第五章 38:一騎
オルジアは馬に乗ってすぐに現場に向かった。タマモを置いていくにもいかず、後ろに乗せて馬の尻を叩いた。
嗎と共に、戦闘が発生し砂塵が舞い上がる場所に辿り着く
「何だこれは……」
おもわず驚きが漏れるのも仕方なかった。ゴブリンの群れがエドガー大森林からドァンク陣営に向かって不気味な声を上げながら狂気乱れ舞うようにドァンク陣営に突撃して来ていた。
遠くから聞こえる何百、何千にも見えるゴブリンの大群は、地鳴りを起こしながらドァンクの仮設拠点に向かって来ていた。
「バカな……ゴブリンがこんな大群で襲ってくるなんてことがありえるのか!」
ゴブリンは子供のような体躯から、群れになっても獲物を襲う。しかしそれは一集落程度の群れであって、大群を率いるような統率力も知識もないはずだった。
だが目の前の状況は、ゴブリンが数の力でドァンク陣営を襲い掛かろうとしているようにしか見えなかった。
「おっちゃん……僕、見た事ないよこんな大群」
タマモが後ろでオルジアにしがみつき、声を震わせ今にも泣きそうだった。ゴブリンがこんなに大群で我を忘れたかのように襲いかかってくることは、オルジアのこれまでの経験から全く記憶になかった。
「ゴブリンとはいえこんなに大群で襲われたら……」
まともに戦えば傭兵達が疲弊し、ヴァイガル国に立ち向かう前に全滅すらあり得ると最悪の事態がよぎり始める。
「くそっ!なぜこうも向こうの都合よくゴブリンの群れが現れるんだ!」
都合の悪い不運に嘆く暇を憂うくらいならと急ぎ馬の腹を蹴り、傭兵達が集まっている場所に駆け出した。
「やけに姿を見せなくなったと思っていたが……」
ミストドァンクで受注する依頼を取りまとめていたオルジアは、ここ最近の魔物駆逐の依頼がかなり減っていて、嵐の前の静けさのような不気味さを感じたのだが、今まさに不安が現実になって大群となって押し寄せていた。
まずは前線を作り迎撃する体制を作る事が最優先。相手は数が多くてもゴブリンであり、戦いの知識はないはずだと体の大きいギオンを探したが、すぐにタマモがオルジアの鎧をあわてて何度も叩いた。
「おっちゃん!まだ逃げそびれた人たちがいるんだ!」
「くそっ! どこだ!」
「ほら!あそこ!」
タマモの刺す方向を見ると、明らかに軽装な数名がこちらに向かって必死で走っていた。
オルジアから向かえば驚いて足を止めると後ろからゴブリンの餌食になるだろう。正面からではなく横から切り込みたいが、必死で逃げている獣人達の合間を縫って騎乗しながらの戦闘は困難だ。
「いかん……これじゃ迎撃もままならない!」
「おっちゃん!」
タマモは冷静だった。起こっている事を具にオルジアに報告するよう努めていた。
「今度は何だ!」
「ギオンがいるんだ!」
「なに! どこだ!」
オルジアの左前方に一際体の大きなギオンが、重装兵の隊列を急いで指示していた。
傭兵部隊がゴブリンの大群を受け止めるように盾となる重装兵を一列に並ばせている最中だった。
すでに列の中央で最前線にいて列を作ってゴブリン達を受け止めるような陣形で、オルジアもその策に異論は全くない。むしろすぐに動いているギオンに感心していた。
しかし、準備不足なのは明らかで陣というよりも、前線に人員を置いて、先に進ませないようにするためだけの壁を即席で作った付け焼き刃のように見えた。
それだけ不意をつかれた突然の攻撃だった事がわかったし、突然の戦闘体制に普通なら慌てふためく中でよくここまで前線を作ったとギオンの判断の速さを心強く感じた。
「ギオン!」
前線部隊の少し前で指示を出し続けていたギオンがオルジアが現れたことに気がついた。
「おお!やっと来てくださったか!」
「状況は!?」
「すまぬ!見ての通り防戦一方!戦闘員以外の避難が終わるまで戦闘は控えて前線を作る事を最優先にしている!!」
「あのゴブリンの大群に襲われた者はどのくらいいるんだ!」
「わからない!見ての通りまだ完全には逃げきれていないゆえ、おそらくは何名かは……希望的観測ではあるが」
聞くまでもなかった。しかし危機が訪れた時こそ良い知らせを聞いて反転攻勢の狼煙としたいために念のため聞いたが、予想通りの回答で「そうか」と返す。
ギオンもオルジアの聞いてきた意図は理解しており
「だかしかし!ミストドァンクのティア2以上の傭兵は遊撃隊として出撃済みですぞ!」
前線の盾に向かって走って逃げてくる獣人達を、見慣れたミストドァンクの獣人傭兵が遊撃隊として数人で固まり、非戦闘員の被害を防ぐべくヘイトを買うためゴブリンに牽制気味の攻撃を仕掛けては引く動きを繰り返していた。まさに身を挺して戦って退路を確保していた。
まだ前線までゴブリン達の群れが到着するまで幾許かの猶予はあるだろうが、こちらに逃げてくる獣人達よりもゴブリンが押し寄せる速度の方が速い。
このままだと前線に到達する前に命を落とす獣人がいるかもしれない。
だがギオンはそれを許さないだろうとオルジアは理解していた。
「ギオン!無理はするなよ!相手は命知らずに突っ込んできているからな!」
「承知!」
馬を返して前線に向いて飛び出し辺りの様子を伺う。ゴブリン側は陣も策も何もなく、本能の赴くまま突撃しているように見えた。
「命知らずで突っ込んできやがる……気でも狂ったのか……」
もうヴァイガル国との軍事行動もあり得る時期だというのに……と奥歯が鳴るほど歯痒さを噛み殺す。
「おっちゃん!あそこ!」
タマモが右側を指差す方向を見ると、そこゴブリンの小隊らしき群れに、今にも追いつかれそうな非戦闘員の獣人達が懸命に走って前線に向かって来ていた。
遊撃隊の視界から抜け落ちたのか、周りには傭兵はいなかった。
近くの川で水汲みをしていたのか、皮袋を持つものや木製のたらいを頭に被せるようにして必死で逃げていた。
「た、助けてくれぇ!!」
ドァンクに住む誰の怪我も許されるはずはない。
オルジアは「くそっ!」と眉を顰めて助けを求める獣人達に向かうため、馬の腹を蹴った。
ゴブリンの群れは命知らずと言えるほど、全身全霊の力で襲いかかって来ていた。振り下ろした棍棒で仲間の頭を間違って砕こうがお構いなしに棍棒を振り回している。
――まだ何も始まってないというのに……――
襲われている獣人達の後ろにいたゴブリン達を、馬で跨ぐように飛び越えると、持っていた槍を叫びながら振り抜く。
「イギイッッ!」
「ガァァァァァァ!!」
「ヒギッ!!」
追いかけていたゴブリン達を割るように槍が体を砕き、裂く。
そのまま地面に着地させて勢いのまま走らせて、手綱で操りながら迂回する。
ゴブリンは仲間がやられてもお構いなしに獣人達を追いかけていた。
「おっちゃん!」
タマモが一人の獣人が足元を取られて激しく地面に転がったのを見ておもわず大声を上げた。
「くそっ!」
ゴブリン達は転げた獣人に狙いを定めた。腰にぶら下げていた短刀に持ち替えて一斉に飛びかかった。
「やめろおおおおおおお!!!」
オルジアの悲痛な叫びと槍はゴブリン達には届かず、無数の短刀は、獣人の胸から腹にかけて一斉に突きつけられ貫かれた。
「ヒヒヒヒヒヒ!!」
ゴブリンの笑い声がどこからか聞こえた。
オルジアが近づくのも気にもせず、無数の刃は肉を突き刺す感触を楽しみ、まるで穴を掘るように何度も何度も何度も何度も繰り返し抜いては振り上げて突き刺す。
「おっちゃん!! あああ……」
タマモが見ず知らずではあったが、同じドァンクの獣人を快楽と本能のままにナイフを突き立てると言うあまりの残酷な光景に、弱々しく悲痛な声を漏らした。
「くそっがああぁぁぁ!!」
槍を握り直してから貪るように突き刺し続けるゴブリン達に振り上げると、地面から突き放されるように全員が吹き飛ばされ、一人の獣人の無惨な姿が現れた。
タマモがおもわず「ひいっ!」と悲鳴をあげて顔を背ける。オルジアは助けられなかった獣人を『申し訳ない……』と目に焼き付けて血が出るほどに唇を噛んだ。
そして、都合の良いゴブリン襲撃に一つの疑いがよぎる。
――聖書記誕生前に狂ったゴブリン共……明らかにヴァイガル国に都合の良い展開……これが……もしヴァイガル国が仕掛けたのなら……――
オルジアは考えたくもなかったが、先ほどからヴァイガル国が昔の騎士団では考えられない愚策を実行した可能性を疑った。
――もし操っている者がいるなら戦果を確認するためにどこかで見ているはずだ……どこだ――
馬上のオルジアに飛びかかってくるゴブリンを槍で打ち払いながら、周りを見渡す。ヴァイガル国が関与していないか、遠くからこちらを伺っている怪しい人物が注意深く見つめた。
これだけ狂ったように暴れ回るゴブリンの中に何らかの力で操る者が居る可能性は高い。
どんな生物でも命は大切で、ゴブリンも当然同じ。そもそも元々は狡賢い性質だ。こんな大群で数と力で仲間が目の前で頭を砕かれても襲ってくる方が珍しい。
凶暴になったと称する方がしっくりくる。
聖書記の最後の儀式前、ヴァイガル国との国境近辺でゴブリンがドァンク陣営を一方的に襲う理由は、第三者の意図。つまりヴァイガル国側の思惑と考える方が自然だった。
「魔物にまで影響力があるとすれば……」
もし他者を操る力があるとすれば一人しかいない。アルトゥロだ。
エミグランからアルトゥロの能力については聞かされていた。イシュメルとユーシンが死んだ事件の裏にはアルトゥロが関わっていた。ユーシンが操られてイシュメルを殺害し、ユーシンは自刃で自殺した。
他者を操る事ができる能力は、まさに今の状況を意のままに生み出せる人物だ。
怪しい者がいないかを注意深く探る。
――どこだ……どこにいる……この騒動を引き起こした張本人は……――
思考と視線を巡らせる中、オルジアは大きなミスを犯した。
相手がゴブリン。普段ならティア3レベルの仕事だという油断があった。
普段であればゴブリン討伐は、ミストでもミストドァンクでも優先度はそこまで高くない簡単な部類の依頼であるからこその油断だったのかもしれない。
何匹かのゴブリンが、オルジアの死角である後方に忍び寄ってとびかかってきた。
「お、おっちゃん!」
「――!!」
完全に虚を突かれた。槍の攻撃範囲の内側に入られると長い武器では小回りが効かない。間合いにはいられないように立ち回るのは基本中の基本だが、周りに目を向けている隙を突かれて足元でゴブリンが虎視眈々と狙っていた事に全く気が付かなかった。
ゴブリンには人間の子供並の知性はある。狙いはオルジアの背中にしがみついているだけの何もしないタマモだった。
オルジアからタマモの姿は全く見えないが、ゴブリンの狙いはタマモであると飛びかかった軌道と、ゴブリンの性質をしるオルジアは容易に想像できた。
あのナイフに毒が塗られていれば軽傷でもタマモの命が危ない。
「うああああああああああ!!」
狙われていると察知したタマモの悲鳴が、背中からも鎧を振るわせるほどに響いた。
――くそ……何をやってるんだ……俺は……!――
急ぎ狙われているタマモからゴブリンを離すべく、馬を切り返そうと手綱を握ったが、その隙を狙われて前からも別のゴブリン達がが馬の顔に向かって飛びかかって来ていた。
馬さえ止めれば良いと驚かすために飛び出して来たのだろう。ゴブリン達の狙い通りに馬は驚いてけたたましく嘶いて前足を空に向けるほどに立ち上がった。
どう!どう!と馬を落ち着かせて制御するため手綱を精一杯握る。
「うあああああああ!おっちゃん!おっちゃん!」
背中の叫ぶタマモを振り落とさずに駆ける事などできるはずもなく前後から挟まれる形で逃げることを封じられた。
「おるぁぁああああああああ!!」
つんざくような甲高い猿叫が聞こえたかと思うと、オルジアの体に衝撃が走り、手綱を手放してしまい宙にふわりと浮いた。
「……えっ?」
驚いてもれた声の後、馬から剥がされて地面を転がった。
突然の衝撃に記憶が飛んだオルジアはすぐに我に戻って首を起こした。
真っ赤な顔に黄土色の毛並みと六尺棒を握った獣人が跪いていた。背中には何匹かゴブリンを背負っているように見え、罠にかかったネズミのように必死にもがいていた。
「うるせえ!!」
獣人が叫ぶと怒髪天突く勢いで毛を逆立たせ、鋭利な刃物のような硬さに変わりゴブリン達が固まった毛に貫かれた。
「ギャァァァァ!」
「グブゥゥゥゥ……」
「グギギギギ……」
「ガ……ガァァァァ……」
ゴブリン達は体を痙攣させたのち、絶命した。
「……サイ……か?」
オルジア達を突き飛ばしたのは、ミストドァンク獣人傭兵のサイだった。
サイは鼻息荒くオルジアに近づくと、倒れて気を失っていたタマモを左腕で抱えた。
周りのゴブリンの群れは、ケーヴィとユーマがサイに近づかないように守っていた。
「あにちぃ!」
力自慢のキーヴィが力を誇示するように、馬鍬を地面に叩きつけてゴブリン達をたじろがせる。知恵が働くユーマは無言でゴブリン達の攻撃を完全に見切り、翻弄し無駄な努力だと知らしめた。
オルジアは周りの様子を今更ながらに警戒しながら立ち上がると、槍を握り直して「すまなかった」
と言おうとした。
途端に視界がぐらついてまた地面に膝をついた。
そして、頬が熱くなり次に痛みが襲う。
目の前に拳を握って振り切ったサイが見下ろしていた。
「あんた……何やってんだ……」
「……サイ……すまん」
「すまんじゃねぇよ!何謝ってんだ!! 何だ今のは! アンタがぼーっとしている間にタマモがやられるところだったじゃねぇか!」
言い返す言葉がなかった。傭兵としても腕の立つオルジアがゴブリンに遅れをとった。サイには信じられない光景だった。
サイは少し前に同じ長い獲物を使うオルジアに戦い方の基礎を学んだ。
第一に間合いに敵を入れない事だとオルジアは説明したが、今見た光景はオルジアがゴブリンをあっさりと間合いを許した光景だった。
俄かに信じられなかった。
その後はもうすぐにオルジアとタマモを救うべく体が勝手にオルジアに向かっていた。
そして今、足元で見たくもないほど情けなくうずくまるオルジアに歩み寄る。
「早く立てよ! おら!」
胸ぐらの掴んで無理やり力で立たせると、オルジアはまたすまない。と言う。サイは顔を真っ赤に染めて顔を近づけた。
「アンタ……もしかしてあの国に未練があるんじゃねぇだろうな……今になって戻りてぇなんて思ってんじゃねぇだろうな?」
オルジアはサイに当たらずとも遠からず、核心にかする程度に指摘されて少し動揺する。だがヴァイガル国に戻りたいわけではなかった。
言うなら、まだ未練として残る騎士団のプライドが冷静な判断を殺していた。
自分が知る騎士団ならこんな事はしない。誰が指揮しているのか。問い詰められるはずもないのにいるかいないかもわからない誰かを探していた。
「俺は……そんなことは……」
保身のために口走る枕詞の次は続かず、言い淀むオルジアがあまりにも腑抜けに見えたサイはさらに顔を赤くした。
「だったら戦えよ! アンタ目の前で仲間が殺されたんだろ! アンタを慕ってついて来た奴らが殺されたんだろ! なのに周りを見渡して懐に飛び込まれて……なにやってんだよ!」
オルジアに叫ぶように問い詰めるサイの隙を、ゴブリン達が背中からナイフを構えて飛びかかった。
「あにちぃ! あぶねぇぞぅ!」
怒鳴るキーヴィから握りしめていた馬鍬が力一杯放たれて、飛びかかったゴブリン達を熟し切った柔らかい果実のように貫く。
サイはキーヴィの忠告を気にもとめずにオルジアを睨みつけていた。
「アンタにはもしドァンクがダメでも人間だからどこかでやっていけるかもしれねぇ……人間なら食い扶持は簡単に見つかるだろうし、アンタはそんくらいの力がある男だ……だがなぁ……俺たちみたいな人間に近づけねぇ獣人にはドァンクしかねぇんだ!」
怒鳴る声色の奥には、恐怖とも悲哀とも言えない色が滲んで見えた。
獣人が人間並の生活を送るにはドァンクしかない。潰されるわけにはいかない。誰も傷ついたり殺されたりしてはならない覚悟がサイの言葉からじわりと伝わった。
「……サイ」
「オレはよぉ……初めてキーヴィとユーマ以外に仲間と呼べる奴らが出来たんだよ……アンタもそうだ。俺たちを導いてくれる唯一の人間だ」
「サイ!」
ゴブリン達の第二波がサイに飛びかかって来た。
「チッ……ユーマァァ!!」
「……承知」
オルジアの視界の外からユーマの長い舌が伸びて、サイが左腕で抱えていたタマモに巻きついてサイの左腕から離れた。
「今大事な話……してんだろぉが!!」
空に向かって吠えると、サイの全身の毛が逆立つ。
六尺棒を右手で下段に構え、回しながら地面を突き、宙に飛んだ。
目の前にいたサイが視界から消えて、刺す相手を見失ったゴブリン達ががバタバタと山積みに倒れ込む。
その上に、サイが大股を広げて無慈悲に着地すると山積みになっていたゴブリン達の口から吐瀉物が絡まった悲鳴と絶叫が押し出された。
「おでの番だぁぁぁ!!」
山積みのゴブリンに向けて、キーヴィが体を丸めて転がりながら近づき、両手で空高く放り投げるようなカチ上げると、ゴブリンの山は四散爆発するように飛んでいった。
おそらくは初めての空の旅になったであろうゴブリン達は、落下するあいだなすすべなく地面に叩きつけられて行動不能とするには十分な高さであったため漏れなくそのまま動かなくなった。
「よくやったぜ!キーヴィ!」
「おおおお!あにちぃに褒められたぞぅ!!」
嬉しそうに飛び跳ねるキーヴィに恐れ慄くゴブリンは、太刀打ちできないと判断し、サイ達を避けてギオンのいる前線に向きを変えた。
「っと……こうしちゃいられねぇ!」
タマモを抱えるオルジアを見やり
「オレぁアンタを信じてる。人間でも獣人を同じように見てくれる数少ない人間だ。だから、くだらねぇ事で俺たちをがっかりさせないでくれ……頼むよ」
ゴブリンに挟撃を受けたオルジアを見ていたサイは、本当に情けなかった。
平原で隠れる場所も多くなく、知性で負けるはずのない人間、もっと言えば元騎士団長であるオルジアが不意を突かれたのはこの戦闘に集中していないことの証左だ。
誰かが操っているのかもしれないこのゴブリンの大群をまず止める。
最優先すべきはその一点だけだ。オルジアは解決を急ぎすぎていた。
オルジアがやろうとしたのは何の確証もない首謀者を探す独りよがりの傍観者だ。
思いは解決するために戦う、逃げる獣人達と同じ方向を向いてはいるが、何の力にもなっていない。
騎士団長になりたての頃に、ヤーレウ将軍に何度も事あるごとに聞かされた訓示を思い出した。
――国を守る事、国民を守る事……まず目的がブレてはいかん。緊急時ほど冷静に判断をし続ける事は困難を極めるものだ――
冷静になれて「オレは将軍に何を学んできたんだ……」と小さく震える声で心から押し出された。
――騎士団長たる者、兵達の先頭に立ちどんな困難でも切り開く。ヴァイガル国の騎士団長に求められるのは、冷静な判断と絶対的な強さで皆を導く力だ。自覚を持って励むように――
騎士団を辞めたオルジアは、振り返ると深い悲しみに叩き落とされる事を繰り返すうちに、過去に蓋をするように振り返る事をやめていたが、オルジアにとって最も大切な騎士団長の心得までもいつのまにか蓋をして記憶の奥底から掬い上げる事ができないほどに深く暗い闇の中に落としていた。
「今は……違う。オレはオルジア。ドァンクに住む獣人傭兵の……代表だ」
「ああ?! 何当たり前のこと言ってんだよ!」
――当たり前のこと、いつもの日常を破壊されるのはもうごめんだ――
オルジアの眉間に皺が寄る。決断は早かった。
「……サイ。ギオンのところに行ってやってくれ。一人で前線を守っているはずだ。前線の崩壊は全体の壊滅につながる。絶対に突破されてはならない」
サイは顔を赤くして口角を目一杯あげた。
「おおよ! それよそれ!!それを待ってたんだぜ!」
「ユーマ」
タマモを抱えて「ここに」とオルジアの後ろから返事をした。オルジアは振り返って気絶しているタマモの頭を一度撫でた。
「タマモを頼む。目が覚めて動けるようならこの事をエミグラン様に報告するように伝えてくれ。ユーマはサイについて行きたいと思う……すまないがタマモのために戦闘を避けてくれ」
「……承知」
「それで、アンタはどうするんだ?」とサイがオルジアに問うと
「オレはあの大群の動きをできるだけ止める」
「はぁ!? どうやってだよ……まさか!死ぬ気じゃねぇだろうな?」
サイの目には決死の決意に見えた。
オルジアは指笛で馬を呼ぶとキーヴィのそばにいた馬が軽やかにオルジアの横まで駆けてきた。そして馬の首にそっと手を置き、目を閉じて祈るように目を閉じた。その姿にユーマは目を見開いた。
「あの祈り……」
すぐに祈りは終わって颯爽と跨ったオルジアは、三人を見下ろし「あとは頼んだぞ」というと手綱を返して馬の腹を蹴り、ゴブリンの大群の方に駆け出した。
「お、おい!」
サイの呼び止めも風に消されたのか聞こえなかったのかはわからないが駆け出したオルジアは振り返ることも止まる事はなく、ゴブリンの大群に向かった。




