第五章 42:開始
第五章 42
待機部屋の扉が開かれて、ダイバ国の警備兵が現れると
「時間です」
その時がやって来た。ローシアは寝っ転がっていたベッドから勢いよく起き上がると、鈍い音が聞こえるほど拳を突き合わせ「行くワよ!」とユウト達に気合を入れて言って兵士を押し退けて部屋を出た。
レイナは思い詰めた顔をしていたが意を決してユウトに
「ユウト様、必ず勝って見せますから」
と告げた。
「うん。わかった。」
レイナの気持ちを汲んだが、ユウトは安心はしていなかった。何をしてくるかわからない三姉妹の事を最大限に警戒していて、ローシア達が負けるとは思っていないが、何が起こるかわからない心算でいる方が良いと思っていた。
二人はすでに兵士が去ったドアから出てローシアを追った。
試合会場までユウトは考えながら歩いていた。
この試合の結果で、ヴァイガル国かドァンク共和国に加担する国が決まる。
ダイバ国側の思惑の通りに進めたいのであれば、ヴァイガル国がこの国で暗躍している上に、ドァンク側の劣勢を作り上げるために何をしても勝ちに来るはずだ。
ドァンクを劣勢にさせる思惑はおそらくアルトゥロ個人のもので、第一にカリューダの聖杯が目的だ。アルトゥロの狙いは魔女カリューダを現代に蘇らせることであり、そのためにはユウトが受け継いだカリューダの聖杯がどうしても必要なのだ。でなければ誘拐など国のいざこざになりかねない騒ぎを起こすはずがない。
ダイバ国のシューニッツ家にまで暗躍するヴァイガル国の行動の全ては、実質アルトゥロ個人が動かしているはずだと考えていた。
エミグランの館を襲ったのも全ては魔女カリューダを蘇らせるという悲願のため。
執拗に聖杯を入手することに執着するアルトゥロが、ここにユウトが存在しているとわかって、全ては聖杯を狙っての行動だと考えていた。
前回さらわれた時に聖杯が手に入らなかったにもかかわらずこれまでの出来事でリオスが現れたり、ドァンクに不利になるよう画策し、もはやヴァイガル国の関与を隠そうともしない全ての行動は、『聖杯の手に入れ方をすでに取得している』と考える方がしっくりきた。
この試合も、きっと一筋縄ではいかないだろうし、アルトゥロが関わっていることを知っても知らなくてもローシア達は充分に警戒している。
逃げる選択をしなかったユウト達が得られる最高の結果として、ドァンクとダイバ国が対ヴァイガル国となる同盟のような関係になることだ。
たとえこの試合に何が仕組まれていても勝つことで何かが変わるかもしれない。
淡い期待が戦略ではあるが、現状その手しかない状況でローシア達が下した判断の審判が、もうすぐ開幕する。
人が通るにしてはかなり大きな両開きの扉の前に兵が両脇に立ってユウト達を待っていた。この奥が試合場になる。扉の奥から歓声が聞こえて来てすでに観客は入っているようだった。
扉の前に三人が立つと左の兵が「もう入場できますが、入りますか?」と尋ねて来た。
ローシアは大きく息を吐き出した後、「ええ。入るわ」と返すと二人の兵は顔を見合わせて頷き、それぞれが取手を持ち、腕と体を使って力を入れて扉を引く。
軋む音が歓声にかき消されるように扉は開かれて試合場は三人の目の前に現れた。
「いくワよ」
振り向きもせずにローシアが大声で言うと三人は試合場の中に入っていった。
ざわめく観衆の視界に映ったドァンクの使者であるユウト達に声援など送られることはなかった。
まるでこれから三姉妹にやられる悪役になったような重たい雰囲気がのしかかって来た。
見上げるとドーム型に作られた剣舞館は、百八十度にわたって観客席があり、中段にはボックス型の来賓席もあった。
少し歩くと中心部には正方形の膝くらいの高さで舞台があった。ここで戦うのだろうと三人は何も言い合わせなくてもわかった。
向こう側にはシューニッツ三姉妹がすでに待ち構えていた。ローシアは凝視して睨みつける。
「随分と余裕があるんだワ」
遠くから三姉妹のそぶりはわからなかったが、ローシアには余裕があるように見えたのだろう。
ユウト達はシューニッツ三姉妹の向かい側に立ち、三姉妹と向き合った。
少しして正装した男性が舞台に上がった。観客の歓声は大きくなり、男性が三姉妹とユウト達に手招きで舞台に上がるようジェスチャーする。
「いくワよ」
ローシアが先頭になって舞台に上がると二人も頷いてついて行き、男性のところまで歩いて行った。白髪混じりの髪をオールバックにした中年男性で、見るからに鍛え上げられた体が目立つ。
男性に近づくとにこやかに手を差し出して握手を求められた。そして
「私が今日の審判を務めます。どうぞよろしく」
と自己紹介すると、ユウト達に順に握手をした。
その後、シューニッツ三姉妹が遅れてやって来た。
一番年下のサリサが仁王立ちしてユウトたちを指差した。
「あんたたちよく来れたわね。その勇気だけは認めてあげるわ」
「サリサ。仮にもお客様なのですよ? もう少し言葉を選んで話しなさいな」
ジュリアは妖艶にサリサ諭したが、あっかんべーと舌を出してそっぽを向かれてしまい、呆れて顔だけ反対を向いた。
二人の間から、マリアがにこやかにゆっくりとやってくると「審判様。今日はよろしくお願い致しますね」と微笑みながら手を差し出すと、審判は恐縮したものの、威勢の良い返事を返して手を差し出し握手をした。
握手を終えるとマリアは懐から魔石を取り出した。
思わず警戒して身構えたローシアとレイナを見たマリアは。
「大丈夫ですよ。まだ試合は始まっておりませんから。」と二人の警戒を解くように手のひらを二人に向けた。
マリアは魔石を握り込むと大きく息を吸い込み話し出した。
「皆様、ようこそいらっしゃいました」
突然マリアの声が大きくなって驚いたユウトは体がビクッと反応してしまった。
「な、なにあの魔石……」
ローシアはその魔石の正体がわかって構えを解いた。
「拡声の魔石ね。持つ人の声を大きくするだけの魔石よ」
ローシアとユウトのやりとりなどそっちのけで、マリアは観客席からの声援を浴びながら話を続ける。
「今日は我がダイバ国の行く末を占う投票の最終日でございます。ヴァイガル国につくか……はたまたドァンク共和国と手を取り合うか……我々シューニッツ家一堂は、このような大きな決定をシューニッツ家のみで決定するのではなく、皆様のご意見も伺う必要があると考えて此度の選挙を決定いたしました。どうか忌憚なき意見を込めた皆様の票を頂きたく存じます」
マリアは深々と礼をすると、観客の歓声は剣舞館全体が揺れそうなほど響き渡った。
マリアはにこやかに全方向を向きながら手を小さく振った。
そして歓声が少しおさまってからまた語り出した。
「今日は、皆様のお考えをまとめていただく大切な日ではございますが、余興として今回ドァンク共和国で腕の立つ三名と戦います。観客の皆様はご存知ないかもしれませんので私から紹介させていただきます」
マリアはローシアを見て「いいかしら?」と尋ねたが、不機嫌そうに顔を背けて返事を返さなかった。
マリアは笑顔でローシアとレイナを手で指し
「ローシア様とレイナ様。ドァンク共和国でエミグラン様に支えている従者の方々ですわ」
ローシアは従者という言葉に眉をピクリと動かして
「従者っていつアタシがそう言ったのかしら?」と不機嫌をあらわにして問う。
「あら、従者でもない人間がダイバ国の首長に物申しにきたのかしら? わたくしはてっきりエミグラン様の名代として来られたのかと……」
ローシアは顰めた繭を戻すことなくマリアから顔を背けた。その様子を見たマリアは鼻で笑ってからレイナを手で指した。
「続いてレイナ様です。ローシア様と双子の妹……見た目には歳の差がありそうなお二人ではございますね」
ローシアはマリアに聞こえるほどに大きく舌打ちした。
「そして、こちらの男性がアキツキユウト様……到底戦う事なんて物騒なこととは無縁の方のように見えますわ」
というとマリアが意味ありげににやけた。
「ですがこの方はあの大災の魔女……」
大災と聞いて観客はどよめきはじめローシアとレイナはマリアを睨んだ
「ちょっと待ちなさいよ!そんなことまでこの場で言う必要ないでしょう!」
ローシアがマリアに詰め寄ろうとすると、ジュリアがマリアの前に立ちはだかる。
ジュリアはローシアを見下ろして「あらあら……まだ試合も始まってないのに……」と言って右手をローシアに向けた。
「それとも、もう始めます? 三対三で……それでも構いませんけど?」
ジュリアの大胆な提案に乗るわけにはいかなかった。今すぐ始めるのはユウトを巻き込んで戦うことになるし、何を仕掛けてくるかわからない三人をまとめて相手する事はかなり不利だ。
何もかも三姉妹の都合の良いように進められていく。覚悟はしていたが思ったよりも大胆に行動に移されてローシアは舌打ちするのが精一杯の反抗だった。
マリアはローシアが何も言わずにとどまったのをみてから、続けた。
「大災の魔女、カリューダの力を受け継ぐ者です!」
カリューダという言葉で会場のどよめきは一気に増した。
「魔女の力を持っているだって……」
「ドァンクにはそんな奴がいるのかよ」
「殺せぇ! 魔女に裁きの鉄槌を!」
「粛清の炎を!」
「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」
「生かして返すな!殺せ!」
観客は魔女に対し拒否反応が凄まじく、次第に物騒な言葉まで飛び交ってユウトへ相当数の殺意が向けられた。突き刺さるような怨念がこもった言葉がユウトに降り注ぐ。
ローシアはまさか三姉妹にユウトの素性を知られているとは思ってなかった。
ユウトが全てを知る者であると多くの者が知っている。少なくともエミグランがオルジアたちに話していたし、イクス教神殿で黙示録と呼ばれた石碑をユウトが壊した事はヴァイガル国にも知られているはずだ。だが、カリューダの力を持っているとは知らない。その説明は内部にも敵を作りかねないとエミグランが判断したからだ。ユウトがカリューダの聖杯を受け継いでいるという事を知る者はほんの一握りしかおらず、ローシア、レイナ、エミグラン。そしてアルトゥロだ。
誰が三姉妹に情報を流したかと考えると、アルトゥロしかいない。
これでこの試合の目的がはっきりとわかった。アルトゥロの目的がカリューダの聖杯のみなら、狙いはユウトだ。
聖杯を手に入れるためにアルトゥロがこの試合に関与するつもりなのだろうと答えに辿り着いてローシアは奥歯を噛み締め、レイナも同じくローシアと同じ考えに辿り着いていた。
――思えばユウトは試合を避けようと言っていたワ……もしアルトゥロが関与しているなら本当に言うとおりにすればよかったかもしれない……何を言ってももう遅いけど……――
ユウトの勘は正しかった。少しだけ申し訳ない気持ちが湧き、ユウトに視線を向けたがユウトは堂々としていた。それどころか観客席をみてより気持ちが強くなったのか、困難に立ち向かう強い意志を感じられた。
「ユウ……ト?」
今この場の悪意と殺意がユウトに向けられても、ユウトは動じていない。それどころか萎縮し始めていた二人を見て
「僕は大丈夫だよ。この場にいる皆に嫌われたってなんとも思わない。僕はローシアとレイナを守れるなら後はどうなってもいい」
とまるで意に介していなかった。
「ユウト……」
「ユウト様……」
「でも僕がカリューダの聖杯を継ぐ人間ってバレちゃったね、へへへ」
でれたように笑うユウトに対し怒りの沸点にすぐ到達したローシアは右足で何かを踏みつけるように地団駄を踏む。
「へへへじゃないワ! アンタどう言うことかわかってんの!?」
「わかってるよ。アルトゥロが何かしてくることくらいは」
ユウトの顔が引き締まってローシアは心臓が高鳴った。掴みどころなくいつもぼんやりしているユウトではなかったからだ。
「大災の魔女……世界に忌み嫌われた魔女の力を継ぐ僕がこうやって憎まれるかもしれないって覚悟はしてた。遅かれ早かれこうなる事はわかってたんだ……」
「ユウト……アンタ……」
ユウトは、二人が見たことがないほどに優しく人柄の温もりが感じられる笑顔になって
「僕は大丈夫だから……誰にも文句がつけられないくらいに勝とう!」と、ありえないほど真っ直ぐな思いをぶつけてきた。
悪意に満ちた罵倒がかき消されるくらいに、ローシアとレイナの心に響いた。
ユウトは相手が何をしてくるかわからないと言うのに、恐れてなどいなかった。
それどころか世界を敵に回したとしても大丈夫だと言えるユウトの勇気にローシアはふっと体の力が抜けた。
そして一つの結論が出た。
ローシアは口元を緩ましてレイナを見やる。レイナは勘づいていた。姉妹の絆がローシアの心を詳らかに教えてくれた。
「お姉様……」
「ええ。レイナ。アンタに迷惑かけるかもしれないけど……」
レイナは首を横に振った。
「いえ……お姉様とユウト様が心を決められているのなら、私は従います!」
「そう……ありがと」
「ちょっとあんたたち! まだ話してんの!?」
サリサがローシアに詰め寄ってきた。
――!!
ローシアが顔を歪めた。
ユウトは何が起こったのかとよく見ると、サリサがローシアのつま先を踏んで捻っていた。
「私たちはダイバ国を代表する人間なのよ。こんなくだらない試合で時間取られたくないワケ。わかる?」
サリサが詰め寄りつま先を踏んだ姿に歓声がわきあがる。
「フフン……それにあんたたちはあたしたちの引き立て役ってワケ。わかる? ドァンクの命運はあたしたちが握ってるってワケ」
ローシアはサリサをじっと見た。
「可愛いからってそんなに見ないでほしいわ。どうせ選挙の結果なんて決まりきってるんだから。暇つぶしに付き合ってあげてるってワケ。だからさっさと終わらせたいのよ」
ローシアは何も言わない。
「何か言いたそうね?」
サリサはローシアのつま先をさらに強く踏み締める。歓声と殺せ!と言う声が入り混じる中でローシアは
「別に……さっさと始めるんだワ」
と、踏まれていた足を強く引き抜いた。
「両者そこまで! 第一試合を開始いたしますので下がって!」
審判が二人を制すと、サリサはバカにしたように笑いながら戻っていった。
「ローシア! 大丈夫!?」
ユウトはすぐにローシアの足元を見たが「大丈夫なんだワ」と歩き出した。
「そ、そっか……ならいいけど」
「……ありがとね」
突然の感謝の言葉に思わず「え!?」と漏らした。何を感謝されることがあったのかユウトがわかっていなかった。
わからないまま舞台の外まで出ると審判が拡声の魔石を握り込み、紙のメモを取り出して読み上げた。
「第一試合! サリサ・シューニッツ! ローシア・リンドホルム! 前へ!」
呼ばれたローシアは両手で頬を叩いた。
歓声は全てサリサの応援の中
「ローシア!頑張って!」
「お姉様ならきっと勝てます!」
二人の応援がローシアの支えだった。
「大丈夫、任せて」
ローシアは舞台に上り、サリサが待つ中央へ向かった。




