第五章 65:殺戮
イザム・アルバは、アルバ商店の店主だ。
祭りの屋台は嫁に任せて代表して剣舞館に訪れていた。
昨晩血まみれのワモを見つけだしたことで、水面下でドァンクかヴァイガル国がよからぬことを企んでいるのでは思うようになっていた。
今日、嫁に無理を言って剣舞館に訪れたのも、国の行く末を占う投票を行うために試合を見ていたが
「こんなのただの人殺しじゃないか……」
嫁を連れて来なくて本当によかったと心から思った。殺戮の始まりに周りが熱狂して立ち上がり、その瞬間を待ち望んで身を乗り出す中、一人冷静に考えていた。
ワモの事件、特別試合に引き分けを認めないナハト、そして深緑の光が弾けた後のマリアの様子……
何が、と言われると確証はなく想像の域を出ないが明らかに不自然だった。
だが周りの観客達は気にもせず熱狂していた。イザムはどう見ても子供を殺そうとしているだけじゃないかとあおざめていた。
人々の隙間から見える舞台はちらつくようにナハトがユウトに歩み寄っていた。
――子供を殺すなんて見ていられねぇよ。こんな事なら店開いて甘辛炒め作ってりゃよかった……いつのまにうちの国はこんな情けない国になっちまったんだよぉ……――
両手で顔を覆っていたが、しばらくするとどよめきが起こった。
ナハトが刀を突き立てたわけでもなさそうと思い、恐る恐る手を顔から剥がすように開いた。
舞台上には四人いた。
一人は倒れているユウト。ユウトに向けて刀を突き立てようと逆手に持ったナハト。
そしてナハトに蹴りの体勢で止まっているローシアとその間にもう一人立っていた。
「ん? あれは……」
暗い朱色のローブを羽織っており、ローシアの蹴りを足で、ナハトの刀の柄を握っていた。
「あのローブ……どっかで……あっ!!」
すぐに思い出した。血まみれのワモの場所まで案内した謎の人物だった。
「あ、あ、あの人! ち、ち、血まみれのワモ様を見つけた人だ!!」
イザムは思わず指差して皆に聞こえるように言った。
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ナハトは完全に面食らった。全く気配がなかったからだ。
舞台上に朱色のローブの人物がいたとしても見逃すなんてことはあり得なかった。
「何者だ!貴様!」
「……」
ナハトは太々しいローブの返事を待つ前に胸元の魔石に手を伸ばした。
だが、ローブの者がそれよりも速く魔石を奪い取り、柄を握る手を離して素早く肘を鳩尾に叩き込む。
「だ、誰よアンタ!!」
足で止めたローシアの蹴りを弾いて、喉に目にも止まらぬ速さで蹴りを打ちつけた。
「――ごほっ!」
奪った魔石は手の中で魔法なのか粉々に砕け散ると手を払ってフードの中に腕と脚を納めると、ユウトの元に歩み寄った。
「意識がないのか」
高い声だったが男だと分かった。
ローブの男はユウトを横抱きに持ち上げると、舞台で攻撃を喰らった二人に背を向けて舞台の外に向けて歩き出した。
「お、おい!!やれ!!妹を殺れ!!」
ナハトは横たわるレイナのそばにいた兵に大声で命令を下したが
「うぐぐギグガガガがガガギゴゴゴゴ――」
「ど、どうした!な、何が起こってる!!」
「ガガガガガガ、がが……――」
陸に打ち上げられた魚のようにバタバタと体をなん度もくの字に折り、反りを繰り返したのち痙攣し、ピタリと動かなくなってしまった。
「な、何事だ……何事だぁ!!」
ローシアは喉元を押さえながら、ユウトを抱えて連れていくローブの男に駆け寄った。
「痛かったか?」
ふざけた質問をしてきたのでカッとなったローシアは「ふざけないで!」と言い返した。
「ふざけてないだろう? お前の妹も救ってやったんだ。」
レイナのそばで兵士はぴくりとも動かなかった。それは蹴りの後に苦しんでいる時に涙目で確認していた。
それよりも、ローシアは男の声に聞き覚えがあった。
「アンタ、もしかして……」
「すまなかったな、ここは俺がケリをつける」
というと、ユウトを舞台の下にそっと横にした後に熱を見るように額に手を置いて少し撫でるとすぐに舞台に上がった。
すでにローブの男に身構えていたナハトは
「何者だ貴様!!ここは神聖なる剣舞館の舞台だぞ!」
「知ってるさ、そんな事は」
「なんだと! ここを何かと知っての愚弄か!」
「愚弄ね……それは貴様の方だろう? 意識を失ったユウトを斬ろうとしたではないか?」
「そいつは魔女の生き残りだ!世界を混沌に陥れた魔女の系譜を継ぐ者だ!」
魔女という言葉に歓声が戻る。殺せ!逃すな! 人間の心を疑うような言葉が降り注ぐ。
「……なんとも言えんな、イザナリがここにいたらきっと咽び泣くに違いない」
ローブの襟元に手をかけて、外した。黒と茶色の斑ら髪が束ねられたその姿を見てローシアは一言、その者の名前を口にした。
「――オロ……アンタだったの……」
オロはずっとユウト達の動向を追っていた。ダイバ国に三人が来た時にはすぐ近くにいた。
元々、蛇達を使ってエミグランの動向はずっと探っていた。
ユウト達がダイバ国に向かうと知った時、エミグランの命令なんてろくなもんじゃないはずだと目的を探ろうとしたがエミグランがなかなか尻尾を出さず、秘密についていくことを決心した。
だが斥候のクラヴィも入国していた事で、表立って接触することができず蛇の姿や人の姿を織り交ぜてユウト達をずっと近くで見ていた。
そんな中知ったのは、ダイバ国の腐敗だった。
イザナリと共に建国したダイバ国が、本来の民族意識を捨て去ろうとしていることに怒りと悲しみを隠せなかった。
その最たる理由が、アルトゥロの関与とナハトとシエルマの存在と、シューニッツ家が国の代表となっていた事だった。
オロはイザナリと単一民族の居所としてダイバ国を建国し、ヴァイガル国もドァンクにも与せず適度な距離を保ちながら国民のために忠を尽くす生き方を見本としてきた。
だが国の代表も、取り巻く官僚も、ダイバ国外の民族が支配していた。
それが何よりも歯痒く悔しく思った。人間は人間で全て未来の道を決めれば良いとそう思って口出しもせず見守っていた。だが、山に篭っていた間にこんな体たらくになるとは思っていなかった。
「ナハトとか言ったな?お前の名前からするとダイバ国生まれではないな?」
「それがどうした!俺がどこで生まれたなんて今は関係ないだろうが!」
「俺には大有りだ。お前がどうしてダイバ国の中枢にいるのだ?」
「はぁ? 何言ってんだお前?」
「元々ダイバ国はイザナリが獣人や亜人達に叶わない、この辺りで暮らしている弱い人間を守るために作り出した国だ。よそ者が国の中枢に入れるはずがない。」
「ガキのくせに古臭い話を持ち出してんじゃねぇ! 何言ってんだお前は!」
「古臭いも何もイザナリの遺志のはずだ」
ナハトは少年がつらつらと述べる言葉が年寄りじみて聞こえて思わず吹き出した。
「イザナリも何も国を守るために外の血を入れなきゃ国として成り立たなかったんだろうが!」
「いや、それは違うな。俺は知ってるぞ。ダイバ国の国民は穏やかで優しく、礼儀正しい民族だと」
オロはダイバ国の行商人が山間を抜ける前にオロに手を合わせて一礼していく姿を思い出していた。
始祖を尊び、敬う心を持っていると信じていた。
「それがどうだ。弱り切ったユウトを殺そうとする卑しい心。人間ではなく魔物と同じだ。本当にダイバ国の国民ならそんな事を許すはずがない」
あまりにも遠い話のようでナハトが不思議な面持ちで話を聞いていた。
「そんな国民を守るためにこの国をイザナリと創ったわけではないのだ。」
「国を……創った……だと?」
「ああ。これで心置きなく潰せる。イザナリもそう望んでいるだろう」
オロの斑ら髪がうねり出して全身を包む。髪が伸び始めて蛇のようにトグロを巻くと、ナハトが後退りする。
巨大な蛇。黒と茶色の斑らは溶岩のように熱を帯びるとその姿に観客はすぐに分かった。
伝説通りだったオロの姿を目の当たりにしたのだ。
「オロ様だ!」
「嘘だ嘘だ!魔女の魔法だろこんなものは!」
オロを見た観客の声が入り混じる。
ナハトもオロの事は当然知っていた。伝説の話だと思っていた。だが目の当たりにして見上げるほどの蛇を見て魔物でもそんな生き物が存在すると聞いたことがなく、目の前の巨大な蛇がオロだという証明にもなった。
「嘘だ……そんな……」
『愚かな人間よ、命をもって罪を償え』
オロの背中の溶岩が弾けて地面に飛び散ると無数の蛇が生まれた。蛇は生まれるや否やすぐに一目散にナハトに這い寄る。
「う、うああああ、来るな!くるなくるなくるな!!!」
刀を振るって蛇を斬った。だが斬られた傷からまた蛇が生まれる。
「うあああああ!!くるなアアアアアアアアア!!」
蛇は飛びかかる。牙がナハトの皮膚を貫く。
『お前の部下に流し込んだ毒だ。神経を蝕み体の自由が無くなる。そして視界が消えて神経を走る痛みが生ずる。表面の痛みは存在しない。神経に効く毒だ。剥き出しになった神経が風にさらされるような痛みから、針を刺す痛みに変わり、そのうち千切りにされる痛みになる。』
「ぐくぎごががああああああああああああああ!!」
『我が子が噛めばその痛みは増す』
「イギギギギギギギギギギギギググググググ」
『噛めば噛むほど、な』
オロの説明の合間にも蛇の子達はナハトの皮膚の開いているところに牙を突き立てる。蛇の隙間を縫って顔を捩じ込みナハトの皮膚を突き刺す。
「イイイイアアアアアアアアアアアガガガガガガ」
『お前の人としての記憶は痛みに蝕まれていく。そのうち嗅覚、触覚がなくなり耳が聞こえなくなったら、あとは脳が毒に反応するただの肉塊だ』
蛇の塊が事切れたように引くと、毒に塗れて白目を剥いたナハトの遺体が出てきた。
『この世にお前の生きた証拠は残さん。我が腹の中で埃さえ残さぬよう焼いてやる』
オロは舌を伸ばして狂い死んだナハトを持ち上げると、薬でも飲むかのように一息で口の中に入れた。
あまりの光景に観客は悲鳴と叫び声で騒然とした。
だが
『貴様らも同罪だ。』
すでに剣舞館の兵はオロの子供達に噛まれ、言葉にならない呻き声をあげてのたうち回っていた。
剣舞館の入り口や隙間にはすでにオロの子達が埋めていた。
『誰一人残さん。全て無にする。イザナリの名誉のためにもな。ユウトを嬲り殺しする事に加担した罪をお前らも先祖子孫全てで償え。その命をもって』
横たわるユウト、そしてローシアとレイナとシロの周りには蛇は全くいなかった。それよりも蛇が背中を向けて円陣を組んでいるようでむしろ守っているようにも見えた。
シロは震えながら『これは困ったことになったね』というだけだった。
ローシアは止められるとは到底思えなかった。
あまりにも残虐。そしてどうやっても勝ち筋が見えない。オロの真の姿を初めて見たが、こんな化け物に立ち向かってオロの住む山で双子花を手に入れたユウトが不思議でならなかった。
――アンタ……どうやってこの化け物と仲良くなれたのよ!――
ユウトはただ横たわっていて何も答えられない。
オロの子と称した蛇達は、剣舞館すべての隙間をその体を捻りこむようにして埋めた。
『情けない人の子らよ。死んで償え』
オロが纏う溶岩が沸き、ボコボコと泡立つ。
シロはローシアの耳元で告げる。
『あれはかつてこの地域に大地を作ったオロの秘術だね。溶岩に塗れた蛇達が山のように溢れ出す』
「そ、その蛇が出てきたらどうなるのよ?!」
『辺り一面の水は枯れ果て、あらゆるものを焼き尽くして大地になるのさ。彼はダイバ国そのものを燃やし尽くして新しい大地を作ろうとしているんだ』
「嘘でしょ?!」
『……彼は大真面目だよ。彼の住む山から燃えたぎる蛇が海に流れ込み、岩石や土となってこの大地はできたんだ。イザナリの伝承だとそう伝えられているね』
「だとしてもよ!!この状況を解決するいい知恵はないの?!」
『ないね。残念ながら。彼はすごく怒っているんだ』
「そんな薄情な……」
『私達はマナを扱える量が人を超えて魔女と呼ばれるが、彼は能力で自然の理を変化させることができる……いわば神なんだ。人間が抗って勝てる相手じゃないんだ。それに彼はその耳目で見聞きした結果の果てに出た結論が怒りなんだ。そう簡単におさまるはずがないよ』
「そんな……」
『もしそれでも鎮めたいと言うのなら……』
シロはユウトの方を見て『彼だね……彼が目覚めればあるいは』と言った。
ローシアはかがみ込んで、レイナの隣で横たわっているユウトの胸元の服を掴んで揺らした。
「ねぇ!起きて!今アンタが起きないと大変な事になるのよ!!お願いだから!!」
『わたしも微力ながら彼にマナを送ってみよう』
シロはローシアの肩から飛び降りて、ユウトの額に自分の鼻先を当てた。
命乞い、発狂、失禁、泣き叫び阿鼻叫喚の地獄絵図。
貴賓席と呼ばれるクズモ達の席でも、最後まで守っていた兵の最後の一人が蛇に噛まれて発狂していた。
完全に取り囲まれた状態で身動きも取れず、抵抗して斬れば斬るほど増える蛇が周りを固めて取り囲まれて手詰まりとなっていた。
オロの体を纏う溶岩は煮えたぎり、剣舞館の温度が急上昇を始めていた。
体を纏う沸き立つ溶岩から、真っ赤な血のように赤いヘビが何百と顔を出し、辺りを見回して這い出る。
這った跡は火花が散ると舞台の頑丈な床でさえ、抉れるように溶けていた。
オロは鎌首を動かして剣舞館の大きな水時計に目をやると、瞬時に水が沸き、水時計が破裂したのを見て目を閉じた。
――もう止められんな……体の中が燃えるように熱い――
体内から無限に生成される熱は、呼吸さえもたたらのように熱線の炎となってオロの口元から意図せず漏れ出る。
もう時間がない。守るべきものは体の下にと尾からとぐろを巻き直してユウト達を包み込む。
その間にオロは悟っていた。
次に目を開いた時、オロはもう二度と心優しいユウトのそばにいる事は出来ないだろうと思いながら。




