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僕と異世界姉妹が魔女の黙示録へ送る復讐譚  作者: ワタナベジュンイチ
第一章:凡人「秋月優斗」
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第一章 16 : 姫君と僕の夢

 ユウト達を乗せた馬車が去った後、少しして赤いマントに鎧を装備した衛兵が、タマモの見立て通り二十名程、通報のあった場所に集まった。

 

 事のあった通りはミストのナワバリ、と言うと語弊があるが、一般人はあまり近寄らないエリアであったため、被害の報告は受けていない。だが、発光現象と妙な奇怪な音、奇声がするという報告を受けて、魔物の出現を危惧した衛兵団は、小隊レベルの人数を割いて現場に向かわせた。


 

 到着するや否や現場の調査が行われた。


「よし!辺りを隈なく探せ!どんな痕跡も見落とすなよ!」


 隊長が全員にそう命令を出すと、返事と共に八方に分かれて探索を開始した。

 

 到着してすぐに目立った紫色のローブは、屋根の上など届かない場所を除いて回収し始めたが、その内の一着は隊長が持っていた。

 

 報告ではローブに事件性のある痕跡、つまり血痕や刃傷沙汰のようなものはない。

それが何十枚も散乱している状況というのはこれまでに経験がない。魔物による破壊、殺人行為であればやはりこのローブに何か痕跡が残るだろう。

建物や地面に痕跡らしきものはあるが、それが通報の一件とは判断しにくい。

もし、このローブは人が着ていたものと想定したら


『忽然と消えてしまった』


と考えるしかない。

 

 それともこのローブは何かの囮やミスリードの類だろうか……

 種々湧き上がる疑念が隊長の思考を狂わせる。また、魔物の類であれば、血痕だけでなく移動跡も残るはずだがそんな形跡もない。

この辺りは人通りも多くない。


 隊長の所感では、服屋がローブを風に飛ばされてしまっただけのように見えた。

 

 しかし衛兵として、国民の安全はもちろん守るべき最重要事項ではあるが、聖書記選結果の公表でヴァイガル国に訪れる各国の首脳クラスの迎賓を安全に迎え入れるべく、全ての疑念は完全に払いたいと考えていたため、この不思議な現象を軽微な事と考えず、場合によっては聖書記選が落ち着くまで通行止めも視野に入れなければならないかもしれないと考えていた。


 

 懸命に調査する衛兵達を見回っていると噴水側の通りから一人の人物が近づいてきているのが見えた。

傭兵なら気にもとめないが、この辺りを歩くのにはらしく無い軽装だ。

 

「あれは……」

 

 軽装ではあるが、歩く姿をどこかで見た覚えがあった。腰に手を置きフラフラと体を揺らしながら歩く姿は酔っているようにも見える。しかし遠くからでもわかる強者のオーラを纏った男の正体は、ヴァイガル国騎士団長の一人、リオス・レ・ウルだった。

 

 突然雲の上の人物が現れ、「全員敬礼!」と無意識に出る。

 

 その声に振り返った衛兵はレオスの存在に気付いた順に足を揃え背筋を伸ばし全身で敬礼をし始める。


 

「あー、ああ、いいよいいよそういうのは。オレ非番だしよ。」


 

 小虫を払うかのように手であしらい、へぇ。とローブが散乱した現場に関心が向いたようで、隊長の二の腕を守る鎧をノックして訪ねる。


 

「これ、どういう状況よ?」


 

「はっ。少し前に通報があり、この辺りで奇妙な音がしたとの情報があり、聖書記選の事もあって小隊で現場に駆け付け、ただいま捜査中です。」


 

「んだからよ、そういう堅苦しいのはいいって……おめえらサンズのとこの小隊だろ?あいつ自分の小隊にオレらが絡むの嫌がるからなぁ。たまたま居合わせた事にしといてくれや。」


 

 選びに選び抜かれた一騎当千の戦士。そして、衛兵の上位戦闘部隊である騎士団の頂点に君臨する騎士団長の一人がレオス。


 そして調査にあたっている衛兵達が騎士団長サンズの配下部隊になる。


 ヴァイガル国法で定められている殺生禁止を唯一個人の判断で許可できる超法規的判断を認められており、その範囲は衛兵団への命令も適用される。つまり、ヴァイガル国の安全保証は、武力保持と特権的な権力、そしてその特例に見合う力を持つ騎士団長の存在の両方があって成立している。


 そんな雲の上の人に堅苦しいからとおいそれと軽口を言えるはずもない。


 

 だが小隊の団長サンズがいない分、心強い人が来てくれたと内心ありがたかった。


 

「んで、サンズは何で来てねぇんだ? アイツも来ていいような事だろ。こいつぁよ。」


 

 隊長はここに来る前のサンズとのやりとりを思い出して俯く。


 

「今は精神統一の時間だと部屋から出て来られず、仕方なく我々が……」


 

 サンズのことをよく知るレオスは、呆れたようにあー。と漏らす。


 

「んで。来てみたらこんな事になってた……と。」


 

「はっ。念のため魔物の線も懸念しており、場合によってはエリアごと封鎖も……」


 

「魔物じゃねーだろ。封鎖することもねーよ。」


 

 一枚のローブを拾い上げて裏をめくった。


 

「血痕なし、争いの跡もなし。こりゃもしかしたらマナかもしれんな……」


 

「マナ……ですか?」


 

「ああ。人が着ていた感じがしねえ。」


 

 レオスの言う通りで何か調べたら出てきそうな雰囲気は皆無に近かった。今この場の状況を端的に説明するのなら『ローブが道に散乱しているだけ』なのだから。


 

 次のアクションを決めかねていた隊長は、出てこない理由をレオスに恐れ多くも問うた。


 

「人為的なもんに違いはねぇだろうが、消えたと考えるなら、生物操作の類じゃあねえな…… 例えるなら太陽に触れた瞬間に消えちまうような何かが入っていたとか…… まあいたずらかもしれねぇな。もしかしたら陽動とかで、別の何かを成就させるためのな。」


 

 聖書記選を混乱に陥れる罠。レオスの言葉が聞こえた衛兵は顔を見合わせる。

 レオスからしたら陽動ならば本当の目的となる聖書記選の警備は万全であり、あくまでかなり薄い可能性の話をしたつもりだったのだが、衛兵達の隠せない動揺を目の当たりにして、悪りぃ悪りぃと冗談であることを念押した。


 

「とは言え封鎖はいらんだろ。仮に陽動だとして封鎖なんてしたら相手の思うツボだ。誰が相手なんだかわかんねぇけどよ。とりあえずお前さんらは帰りな。」


 

 辺りの様子も気になる点はない。悪戯にしては度が過ぎるが、このくらいの事が平気で起こるのが聖書記選なのだろう。


 レオスの目は鋭くローブを睨み付けた後。ふっと力を抜いて衛兵の一人に渡し、がんばれよ。と労う言葉と共に隊長の腕の鎧のところをまたノックするようにしてその場を後にした。


 

「はいっ!ありがとうございます。」


 

 隊長の悩みが晴れたような威勢の良い返事を背に手を振りながら来た道を戻っていった。

 

 衛兵達から離れたレオスは振り返った。衛兵達が撤収準備に取り掛かっているが、ローブを触れた時にわずかに残っていたマナの感覚を指先で転がすように思い出す。


 

「あのローブはイクス教のもんじゃねぇ。とはいえ祭事に使うような上等な布だった……冗談にしては度が過ぎてんだよなぁ……」


 

 拭えない疑問はレオスの記憶力のフィルターがろ過した結果、指先に残ったマナの感覚と上等なローブのみを残し記憶の奥底へと沈み、一早く立ち去ったレオスに続き衛兵達も撤収を開始。そして何事もなかったのように通りに静けさが戻った。



**************



 タマモが巧みに操る馬車は、ギルドの傭兵達の集まるエリアから難なく逃れて、大通りが見えるところまで来る事ができた。


 

 流石に大通りを逃げるように馬車を走らせる方が目立つのでゆっくりと走らせる。

 

 タマモの横で前方の警戒をしているオルジアは、進む道をタマモに説明していた。振り返って姉妹にも説明をする。


 

「このままヴァイガル国を出てドァンクに向かうぞ。」


 

「ええ。それでお願いするわ。その方が安全なんだワ。」


 

 考えつくだけで追手はローブの連中の残党と衛兵だ。衛兵には見つかっていないとはいえあの場に残留しているかもしれないユウトのマナを追われたら見つかる可能性がある。

 

 衛兵にそんな器用な事ができるかは疑問だったが、可能性があるのなら考慮しておくべきだし、追いかけてきたローブの連中らの残党がいないとも言えない。あいつらは明らかにユウトを狙っていたのだ。

 

 全てを知る者として認識していたのかは定かではないが、ユウトを狙っていたという事実だけで最大限の警戒が必要だ。オルジアはギルド側の人間で、この状況で最優先にするのは依頼の完遂。そして自分の命を守る事。


 イシュメルからの指示書には、姉妹を向かわせる事が条件になっているので、最悪の事態になればユウトは見捨てられる。



――そんなことは絶対にさせないから――

 

 ローシアは道中後ろからの追手が来ないかと警戒していたが、追手の気配はない。

 

 視線をユウトに向けるとレイナがユウトの横に座り込み、心配そうに見つめていた。

オルジアはタマモの横で道案内を兼ねて警戒を続けている。

 

 レイナの肩に手を置き、安心させようと柔らかく告げる。


 

「とりあえず大丈夫なんだワ。」


 

「……申し訳ございません……もっと早くお姉様の元に参る事ができていれば……」


 

レイナは二人に何かあった事は、現場を見てすぐに察した。オルジアの存在が真実を語る事を妨げたことも。


 

「まあ……仕方ないんだワ……でも……」


 

 この二日間のことが脳裏をよぎる。

ローシアはユウトを見たこともないクラヴィとかいう女に拉致されかけた上にレイナも力の差を見せつけられた。

今日は正体不明のローブの連中にあわやユウトの命を奪われる寸前まで追い込まれた。

 

 危機的状況を免れたのは運でしかない。結果としてたまたまユウトが知り合った女だった。結果としてたまたまユウトの深緑の腕が事なきを得た。


 だが収穫もあった。ユウトの力だ。間違いなくユウトにはこの世のものとは思えない力がある。マナを具現化するなんて有り得ない事だからだ。

 ユウトは全てを知る者と信じるのに充分すぎる現象だった。

 

 ローシアとレイナは、物心ついた頃から、ドワーフの村で、全てを知る者の到来を待つ事。そしてこの世から魔女の痕跡を全て無くす事を誓った。

 

 硬く誓った決意のはずだった。そのために自らを厳しく律して鍛錬し、来たるべき日に備えてようやく昨日、決意新たに望む未来に踏み出したはずだったが、今までに一歩間違えたら全てが水の泡と帰する出来事が少なくとも二つあった。

 

 油断もあったとはいえ、あまりにも損失機会になる状況が多い。

 

 握り拳が硬くなるローシアを横目で見るレイナもローシアの考えていることが手に取るようにわかり、顔にかかる不穏を隠せない表情がさらに影がかかる。

 

 お互いの事がわかるローシアもレイナの考えている事はわかる。レイナの肩に優しく手を置く。

 

「まだ始まったばかりなんだワ。これからなのよ。」

 

 声色は小さく、やっと聞き取れるほどだったがこれほど強い言葉を言えるお姉様はさすがだとレイナは暗い表情を溶かして「はい。お姉様。」と返した。


 突然馬車が停車した。

 思わぬところでの停車に一人だけ立っていたローシアはふらついた体制を戻した後、オルジアを睨む。


「ちょっと。なんで止まってるの?」


 

オルジアは半ば諦めたような顔でローシアの方に振り返って顎で前を見るように促す。

 

 ローシアがしぶしぶオルジアの示した方を見ると、交差点を衛兵と騎兵が通行止めにしていた。

思わずローシアはオルジアの背に隠れた。


「……何これ」


「どうやら馬車が通るらしい。多分王族だろう。」


 

 よく周りを見てみると何かを待つギャラリーが交差点の周りを埋め尽くすように集まっている。


「チッ……こんな時に……」


 最悪のケースは免れたが、この国を出るまで安心は出来ない。


「迂回路はないのかしら?」


「ない事はないが……後ろみてみな。」

 

 後ろに視線を向けると、同じように馬車が立ち止まっており迂回する隙間もない事は一目瞭然だった。


「まぁ待つしかねーな。少しだけの辛抱だ。」


「……最悪だワ。」


 とは言えやる事は変わらない。ユウトを守る事。

この一点だけはどんな状況でも変わらない。レイナも状況を把握してユウトを馬車の後ろからの襲撃に巻き込まれないように身を挺するようにして位置取った。


「……ん……」


 警戒を強めたその後すぐにユウトの意識が戻った。

襲撃に気を向けていたとはいえ、ユウトの身を案じていたレイナはすぐにユウトに向き直った。

 

「ユウト様!」

 

「……ここは……どこ?」

 

「……よかった……今はお静かにお待ちください。そのままで……」

 

 寝転がった体勢でそのままと言うレイナに、寝ぼけ眼だったユウトに緊張が走る。


 ――そうだ、紫ローブの連中に襲われて、捕まって倒されて……


 頭を触るとたんこぶがあった。ざらりとした感覚があり指先で確かめて目の前に持ってくると、砂と血が固まったものが混じっていた。


「そっか……頭打って気絶したんだ。」


 レイナが心配そうに覗き込む。


「ユウト様……大丈夫ですか? 頭を打ったようなのでヒールしておきました。少し血が出ているようでしたし……」


「あ……ううん!大丈夫!ありがとうね、レイナ。」


 感謝に笑顔を添えてレイナに返すと、嬉しそうにはいっ!と言って、ユウトの後頭部を撫で始めた。


 頭を打ったのがよほど心配らしい。

 

 撫でられながら辺りを見回すと、幌の形状が目に写り、どうやら馬車の中だと把握できた。

 

 馬の尻が見える前方を見ると、オルジアと狐か猫かわからないが頭の上に白い毛の獣の耳が付いている小学生高学年くらいの子供と馬車の外を警戒しているように見える。

 

 追われていたところはギルドの近くだったが、今は馬車に乗って警戒している状況なので、ローブの奴らから逃げている状況かと推測した。

 

 合っていなくても、何かを警戒している様子なのは間違いないことから、危険な状況なのだとわかるのでレイナのいう通り姿勢を低くしてゆっくりとローシアの側に近づいた。

 

「ローシア。今どういう状況なの? あいつらは……」

 

「黙りなさい。今はドァンクへ移動中なのよ。訳ありで動けないから、あまりうろちょろしない事ね。」


 いつものそっけない嫌味ではなく極めて冷静に言い聞かせるようにユウトに勝手に動かれないよう嗜める。説明は余計な情報を切り取ってユウトにすべき事を伝え、ユウトは動きを止めた。

 

「タマモ。アンタちょっと馬車から降りて様子を探ってくるんだワ。」

 

「えっ?!俺がかい?」

 

「アンタ以外に誰がいるのよ。」

 

「いや、そうじゃなくてさ、俺が行く理由は何なのさ?」

 

「アンタが一番暇そうだからよ。」

 

 全身の逆毛たてるが威嚇にもならず、早く行きなさいよとローシアに一蹴され、愚痴り口を尖らせながらタマモは馬車から飛び降りて人の群れに消えていった。


 ユウトは外の様子を確認しようと顔が全部出ないように幌で顔を隠し外の様子を見た。

 

 交差点の前で道の全体を鎧と赤いマントを装備している衛兵が、槍を使って通れないように柵状に隙間がないほど並んでいる。前には人だかりができており、交差点が何か横切るのを待っているようだった。


「ローシア……あの……」


「知らないんだワ。」


「……まだ何も言ってないじゃんか。」


「言わなくてもわかるんだワ。私たちが知らない事をアンタが知ってるわけないんだワ。そのためにタマモに様子を見にいかせたのわからないのかしら。」


 にべもなく返された返事にぐうの音も出るはずもなく、すごすごと引き下がり馬車の中を視線で探った。

 木箱が数個、そしてユウトが寝ていたところには即席で作られたとみられる歪なベッド。中身は藁のようなものだ。


 

 この世界の常識はまだわからないが、客をもてなすような馬車ではないと言う事はわかった。

 

 まあローシアになぜこの馬車なのかと聞いても、けんもほろろに言い返される事は想像に難くないので、ローシアに質問する事は脳内で却下した。

 

「歓声が聞こえるな。」


 

 馬の手綱をタマモに代わって握っていたオルジアが、交差点の向かって左側に耳に手を当ててそう言ってきた。

 

 ローシアも同じように耳に手を当てると、本当ね。と返した。

 

 馬車の周りにはいつのまにか溢れんばかりの人が敷き詰められている状態で、一歩も動けそうにない。ここから動き始めるにはかなり時間がかかりそうだ。


「ちょいとごめんよ……ぐぐぐ……ちょいと……ごめんて……げふっ。」


 人混みの中をワインのコルクを開けるような勢いと音で押し出され、馬車に飛び乗ってきたタマモは、服とおそらく自慢の白い毛並みもぐしゃぐしゃに乱れて戻ってきた。


「ううう…………だからニンゲンは嫌いだ……くだらないことで馬鹿みたいに集まって…………アリんこでももう少しは統率とれてるぞ…………」


「んで、何かわかったのかしら?」


 にべもなく成果を訪ねるローシアに向き直ったタマモは、顔を真っ赤にしながら服装の乱れと尻尾の毛並みを整える。どうやら尻尾はフワフワにしないと気が済まないらしく、撫でるよりも逆毛立たせるように整え始めた。


「ヴァイガル国王の娘がここを通るらしいよ!聖書記選の儀式のためだってさ!」


「……なるほどね。他には?」


「ほかぁ? なんかまだ婚約相手が決まっていないとか、絶世の美女とか、そんな話があったかな!くだらない話ばかりだったかな!」


「なるほどね。そんなくだらない話しか集められなかったと言いたいのかしら?」


 毛繕いの手を止めてローシアに向き直ったタマモは真っ赤にしていた顔の色をさらに深めてローシアに捲し立てる。


「しょーがないだろ! ニンゲンはそんなくだらない話しか興味ないんだから! 僕のせいじゃないやい!」


 確かに。という言葉は出さずに、わかったワと軽く、本当に軽くタマモを労ってレイナの方を見た。

 もう警戒は解いても良さそう。王女の警備で厳重になっているこの場所で事を起こされる事はないだろう。

 

 ローシアの視線の意図はわかったレイナは、すぐにユウトのそばに寄って顔を覗き込んだ。あまりの近さにユウトは少し仰反る。


「ユウト様、お身体は何も異常はございませんか?」


「えっ! う、うん。大丈夫だよ。全然大丈夫。ハハ……」


 ほっと胸を撫で下ろすレイナは、先ほどまで横になっていたベッドのような物にユウトを促して座らせた。


「今は問題なくても後で体に違和感や不調を来すこともございます。今は少しでもお身体の負担にならないようにしておいてくださいませ。」


「あ……ああ、うん。全然大丈夫だから。うん。そんなに心配しなくても……」


「ダメです!意識を失うという事は脳にダメージがあるかもしれないのです! 今は私のいう通りにしておいてくださいませ。」


 ユウトの断りに人差し指を立ててピシャリと止めにかかるレイナは眉間に皺を寄せてユウトをその場から動かさないように釘を刺す。


「は……はい。」


 レイナを静めるための方法は、従順しかなさそうだ。


「もうすぐ来るな。」

 

 オルジアが来ると言ったのは王女の事で、それを裏付けるかのように幌に囲まれている馬車の中にも、外にいる人たちの歓声が聞こえてきた。


「僕もドァンクから出た事ないから王女って見た事ないんだよねぇ。どんな人なんだろう。なんかワクワクしてきたぞ!」


 狐の興味を引く時の反応が尻尾を千切れるくらいに振る事なのかはわからないが、ブンブンと尻尾を振ってオルジアの肩を使って身軽に音もせず幌の上に飛び乗った。オルジアが気づいた後にはもう幌の上だったので呆れた様子でタマモが足蹴にした肩を軽く叩く。


「そういえば、私達も拝見した事はございませんね。噂にしか王族の方々のお話は耳にすることがありませんし。」


「まぁ、お伽噺よりも遠い世界の話なんだワ。興味ない。」


「俺も見たことがねえな。どれ、ちょいとご尊顔を拝見奉りますかねぇ。どうせ動けねぇしな。」


 ローシアのクソでかいため息を背に、レイナとオルジアは馬車の前から立って交差点の方を見る。

 

 その上には幌の上にタマモが、両手足をつけて腰を下げてまるで犬のお座りのような姿勢で明らかに興奮気味に目をキラキラさせて交差点の方を見ていた。

ユウトはレイナがこちらを見ていない事を確認して体を起こして交差点の方を見つめる。

 

 距離にして15メートルくらいだし見えなくもないなと見ていると、左の方から大きな歓声が湧く。


「近いよ! 近い近い!」


 タマモが幌の上で飛び跳ねながら下にいる四人に伝えてくる。


「キタキタキタキタ! 来たよー!」


 交差点を騎兵が隊列を組んで先頭を進む。そして白い馬が2頭並んで横切りながら馬車の本体が見えてくる。

 馬と同じく真っ白な馬車本体で、人々の声の波がようやく目の前に一緒に辿り着いた。


「ここからお姫様はと……おう!見えるぜ!」

 

 オルジアが大きく手を振る。


「姫さまー! こっちこっちー!!」

 

 タマモも負けじと大きな声を張る。

 レイナは胸の前で手を組んで目を輝かせている。

 

「何とお美しいのでしょう……」


「フン……」


 

 ローシアは全く興味がないらしく、木箱に腰掛けて見ようともしなかった。



 ユウトは、呼吸が荒くなった。


 白い馬車の中から手を振るお姫様。

 それは、サラサラ黒髪ロングで、ピンクと白を基本としたデコルテを露わにしている中世のドレス

首元には赤ちゃんの握り拳ほどのとても大きな赤い宝石のネックレスが目立つ。


 忘れようがない、忘れることが出来るはずもない。


「何でお前がそこにいるんだよ……」


 白い馬車から小さく手を振るヴァイガル国の姫。

 あの日この世界に来る前に、そして今日も夢の中でユウトの胸をナイフで刺したあの女だった。

 

 この国は自分は招かざる者で、呼んだのはこの国の姫で……

 何でだよ……何でだよ。


「ユウト…………様?」

 

 ユウトが目を丸くして口をパクパク動かして何かを話そうとしているが、まるで魚に体を乗っ取られてしまったかのようだ。

 

「どうなさいました?ユウト様?」


 残りの三人もレイナが気づいた異変に視線を合わせ、その先にいるユウトが魂が抜けたような状態になっていることに気がついた。

タマモが柏手を打って、名探偵よろしく推理を語り出した。

 

「わかったよ! あの姫様に一目惚れしちゃったんだね?」


 一目惚れに反応したのはレイナ。ひっ……ひとっ!と言って顔を真っ赤に染める。


「ユ…………ユウト様は分別のあるお方です。そそそそそそそそそんな、まさか、いえ、王族の方に一目惚れなんて、そんなそんなそんなそんな。」


「なんか、そんなって単語が多すぎるんだワ。どうしたのレイナ。」


「ヒッ……いえ、なんでも……ございません。お姉様…………」

 

『げんなり』とした感情のこもったため息をローシアが吐く。ユウトは未だパクパクと口を動かしているだけだ。このまま放っておくことも出来ず、脛の辺りを軽く蹴った。


「ほら、あんたも溺れた魚見たいな顔してないで正気に戻るんだワ。」


「なんで…………なんで……」


「なんでなんでうっさいんだワ。早く正気に戻るんだワ。人が引いたらすぐに……」


「何でお前がそこにいるんだよ!!」


 初めてユウトが発した大声に四人がたじろぐ。



白い馬車は王女を乗せて留まることなく進んでいくが、それを目で追っていたユウトは鬼気迫る表情に代わり。


「待てよ!! 逃げるな!!」


「お待ちください! ユウト様!」

 

 白亜の馬車を一点に睨み、馬車を飛び出そうとするユウトを止めたのはレイナ、ユウトの腰にしがみつく。合わせるようにローシアが正面に回り込み、ユウトの鳩尾に拳をめり込ませた。


「……んっ!…………がっ!」


 急所を突かれた痛みが全身の自由を奪う。呼吸が無意識に出来ず、大きく空気を吸い込めと痛みで苦しむ肺に命令するが耐えられず膝をつく。

 

「レイナ……しばらくそのバカを見ておいて。ここを出るまで。」


 ユウトの方を見ることもなく吐き捨てるように言うと、ローシアは木箱に腰掛けて腕を組んで目を閉じた。


「……はい、お姉様。」


 レイナはユウトの肩を軽々と担いで、先ほどまで横になっていた所へ連れてまた寝かせた。

 

 胸の辺りに懐かしい暖かい感触があった。呼吸を整えながら見ると、レイナがローシアに殴られた場所に手をかざしてヒールをしていた。


「バカじゃないの……ホント……」


 

 確かにバカだ。ローシアの判断は正しい。

 レイナは口を一文字に結んで、ユウトへヒールしている胸を悲しげにじっと見つめている。



 胸の奥から込み上げた怒りの感情は、これまでの人生で生まれた事はなく、発したこともなかった。

 まるで自分の意思とは違う別の意志が体の中にいるようで、眠っていたものが急に覚醒し、火に油を注ぐように留めどなく感情が昂り続けた。

 

 あの王女を見ていると抑えられない感情が込み上げてくるのは、あの夢が関係しているはずだ。

 

 慎重に行動しなければならないのに、馬車を飛び出して姫に近づこうとした事は完全に悪手だ。

 今でも何故そのような事をしたのか説明できない。


 

 体の自由が効くようになり、大きく呼吸をする。多分手加減はしていてくれたらしく痛みはすでに治まっていた。レイナのヒールも当然効果があったのだろうけど、ローシアが本気で殴っていたら、幌をぶち破って外に飛び出していただろう。

 ローシアはユウトの方に視線を向ける事なく、人混みが解消されるのを見つめて待っている。


「……そろそろ動けそうだから、行くよ。」


 四人の静寂を破ったのはタマモで、馬車が通れるようになったらしい。

 手綱を一振りして馬車がゆっくりとガタガタ音を立てて動き始める。


 横になっているユウトの視線に城門をくぐろうとする景色が見えた。

 

 この世界に来て、ユウト一人の力では何もできない事を嫌と言うほど実感させられてきた。けど、この国の姫に怒りを覚えた一件は『自分の意思でどうにもできない』事だった。あの感情をコントロールする事……

 頑張ってどうにかなるのだろうか。

 またあの姫を見たら同じように激昂するのだろうか……

 それよりも、ローシアとレイナに迷惑をかけてしまった。

 そして、ユウトは本当に元の世界に戻りたいのか、自分の気持ちもはっきりとわからない。


でもいつも助けてくれる姉妹には感謝しかなかった。

 ――後で謝ろう……二人に――


 馬車は城門をくぐり抜けた。


〜第一章 了 〜

第一章を読んでいただきありがとうございます


第二章に入る前に幕間を挟みます。



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