみるー!」
「ちょっ……お姉様……もう。」
ミシェルは一目散にレイナの膝に座った。
「ホントだ!れいなすっごくやぁらかいー!」
レイナに向き合って座ったミシェルは抱きついてどこが柔らかいのか感触を確かめるように手を動かす。
「ちょっ……ミシェルちゃん……動かないで……あっ……」
膝に座ったミシェルでレイナの体が見れなくなると、舌打ちして向き直る。
その隙にレイナに耳打ちをする。
「アンタ、この男、気をつけなさいよ?」
「は? は…い。わかりました。」
レイナは何のことを言っているのか理解できなかったが、姉の言うことには素直に肯定した。
そしてフンっと鼻を鳴らして外を向くローシア。
――フン……小娘がしゃしゃり出てきやがって……まぁいい。どうせ今日は帰れないんだ。たっっっっっぷり時間はあるからな……――
――アンタ見たいな下心見え見えなボンボンにうちのレイナはあげないんだワ――
一部ユウトにとってありがたい話はあるものの、不穏な空気を纏ったまま、馬車は一路ヴァイガル国へ向かう。
*******
クラヴィに連れられて彼女の部屋までやってきたユウトは、女性の部屋に入るのが初めてで、ドアの前で一悶着あったが、まとわりつくクラヴィを大人しくさせるには部屋に入るしかないと思い至り、部屋の中に入った。
「ここが、私のお部屋よ? 散らかってるけど入って入って。」
手を引っ張られて部屋の中に無理やり気味に入れられるユウト。
「えっ……と、お邪魔……します……」
借りてきた猫状態にクラヴィは衝撃の事実をサラリと言う。
「あら、他人行儀になることないわよ? これからあの姉妹が帰ってくるまでここで寝泊まりするのだから。」
「え……」
えええええええええええ!!!
ユウトの叫び声が屋敷に響き渡る。
「いやいやいやいや、そんな……」
「あら?恥ずかしいのかしら? でも、この屋敷は今賊が来てるでしょ? ユウトちゃんにかすり傷ひとつ負わせないためには別室じゃ不都合なのよ。」
「いや……うん……」
「……それとも、私と一緒の部屋じゃ嫌かしら?」
「そんなことは!ない……です。」
なんだろう……ここにきてユウト何かクラヴィの興味を引くらしく、現実ではあり得ないことが起こっている……
心臓が高鳴るのは当然で、これこそ何をしていいのかわからない。
思春期の男の子には刺激が強すぎる。
ユウトも性別としては男だ。何か間違いがあってもおかしくないと言う考えはクラヴィにはないのだろうか。
まあ、その気になればいつでも殺されそうではあるので、間違いも起きないだろう……とは思うのだが……
「ユウトちゃぁん! こっちこっち!」
いちいち腕にまとわりついてくるし、直視は出来ないけど、胸部の双子山が腕に当たってる感触は服越しでも伝わるし。
間違い起こしそうなのはクラヴィの方かもしれない。ユウトは無事にローシアとレイナにお帰りと言えるようにがんばる!と誘惑に負けない決意を新たにした。
クラヴィはユウトを引っ張るようにして、テーブルを挟んだベッドの反対側に来た。
「ここに簡易ベッド作ってもらうから。私がこっちで寝るから、ユウトちゃんはベッド使ってくれる?」
急な提案に驚く。家主のベッドを使うなんて考えられない。簡易ベッドがあるなら
「僕は簡易ベッドでいいよ。」
「え?なんで?ユウトちゃんはお客様なのよ?」
「うん。でもこの部屋はクラヴィの部屋だから、ベッドはクラヴィが使うべきだと思う。僕は簡易ベッドでいいよ。」
クラヴィは俯いて話を聞いていたが、簡易ベッドでいいよ。というと目をうるうるさせてユウトにまた抱きつく。
「そんな……遠慮しなくても……いいのにぃ……私とユウトちゃんの関係よ?気にしなくてもいいのにぃ……」
関係って何だよ関係って。というツッコミがいれられないのは鼻声半べそでユウトにしがみついているからだ。ヴァイガル国で会った時はこんな感じじゃなくもっとお姉さんなイメージだったが……
部屋に知った人といると、お姉さんからまるで子供だ。
「大丈夫、大丈夫……ははは。」
啜り泣くクラヴィの頭が顔の下にある。
子供をあやすように頭をポンポンとすると
「ひああああああ!」
「うわああああああ!」
クラヴィが飛び退いた。大声に驚くユウトは目を丸くしている。
何が起こったかわからない二人だが、最初に察したのはクラヴィ。
自分の頭を軽く撫でながら、顔を赤らめてもじもじし出す。
「???」
ユウトまだ何が起こったのかわかっていない。しかし、クラヴィは大人として接するより、子供のように接するのが良いのだろうと思ったので、姪っ子の頭を撫でるようにしたつもりだったのだが驚かせてしまったようだ。
――多分あの様子は喜んでいる……はず。――
顔を赤らめながら心臓の鼓動を確かめるかのように胸を手で押さえてユウトに笑みを向ける。
体が大人だからわからなかったけど、なんか子供にしか見えなくなってきた。
「ユ……ユウトちゃん! ドァンクの街に行きましょうか!」
「へ?なんでいきなり?」
「うーん……何でって言われると難しいんだけど、そうしたいから!」
やっぱり……ヴァイガル国でレイナに会いたいと急に言い出したのも、その行動に意味があるわけではなく、クラヴィが今一番したい事をする。
子供っぽいとも言えるし自由奔放な大人とも言える。いずれにしろ行動規範は『自分の楽しい事』が最優先なのだろうから、クラヴィの提案を断るのは得策とはいえない。
そしてヴァイガル国よりも、全てを知る者への拒否反応は無いだろうし、何せクラヴィがいる。絶対に守ると言うクラヴィが行こうというのならここはクラヴィの提案を受け入れる事にした。
「うん。いいよ。案内してよ。」
みるみるうちに目を輝かせると、ユウトがもはや体勢でわかるようになったが……やはり飛びついてきた。
「ぐええええ!」
体ごと全部預けてくるのでまずは人の重みが腰にくる。
そして。
「やーん!やっぱりユウトちゃんだわ!」
と甘えたように耳元で言ってくる。
羨ましいように見えるかもしれないが、実はクラヴィの重みに耐えるのが大変で、それどころじゃ無い。
子供みたいに軽ければどうということはないが、クラヴィは立派な成年女性の体つきだ。
倒れないように踏ん張っているだけで結構キツイ。
「うん……わかったから……行こうか……」
全体重をぴたりとひっついて預けるクラヴィに、耐える声が程よくクラヴィの耳元で囁くような声に聞こえてしまい、耳朶から脳に直接振動するような、えもいわれぬ感覚がクラヴィの全身を襲う。
「あれ?クラヴィ……震えてる?」
「う……ううん? ふるえて……ないから。大丈夫……うん。」
そういうとゆっくりと離れて赤らめた顔で何度か深呼吸をしてニコリと微笑んだ後、ユウトと手を繋いだ。
「大丈夫。さあ行きましょ?」
「うん……でも大丈夫? 寒気するの?熱があるならまた今度でも……」
握る手に力が入る。
「まさかまさか……今度なんてあり得ないわ……今よ……今行くの!」
髪の毛が逆立つような気迫に押されたユウトは
「うっ……うんうん!そうだね!今行こう!すぐ行こう!絶対に行こう!」
と答えてクラヴィを連れて行くように部屋から出た。屋敷の中を手を繋いで歩く……辺りに人がいないか伺っていると。
「大丈夫よ!誰にも見えないから。」
そうだった。クラヴィの能力は『誰にもその存在を気付かせない』だった。
安堵のため息をつくと今度はクラヴィが、「こっちよ。」とユウトの手を引っ張る。
もう片方の手は心臓の鼓動を抑えるように胸を押さえている。
ーー危なかったわ……部屋にずっといたら何か間違い起こしそうだわ……ーー
ユウトと、姉妹の受難はまだまだ続く。




