第五章 66:誓い
「待ってくれ!話を聞いてくだされ!!」
目を閉じたオロの耳に届いた声は、聞きたい声ではなかった。だが、あまりの真剣な声色に鎌首を向けた。
二人の気配が感じられた。
怒りの炎を腹に溜め込んだオロが目を開けば、剣舞館一帯は蒸発してしまうので姿は見るつもりはなかった。
蛇の子らには手を出さないように通じている意識で伝えると『命乞いか?』と本心ではない悪態をつく。
「オロ様の御気持ちは十全に理解しております!このような事態になった事をお詫び申し上げる!」
血の匂いがした。もしかしたら蛇の子が噛んだのかもしれないと思ったが毒は匂わなかった。
『お前が何者かは知らないが、たった一人が頭を下げたところで我が怒りはおさまらぬ。イザナリの愛した国は死んだ。それが全てだ』
「この国を創りし始祖のご意見はごもっともにございます……ですが、それを承知の上で申し上げたい!もう一度機会を与えてはいただけないだろうか!」
『機会だと?フン……なぜ与えてやらねばならぬのだ? 子供を殺すことに狂喜乱舞し、同族を見殺しにして享楽を得るような獣以下の生き物に酌量しなければならぬのだ?』
「恐れ多くも、それも人なればこそです!許されることではないと私も存じます」
『愚かな……』
「ですが!過ちを認め、二度と繰り返さぬように戒めて歩む事も出来るのが人間なのです! 今一度機会をお与えくだされ!!」
『ならぬ。この国を創ったイザナリの遺志に反した人間は誰一人として許してはおけん』
「……ならば、我が命を貴方に捧げます!」
『なんだと?』
「私は国民を信じております!この反省を生かして二度と同じ過ちを繰り返さないと……信じておるのです!」
声の主は観客も聞き覚えがあったようで、小さな子供の高い声がオロに届いた。
「ワモ様だよ!あの人!」
オロはその名前に聞き覚えがあった。ワモが襲撃された事件を一部始終見ていた後、マナで止血をした後に呼んだ人間が叫んだ名前。
事の顛末を知るオロがダイバ国の勇士だと認めた人間だった。
腹の中で怒りの炎がおさまるのを感じて、オロは目を開く。
――!!
蛇達に囲まれたオロは、両膝と両手を地面につけて顔を上げて、オロを真っ直ぐ見つめていたが、全身が白い布に包まれ、背中を斜めに縦断する血の跡があった。
「カイル……おどれは離れとけ……」
そばにいたもう一人はワモが倒れないように立膝をついてワモの両肩を支えるように抱えていた。
離れろと言っても半べそで首を振り、自分の肩で涙を拭って離れようとしなかった。
『お主……生きておったか』
「生来、頑丈な身体ですので……」
『なるほど……お主の命と引き換えにか……』
オロはワモの姿にイザナリを重ねていた。自らの命をかけると言うその目に嘘がないことはすぐにわかった。
イザナリ、そしてユウトと同じ目をしていた。
オロはもう一度目を閉じて、深く鼻息をすると、体で沸き立つ溶岩は冷えて薄く黒みがかり、巨大な体が縮み始めて人ほどの大きさになると、人間のオロの姿に戻った。
蛇の子たちがオロとワモの間を避けて道を作ると、オロはワモに歩み寄る。
「お主のような尊い者を私は殺せぬ。今一度機会を与えるために、お主の覚悟に免じて許そう」
「……ありがたき……幸せ」
二人の会話は近くにいないと聞こえないほど小さな声で、カイルはオロの笑顔と優しい声色に涙が止まらなかった。
オロは後ろを振り返った。
気がついたらレイナがユウトを背負い、ローシアとともにこちらに向けて来ていた。
蛇の子はユウトを襲うことはないし近付く事もない。ローシアたちが進むと勝手に蛇の子らが避けて道が出来る。
だが、剣舞館の扉を埋めた蛇の子らは簡単に避けないように命じていた。
ダイバ国をこの状況に陥れた元凶、ワモを襲撃した人間に自ら鉄槌を下すために。
貴賓席では、オロが元の姿に戻った事で腰を抜かしてへたり込んでいるクズモに、泣きながら真っ赤な顔で身を乗り出して見ていたシエルマが唾を飛ばす勢いで喚いていた。
「ゴホッ……うるさいぞシエルマ」
咳き込みながらホウリュがなだめだが
「黙っておれるか!! わしのナハトが……ナハトが殺されたのだぞ!!」
聞く耳を持たずで話にならなかった。
先程まではオロの巨大蛇の姿に腰を抜かしていたにもかかわらず、落ち着けばすぐに立ち上がって殺された甥の弔い合戦を口数で行っていた。
――うんざりだ……刀の道を極めんとする私には……この立場も、こいつらも――
――数日前のこと
ホウリュはマリアが乗っ取ったアルトゥロと密談を行っていた。
“私に降るのであれば、その病弱な身体を綺麗に治し、刀の道を極められるよう手助けをする”
ただし、見返りとしてエミグランの狙いを阻止することが条件だった。
国を思うシエルマは最初は固辞した。提案も到底信じられるものではなかったからだ。
だが、マリアを乗っ取ったアルトゥロは魔石でシエルマを束縛しシエルマの意識に介入した。
信じる他なかった。頭の中にアルトゥロの呪詛が響き渡り、愛国人も誇りも書き換えられた。
徹底的に。
書き換えられた後、清々しい気持ちで一杯になった。
――アルトゥロ様を信ずることが、我が武の道なり――
シエルマまでの距離は目測でずっと測っていた。
杖に仕込んだ刀を逆手で抜いて飛びかかると喉元を突き刺した。
返り血を刀で払うように持ち直して振り上げて速さでシエルマの首を斬り落とす。
シエルマの頭はズレてから落ちて、体は心臓から送り出された血は切り口から噴き上げて倒れた。
「ホ、ホウリュよ!謀反か!」
クズモは抜けた腰が元に戻らず、尻をついたまま必死に後退りした。ホウリュは咳き込みながらクズモに近付く。
「気に入らなかったのですよ……ゴホッ! ダイバ国に貴方のようなシューニッツと名乗る人間が居座り続けるなんて……この国に本来関係のないあなたが」
「な、何を言うか!わ、私はダイバ国の……国民のためと思って……」
ホウリュの見えないほど速い太刀筋でクズモの首元に刃を当てた。
「ひ、ひいいいいい!!」
「この国は一度滅びなければならない……ゴホッゴホッ! 美しい国だったはずのダイバ国に戻るためには貴様は不要だ」
「ホウリュ……お主なのか!ヴァイガル国と密かに通じておったのは!」
「国ではない、アルトゥロ様に仕えたのだ。ヴァイガル国なんてどうでもいいのだ。一度も勝つことができなかったワモをねじ伏せるまで、俺は死ねんのだ!!」
ホウリュが大声を出した途端、大きく咳き込んで口元を手で押さえた。咳を止めた手を見ると吐血していた。
「俺はもう長くはない……だが」
ホウリュは刀を持つ手に力を入れて振り上げると、シエルマと同じようにクズモの首が飛んだ。
体は力無く倒れ込み、切り口からは大量の血が吹き出して、シエルマとクズモの血で床の全面で混ざりあった。
血の海となった貴賓席に転がる二つの首の髪を乱雑に持ち上げて舞台に視線を向けた。
「ワモよ、次に会う時までに腕を磨いておけ……俺は……ゴホッ……俺の道を行く」
扉の隙間は蛇で埋められている。だが首を二つも持ったまま刀を振り回して重々しい扉が音を立てて切り刻まれた。
蛇は剣舞館から誰も逃すなとオロに命令されていて、頭を二つ持っていたにもかかわらず、逆手に持った仕込み刀を振り回して襲いかかる蛇達を薙ぎ払いながら外に向かう。
貴賓席を出て、すぐ目の前にある壁を切り刻むと、扉と同じように崩れてホウリュは飛び出した。
オロはワモに肩を貸して立ち上がらせると、観客は拍手とワモの名前を連呼した。
「そんな体でよくここまで来たものだ」
「へ、へへへ……我ながら驚いてますよ……」
「お前のような勇士を死なせるとイザナリに恨まれそうだからな……それよりも」
オロは眉をひそめ、少し仕切り直すように話し出す。
「お主を斬った者は知っておるか?」
ワモは苦しくて半開きになっていた口を一度閉じて「はい」と苦しそうに答えた。
「そうか……重ねて告げるが悪い知らせもある。お主には先んじて伝えておこう」
オロは、蛇の子たちが見た貴賓席の光景を伝えた。
ワモは唇を振るわせ、小さく何度も頷きながらまだ見ぬ貴賓席の残状を知った。
「クズモ様……」
「……おそらく、アルトゥロの毒牙にかかっていたのだろうな」
「何故、なのでしょうか……クズモ様を殺めたアイツはこの国をワシと一緒に守り抜くと……そう誓い合った、数少ない親友の一人でした……」
「親友とは心根を見せ合うことができるものだ。お主が見せていても相手は違うこともあるだろう」
「……」
「人間とは不思議なものだ。どの生物よりも意思疎通を簡単にできる言葉というものを持ちながら、実のところ心通じ合うことが難しいのだからな」
「本当に、返す言葉もありません……」
「謝るな、お前が悪いわけではない。全てにおいて悪いのは向こうなのだ」
「だとしても……アイツの真意を悟ることができなかったワシにも責任はあります」
「お主が斬られるまで気づけなかった意味を考えよ」
「……」
ワモは下唇を強く噛んだ。
「悟らせないようにしていたのだ。お主に気付かれないようにな。気付けるはずがない」
「……はい」
ワモに肩を貸すカイルは、ここまで悔しがるワモを見るのが初めてで、これまでがいかに平和だったか、そして今の危機が顕在した状況に思考と心が追いつかず、右目から涙が自然と溢れ、拭った。
「備えるんだ。アイツはお前が生きていると知ったら戻ってくる」
「やはり、見ていらっしゃったのですね?」
「……別にお前だけを見ていたわけではない」
オロはにべもなく視線を外して見回すと、蛇の子たちが完全にひいた観客席では、大衆がワモとオロの名前が何度も何度も呼ばれていた。
ワモは重傷であったにもかかわかず、ダイバ国の神であるオロの怒りを鎮めた。
そのように認識しているのは自明であり、オロは国民がどのように解釈しようがかまわなかった。
今はただ、ようやく目を覚ましたユウトがオロに向かって弱々しく手を振りながら姉妹と共に、そしてついでに守っていたクズモの子達がそろってこちらに向かってきているのを手を軽く上げて迎えたい気持ちだった。




