第一章 14 :自己紹介は最後にいたしましょう
セトに支度金の百万Gの布袋を渡されたローシアはほくほく顔で、オドオドしながら椅子に座って待つユウトと、なめし革で入念にタガーの手入れをしているオルジアのいる席に戻ってきた。レイナも後からやってきた。
「馬車がここに迎えに来るらしいワ。だからそれまでは自由ね。」
ローシアは支度金をもらう際に念押ししてセトから言われたことを復唱した。
「馬車か…契約した傭兵にお迎えまでつけるとは…至れり尽くせりだな。」
訝しげな表情でタガーと手入れ道具を片付けると指を鳴らしてローシアに話し出す。
「このユウトはなんでも記憶喪失らしいじゃないか。衛兵に引き渡して、身元を調べてもらった方ががいいんじゃないのか?」
ローシアは一度驚いた表情になったが、すぐにユウトを見ると、申し訳ないと言わんばかりの視線をオルジアから見えないようにローシアとレイナに送る。
結局のところ、オルジアにどこから来たのか?聞かれた際に言葉に詰まってしまい、なんと答えてよいか分からず考えていると、何を察したのかお前…記憶喪失なのか?と心配されたのだ。
結果的にオルジアの思いつきで出た言葉に乗るしかなく、エドガー大森林で姉妹と会う前の記憶がないんですよね。と言い乾いた笑いを見せたが、オルジアはそれで腑に落ちたようで、大変だなぁ、ユウトも、と心配される始末。
ユウトは視線で合図を送るべくじっと2人を、特にローシアをみていたが、ローシアはにべもなく視線を切る。
「ふん。どうせ聖書記選でまともに取り合ってくれないんだワ。見てくれもこの辺の人間じゃなさそうだし、話を聞いても知らない事の方が多いんだワ。」
察しの良いローシアは、なんとなく話を合わせるように答える。だが、置いてけぼりの会話にレイナが疑問を投げかけようとして割り込もうとするが、ローシアが手で静止させる。
「ふむ。たしかに今のこの時期に衛兵の仕事を傭兵が増やすのは快く思わんだろうな。」
ギルドの事はギルドで片付ける。
長年に渡ってギルドと国の関係を守り続けてきた暗黙の了解だ。ユウトも二人がいうには戦力にならないというが、初日とはいえ同じ釜の飯を食う間柄になったわけだ。放っておくのは酷というもの。
オルジアは一度納得したように唸って、ユウトの方を向き肩を二度叩き、サムズアップを添えて
「困ったことがあったら言いな。出来ることなら助けるからな。」
と白い歯が輝くような笑みで快活に嫌味のない兄貴ヅラをされる。ユウトは頼れるものにはなんでも頼りたいのでありがたく好意を頂戴する。
「ありがとうございます。助かります。」
「まぁ、お互い持ちつ持たれつだ。俺が困った時は、頼むぜ?」
「はい!」
と返事はしたものの、オルジアが困る事が果たして自分に手助けできるような事象なのだろうか。
疑問が頭をよぎったが、その時が来ないことを淡く願っておいた。
三人の話にのけ者にされた格好になったレイナは、少し不貞腐れた顔をしていたが、これからのことについてローシアに尋ねた。馬車がここに到着するまでの時間の過ごし方についてだ。
「アタシはこいつと一旦家に戻ってくるんだワ。話したいこともあるし。こいつも置いてくる。」
と大金の入った布袋を何度か叩く。
こいつとは、言葉にした時に視線を向けたユウトの事だ。
「はい。わかりましたわお姉様。」
レイナは聞き分け良く姉の指示に二つ返事で答えた。
オルジアも特に異論はないようで、片手を上げて肯定する意志を見せた。
ぽやっと話を聞いているユウトに厳しい視線を向けて
「ほら、アンタは私についてくるんだワ。急ぐわよ。」
と言い放ち、さっさと歩き始めた。
「ちょ、ちょっとまってよ!」
置いてけぼりにされる前に、ローシアの姿を見失わないように後を駆けてついていった。
レイナは片手を小さく振りながら見送り、横目で流し見るようにオルジアも二人の姿が見えなくなるまで見ていた。
********
すでにギルド前は傭兵たちが集まっている中で、ユウトは邪魔にならないよう、身を捩らせながらローシアを追いかける。
身長が低いローシアの姿は、二、三人が前にいるだけで見失いそうで、今度こそあの時みたいに見失わないようにと、人で見え隠れしながら早足で歩くローシアを追いかける。
ローシアの歩く速度はミストを出ても変わらず、仕事にありつきたい山ほどいる傭兵を縫うようにして追いかける。
なぜこんなに早足で逃げるように家に戻るのかわからなかった。
交差点を曲がってギルドが見えなくなったところでローシアが立ち止まり、小さな体を目一杯仁王立ちし、険しい顔で待っていた。
「アンタ、私達のことをあのオッサンに話してないでしょうね。」
あのオッサンとはオルジアの事だとすぐに察したユウトは、当たり前じゃないかと返す。
なるほど、オルジアに何を話したのかを聞き出すためにわざと離れたのか。とユウトは察した。
「ならいいんだワ。迂闊だったわ。まさか込み入った話をいきなりするなんて。」
苦虫を噛み潰す…までは行かないが、悔しそうな表情で握り拳で手を打った。
「もう絶対にしくじらない…レイナにも言っておかなきゃね…」
小さくつぶやくように懸念を言葉にしたローシアの真剣な顔で、先程のオルジアとのやりとりでミスがなかったか不安になってきた。
「と、とりあえず家に向かおう。立ち止まっててもなんだし。ね?」
「フン……アンタに言われなくてもわかってるワ!」
ローシアはそっぽを向き、家の方にまた歩き出した。
また、怒らせちゃったかな……
こめかみを人差し指でかいて自分の不甲斐なさを自覚していたところに
「ほら。」
という声が聞こえて意識を向けると、手のひらが向けられていた。
ローシアがこちらを向いて、顰めっ面で手を伸ばしている。
「手、出すんだワ。」
「手?」
右手か左手かと視線を落として確認していると焦ったそうに「もう!」という声と共に、ローシアがユウトの左手手を握った。
「いくんだワ。」
ローシアと手を繋いで歩く?
手を繋ぐ?
歩き出したローシアに少し引っ張られるようにして歩き出す。
「あの女が来てもこうしてれば大丈夫なんだワ。今度は絶対…」
「絶対?」
「……なんでもない。行くんだワ。」
自分よりも小さい手に引っ張られて後ろをついていく。
側から見れば自分よりも年下の女の子に引っ張られて、微笑ましく見えるのか情けなく見えるのか。
当事者のユウトはわからなかったが、嫌な気持ちは全くなかった。
むしろ少し恥ずかしいくらいで、自分が赤面していないか確かめる間もなく歩く。
ローシアの足元を見ながらついていった。
*******
ローシアとユウトが、家に帰るところを見送ったレイナとオルジアは、自然とギルドに残り帰りを待つことで一致していた。
レイナはローシアとユウトが一緒にいれば安心だろうと思っていた。
オルジアはいつもギルドにいるから行くところもない。
だが、今日からしばらくこの三人の保護者にならなければならないし、馬車の待ち合わせ場所のミストを離れるわけにはいかなかった。
煙草を吸おうかと胸元を探っていた時に、バニ茶を満面の笑みで啜るレイナの武器が目についた。
昨日レイナは、ユウトをクラヴィに間一髪のところでやられてしまったものの、モブルを一方的に扱う姿を見て、只者ではないという思いは変わってはいない。
オルジアがレイナと対峙して先手を取ったとしても勝つイメージが全く浮かばない。
むしろクラヴィの方がおかしい強さなのでは?と考えてしまうが、紙一重のやりとりだった事はオルジアでもわかった。
そして、未だ実力を明らかにしてないとも言えるレイナの風貌に似合わないほどの長い武器。
セトは何か知っているような素振りだったが、今ならレイナに聞いた方が早いかもしれない。
オルジアは煙草葉を取り出し、手慣れた手つきで紙巻きに仕立て上げて咥え、火付け用の小さな魔石を紙巻きタバコの先端に押し当てて火をつけた。
紫煙を肺に巡らせ、大きく一息つくとレイナの視線に気がついた。
「ん? なんだ?気になることがあるのか?」
「いえ。とても器用に巻かれたので見とれてしまって…」
「へぇ…そいつは光栄だね。俺の紙巻きも板についてきたってことかな。」
褒められたことのない事を褒められ、満更でもないオルジアだが、笑む視線の先は、やはりレイナの背中にある黒い鞘の武器にいってしまう。
紙巻きタバコを堪能したオルジアは、燻って指先に熱が伝わってきたところで灰皿で揉み消し、また新たに煙草を巻き始めた。
「ところで、ローシアは武器は持ってないのか?」
バニ茶を啜るレイナは姉の名前に敏感に反応して、煙草に火をつけるオルジアの方に向き直る。
「お姉様ですか? お姉様は武器は使いません。徒手での戦闘を得意としておりますので。」
少しだけ誇らしげにそう答える。
たが、オルジアは疑念があった。
傭兵に徒手で登録する人物はそれなりにいる。
だが、長くは続かない。
答えは簡単で徒手による戦闘が発生する場合、相手の武器によっては間合いに入る事ができずに命を落とす事も少なくない。
昨日の闘いがまさに良い例だ。懐で間合いに入ったローシアはあっけなく意識を失った。
垣間見た速さは間違いなくどこかで鍛錬されたものだし、オルジアが戦って勝てる相手じゃない事はわかっている。わかって入るがミストの先輩として、忠告はしておくべきか……
野暮な事だが、聞くか否か。
出した結論は、少なくとも本人ではなくレイナには聞いておく必要がある。だった。
「徒手の戦闘だけなのかい?姉様は。」
「はい。」
「……なるほどねぇ。」
含みを持たせているオルジアの考えを見抜いたように刺すような目線で見やるレイナ。
「お姉様の事は心配ございませんわ。私が常に側におりますし。心配ございません。」
姉に絶大な信頼を置くのはわからなくはない。だが、これは全員の命に関わる問題だ。まだ踏み込んで話をしなければならない。
「だとしてもだ。万が一は起こりうるんじゃないのか? 昨日の一件だって予測できなかった。それは否めない事実では?」
レイナの顔が僅かに曇る。そしてやはり姉の評価は低いのか……と下唇を噛む。
「……ここは命をかけて金を稼ぐ所だ。自分の身は自分で守る。ごく当たり前のことだが、守るべき者がいるとなると自分の命まで危うくなる。」
オルジアの言わんとする事はレイナも充分理解している。そして、オルジアも巻き込んでしまう恐れがある事も。
しかし、昨日の夜交わした姉妹の契りは揺るぐはずもなかった。
「……失態を見せてしまった事は存外な事です。ですが、私たちはどうしてもやらなければならないことがあるのです。オルジア様にご迷惑はお掛けしません。」
「……生命のやりとりは、この仕事をしていれば必ずある。俺は新入りが不測の事態という理由だけで命を落とすところを見たくはない…… 」
レイナは真っ直ぐ、こちらが目線を逸らしてしまいそうなほど強く見つめながら
「私とお姉様は、二人で一つ……二人で対峙すれば、どんな方でも、どんな人数でも、負けません。昨日の一件は私が遅れをとってしまった事が原因……全て反省をして、教訓を得ています。だから心配無用です。」
否定されるだろうと概ね想像通りの解答だったオルジアは頭をかきむしりながら、嗜む気が無くなってしまった煙草を一息吸って揉み消した。
昨日の一件は、ローシアの先手に対して身構えていたとはいえ、レイナは遅れていたというのなら確かにそうなのだろう。二人同時に向かっても何らおかしくない。
レイナの話が本当ならば、まだ二人の実力は見ていないことになる。コンビとしての実力を。
真実か、虚勢か……
オルジアは少し考えて
「わかったよ。お互いの命は自分で守ろう。ユウトはあんたらに任せるよ。」
信じる方を選んだ。自分の命は自分で守ることを伝えて。ミストで長生きする最も重要な秘訣だけは伝えておいた。
「……はい。もとよりそのつもりです。」
固い決心は顔を見ればわかる。何を言ってもレイナの考えは変わらないだろう。そう察知したオルジアは話を続ける事をやめた。
慌ただしく依頼を求める傭兵たちの雑踏が大きく聞こえ、少し時間の経ち方が長くなったように思えた。
**********
ローシアの小さな体に似合わない。というのは客観的な見方で、本当は反抗できないほど力強く、かろうじて引きずられそうになるのをなんとか堪えながら昨日決まった新居に戻ってきたユウト達は、ローシアの力任せに無理やり家の中に放り込んだ。
「うわったったっ……だあああああ!!」
ローシアの馬鹿力でけたたましい音を立てて家の中に文字通り転がり込んだ。
金の入った袋を、適当に一階の倉庫の中に投げ入れてからすぐに外の気配を探る。
扉を開けると人通りは朝よりも減っている。ほぼない状態だ。
だが、気配はある。
――レイナも連れてくるべきだったかしら。でも昨日の女とは違うんだワ。――
もうすぐ昼になりそうだというのに寒気がするような気配。強い相手ではない。何か不気味なこの世のものとは思えない霊的なもの。暗闇の中に誰も後ろにいないはずなのに気配を感じるような逃げ出したくなるような気配だ。
手を掴んで無理やり気味にユウトを引っ張る直前から感じていたが、その時は脅威に感じる事はなかった。
しかし戻るにつれて不気味な気配の数は増して、家の近くに来た時にはユウトをどうやって守るかを思案していた。
――昨日といい今日といい……全く。休む暇すら無いんだワ。――
「……いてててて……痛いよローシア。」
外の気配を探っているローシアの視線はユウトには向けられない。
「……どうしたのローシア。なんかおか……」
ローシアは外の様子を扉の隙間や窓のカーテンをゆびで隙間を作り見ている。
あまりの真剣な顔に言葉が続かない。
ローシアの元に静かに近づき、片膝をついてローシアの視線に合わせる。
「なにか……いるの?」
「さぁ……わからないんだワ。見えないけどいる事は間違いなさそうなんだワ。」
「もしかして……クラヴィかな……」
「違うんだワ。あいつの気配じゃない。全く別物よ……んで、その名前は当分聞きたくないから、少なくとも今は言わない事ね。」
「ご……ごめん。」
こんな時にもローシアの逆鱗に触れそうになってしまった事に我ながら空気が読めないなと自らを嫌悪する。
「ここからミストまではアンタの足じゃ逃げ切れるかわからない……でも……」
「でも?」
「アンタは必ず守る。」
「ローシア……」
「勘違いしない事ね。アタシ達の悲願のためなんだワ。」
「……」
悲しいが、ユウトは姉妹に生かされている状態と言っても過言ではないのだ。
「とりあえず、レイナが気づくかどうかわかんないけど、ギルドに向かって走るんだワ。」
「敵はどこにいるの?」
「見えないからわからない。一人かもしれないし複数人かもしれない。」
「複数って……どのくらい?」
「多分、十……いや、二十人かしら」
「そんなに……」
「アンタはとにかくアタシの後ろにいる事。最悪アタシが足止めする。」
「足止めって……ローシアが捕まったら……」
「その時はその時ね。捕まるつもりなんて微塵もないけど。」
「その時はその時って……無茶じゃないか。」
「そうなんだワ。無茶だワ。でもそれしかない。」
深妙な表情で語るローシアを見て、差し迫った危機を突きつけられる。だがユウトは受け入れられない。
「そんなの、無茶ならここから出る以外の方法を……」
「ないんだワ。」
「え?」
「ここにくる間、気配はあったけど、近づくにつれてどんどん囲まれていたんだワ。最悪ここがバレてるかも。」
「まだバレてないの?」
「……バレてたらとっくに人数差で取り囲まれてるんだワ。だからまだバレてない。でも、どこから逃げても同じね。囲まれるんだワ。」
まだ居場所は割れていないものの人数差がある状態。覆すには隠し地下道があれば良いのだろうが昨日家の中を確認したときにはそんな便利なものはなかった。
ローシアは一度呼吸を整えて現在の状況と最善策を脳内でまとめて見直しユウトに向き直った。
「いいこと?アンタのやるべき事は、レイナと合流する事。アタシの後ろにいれば道は作れるはず、その後はミストに向かって走る。それだけを考えて……」
「ダメだよ!ローシアも、ローシアも一緒に逃げよう!」
ユウトの表情が緊迫している現実を受け止めた顔になっていた。
「バカね。止めることができるのは、今はアタシだけ。なら止めるしかないんだワ。」
「……」
「全く……突然運命が動き出したかと思えば手荒い歓迎だこと……でも……嫌いじゃないワ。そういうの。」
こんな危機迫った状況で何をいうのかとローシアを見つめると、ほんの少しだけ口角が上がり楽しんでいるように見えた。
瞬間、上がった口角が下がりユウトの肩に手を置く。
「心配してくれてありがと。アンタのそう言うところ、嫌いじゃないんだワ、」
「ローシア……」
ローシアの固い決意に水を差すわけにはいかない。ユウトも腹を括った。
「ミストの位置……わかるかしら?」
「……うん。わかるよ。一度通った道だからね。」
「そう……よろしい。なら……」
ユウトの腕を軽く握ると。
「行くわよ!!」
掛け声とともにドアを打ち破るように開けて走り出した。
ローシアに引っ張られるようにしてミストに向けて駆け出した。
速度を緩めることなく走るローシアについていくのが精一杯で、脚がもつれそうになるのを堪えながらなんとかついていく。
家から出て真っ直ぐ南に。家からギルドの中間地点なる最初のY字路を右方向に進み、城壁にぶつかるまで進めばギルドに着く。
ローシアに引っ張られ目的のY字路が見えてきた。ユウトの身体能力では限界に近い速度でここまで来てすでに息が切れかけている。
風を切りながら揺れる景色の中でローシアの声が小さくはあったが確かに聞こえた。
「……チッ やはり囲まれているんだワ。」
目の前に紫の塊が見えた。塊の輪郭が見え始めるとローシアが速度を緩めている事に気がつく。
ようやく自分の身体能力に見合った速度まで落ちると紫の輪郭は人の群れのだとわかった。抜け道はない。袋小路のように隙間を埋めるように立ちはだかっている。
全身顔まで隠れるほどの紫のローブを見に纏った不気味な集団。ざっと見積もっても二十人はいる。
壁の様に進行方向を埋め尽くす様にこちらを伺っているようでまだ動きはない。立ち止まった二人は後ろを振り返る。来た道も辺りからわらわらと紫のローブの集団がどこからともなく埋め尽くしていた。
ゆっくりと取り囲むように円になりその中心にはローシアとユウトがいる。
「まったく……人をつけたり取り囲んだり……どんな教育を受けたらこんな品のない行動をするのかしら。」
「囲まれたね……」
「そうね。いささか予想以上の人気ぶりなんだワ。」
「狙いは僕なのかな……」
「さぁ? 相手は聞く耳持たずのようね。」
紫の群れはゆらりとローブを揺らしながらゆっくりと二人に近づいている。取り囲む気だ。ローシアがローブの連中に聞こえないように語りかけてくる。
「いいこと?私の背中に何がなんでもついてくるのよ。多分あいつら一人一人は大した事ないけど……でも悪いけどこの人数じゃアンタに構ってられないんだワ。」
「うん……わかった。」
固唾を飲む間もなくローシアは無言で前方に突っ込んだ。先頭にいたローブで隠れた顔が上側に跳ね上がる。ローシアの先制攻撃だ。
突然の攻撃に耐える事もできずローシアの振り上げた拳に仰反るように後ろに倒れ込むが、周りは気にする事も臆する事もなくローシアを捕まえようと取り囲むようにして全員が手を伸ばす。
前方を開けようと試みるローシアに。
「後ろ!」
羽交締めを試みていた幾人かを見やると、身軽に頭上まで飛んでこめかみ付近を蹴りで薙ぎ払う。
――アタシの攻撃に反応できるほどの力はなさそう……だけど早めにケリを……――
ローシアの攻撃で四人が倒れ込みそうになっている所にようやくユウトが見える。後ろからも囲うようにローブの群れが両手をあげて襲い掛からんばかりに迫っている。
――時間がないんだワ。もっと……もっと早く……――
ミストの方角は紫色に染まっている。簡単には通れそうにはない。だが、突破が先決。
拳を固く握ると、気勢を腹の底から吐き出すような声を出し、前方の壁になっている連中を先ほどとは目を見張るほどの速度で殴り倒す。
右手前の顎を拳で突き上げるとくるりと横に回って左手前の頭を蹴りで打ち抜き、その反動で別の頭に狙いすました肘を打ち込む。
人から人に飛び移るようにして、目にも止まらぬスピードで薙ぎ倒す。
的確にそして風のように音を立てて速く、定められた動きを永遠とこなす機械のように的確に薙ぎ倒していく。
しかし、ローシアは違和感を感じていた。
――おかしい…………手応えがほとんどない。なんなのこいつらは……でもやるしかない!――
手応えのなさは、声にもあった。このローブの連中は、ローシアの攻撃を食らっても声を発しない。
声はダメージが通っているか判断できる材料になりうる要素だが、無言だ。
攻撃が意図したところに当たっている感触はある。戦闘不能のダメージもあるはず。
だが、全員同じ色、形のローブを着て背丈も似ている。本当に倒れているのか、また起き上がって襲って来ているのではないかという懸念が拭えない。
――やっぱり、全員を相手するのではなく、隙があればユウトを逃す!
動きを追いかける間にローブが折り重なるように地面に倒れていくところをユウトがやっと追いつく。あまりにも速い。
ユウトの走る速度をあらかた計算して辿り着く頃には前方を切り開くことができる、いや、そうしなければならないとローシアは立ち回っていた。
大方予定した通りの展開になり好機と踏んだローシアはユウトに向き直る。今なら正面突破は可能だ。
「今よ!……」
計算外だったのは後ろのローブの連中だった。
想定よりも速くユウトの後ろに迫ってきていた。
一人がナイフを出し、数人ががユウトの身体を拘束せんと両腕を広げて羽交締めにしようとしているその時だった。
「後ろ!……」
ローシアの注意を促す声は虚しく、ユウトが振り返る前にしがみつかれて地面に叩きつけられた。
「……ぐっ!」
自由を奪われたユウトは全身を地面に打ち付けて衝撃で弾んだ。頭も打ったように見えた。力なくローブの連中の思うがままにされて拘束されている。
ローシアの顔が険しく歪む。
「……くそっ! あっ!」
ユウトを救おうと身を翻したローシアの足は、薙ぎ倒された者達がゾンビのように掴みかかっていて、すでに自由に身動きが取れないほどの手が足から脹脛を掴んでいた。
「くそっ!」
絡みつく手を振り解かんと脚をばたつかせようとするが、四人がそれぞれ四肢を掴み逃がさないように自由を奪う。
「くそっ!くそっ!アタシは、絶対に守るって……」
紫ローブの奴らの中から一人、品のない笑い声が聞こえた。
「いやはや、ようやく出会えましたねぇ。ああああああ興奮が溢れる。満ち溢れる。」
紫のローブを着た一人がフードをあげて顔を見せた。髪がボサボサで痩せ細った肌が病的にどす黒く艶のない中年男性が口角が上がるところまで上がったピエロのような笑い顔でローシアを見た。
「誰よ、アンタ……」
「フフン。自己紹介は……しませんよ。ええ。する意味が、ないっ! それよりもどうですか?あなたよりも明らかに弱い奴らに体の自由を奪われるのは……」
「……アンタがこいつらのボスってわけね。」
「いやいや、いんやー?違いますよ? ボスではなく……こいつらは人形ですから『こいつら』と称するものではないですね。……そうですねー……あえて言葉にするのなら……人形ですかねー? あやー!そのまんまじゃないか!」
人を小馬鹿にしたような言い方。ローシアの癪にありったけ触れてくる。このローブはイクス教のものではないことはわかる。イクス教のローブは白しかない。そしてイクス教は国教だ。それ以外の教えは邪教とされる。ヴァイガル国の人間ではないと考えるには充分な根拠になる。
「悪いけどそいつ、離してくんない? 関係ないでしょ?」
思い切ってカマをかけてみた。魔女の末裔と全てを知る者。この二つの理由で追いかけられるのは間違いないはず。もし、全てを知る者と知らないなら、ユウトを捕まえる理由はないはず。
「はははははご冗談を。なぜ?私が?この好機に?離さなければ?ならないのか?教えて?くれませんか?」
うまくローシアの質問をはぐらかされた。舌打ちをするローシアはすぐに次の質問だ。
ここは時間を稼ぎたい。レイナが気がつくかもしれない。
「アンタ、こんな事して名乗らずって卑怯じゃないの、アンタそれでも男なの?」
「むむむむむむ、名乗る必要がないのは、色々と理由があってですね……んまっ!いいでしょう!あなたがそういうのであれば! 私としてはお楽しみは最後に取っておきたいのです……ええ、ステーキの脂身と同じで。口当たりの良いものは最後にとっておく……この気持ちわかりますか?」
「わかんないんだワ。脂身嫌いだから。」
「アハー! 失礼失礼! 食の好みは千差万別ですからね。これは私の不徳の致すところ。」
深々と礼をするが、顔だけローシアに向く。
「それでは自己紹介……んのっ!その前に、こいつの胸を裂いてからにしましょうかね。その方がいい! 絶対! 絶対にぃ!自己紹介は、胸を裂いた後で。決定です!でっす!」
「――は?」
守るべき人物、ユウトの方を向くと両腕両足を四人が馬乗りになるように押さえ込み、立っていたもう一人が小刀を抜き、ユウトの胸に品定めをするかのように手を当てた。
「さぁ! ブスリと、ざっくりと!グリグリと。いいですか?心臓ですよ?思ったよりも左側……いえ、あなた方から見ると右ですね……そうそうそうそのあたりですね。そこを!まさに!地面に!突き刺すように!一気に!一思いに!体重をかけて!」
胸を裂くつもりか!
「くそっ!ユウト! ユウト!!」
呼びかけ虚しく反応はない。
「あはぁー!はぁー!……やりなさい。」
小刀を逆手に持ち直し、意識が虚になっているユウトの胸に鈍色に光るタガーを胸にあてがう。
「やめてぇぇぇぇ!!」
またしても……私は誰も守れないのか。
どんなに血を吐くような鍛錬しても自分の運命を覆せず、受け入れることしか道がないのか……
私は何のために……
タガーを胸を貫いた時、全てが終わる。失敗だった。また失敗した。昨日はあの女にやられた。今回は人数がいるとはいえ明らかに力のない奴らにやられた。取り返しがつかないところまで追い詰められた。
もうだめだ……
あと数回瞬きすれば終わる。
狙いが定まったタガーは、ユウトの胸を貫く前に、ローシアは歪んだその景色を見る事なく、砂を握りしめて地面に突っ伏した。
暗い視界を切り裂くように、グシャリという音が耳朶を打った。
そして、
「私はアルトゥロ。アルトゥロ・ロドリゲスです。どうぞお見知り置きを。今後とも、どうぞ……どうぞよろしく……アハー!!」




