第五章 28:脱出
「ユウトちゃん、こっちよ」
ユウトの手を引きながら走るクラヴィは、邸内から脱出するために二人で走っていた。
最悪邸内の護衛を始末するつもりで、クナイを右手に持ち、左手でユウトの手を引いていた。
ヴァイガル国が直接的にダイバ国に関与している言質は得た。クラヴィとしてはエミグランに報告できる充分な成果だった。
シューニッツ邸で行われたヴァイガル国とダイバ国の荒っぽい対談は、脅迫と言ってよい一方的な通告だった。
聞き方によっては、すでにダイバ国はヴァイガル国の傘下にいてもおかしくない内容にも取れた。
判断に至る精査はエミグランが行い判断することで、今クラヴィが起こす次の行動は、エミグランに全てを伝えることだと結論づけて今走っていた。
警備のいないところを瞬間に判断して止まることなく走る。ユウトはクラヴィに引っ張られながら、そして手を離さないように必死に着いていく。
クラヴィは焦っていた。
ダイバ国は、ヴァイガル国とドァンク共和国に挟まれた第三国の立場だと認識していた。
しかし実際に潜入して蓋を開けてみれば、ヴァイガル国の関与は明白で、エミグランよりも強硬的に懐柔しようとしていた。
――急がないと……街が戦火に……――
クラヴィにとって、ドァンク街は人生の大半を過ごした場所であり、大切な居場所だ。
ドァンクはこれまで戦争はおろか内戦さえもなく、エミグランやイシュメルを代表とする貴族会に統治されて平和を維持していた。それがもう数日以内で崩され、街が蹂躙されると思うだけで、心臓は早鐘を打ち、焦りが顔にも滲みでる。
戦火に燃え、燻る家や人
親を亡くして、亡骸の前で膝を折って叫ぶように泣く子供達
自身の周りの笑顔は守る決意を持ってクラヴィは能力を使って汚れ仕事を引き受けていた。
誰に評価されなくても、見たくない光景を現実とさせないために。
――絶対に、させないから――
外が夜空まで広く見えるほどの大窓との距離を目視で測り、ユウトを引き寄せて飛び出た。
潜入で張り詰めた緊張を緩めるのは、現場から去る瞬間だ。クラヴィはユウトを脇に抱えるようにして人足で庭園に置かれた岩に飛びのり、さらに一足でシューニッツ邸を取り囲む塀を飛び越えると、これまでの任務と同じように緊張の糸が解きほぐされて気が緩んだ。
塀を乗り越えて着地する刹那に
「クラヴィ!待って!」
突然、ユウトがクラヴィの手を引く。
「あそこ!レイナ達だ!」
クラヴィは逃げることに集中していて気が付かなかったが、ユウトが指差す方向の塀の外側で民家の影に身を隠しながら警戒しているローシアとレイナがいた。
「あの二人、どうしてこんなところに……」
クラヴィは驚きを隠せなかったが、手を繋いでいるユウトの少し嬉しそうな顔を見て、レイナが何らかの力を使って探し当てたのだろうとユウトに溶けそうなほどの恋をしているクラヴィは自然とそう思った。
クラヴィ達は姉妹の目の前に近づくと、ユウトが手を離して二人に駆け寄った。
「レイナ! ローシア!」
突然名前を呼ばれた二人は声のした方を見ると、レイナは両手を組んで笑顔が弾けた。
「ユウト様!」
「どうしたの二人とも、こんなところに来て……あいた!」
ローシアがつま先でユウトの脛を蹴り上げて、痛みにうずくまる。
「何やってんのよ!こんなところで!」
「お姉様!」
「いっ……てぇ……」
蹴られた脛を涙目になりながらさするユウトの側にレイナが駆け寄る。
すぐに手を白く光らせて患部に向けた。
「フン!大したことないんだワ。つばつけとけば治るんだワ」
と吐き捨ててそっぽを向くローシアを横目に、レイナは申し訳なさそうにユウトのヒールを続けた。
一通りの挨拶は終わっただろうとクラヴィは咳払いをすると、ローシアはクラヴィの懐に一足で間合いに入った
――――!!
想定外だった。
ローシアの固めた拳が、クラヴィの左脇腹を捉えて打ち込むが、クラヴィの反射神経がわずかに上回って、かすりはしたものの間一髪後ろに飛んで避けた。
「危ないわね、いきなり殴るなんてどういうつもりなのかしら?」
ヴァイガル国で対峙した時よりも明らかに速度が上がっていた。余裕を見せて問うが、内心は穏やかではなかった。
「アンタ……よくもアタシ達の目を盗んでコイツを……」
ユウトは姉妹の所有物ではないと言いたいところだったが、言ってしまえば姉妹と闘うことになるだろうと思い、レイナを見やると、ユウトをヒールしながら視線はこちらに向けられていた。
――なるほど、ワモとかいう人のもとでの修行でこんなにも力をつけたのね。――
数日でクラヴィが見失うほどの速度で詰め寄られた事に驚きを隠せなかった。
見誤ってなどいなく、ローシアの速度が単純に前よりも上がっていた。
「ローシア!待って!」
ユウトがレイナのヒールを遮ってローシアに駆け寄るが、頭に血の上ったローシアは聞く耳など持たず身構えるクラヴィに飛びかかろうとする。
だが、ローシアが踏み出す前にユウトが後ろから羽交締めにした。
「――!」
「やめてよローシア! 僕がお願いしたんだから!」
「アンタ、あの女のことを庇ってるのだとしたらタダじゃ済まないんだワ」
羽交締めにしているローシアの体が熱っていた。
『それは私が証人だよ。彼女はお願いされてここまで来たんだ。』
ユウトが肩から下げている袋からシロが顔を出してローシアを宥めるように語りかけた。
「……フン、アンタ達がそう言うなら信じることにするワ……」
体の力を抜いて大きく呼吸したローシアは、ユウトの羽交締めを、体の柔らかさでするりと抜けた。
「でも、次は少なくともアタシにひとこと言うことね。じゃないとアンタ」
顎でしゃくってクラヴィを指す。
「次はユウトに止められても関係なくぶん殴るから」
強がりではなく、心の底から本心を告げると、クラヴィも向けられた敵意を慣れたように素直に受け止め「わかったわ」と少し寂しそうに言った。
一触即発の不穏な空気はシロが打ち破るように話し始めた。
『それじゃあの館で起こったことをこの二人にも伝えようじゃないか。足りない所は私が補足してあげよう』
シロの提案でユウトはシューニッツ邸で見聞きした全てを話した。情報が足りない所はシロが補足し、ダイバ国とヴァイガル国がすでにつながっていて、元騎士団長のリオスがエミグランを激しく恨んでいる事。
『おそらく、ドァンクが不利になるように何らかの形で関与するかもしれないね。あの様子だと』
と、回想はシロの予測を終止符として締め括った。
中立国として見ていたダイバ国はすでにヴァイガル国に懐柔されているかもしれないと知った姉妹は神妙な面持ちになり、空気がズンと重くなった。
「お姉様、エミグラン様に相談した方が良いのではないでしょうか」
レイナの提案はクラヴィが答える。
「既にタマモが向かってるわ。レオスの事は伝えていないけど、おそらくおばあちゃまは何も言わなくても察するはずよ」
「察する……ねぇ……随分と都合の良い解釈なんだワ」
腕組みをしたままローシアがクラヴィの前に立つ。
「アンタがエミグラン様に命じられた任務はなんなのよ」
「任務? わたしはユウトちゃんに会えればそれでいいだけよ。」
「ふざけんじゃないわよ!」
何気ない会話の呵呵を切り裂くように、ローシアはクラヴィの返事を切り裂くように怒りを口にした。
「アンタがヴァイガル国でアタシ達の前に現れたことは偶然じゃない。どうせ命令されて来たに決まってる。アンタが動くって事は重要なことに違いない事くらいわかるんだワ」
「そう……ね」
「アタシ達に隠し事をするなら、すぐにでもこの国を出る」
ローシアの突然の宣言に驚いたのはレイナだった。
「お姉様! 今ダイバ国を出るとワモ様が……」
「レイナ、少し黙ってて」
突発的な提案にしては冷静。レイナの目からローシアはそう見えた。姉を信じてレイナは言いたいことを抑えて黙った。
「ダイバ国とドァンクの関係がどうなろうとアタシ達には関係ないんだワ。アタシ達は黙示録の破壊……アルトゥロの目的を、カリューダの復活を止めなきゃならないんだワ。魔女なき世界のために」
「ええ、おばあちゃまから聞いているわ。あなた達の目的は」
「そう……ならアタシ達には今回の件は全く関係んだワ。なんなら政争の具にするようなやり方は正直気に食わないんだワ。この国に言いたいことがあるなら本人がここに来ていえばいいんだワ」
「おばあちゃまはヴァイガル国の……」
クラヴィは説明を言い淀んだ。
ローシアは腕組みを解くと、軽く指を広げて喉元に狙いをつけていた。これ以上喋ると、突然その手が喉を掴んで首の骨ごとへし折られそうな圧を感じていた。
「こんな回りくどいやり方……何度もアタシ達が素直に従うと思わないことね。」
「お姉様、でも私たちが今この国を出るとワモ様が……」
もし出場せずに不戦勝になれば、ワモの立場も道場も全て奪われる。それはローシアの本意ではないと知っていたレイナは、ローシアの背中に問いかけた。
「……アタシ達の悲願はワモ様もご存知のはずよ、恨まれてもいいんだワ……アンタもその覚悟がある……そうよね?」
背中で問いかけられたレイナは唇を噛んで俯いた。
天秤にかけるものが両方とも大きすぎるが、悲願は二人の先祖からのものだからこそ、二人の人生に重く重くのしかかっていて、レイナは否定はできなかった。
姉妹の悲願はユウトも理解していて、言いたい事はあったが口出しできなかった。
クラヴィは重々しい雰囲気に胸から押し出されるように深く息を吐く。そして最大限ローシアの動きに気を配りつつ口を開く。
「あなた方が悲願のために動くのと同じように、私はドァンクのために動くのよ。おばあちゃまもね。」
「だから何よ」
「あなたもおばあちゃまを利用した。」
「してないんだワ」
ローシアが遮るように言い返すと、クラヴィは思わず吹き出して笑った。
「何がおかしいのよ!」
「フフフ……気に障ったらごめんなさいね……あまりにも子供で……」
「なんですって?」
「忘れたのかしら? 右も左も分からないあなた達を保護して、屋敷で衣食住の面倒までみて、さらに屋敷が襲われたときも傭兵を派遣して対抗して、犠牲はイシュメル様とユーシン……それで、あなた方姉妹はおばあちゃまに何を返してあげたのかしら?」
ローシアは目に見えて動揺した。
「あなた達にとっておばあちゃまが面倒に見えるかもしれないけど、おばあちゃまはあなた達にその時にすべき事を全て迷いなく行ってるわ。犠牲も厭わずにね……」
「……」
「それで、あなたはおばあちゃまに何も返す事もできずに逃げるのね。」
シロが袋から顔を出し、ユウトの腕を舐めて注意を引いた。
『気がついているかい?』
ユウトはシロに視線を合わさずに頷いた。
『さすがだね。気をつけるんだよ……』
シロとユウトの会話の間もクラヴィの説教は続いていて、形勢はクラヴィにあって、ローシアは反論する余地はないらしく、上げていた手を徐々に下ろしていた。その様子を見逃さずクラヴィは続ける。
「逃げ方にルールも制限もないわ。でも逃げ方を間違えると、しっぺ返しは痛いわよ……後になればなるほどね」
端的に、世の中を甘く見ていると言いたいクラヴィはこれ以上言うつもりはなかった。
論理的に逃げ場のない詰め方をすれば相手の次の一手は完全降伏か、力で屈服させる暴力しかない。
大人の対応ができるほど、姉妹が精神的に成熟しているとは思えなかったクラヴィは、エミグランのために行動させる逃げ道を用意した。
姉妹が伸るか反るかは委ねる形になるが、置かれた立場からバカな事はしないだろうとよんだ。
ローシアが手を下ろしたことが証左で、葛藤してクラヴィの足元を見ながら歯噛みするローシアと、後ろで俯くレイナ、そして
――?
ユウトの右腕が新緑に輝くと
「ふせて!!」
咄嗟に叫んだユウトの視線は、クラヴィの少し上を見ていた。
――!!
クラヴィはローシアを抱き抱えて姿を消すと、頭上から八本の黒い剣がクラヴィ達がいた地面に連続して突き刺さった。
「見つけたぞ……貴様ら」
剣の根本は一人の男の背中に向かっていた。
クラヴィも、ユウトも知っていたが姉妹は知らないその男はレオスだった。




