第5章 27:殺意
リオスはイクス教神殿で、エミグランに圧倒的な力を見せつけられ、策を講じた意味すらなく、難なく噛み砕かれた。
有利な状況で対峙したが、エミグランの圧倒的な力になす術がなく、顔の周りを飛び回る羽虫のように振り払われ、かすり傷一つすらつけることすらできなかった。
エミグランがヴァイガル国の大臣を大昔にしていたことをリオスは知っていた。
今のヴァイガル国がエミグランが作り出した魔石技術によって経済基盤が創られた事も当然知っていた。
エミグランの手によって生み出された魔石で国が繁栄し、そして今リオス自身が生かされている。
生きるための決断として、断り続けてきた人体魔石を、リオスが同意の上でアルトゥロが施術を行った。
体内のマナが通る経絡の至る所に魔石を埋め込まれて、焼き切られた神経の代替として機能させる。
リオスは、人体魔石の力は知っていて、これまで何度も施術の打診があったが断り続けてきた。
人体魔石の力がどんなに魅力的であっても、魔石の力に囚われるように思っていて、決断ができなかった。
自分が自分でなくなるような疑念がずっとあった。
エミグランになじられた後、リオスは喋ることすらできなかった。
焼き切られた神経は、確実にリオスの自由を奪い、
声でさえウーっ!ウーっ!と、肺から空気を押し出して喉を鳴らす事くらいしかできなかった。
エミグランは、わざと狙ってかろうじて動かせる体の部分を残して神経を焼いたのだと後になってわかった。
あの時、この二百年で久しくエミグランの逆鱗に触れた。
その代償は命ではなく尊厳だった。
肉だるまのように変わり果てたリオスに人体魔石の施術を打診してきたアルトゥロからは「生きている事自体が奇跡」だと言われた。
悔しさのあまり、悔し涙を浮かべたところに
「偶然ではなく狙ってやってますね。ええ。あなたに最大の屈辱を与えるためだけに、ためだけにです! 生かす理由なんて何もないのですよ。ええ…あなたにエミグランというハーフエルフに刃向かうとこのような扱いを受けるという見せしめです。エミグランはさぞかし心地良かった事でしょうね……フフフフフ」
――あなたは一人で生きることすら出来ないほどに痛めつけられましたが、殺されることはなかった……息ができて、目が見えて、考えることができる。それが何を意味するかはあなたが一番お分かりでしょう……フフフフフ――
アルトゥロの笑い声が脳内でリフレインする中で、リオスが人体魔石を受け入れるのにそう時間はかからなかった。
まずは体が動くように、せめてエミグランにやられる前と同じとは言わないが、普段の生活ができる程度にはすぐに回復した。魔石の力に驚いたが、回復した同日に、騎士団が解散したことを知らされ、その日の夜、ベッドの中で嗚咽した。
幼い頃から憧れて、つい先日まで誇りだった騎士団が、最も簡単に水泡のように簡単にはじけて消えてしまった。
代わりに、煮えくり返した憤怒の溶岩がとめどなく溢れ出して来た。
止まらない怒りは、部屋が壊滅的な状態に破壊してもなお収まらず、十数名の衛兵に取り押さえられ、一時的な措置として牢に入れられた。
次の日の朝、牢から出て毎朝の検診にやって来たアルトゥロに、治まらない涙を拭うことなく尋ねた。
――もっと……もっと力が欲しい。あのエミグランを凌駕する力を……魔石でできるか?――
アルトゥロは、口角が切り裂いたように吊り上がらせ、リオスの耳元まで口を近づけて
――それは貴方次第ですよ……――
と囁いた。
決断というほどの覚悟は必要なかった。
**************
クズモ達との初顔合わせと対談を終えたリオスは、警備達が手出しできずに身構えている中を悠々と歩いて外に出た。
外には僅かに宙に浮いた壮年、元騎士団長のツナバが腕組みをして正門の前で待っていた。
ツナバの目の前でリオスが立ち止まった。
「終わったのかね?」
「……ああ。」
「フム……労うほどのことでもないのだが、体は問題ないのかな?」
「フン……案ずるな。あの女を屠るまでは死ねん」
ツナバは少し禿げ上がった額を撫であげて、夜だというのに蒸し暑く、額にじわりと滲んだ汗を軽く拭った。
「君に報告がある。ここから北の方でマナに不穏な動きがある」
「北? ノースカトリアか?」
「うむ。北方のマナ広域観測所から、これまで観測したことのないマナが現れたらしい。」
「それがどうした。エミグランが関係しているとでもいうのか」
ツナバは鷲鼻を鳴らして笑った。
「それはないだろう。エミグランが訪れた時に観測して調べているが、あの女のマナとは関係ない事はわかっている」
エミグランと名前を聞くだけでリオスは体が震えるほど怒りが込み上げた。
「何が言いたいのだ。俺にはエミグランを殺す事以外は眼中にない」
先日から事あるごとにエミグランを殺すと繰り返すリオスに、冗談で「彼女にご執心のようだね」という言葉は飲み込んで話を続けた。
「観測された場所はノースカトリアとダイバ国とドァンク共和国のちょうど間、ノースカトリアの領内とされているところだ。そこでこれまでにない規模のマナが一瞬だけ観測された。突然現れたと言ってもいいだろう」
「何が言いたいのだ……学者のように遠回しに説明するのはやめろ」
「フム……なら結論を述べるよ。ノースカトリア近辺に現れた正体不明なマナの調査に私が抜擢されこれから向かう。こう見えても私の本業は好奇心旺盛な学者なのでね……」
「フン……私の面倒はもう見れないということか」
「その通りだ。君はエミグランに執着しているからな……着いてこいと言っても来ないのだろう?」
「執着などしていない。だが……」
リオスは震える右手を胸元まで上げてツナバに向けて伸ばした。
「この震える右手は、忌々しきエミグランに片手間のように与えられた罰。いまだに残り続ける後遺症だ。声すらもまともにでない……もしお前が俺の立場だとしたら、こんな哀れな姿に何も思わないのか?」
またその話か、とツナバうんざりして視線を逸らす。
リオスは構わずに漆黒のマントを左手でたくし上げて続けた。
「この黒……あの女が城にノコノコとやって来た時に見せた化け物の色だ。貴様はサボってしらないだろうが……」
「話には聞いているよ。その日は研究で忙しくてね、この目で拝見したかったと後悔しているよ」
リオスの胸元まで上げた右手が目に見えて震えが大きくなると、怒りが拳から全身に行き渡っていく。
「俺はこの目で焼きつけられたあの真っ黒な化け物……何を召喚したのか知りたくもないが、自分の戒めとして虫けらの如く扱われたあの女が使う化け物……俺の嫌いな黒を纏う事にしたのだ。あの女……あの女の事をこの命が尽きるまで忘れないためにだ!」
リオスの怒りに興味のないツナバも少しは理解していた。
リオスの力は、マナの力で心の強さを基にして純白の剣を生み出せる。血の滲むような研鑽によって得た力は騎士団でも上位だった。
だが、エミグランはリオスの積み重ねた経験を簡単に乗り越えていた。長い年月を生きているからこそ経験の差も当然あるだろうが、国がエミグランと対峙する決定から策を講じて立ち向かった結果がこの有様だ。
ツナバは騎士団を何よりも大切にしていたリオスからすると、騎士団解体とヤーレウ将軍解任という事実をエミグランからもたらされたものだと思っていても仕方ないし、自分の体のことよりもしかしたら騎士団がなくなったことへの怒りの矛先にしているようにも見えていた。
そして、今でも黒が嫌いという言葉に、まだ騎士団の心は僅かだが残っているのだろうと察した。
「……私は君の白き剣のファンでね。どんな宝剣よりも美しいと思っているんだ。また見れる事を願っておくよ」
「……全てはあの女を殺してからだ。」
想定していた答えを聞いてツナバはリオスの肩を軽く叩いた。
「では私は調査に向かうよ。君はどうするのだ?」
「……俺はここで待つ」
「待つ? 誰を待つのだ? もう親書は渡しただろう?」
リオスは腰に携えた剣の柄を確かめるように軽く撫でた。
「誰でもいいだろう。お前はもう行ってくれ」
急にそっけなく返されたツナバは深入りせず、軽く肩をすくめた。
「……わかった。何があるかわからないから気をつけるのだぞ」
「言われるまでもない」
ツナバは少しだけ浮いたまま、音もなく正門から出ていった。
その直後にリオスのマントが八つの黒い剣に形を変え何かを探るよう八方を探るように切先を向けた。
その切先にリオスは語りかけた。
「お前達も感じたのか……あの部屋に僅かに感じたマナ……」
誰もいない辺りを見回す。
「エオガーデを殺した奴のマナだ。死んだイシュメルの従者……つまりクラステル家に関わる奴だ」
切先は何かを訴えかけるように、各所に備えつけられた松明で、夜の闇に朧に浮かんで見えるシューニッツ邸の方向を向いた。
「そうか、まだあの中か……エミグランに関わるやつがあの中にまだいるのだな?」
リオスは剣の柄を硬く握り込んだ。
「なら、殺さねばならんな」
リオスは、シューニッツ邸を素っ首を落とす土壇場としてしまうことになんの躊躇いなく、剣を抜いた。




