第一章 12 :遠吠えの聞こえる夜に
カリューダの黙示録のカリューダとは、今から500年ほど昔に、この世界にいた魔女の一人の名前です。
カリューダ・エラスティーゼ
ヴァイガル国ではその名を呼ぶことも憚られるのです。
それは…何故?
簡単な話なんだワ。カリューダは『大災』と呼ばれるほどの力の持ち主と言われ、ヴァイガル国への攻撃で世界を混沌に陥れた魔女と言われてるからなんだワ。
大災…
カリューダは大災と呼ばれるほどの力を持ち、国を滅ぼそうとしたたった一人の魔女…
ヴァイガル国をにとっては最大の危機だったと言い伝えられておりますわ。
その時の事を忘れないためにも、大災の魔女カリューダと渾名されました。
…そのカリューダの黙示録は、カリューダをやっつけたときに手に入れた。そういう事?
ええ。ヴァイガル国とカリューダは、死力を尽くして戦い、カリューダは敗れ、命を落としました。そしてカリューダが持っていた黙示録はヴァイガル国が保持することになりました。
…それが全ての始まりなんだワ。
全ての…始まり…
大災の二つ名の通り、ヴァイガル国は大きなダメージを受けたんだワ。物理的にも…精神的にも。
大災の魔女の力は、一夜でヴァイガル国全ての人が否応にも知ることになったんだワ。
…カリューダの名前は、その日の内に全ての人に知られることになり、そして、憎悪の対象となりました…
憎悪… そんなにひどい出来事だったんだ…
まぁ、今さらどこまでひどい出来事だったのかは、言い伝えでしか残っていないから、事実は定かではないんだワ。
お姉様の言う通り、事実はわかりませんが、言い伝えでは、これまで見たこともない嵐がこの国を襲い、沢山の人が亡くなられたとか、巨大な岩がたくさん降ってきたとか。各地でさまざま形を変えて残っているのです。ですが、一つだけ共通するのが、大災の魔女カリューダが起こしたという事です。
フン…他にも、天は裂け、地は波打ち、風が荒れ狂い、人よりも大きな岩が舞い上がって、まるで意識を持っているかのようにさまざまな物を破壊し、人々に降り注いで命をも簡単に奪っていった…とか。
言い伝えは様々あるけど、兎角、国にも人にも大きなダメージを与えた、という言い伝えが山ほど残ってるんだワ。この国だけではなく、この大地に住む人も知らない人はいないかしらね。どれが本当でどれが嘘なのかもわからないんだワ。
レイナ、お茶おかわり。
はい。お姉様。
…そうなんだ…そんなにすごい力だったんだ…
伝え聞いたカリューダの力は、今も昔も並ぶ者はいないとされています。
何故、カリューダはヴァイガル国を滅ぼそうとしたの?
…それは誰もわからないんだワ。むしろ聞いてみたいんだワ。
わからないの?カリューダも何も残してないのかな?
黙示録に書いているとか…
カリューダの黙示録は、生前から門外不出ですわ。
誰もその中身を見た者はなく、そして亡き後はヴァイガル国で厳重に保管されており、その場所を知る者はごく僅か…
まあ、何か書いてあるとしても結果この国に忌み嫌われる事をしたことは確かなんたワ。
理由なんていくらでも書き換えられるのよ。
そっか… そうだよね。
それに、他の国にもヴァイガル国を襲ったカリューダの名前が必ずと言っていいほど残っているから、その当時はとても大きな出来事として見られていたんだワ。当たり前だけど。
そうだね。うん。カリューダという人が昔に起こした事が言い伝えになっていることはわかったよ。
それで、カリューダはともかく、全てを知る者がこの国の厄介者になるというのはどういう事なの?
カリューダの黙示録は、最後の記載はこんな事が書かれていたそうです。
『大災の名を拝してなおも全知全能たる全てを知る者を待つ。この大地と異なる世界より現れる全てを知る者こそ世界救済のかの汝。顕現される日より世界が歓喜と祝福で溢れ始める。』
カリューダの黙示録とはその記述の事を言うこともあるワ。
その前に何が書かれているかはわからないんだワ。
…なんか、内容が前向きな記述だね。
さっきの話を聞かなかったら喜んで受け入れそうだけど…
ええ…ですがこの記述はヴァイガル国には受け入れられません。カリューダはこの国を滅ぼそうとした人物…そして、矛盾もはらんでいます。
矛盾?
フン…『大災の名』なんだワ。
大災の二つ名は、カリューダ亡き後につけられました…
つまり、黙示録に記された大災の名という部分はカリューダが記述したものではない事になります。
すでに亡くなっておりますから。
……どういう事? 死んだ後に記されたってこと?
言い伝えですと、カリューダの死後、王に献上されたカリューダの黙示録の調査を進めることになりました。記述の内容を精査を始めてしばらくして、その一文が増えていたそうです。
……増えていたってことは
誰かが付け加えたって事が一番真っ先に疑われた。
だけど、この国はその真偽はどうでも良かったんだワ。
重要なのは、全てを知る者を、ヴァイガル国としてどう言う位置付けにして扱うか、と言うことなんだワ。
結論としては、ヴァイガル国として悪。
大きな遺恨を残したカリューダが遺した言葉として、死後につけられた大災の文字が記されている。
あんな事件の後に亡くなった本人が何らかの力で記載したとして、カリューダの言う祝福なんてろくなもんじゃない。ヴァイガル国に災いをもたらす言葉だろうという結論になったんだワ。
…でもいたずらの可能性もあるわけだよね?
アンタねぇ、もう少し考えることを覚えた方がいいんだワ。
国が破壊されかけ、国民が窮地に立たされた人物の遺品がそんないたずらされるような管理していたと思うのかしら?
ただでさえ甚大な被害を出したのに、またカリューダを利用して国を揺るがす様ないたずらをする命知らずがいると思うのかしら?
…うっ…
普通に考えて、いたずらするって考える方がおかしいのよ。
当時は厳重に管理されて、所在地は両手、実際に触れた人は片手で数えられるくらいしかいなかったと伝えられてるんだワ。
…お姉様。ユウト様が悲しそうな顔をされてますから、もうその辺で…
フン…
ごめん…
そうやってすぐ謝るのはやめた方がいいんだワ。癪に触る。
ローシア…最後の一言で心をえぐるのやめて…
兎角、全てを知る者はヴァイガル国にわざわいをもたらす者として認知されたんだワ。
500年たった今も変わらない。言い伝えとして残されて、黙示録と共に待ち続けてるのよ。いずれ来るその人物を。
なるほど。
ん? でも待って。
何かしら?
黙示録がそもそもカリューダの手元にあって、さらに亡くなった後はずっとこの国のどこかに保存されてるんだよね?
そう言ったんだワ。よく覚えていたわね。
なら、なぜ二人はその、全てを知る者とか、黙示録に書いてあった一文のことを知ってるの?
普通なら門外不出の情報として誰も知らないんじゃないの?
…足りない頭でよくわかったんだワ。褒めてあげるんだワ。本当に、本当に少しだけ。
…そんな強調しなくてもいいよ…
500年前の魔女の一人としてカリューダの名前を挙げました。ですが魔女と呼ばれる人物は他にもおりました。
カリューダほどではないのですが、その当時力のある魔女としてカリューダを含めて三人。
マーシィ・リンドホルム
クライヌリッシュ・イランド
そして大災の魔女のカリューダ・エラスティーゼ
黙示録の調査には、マーシィ様とクライヌリッシュ様のお二人も加わっておりました。
まあ、カリューダが何を記していたのか気になっていたのかしら。私が同じ立場なら見て見たいものね。カリューダが何を残したのか。
その二人の魔女はカリューダと何か関わりはあったの?
はい。同じ魔女ですから。そう言った話は残っていますし。その二人の魔女が、黙示録の調査中に全てを知る者を知り、ごく僅かな人物に口伝として言い伝えられたのです。
事実を公にすれば、ヴァイガル国に睨まれるけど、伝えなければならないと考えていたんだワ。
…もしかしたら、全てを知る者がこの世界に何をするのか、知っていたのかもしれないワ
…それが…僕、なんだ。
フン…あいにく、そうなるワ。
でも、待って…全てを知る者をローシアとレイナが知っているって事は…… 黙示録の中身は一部の人間と魔女の二人とその子孫しか知らないんだよね?
…はい。そこまで言うとわかるかと思いますが……私達は魔女に関わりがあります…
……!!
レイナ。もうそんな回りくどい言い方しなくてもいいんだワ。
…はい。お姉様…
ユウト様…私達は魔女の末裔…つまり、子孫なのです。
********
「魔女の…末裔…なの?」
ユウトはなおも疑問が残った顔を隠そうともせずレイナの口から出た言葉を繰り返す。
「…はい。私達はマーシィ・リンドホルムの末裔です。」
カリューダの黙示録は500年前に、大災と渾名され二つ名を拝した魔女カリューダの黙示録で、持ち主の死後、突如として何者かに記述された『全てを知る者』はヴァイガル国に『敵』として認識された。
カリューダの黙示録を精査していた2人の魔女のうち、マーシィ・リンドホルムがこの2人の姉妹の祖先であるという。
そして、全てを知る者が現れる事を危惧したのか期待したのかは定かではないが、姉妹は待っていたのだ。
いつ現れるかわからない何者かもわからない人物を
「二人は、全てを知る者をずっと待っていた…ってことなんだね…」
「そういう事なんだワ。だからアタシ達は探してたわけなんだワ。いつ現れるかわからない全てを知る者… アンタをね。」
「じゃあ、祖先のマーシィ…様は、カリューダの黙示録の記述を前向きに捉えたんだ。」
ローシアの眉間に皺が寄るのをユウトは見逃さなかった。当のローシアは感情の揺らぎを隠そうとはしたが、この男、感情が僅かに動く表情の揺らぎも感じ取るのが長けているらしく、感情の動きを読み取られたと察知したローシアは、小さく舌打ちした。
レイナは真っ直ぐユウトを見つめて静かに語り出した。
「私達の目的は…黙示録を壊す事…この世界から無くす事です。」
ドワーフの村で旅立ちの前の夜に、レイナが小さく呟くように言った言葉を思い出した。
「黙示録を…壊す…」
あの日と同じようにユウトが繰り返した。
ユウトに明かされた2人の告白は、とても大きなものだろうと想像はつく。
この国で大災の魔女は禁忌であるし、カリューダの黙示録に残された全てを知る者の名前を持つ者は、ヴァイガル国で起こされた事を考えれば、敵以外の何者でもないだろう。そこまでは充分に理解できた。
命の危険があり、ユウトは自分の全てを知る者としての力は全くない。
二人の決意に絆されてここまでやってきたが、ユウトにはまだ釈然としない疑問があった。
もう少しで2人の深い部分に触れられそうな感覚が少しだけ感じられたのだ。ユウトは聞くことに恐れはなかった。
「魔女がとんでもない力を持っていて、二人のご先祖様っていう事はわかったよ。でもなぜ黙示録を壊すのかわからないんだけど。」
ローシアのひと睨みにユウトが竦む。
「魔女の力はもう必要ない。この世界には過剰な力だからなんだワ。」
レイナが細く説明を続ける。
「ヴァイガル国は、魔石技術で魔術、魔法と同じように森羅万象の力を人々が使いやすいようにして魔石に封入することで、国民の生活が便利になるように研究を行いました。結果、魔石はあらゆる国に輸出されるほど便利に誰でも使えるようになり、ヴァイガル国は豊かになりました。その結果、魔術そのものが衰退していったのです。」
「フン……自分達の生活が豊かになるためには魔術を汎用できるように苦心する割には魔女を禁忌とするなんて、ホント虫が良過ぎるんだワ。」
ローシアはテーブルに置いてあった赤い光を中心に宿す親指サイズの小さな水晶のようなものを持ち、ユウトの前で火をおこしてみせた。
火のサイズはライターほどのもので、原始的な道具を使う必要は無さそうだ。
「火を起こす。室内の温度を整える。冷たいものを温かくする。逆に冷やす……これが誰でも使えるんだワ。まあ生活するのに面倒なことを魔石に置き換えて便利に生活できると、魔術の入り込む隙間はないワ。」
ユウトは二人の話を聞いて首を傾げる。
「生活が魔石で便利になるのと、魔女のことがいまいち結びつかないんだけど……」
すると魔女を祖先とする二人にしかわからない問題をユウトに説明し始める。
「もし、魔石技術が進化してもっと便利になったとしても、残るのです。魔女の痕跡が。」
「痕跡が……残る……」
「今もこの国に眠っているカリューダの黙示録は残る。残る限り魔女の事は未来永劫忘れ去られる事はない。魔女が確実にいたという証拠なんだワ」
歴史は書き換える事もできるが、物証がある限りそれは存在していた、という証拠になる。
長い年月残り続けるには、説だけでなく物証が雄弁に事実を伝える。二人が行いたいのは、魔女をこの世界の記憶から薄めて消したいという事なのだろう。
しかし、黙示録を綺麗に破壊したとして、人の記憶から完全に消し去る事はできない。それこそ気が遠くなるような時間を経ないと、二人が望む世界になる事はない。人生経験の少ないユウトでも簡単に想像できる未来の少し先の話だ。
「あのさ… 二人は魔女じゃないんだよね? 」
「あいにくと、アタシ達は魔女の才能はないワ。そもそも三人の魔女以降に生まれたこともないはずだワ。」
「生まれた時からわかるものなの?例えば魔法使いと魔女って何が違うのかな?」
「魔女と魔法使いの差は、生まれ持った力の差なんだワ。常人には扱いきれないほどのマナを自分の意のままに動かし、自然を制する力がある人。何故か女ばかりなのよ。」
「女ばかりなんだ…何故なんだろう。男がいないのが不思議だね…」
「…フン。その力を良しとしない人もいるんだワ。人にはあまりにも巨大な力ゆえに。」
「魔女なんて…もういないのに。」
レイナが珍しく憎しみを込めて吐露する。
少し冷めた一口残していたお茶をすすり、音も立てずに湯飲みを置くローシアの目は鋭くユウトを見つめていた。
自分たちが魔女の末裔でありながら、その存在を否定するような言葉で
さらに緊張感を増す様相だが、テーブルを軽く叩いてほぐしたのはローシアだ。
「兎角、私達の目的は、黙示録をこの世から消し去る事なんだワ。黙示録に書かれている祝福は、過去の魔女に縛られた妄想からこの世界を解放すること。そう考えてくれていいんワ。」
「つまり二人は、黙示録を壊すことと、世界救済の役割を僕と共に行うってこと?」
レイナは頷いた。
「はい。私たちは黙示録の破壊が世界救済になると考えています。」
「それはなぜ?」
「フン……アタシ達もこの世界の人間だからよ。」
ユウトの頭からはてなが飛び出そうだった。
そこにレイナのフォローが入る。
「私たちもこの世界の人間という事は、世界救済の一部なのです。私たちは今黙示録を破壊しようとしています。つまり私たちが今動こうとしていることは私たちのために行おうとしていることです。」
あたまがこんがらがりそうだ。
「……バカそうなアンタに噛み砕くと、アタシ達は黙示録の記述を知っていて、アンタを見つけ出した。アタシ達の目的は黙示録を壊して幸せになる事。という事は、世界の一部のアタシ達の目的は世界全体に影響するんじゃないの?って意味よ」
つまり全てを知る者と行動を共にして、黙示録を破壊し、魔女の束縛から解き放たれる事が、二人にとっての歓喜と祝福だという事だろう。
記述通りに世界が祝福で満たされるのであれば、この世界に住む二人も祝福されなければならない。
確かに、魔石と言うもので人々の生活が潤うのであれば、魔女なんて忘れ去られた方がいい。もういない存在なのだから。
ユウトは正直、なんだかRPGみたいになってきたな……と思った。
「とりあえず理解はできたよ。で、黙示録ってお城の最深部にあるんだよね?」
「……正直言ってわかんないんだワ。」
わかんないの一言に呆気を取られてしまう。
「いや、わかんないんかい…」
「だからこの国に来たんだワ。物、金、人が集まるこの国へ。」
「ユウト様には大変恐縮なのですが、私たちも全て知っているわけではないのです。ですから、その…」
「その? なに?」
「全てを知っているユウト様なら…と…」
頭に電球が点灯するように閃きを得る。
二人は全てを知る者と呼ばれるのなら、黙示録のある場所を知っているに違いないと思ったのだ。
もしかしたら、そのように口伝で伝えられていたのかもしれない。
二人にとって、カリューダの黙示録を壊すというのは命を賭してでも成し遂げなければならない宿命として考えている。
だが、ようやく会えた全てを知る者ことユウトは、カリューダの黙示録の話をしても、なんですかそれ?と質問する始末。
ようやく会えた二人の待ち人が、知っているはずなのに、何それ、知らないと言われれば、それは怒りも込み上げるだろう。
ローシアの期待を意図せず裏切ってしまったからこそ、ギムレットの前で怒りを隠しきれなかったのだ。
「そっか… なんか、ごめん。何にも知らなくて。」
明らかにイライラした態度を隠しきれないローシアは、これまで聞いたことのないため息をつく。
「まぁ、ほんっっっっっっっっっとに想定外だけど許すワ。まだ何か始まったわけでもないし。これから何か起こるかもしれないし。」
「…そんな力込めなくても。」
「兎角、アンタには私達から離れられたら困るんだワ。それはアンタも同じはず。それに、この国にいる事がまずいのはアンタだけじゃなく私達も同じなんだワ。」
「えっ? どういう事?」
「魔女そのものがこの国では禁忌なのです。私達は魔女ではないにしても末裔ですので、その事が明らかになると…」
ユウトは一瞬にして血の気が引いた。
二人の方にぐいっと顔を寄せて手で口元を隠して小さな声で確認する。
「ちょ…ちょっと待ってよ…そんな話この国でしててもいいの?」
ローシアはフンと鼻を鳴らして、親指で中指を弾くようにユウトのおでこを弾いた。
いわゆるデコピンだ。
「いっっっっっったあああああああ!」
これまで食らったどのデコピンよりも破壊力があり、ローシアの爪がめり込んだかと思うほどにおでこを弾かれた。
あまりの衝撃と痛さに椅子から転げ落ちそうになるところだった。
「いったあああ… 何すんのさ!」
「バカね。アンタの方もこの国で話すことも憚られるのに。お人好しすぎるんだワ。命取りよ。」
おでこが割れて血が出ていないかと確認したが出ていなかった。
まるで母のように2人のやりとりを見守るレイナがクスクスとわらう。
「ユウト様。大丈夫ですわ。先程私が席を外した時に結界を少し強めておきました。風の結界が声を通しにくくしておりますので、結界の外に声は聞こえません… でもさっきの大声は聞こえたかもしれませんね。」
と淑やかに笑む。
「こんな話、聞こえるようにするほど私たちがバカだって言いたいのかしら。余計な心配はいらないんだワ。」
と仏頂面で蔑む。
「そっか…そりゃぁそうだよね。」
「ホント、バカなのか少しは考えられるのかわかんないんだワ。」
ローシアのいう事は最もな事だが、ユウトはまだこの世界の魔法というものがよくわかっていない。
風の結界が音を遮る力があると今初めて知ったことは当然として、ユウトはこの世界のことを知ることが楽しく思えるようになっていた。
もともと引きこもっていたユウトの情報は、テレビかネットしかなかった。
だが、この世界では触れる事が初めてのことばかりな上に知っている人も誰もいない。
人生で初めて『自由に生きる』ことと『新しいことに触れる』喜びが沸々と湧いてきている。目の前で起こる事実は雄弁であり、ユウトの脳にすんなりと受け入れ記憶されていく。
とはいえわかっていないことも未だに多く、教えてくれる相手にはこの言葉しかない。
「まだ、よくわかってない事が多いから……ごめんね……」
と謝るとローシアの倦怠感がうつりそうなほどの大きなため息をする。
待ち望んだ人との理想と現実の乖離ゆえにだ。
「もう一つ聞きたいことがあるんだけどさ。二人は魔女の末裔で魔女ではないって言ってたけど、潜在的に魔女の力はあるの?」
レイナは小さく首を横に振り否定した。
「残念ながら…ございませんわ。私は魔法は少しは使えますが、姉は全く……言い伝えのような魔女のような奇跡はとても…」
「あったら、私達だけで魔女の遺した物を壊すんだワ。少し荒っぽいけど。」
ローシアの何気なくスッと出てきた言葉は、カリューダと同じ事をする意味も含んでいるのかと想像すると、ユウトは感情なくハハ…と空笑いするしかなかった。
「…ほかに聞きたい事はあるかしら?」
首を捻って右上の天井を見つめたが、今のところはこんなところで良いのかもしれない。
あまり多くの情報を頭に詰め込んでも混乱するだけだ。
過去にカリューダという魔女がいて、この国に大きな損害を与えたことでヴァイガル国では、魔女は禁忌であること。
ローシアとレイナは魔女の末裔であり、この国では厄介者になりうる。そんな二人の目的は、カリューダの遺した黙示録をこの世から消す事。
全てを知る者と行動を共にして、黙示録を壊すことが結果として世界に歓喜と祝福が与えられると期待している事。だ。
とりあえずはそれらだけを知っておけばこの国で厄介事を起こす事はないだろうし、二人の意図は汲めると踏んだ。
「とりあえずはわかったよ。ありがとう。また何かわからなかったら教えてほしい。」
レイナははい。と優しく肯定し、ハン!とそっぽを向いたローシア。
全てを知る者としてみて落差に歯がゆむローシアと、全てを知る者と疑わないレイナの話は
姉妹からすればごく当たり前のことと、自分たちの秘密を打ち解けただけだが、ユウトには全て収穫だった。
さしあたっての問題は、どうやってカリューダの黙示録を破壊するかだが、2人にもあてがあるわけではないようなので、まずは情報収集が有線されるだろう。
魔女が禁忌なので知っている人こそ少なそうだが、少ないからこそ、見つけた情報の純度は高そうにも思えた。
これ以上考えても仕方ない。
細かいことも聞きたいのだが、キリがなさそうだし、夜も遅いのか眠たくなってきた。
時間の概念についても聞いておきたいところだが、外は暗く、眠たいので深夜という程で話す事にした。
「とりあえず今聞きたい事は聞けたし、細かいことは気になったら聞く事にするよ。遅くまでありがとう。」
感謝を述べて背伸びするユウトに不安げに近寄ってきたのはレイナだった。
「…ユウト様、大丈夫ですか? 私達のことを信じていただけますか?」
「そうよ。そこが一番大事なことなんだワ。今日みたいな失態、次はないんだワ。」
腕組みしている指に自然と力の入るローシアは、ユウトの目を睨みつけて言う。
次はない。
今置かれている状況だととても重たくのしかかる命がけの言葉に違いないが、ユウトは受け入れていた。
ここまでこの世界のことやレイナやローシアの能力を目の当たりにして、逃げる事は考えられなかった。二人と共にいる事が生きる選択なのだ。
他に方法なんてない。明日、生きるために最も確率が高い選択は、二人と共に行動する事。
すでに結論は出ていた。
「うん。話を聞いて、結局のところやるしかないんだよね。僕も… そして二人も。」
ユウトの言葉を聞いて心配そうな顔から、花開くように笑顔が咲いたレイナは、ユウトの両手を握りしめて、頑張りましょうね!と嬉しそうに言う。
ローシアも満更ではなさそうな様子だが、顔には出さず、さて、と場の空気を切り替える。
「もう夜も遅いから二人とも休んだほうがいいんだワ。明日早く起きてミストに行かなきゃならないんじゃないの?」
「はい、お姉様。明日の夜からは聖書記選の候補者が決まるのでミストも忙しくなると、セト様はおっしゃっておりました。」
「そうね。私たちも聖書記選が初めてのことだから勝手がわからないけど、ギムレット様のお話だと明日から明後日にかけてが一番物騒になるらしいワ。」
聖書記選は三日間の儀式の後、御信託によって選ばれる候補者からこの国の法を司る番人を決める国家の安寧に関わる重要な儀式だ。
森で二人と出会ったのが儀式の初日と聞いているので明日の夜以降に決まると言う事になる。
「物騒になるって言うのは、やっぱり聖書記選がらみでってこと?」
「フン…その通りよ、少しだけ褒めてあげるんだワ。本当に少しだけね。」
「その少しだけだけっていう件、いらないよ…」
「最大限褒めているのに贅沢な男なんだワ。」
と呟くように言い捨てて、本日両手で数えきれないくらいの回数目のそっぽを向く。今日に限ってはローシアのご尊顔をまともに正面から見ていない気がする。
そのまま横を向いたままローシアは続ける。
「候補者は、御神託によって決められるんだワ。出自関係なく。つまり、城の人間やイクス教司祭の関係者から選ばれる可能性よりもそれ以外の人間…つまり国民から選ばれる可能性がある。教団や城の関係者との人数差で。」
「なるほど…物騒になるのは候補者同士が争うからってこと?」
「…それもあるかもしれないけど、もっと生々しいんだワ。候補者を我が物にしようとする輩も出てくるとか。まあ醜い権力争いってところかしら。」
どの世界でも権力を及ぼす側に食い込みたがるのは人間の性という事らしい。
「まずはどなたが選ばれるか… 決まってから動き出す事ですので、今はまだ何もわかりませんわ。」
「そうだね。まずは明日ミストに行ってからだね。」
「…アンタの仕事は…まぁ行ってからの相談ね。何かできる風でもないし。」
痛いところを突かれたが事実だ。この世界でユウトは何もできないという事実は変わらない。
気にしても仕方ないので、そうだね。と相槌を打っておいた。
見慣れたローシアの鼻鳴らしをありがたく頂戴すると、レイナがもう寝ましょうか。とユウトを促した。
部屋はありがたいことに寝室がちゃんと三部屋ある。
借家は二階建てで、二階に姉妹の寝室が二つあり、ユウトは一階だ。
割り当てられた寝室に戻るユウトを見送り、姉妹は同時に息を深く吐いた。
「…ホント、変わった子なんだワ。アイツ。」
「ええ。自分の事がよくわかっていないような… それでいて誰にでも優しく接する事ができる…不思議な方ですわ。」
「フン。ただの命知らずね。」
「確かに…そうかもしれませんわね…」
レイナはお茶会の後始末で湯飲みを盆に集め出したが、命知らずというローシアの言葉がひっかかり、顔が曇る。
ローシアとレイナはドワーフの村からほとんど出た事はない。世間知らずは否めない。その二人から見て、ユウトは命知らずに見えるほど、警戒なく、そして誰にでも同じように接する。
ローシアはそれを弱点と見ており、レイナは優しさだと考えていた。
「でもまぁ…レイナの見積もりを信じるしかないんだワ。動き出したんだから…もう止まれない…」
硬い決意がローシアの眼前に結ばれた拳を硬く握りしめ見つめ、レイナはその様子を少し寂しげに見つめ、同じように決意する。
「…もう、止まれませんわ…」
レイナの静かな決意を見届けたローシアの腹の虫が急に鳴いた。ローシアは顔をほんのり赤らめあまりの緊張感のなさに二人で小さく笑った。
「…そっか、ワタシお昼から何も食べてないんだったワ。レイナ、何か食べる物はあるかしら?」
尋ねる否や、レイナはローシアの前に跪いて顔を近づける。
「お姉様… ユウト様とお二人で居られた時、何をされたか覚えていらっしゃいますか?」
「二人でいたとき? ……ッ‼︎」
否応なしに思い出す。
遊びのつもりでユウトの首を絞めて置いてけぼりにした事だ。
なんのことやらと誤魔化すようにとぼける。
「…えっと…あの… はっ!アイツまさか…」
「まさか…じゃありませんよ? ユウト様はお優しいので、責めないで欲しいという事で、全て聞きました。」
「…ぐぬぬ アイツ…しゃべったのね…」
「ええ。私はユウト様のお気持ちを汲んで咎めないようにしようと思っておりました…ちゃんと謝れば、です。」
「へっ?」
情けない声がローシアの口から漏れる。
「ですが、ユウト様が部屋を出られるまで、何一つおっしゃいませんでしたね?」
「それは…あのー…そういう話をする感じじゃないと思いまして…」
「ダメです!」
「ひっ!」
レイナがピシャリと断ずる。
何か襲いかかってくるかのようにたじろぐのはローシア。
「私たちがユウト様をお守りすると決めて一日足らずでユウト様を見失ったこと… さらに言えば、もしお姉様がちゃんとユウト様を守っていれば、クラヴィ様と会うこともなかったはずです。」
捲し立てながら痛々しいまでの事実を突きつけられ、ローシアの非を責める。
事実、ローシアが地図に惑わされず、ユウトを見ていればクラヴィは現れなかった可能性が高い。
「いや…それは、その… ほ、ほら、あの女強かったし、ワタシがいてもさらわれてたかなー…なんて。」
レイナにはとことん弱いローシアは、ムッとして見つめるレイナの視線に弱い。
レイナはいつもローシアの非を的確に指摘する。
だからこそ、何も言えないのだ。いう言葉がない。
「…わかりました。お姉様がご自分の非を認められないのでしたら、今日は晩御飯は抜きです。反省なさってください。」
「え? ワタシ、何も食べてないよ? お腹、すごくすいてるんだワ。」
「知りません。」
ピシャリと話を切り捨て、湯呑みを片付けた盆を持ち、ドアへ向かうレイナ。
足取りは心なしか早い。
「ちょ…ちょっと待ってよ…レイナぁ…」
追いかけようとするが、レイナの気迫で歩み寄ることもできない。ローシアは知っている。このレイナの態度はすごく怒っているときのものだ。
怒らせてしまった…こうなる事はわかっていたのに。
ドアを開けて、レイナはローシアの方に向き直った。
その顔は険しい。
「ユウト様は謝りました。お姉様に。なのに… お姉様が謝るまで、ご飯は作りません!」
勢いよくドアを閉めると、ローシアの目尻から涙が膨らみ、そして
「ごめんなさいいいいいいいい!! 許してええええ!!」
叫び声が響く。そして泣き声が轟いた。
部屋に戻っていたユウトは何事かと部屋から飛び出して二階の方に「何があったの?!」駆け上がろうとすると、レイナが口元に人差し指を当てて「しーっ」といたずらしたような少女の笑みで
「謝ったので許してあげてくださいね。」
と言う。
ローシアに謝られることは色々ありそうだけど、きっとクラヴィの事だろうと思った。
「勿論だよ。僕が悪かったし。」
というとレイナは笑顔で頷いて台所に向かった。
少しして、レイナは片付けた盆に、パンとスープの入ったお皿を乗せて二階に上がる。
「本当……素直じゃないんだから……お姉様は。」
結界を張っているはずなのだが、ローシアの泣き声がわずかに外に聞こえたのか、遠くで泣き声に合わせるように犬の遠吠えが聞こえたような気がした。




