第二章 2 :エミグラン・クラステルはかく語りき
「さぁ!こっちだよ!ついて来て!」
屋敷の中に通されたユウトらは、タマモに促されて屋敷の中に入るとまた圧倒された。
「――はぁぁ……すっごい……こんな家ってホントにあるんだ……」
感嘆のため息を漏らしたのはユウトだが、ローシア意外の全員が同じように感動していた。
「……さすが貴族会の屋敷、だな。」
オルジアも呆れるようなため息をつく。
貴族会の創設者エミグランの屋敷は、ドァンク共和国のトップである事を裏付けるような立派なものだった。
レイナは手を合わせて目をキラキラ輝かせながら屋敷の内装に見惚れているのをローシアが諌める。
「ひあぁ……すごい……」
「レイナ。落ち着くんだワ。」
「――……ハッ! す、すみませんお姉様。」
「はぁ……アンタはユウトのお守りしておきなさい。」
我に返ったレイナは顔を赤らめてユウトのそばに付く。
タマモは三人よりも扉の前で四人を待っていて尻尾と腕を振りながら、こっちだよ!と促していた。
正面入り口から奥の廊下をしばらく進むと、突き当たりに両開きの重たそうな黒色に近い木製の扉があった。その前にタマモが立って待っていると言うことは、そこがエミグランがいる部屋だ。
四人とも緊張の色を隠せないが、タマモは構わず両開きの扉にノックする。
「エミグラン様!ヴァイガル国からお客様を連れてきたんだよ!」
返事はなかったが、タマモは構わず、はいるよ!と声をかけて扉を重々しく開いた。
扉を開けると、女性が立っていた。
女性、というか女の子だろうか。佇まいは女性だが容姿は女の子というほうが正しいかもしれない。年の頃合いはローシアと同じような見た目だ。
見た目と年齢が相反するように見えるのは、やはり五百年生きているという事を知っているからだろう。知らなければなんの違和感もない。
幼さはその服装に表れており、黒を基調としたゴシック系ドレス。霞んだピンクのロングヘアーの所々に散りばめられた赤いバラは生花なのか、造花なのかわからないが、はっきりとしたビビットカラーが黒いドレスに映える。
これが、ドァンク共和国のトップ、エミグラン・クラステル……
オルジアは見えぬ圧力に固唾を飲む。
そして、エミグランから歓迎の言葉を賜る。
「ようこそ。我が館へ。心から歓迎するよ。」
「エミグラン様!お使いできたよ!」
タマモが飼い主に久し振りにあった子犬のように一目散にエミグランの側に駆け寄る。
「よくできたね。タマモや。」
白い手でタマモの頭を撫でると、耳をぺたりと伏せて恍惚の表情を見せるタマモ。
「さあ。こちらへ来なされ。タマモや、茶の用意をするようアシュリーに伝えてきておくれ。」
「うん!わかったよ!」
先ほど開けた扉をスキップするように駆け出していくタマモを見送ると、エミグランはクスクス笑った。
「あの子は身寄りがなくてね。引き取ったは良いがもう百年以上生きておるのにまだ子供っぽくて。」
「ひ……百年!?」
ユウトの声が裏返って驚きの言葉を吐露する。どう見ても、いや、どこをどう切り取って見てもまだ子供じゃないか。
「百年なぞあっという間よ。そんなに長い時間ではないかの。」
「長い時間じゃないって……」
エミグランは相当な長い年月生きている。その彼女からすれば百年くらいは大した年月ではないか、と相対比較で、まあそんなもんか……と納得できた。
「さあ、好きなところに座りなされ。」
エミグランは部屋の中央にある脚が曲線を描いてバランスよく立っているテーブルに促す。
黒光する高級かつ重厚なテーブルの周りには、これもまた高級な刺繍を施されている豪華そうなアームチェアが向かい合ってある。
奥には明らかにド派手な玉座のようなものがあるが……これはエミグランの席だろう。
ローシアとオルジアはそれぞれあらかじめ決まっていたように座る。
――こんな時、どこに座ればいいんだろう――
引きこもっている間、おひとり様には全く縁のないマナーについては調べたこともなかった。とはいえここは異世界に三日しかいないので、マナーなんて知る由もない。
どうすれば……とあたふたしていると、レイナが背中を押した。
「こちらですよ。」
押されてローシアの隣に座った。様子を見ていたローシアが小さく苦言を呈する。
「アンタ、怪しすぎるのよ。」
「だって……どこに座っていいかわからなかったんだよ……」
「どこでもいいじゃない。そこの明らかなド派手な椅子に座らなければ。」
そう、明らかに一つどれよりも高級そうな玉座のように見える席がある。これは明らかに分不相応だな、と思っていたので座る選択肢は皆無だ。
おそらくエミグラン専用の席なのだろう。誰もがエミグラン専用席と察するには充分な豪華な雰囲気を醸し出している。
結局玉座の近くにオルジアとローシアが向かい合って座り、ローシアの隣にレイナ、ユウトと並んで座った。
予想通り玉座にはエミグランが座って、四人は一言目を待った。
「さて、話を始める前にそこの壮年は?」
視線をオルジアに合わせて問う。
「……ああ。この姉妹の保護者です。まだミストに入って間もないのでね。お目付役といったところです。」
三人を眺めながらそういうと
「ほう……ならば席を外してもらおうかの。」
と初っ端から暗雲立ち込める雰囲気になった。
「……それは何故?」
当然オルジアが理由を問うが、
「簡単じゃよ。お主がおると邪魔、だからじゃな。」
明らかに敵意を感じる物言いに、オルジアの視線が強くなる。
「邪魔、とは……?」
「言葉のままじゃ。ワシの話す相手にお主は含まれておらん。そういうことじゃ。」
オルジアは引かなかった。エミグランといえども傭兵のやり方に口出しはしてもらいたくはない。
ミストの傭兵として依頼を完遂するためには、今回の依頼について確認できる情報は聞いておきたい。
ましてや三人を何を考えているのかわからないエミグランの元に残すような事は避けたい。
「……お言葉ですが、今回のご依頼はドァンク共和国として初めての依頼、ミストとしては何としても完遂させたいという強い意向があります。お話はどのような事でも私もお伺いしたく……」
オルジアもこの仕事をして長いのだろう。すぐに自分の立ち位置と希望を言葉にする。
「ふむ。なるほどのぅ。依頼を完遂させたいと強く思っておるのじゃな?感心な傭兵よ。わしらの護衛たちにもお主の心意気を煎じて飲ませたいものじゃな。」
これでこの場に残る事ができるだろう。という感触はあった。
長年の経験とクライアントとの交渉をする機会がこれまでもあったオルジアは、この席を外される事を避れるうまい理由をつける事が出来た。
先ほどの扉がノックされ開かれた。
「エミグラン様。お茶をお持ちしました。」
「うむ。ありがとう。」
金髪ロングヘアーで獣の耳が頭についている獣人メイドがお盆に飲み物を「どうぞ。」という言葉を添えて静かに配る。ユウトの前に置かれた時は、つい頭を小さく下げた。
「時にアシュリーや。イシュメルはおるか?」
不意に声をかけられたメイド、アシュリーは、尋ねられた事に静かに答える。
「はい。お部屋におられます。」
「うむ。では壮年よ。イシュメルに会って話をしてくるが良い。」
オルジアが我慢の限界がきて立ち上がる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。何故俺をそこまで……」
邪険に扱うのかと続けたかったのだろうが、そこまで語らせる事なくエミグランが茶を啜る前に強い口調で遮る。
「お主は『依頼の完遂』が強い希望なのよな? ならば依頼主はイシュメル。話を聞く相手はエミグランではなかろう?」
「それは……」
イシュメルの名を語ってあんたが依頼したんだろうと言いそうになる所をローシアが間髪入れずにオルジアを「アンタ」と呼び止める。
「そういう事だから、エミグラン様の話はアタシ達が伺うから。アンタはイシュメル様と依頼の話を詰めて来るんだワ。ここはアタシ達にまかせて。」
出鼻をくじかれる門前払いのような扱いに歯噛みするオルジアは、悔しさを込めて大きく息を吐き、エミグランの機嫌を損ねることは避けねばならないと頭の中で言い聞かせ、憤りを押し殺して、わかった。と答えた。
「それでは、イシュメル様のところまでご案内いたしますわ。どうぞこちらへ。」
アシュリーに連れられて、オルジアは応接室を後にした。
扉が閉まる音が部屋に響き、一仕事終えたと言わんばかりに茶を啜ったエミグランは、さて。と仕切り直す。
「これで邪魔者はおらんようになった。好きな事を話せるようになったの。」
と嬉しそうに笑むエミグラン。ローシアとレイナはエミグランが醸し出す緊張感に口を閉じて次の言葉を待っていた。
空気がピリつく中、切り出したのはローシアだった。
「随分と丁寧なお膳立てなんだワ。アタシ達の事をどこまで知っているのか、是非お伺いしたいんだワ。」
エミグランはクスクスと笑い、手招くようにローシアを落ち着かせるように
「まあそう強張るな。わしは話がしたいのじゃ。まず落ち着け。」
と優しく語りかけるが、ローシアは
「落ち着いてるんだワ。」
と強い口調で返した。しかし全く動じないエミグランは
「そうか…… それはそうと随分と大切にしておるようじゃな?御側付きを。」
レイナとユウトを見てクスクス笑うエミグラン。
ユウトを守らんとばかり、最悪ユウトの盾になろうと身を乗り出そうとしていた。
「その御側付きが恋慕の相手とはいうまいね?」
「アンタ……何が言いたいのかハッキリ言うんだワ。」
部屋に広がる不穏な空気に、僅かに怒気を込めたローシアの問いがエミグランの笑みを誘う。
「フフフフ。ワシはさっきから落ち着け。と言うておるよ?」
「落ち着け?こんな状況にしたのはどこのどなたかしら?」
「フフフ……確かにそうじゃな……フフフ……ハッハッハッハッ!!」
破裂するように笑い出すエミグランにあっけに取られた三人。何か笑えるような事があったのか。
「な、何がおかしいのかしら。」
恐る恐るローシアが聞く。
「あー……いやすまなかった…… まさかここまで恐れられるとは……エミグランの名前も一人歩きしておるなと思ったらおかしくての……フフ。」
「つまり……何が言いたいのかしら?」
「本当に何もする気はないのだよ。ワシの最初にお主達に伝えたいのは、まず落ち着いてほしい。」
警戒されては話ができないと言いたいのだろう。確かにローシアとレイナはこの部屋に入る前から警戒していた。何が起きてもユウトだけは守り切る。
その一連の行動がエミグランは必要ないと、まず落ち着けと言うことらしい。
確かにエミグランが一人でこの部屋で護衛もなしに来客と向き合っている状況はドァンクの要人としてはあり得ない。これはエミグランからの警戒心を解くための演出なのかもしれない。
ローシアはレイナの方を見て頷くと、体の力を抜いた。
ローシアに至っては、椅子に深く座り込んで脚を放り出すようにした。
こちらも警戒していない演出は必要だと言わんばかりに。
「そう。それで良いのじゃよ。落ち着かない事には双方で血を見るかもしれんからな。無駄な争いはしない。クラステル家の家訓じゃよ。」
「フン。で、アタシ達に何の話があるのかしら?」
「その前に茶でも飲め。最高級バニ茶じゃよ。」
「ええええ!!最……高……級!ですって!?」
バニ茶に目のないレイナは、先ほどまでの警戒はどこに飛んでしまったのか、カップの中のバニ茶に視線を奪われる。その様子を見ていたエミグランがほくそ笑む。
「ほう…… お主はバニ茶に目がないようじゃのう。クラステル家に卸される物は貴族会御用達の茶じゃからのう。出回っておらん正真正銘の最高級品じゃよ。」
「ヴァイガル国の最高級品とはちがうのですか!?」
「ほほっ 目が血走っておるな。かの国の最高級品は、王族御用達。ニンゲンはブランドに弱いことを利用した商売で、少々粗雑でも王族御用達とつければ高く売れるが、この貴族会御用達は、正真正銘の最高級品じゃよ。」
「正真……正銘……!」
レイナは恐る恐るカップに口をつけて啜る。
喉を通り堪能すると途端に悦に浸るため息が漏れ、恍惚の表情で顔を赤らめる。
「なんて……なんて美味しいの……」
「そうじゃろう? なんせこのワシが監修した最高級の名を冠するにふさわしい茶じゃからな。温めてよし!冷やしてよし!ミルクを足しても砂糖を足してもその旨味は逃げるどころか更に増す!彼の国で味わえぬよ。絶対にな!」
握り拳を胸の前で握りしめて熱弁するエミグラン。
額に手を当て首を横に振るローシアが呆れている。
「……バニ茶バカがここにもいたんだワ。」
「ハハハ……レイナの友達になれそうだね……」
何度も茶を啜りながら悦に浸るレイナは本当に美味しい!と連呼している。
「フフフ……エミグランは嘘はつかんよ。」
「……ともかく、本題に行きたいのだけどいいかしら?」
バニ茶に狂うレイナはそっちのけでエミグランを本筋の話に戻すよう提案したローシアにエミグランは頷く。
「そうじゃな。時間も限られておるしの……と本題に入る前に、お主たちに任せたい事がある。」
そう言うとエミグランは席を立ち、応接室に入ってきた別のドアから一人の子供を手をつないで連れてきた。
歳はまだ五歳に満たないくらいか、髪の長さから女の子だと思うが、エミグランの後ろに隠れて恥ずかしそうにもじもじしている。
「これ……ご挨拶はどうしたのじゃ?」
子供の頭を撫でながら諭すエミグランの顔とユウト達の顔を交互に見て、顔を赤らめながら勇気を出す。
「ミ……ミシェル……です。」
可愛らしい声色で自己紹介をするとピュッと素早くエミグランの後ろに隠れてしまった。
レイナが、かわいいいい!と感嘆の声を漏らすと、エミグランの後ろに隠れたミシェルの側に小走りで近づいて屈む。ミシェルは、初めて見たレイナを横目に見ると顔をエミグランのスカートに完全に隠してしまってもじもじと恥ずかしがっている。
「人間の子じゃ。とある理由でここに預かることになっての。仲良くしてやってくれるかの。」
スカートに顔を隠すミシェルの頭を撫でながら、優しく言うと、レイナはもちろんです!と即答する。
「ミシェルちゃん。初めましてぇ。レイナお姉ちゃんですよー?お顔見せて?」
「…………ッ!」
優しい声色に少しだけ顔を向けようとするが、レイナと目が合うとピュッとレイナに見られないようにエミグランにくっつく。
「くぅ……ッ! かあいいなぁぁぁぁ……」
「すまんね。ミシェルは照れ屋でね。屋敷から滅多に出さないからヒトが珍しいのじゃ。」
「人間もいるのかしら?この屋敷に。」
「一人おる……じゃがあまり屋敷にはおらんから、片手で数えられるくらいの回数しか顔を合わせた事はない。それに、普段は屋敷の外に出ることはないから、他のニンゲンを見る機会はない。だからこそ珍しいのかもしれんな。」
この屋敷に来て、人間らしい見た目はメイドのリンだ。だが、あまり屋敷にいない、という事はメイドのリンは人間ではないのだろうか。
獣人と人間の見分けは、一番目立つのはやはり身体的差分で、尻尾や耳や体毛が挙げられる。
この屋敷では身体的にはリンとエミグランが人間と同じ見た目だが、エミグランはエルフで少なくとも五百年は生きている。リンもエルフになるのだろうか。
「で、そのミシェルをアタシ達に紹介した理由は何なのかしら?」
「ふむ……この子をしばらく預かってほしいのじゃ。」
はあ?とローシアが素っ頓狂な声を出してもエミグランは続けた。
「無論、タダでとは言わぬよ。ちゃんと報酬は支払う。」
「いつまで預かるのよ。まさかヴァイガル国に連れていけって事なのかしら?」
「そのまさかじゃ。見聞を広めるためにもよろしく頼むよ。」
そんな事、クラステル家の召使いにでもやらせればいい話じゃないの。と言いたげな顔でミシェルを見る。エミグランの後ろで顔を半分出して見ていたミシェルは、ローシアと目が合うとまたピュッと隠れる。
「随分と曖昧ね。他にが意図あるのかしら?」
ミシェルの恥ずかしがり屋な隠れ方がおかしかったのか鼻で軽く笑って
「まあそのうちわかるじゃろう。」
と話は打ち切られた。
半ば強引に決められてしまった事に不満顔のローシアだが、それならばと付け加えた。
「ミシェルの事はわかったワ。そのかわりアタシ達の話も答えてほしいんだワ。」
「ふむ。カリューダの黙示録……じゃな?」
応接室がシンと静まる。頷くローシアの衣擦れが聞こえてきそうなくらいに。
エミグランならば知っているかもしれないというローシアの予想は当たっていたらしい。そして、エミグランもその話をするだろうと予測していたのか、口角が僅かに上がっている。
「……話が早いわね。」
「フフフ……まあの。イシュメルからギムレットが幼子を預かった話は聞き及んでおる。そして、その理由も……じゃからあの部外者を払った事も理解できたじゃろう? それに、そこの坊主はおそらく……」
ユウトにじとりとした視線を向けるエミグランは立ち上がり、ユウトに近寄る。
だが立ちはだかるようにローシアが仁王立ちする。
「……妙な気は起こさない方がいいんだワ。アタシ達は命をかけても……」
興を削ぐなと言わんばかりにローシアを手で払うように避けさせユウトの全身を隈なく舐めるように見る。
「ほうほう……なるほどのう。」
最後にユウトの目をじっと見つめるエミグラン。
吸い込まれそうになるほどに大きな目で見つめられ、目を逸らすタイミングを失ったユウトはエミグランが視線を切るのをまだかと伺っていると
「やはりこの者は全てを知る者。そしてお主たち姉妹は黙示録の言葉を知る魔女の末裔……じゃな?」
ローシアが頷いた。
初めてドワーフのギムレットと姉妹以外のこの世界の人に、自分達の境遇と全てを知る者の存在を認めた事になる。そもそも全てを知る者という言葉を知っているのは魔女に関係する人のみだ。暗にエミグランが何らかの形で魔女に関わった事があることを示している。
おそらくローシアが認めたのも、エミグランほど長く生きていれば、魔女となんらかの関わりがあったのだろうと考えていた。
ヴァイガル国を追い出されたエミグランが獣人殺しと呼ばれて、何故獣人中心の国を使ったのか。いろんな謎がエミグランにはある。
「なるほどのぅ……いや、これは素晴らしいことじゃな。ついに顕現されたのじゃな……」
顕現された。
エミグランのこの発言はローシアのエミグランを阻んでいた心の壁を解くきっかけになり、少し顔が紅潮して興奮しているようだった。暗に黙示録の記述を待ち望んでいる人がいる人と出会えたからだ。
「おぬしらの行動は聞いておる……で、そなたらは何故ヴァイガル国に向かったのじゃ? 何故傭兵になったのじゃ?」
エミグランの質問にはレイナが飲み干したティーカップを置いて淡々と答え始めた。
大森林でユウトと出会った事。
レイナが怪我をしたユウトにヒールをしている際に恐ろしいと感じるほどのマナに触れた事。
ユウトの話を聞いて全てを知る者が現れたと確信した事。
ドワーフの村を出てヴァイガル国で情報を集めるため傭兵になった事。
そしてローシアからは謎のローブの集団に襲われた事も付け加えられた。
これはレイナも初耳で驚きを隠せなかった。
「……ふむ。大まかの話は理解できたの。それにしてもいきなり彼の国に向かうとは……お主らは命知らずじゃのう……」
冗談っぽく言うエミグランではあったが目は笑っていない。これにはレイナも苦笑いするしかなかった。
だが、ローシアは大真面目な顔で、仕方なかったと評した。
「何が仕方ないのじゃ……全てを知る者の顕現は、世界に大いなる祝福をもたらす。彼の国では認められんのじゃが、黙示録の一節を知る者は歓喜の祝福をもたらすお方。お主らの守るべき御人は、大袈裟に聞こえるかもしれんが、世界の命運を担っておるのじゃよ?」
「しかし、アタシ達は魔女の末裔です……その運命もお分かりでは?」
「…………ふむ……そうじゃったな…………もしやお主らは魔女なき世界を目指しておるのか??」
「はい。」
答えるローシアの目に一点の曇りもなかった。
「お主らの祖先は、どの魔女様になるのじゃ?」
「マーシィ・リンドホルムです。」
「ほう……マーシィ様か……懐かしいのう。」
「……!」
「……マーシィ様にお会いした事が?」
反射的にレイナが会ったかどうかを問うたが、二人とも驚いた顔をしている。
「うむ。無論あるぞ。このエミグランが嘘をつかない事はお主らも知っておろう?」
マーシィ・リンドホルムは姉妹のご先祖の魔女。まさか自分のルーツになる魔女に会った事があるとは二人とも思ってもいないようで顔を見合わせる。
「フフフ、驚くな。お主らはよく似ておる。強気なところも、子供に優しいところも……懐かしいのぅ……一度決めた事は絶対に曲げない信念を持たれたお方じゃったよ。マーシィ様は。」
懐かしそうに回想に耽るエミグランから、自分の祖先にあった事があるのだと……
エミグランは嘘をつかない。この言葉だけで姉妹は会った事があるということを信じる事ができた。
「そうなのね……ごめんなさい。アタシ、まさかマーシィ様にお会いしたことあるとは思ってなくて……驚いたんだワ。」
ローシアの目が潤む。レイナも同じくうるうると涙がこぼれそうになっていた。
二人の境遇は、長くこの世界を見てきたエミグランならわかることがある。二人の涙の意味をわかっていたのだろう。その目は優しかった。
「マーシィ様は子孫らに魔女なき世界をを作るように託されたのじゃろう。悲願でもあったからのぅ。」
悲願と聞いて、レイナが身を乗り出してエミグランに問うた。
「エミグラン様! 何故マーシィ様は魔女なき世界をご自分の力を封じて目指されたのでしょうか。」
力を封じて……?
知らない話が出てきたユウトは疎外感で心臓が一度締められるような圧迫感を感じた。
「それは、魔女と共存する事自体がもう手遅れだったからじゃよ。魔女の力は恐ろしいものと人々が信じてしまったからじゃ。力を使えば人々の心は離れる。マーシィ様はそれを恐れたのじゃろう。ワシは決して魔女様の恐ろしいとは思わんがの。」
ローシアが食い気味にエミグランに問う。
「でも!カリューダ様お一人でやった事では……」
「うむ。決して許される事ではないの。カリューダ様が何故あのような暴挙に出たのかはわからん。じゃが起こってしまったことは事実なのじゃ。もう変えることはできん。残された二人の魔女様は、魔女の行く末を……その運命を受け入れたのじゃよ。」
「そんな……」
レイナは目に涙を溜めて、目尻を人差し指でなぞる。こぼれないようにしたいのだろうけど、それはもう無理なのは明らかでほおを零れ落ちる。
「その結果はお主らも知っておる通り。人々に魔女は恐れられ、魔女狩りが行われた。マーシィ様もクライヌリッシュ様も凶刃に倒れた……ワシが知る限りほとんど抵抗されなかったそうじゃ。あんなに愛すべきと言い続けたニンゲンの手によってな……」
魔女狩り……これもユウトは知らない話だった。
完全に置いてけぼりだ。魔女狩りや力を封じたなんて、聞いていない話がまだあった。何故教えてくれなかったのだろうかと悔しさから口をぎゅっと噤む。
「ほう……全てを知る者であっても、知らんような顔をしておるな?」
知らなかったら悪いのかよ。
と言えるはずもなく、目線を逸らして下を向いた。
くちびるを噛み、切れそうなほど歯を食いしばる。
「フフフ……お主には自覚がないかも知れぬが、この姉妹を救ってやれるのはそなただけなのじゃ。いずれわかる。よいな?全てを知る者。」
エミグランの言葉に重ねるようにギムレットとの約束を思い出す。
村を旅立つときに、ギムレットに姉妹をたのむと言われ、なんの自信もないが、はい。とユウトが出来る限りの意志の強さで答えた。何も出来ないと分かっていても気持ちで応えないといけない時がある。
あの時は絶対にその時だったと今でもそう思っている。
でも何故だかわからないがエミグランにも同じ事を言われたのだが、返事はできなかった。
ユウトはギムレットと話した事をさらにを思い出した。
――二人のご両親はいないとギムレットは言っていた……もしかして……魔女狩りって、子孫にも関係するもの?
二人の両親は人間に殺された……?
そう考えれば二人が人間のいないドワーフの村に住んでいたことも辻褄が合う。
啜り泣く音が部屋を支配してエミグランも喋りにくい雰囲気で、ミシェルも心配そうにレイナの側に近寄って見上げている。
「……お主らは魔女の運命に生まれながらにして巻き込まれてしまった。その運命はワシでもどうしようもできん。じゃが、魔女なき世界を目指すことはできる……お主たちは黙示録を破壊するのじゃな?」
涙を拭いながらローシアが頷く。
「……そうじゃな。人間を恨む事なく将来をより良きものにするには、居た痕跡を無くすしかなかろう。例えどんなに時間がかかっても……」
人間を恨む……
自分達の両親が、もし魔女狩りと称して殺されたのであれば、恨んでも仕方ない。
二人が事実を知った時、両親を殺された恨みや負の感情は『魔女の力』に向けたのだろう。あるいはギムレットやビレーさんがそう教えたのかもしれない。
カリューダがとんでもない力を人に向けたところから運命は狂ったのだろう。それは、カリューダ没後、この姉妹にまで影響を与えた。
姉妹はこれまでエドガー大森林で襲われている人々を助けたりしていて、言わば人間を救ってきた側だ。
人間を恨まない事が何処かで重荷になって枷のように感じていたのかもしれない。
ドワーフの村で深刻な面持ちで魔女の全てを破壊する、と言ったレイナの心に少し触れられたような気がした。
これが勘違いでも構わない。ただ今、この二人の姿を見ていると、やるせない怒りの矛先がユウトにもはっきりと見えた。
――魔女の痕跡を消す。――
それは彼女たちにとっては、自分達が生きるために、そして過去の呪縛から解放されるため、より良い未来を得るために避けて通れない道。
魔女の力を憎む人たちの無意識に埋没している漠然とした恐怖を砕く、いわば魔女の子孫としての復讐なのだと。
魔女の力はもう存在しないのに、その事実を人間が知ってか知らずか、魔女の末裔を自分達の周りから排除する事が正しいと思っている。
後世に良い方向にするために魔女の痕跡を壊す。どんなに時間がかかっても、居た証拠をなくす事で、長い時間をかけてでも脅威はないと証明するために。二人は戦うつもりなのだ。たとえそれが国であっても。
人間らしく生きるために。
ミシェルは心配そうに両手で顔を押さえ啜り泣くレイナに近寄っていた。
「れいなー……だいじょうぶ?」
心配そうに泣きそうな顔で見ていた。ミシェルの精一杯の慰めは、レイナの頭を何度も頷かせる。
「……姉妹には重すぎる運命であるが、ワシはお主らの意志を尊重するよ。マーシィ様と同じ思いであることはこのエミグランが知っておるからの。」
エミグランに会うと言ったローシアの判断は、多分正しかったとユウトは二人の姿を見て思った。
姉妹の両親は殺され、同じ境遇であるはずの魔女の末裔について調べようもない。魔女狩りが現代でも行われているのであれば、自分達の身が危ないのだから。最悪殺されるかもしれない。
そもそもヴァイガル国で調べようとしてもうまくいく可能性なんて全くなかった。エミグランの言う通りかなり無謀な事をしていたのだ。
だが、そうせざるを得ないほどに追い込まれていた。
もっといえば、イシュメルも信じていなかったはずだ。ギムレットに紹介されても会ってみようという話にはならなかった。
そこにエミグラン自らがを差し伸べた。
イシュメル経由でこの国に呼ぶ事。そして姉妹の祖先の話をする事で、二人が歩もうとしている道が、自分達の血筋の宿命を断ち切る旅である事をはっきりと認識させ、そしてその道は間違っていない事をエミグランは優しく説いてくれた。
姉妹にとっては、エミグランの言葉が何者にも代え難い拠り所になったようで、まるで母親のように優しく自分達の選んだ道が間違っていないと背中を押してくれた事が、なによりも嬉しかったのだろう。
だが、ユウトは何かが引っかかっていた。エミグランは間違った事は多分言っていないのだろうけど、何故だろう。
ここまでエミグランの掌で転がされているような疑念が拭えなかった。
二人が泣き止み落ち着くのを待って、また元通りの位置に座った。アシュリーはレイナが気に入ったようでレイナの隣に座って足をバタつかせていた。
「……エミグラン様、アタシたちに黙示録を壊す方法を教えていただけませんか!」
目を真っ赤にしたレイナが唐突に切り出した。
テーブルに身を乗り出さんばかりに主張するレイナを見るのは珍しいようで流石のローシアも、レイナの方をキョトンとして見ていた。
そうだ、姉妹は黙示録を壊す方法を知りたいのだ。隠されている場所もそうだし、魔女の遺したものが簡単に壊れるものとは思えない。なにか方法があれば知っておきたいのだろう。
アシュリーもレイナの真似をして身を乗り出した。
「壊す方法……ま、それは一旦置いておこうかの。」
「置いておく?どう言う事かしら?」
一歩後退した意見にローシアが噛み付く。
「その前に片付けねばならん事があるからの。まあ黙示録は逃げはせんよ。彼の国に何百年もあるからの。」
「でも!」
ここにきてエミグランに盾突く剣幕をみせるレイナは顔を赤くして詰め寄らんばかりの勢いだ。
流石にローシアが抑えようとするが、手を振り解くき、一心にエミグランをおおきな瞳で訴えかけるように見つめる。
「……まずは、彼の国の儀式が終わってからじゃよ。黙示録がどこにあると思うておるのか?」
そうだ。今は聖書記選の真っ只中。本日儀式が終わって聖書記候補が明らかになる。それまでは街道の警備を薄くしてでも城壁内の警備を厚くしている。
今は完全に時期が悪い。
無論その事を教えてくれた姉妹もわかっていて、レイナも言われて気がつき、目を逸らして元通りに座り直した。
「……異論がなければ、依頼した通り、イシュメルらと共に彼の国に向かえ。」
三人は頷き、最後にアシュリーが真似て頷いた。
「おっと、そうじゃった。全てを知る者はここに残るのじゃ。」
姉妹の視線はユウトとエミグランを二度ほど往復した。




