第五章 13:遠吠
ダイバ国の祭り『ダイバ祭』初日の朝は、関所から続く大通りの周りで色とりどりに飾った屋台の準備に急ぐ人達が多い中、気早く祭りの始まる雰囲気から楽しもうとする人たちも散見され、突然の開催になった祭りを全て楽しもうと欲張りな笑顔が見られた。
早朝から忙しなく準備が行われている大通りを、人一倍満面の笑みと興味深々にキョロキョロと見渡す白い狐の獣人がいた。
祭りの雰囲気がドァンクの屋台と違って色とりどりに飾られていく様子を見て興奮気味だった。
「うわぁぁ……これが祭りなんだ! すごいんだ!」
獣人は、エミグランに変化の能力をかわれて屋敷に住んでいるタマモだった。
側では色気を十二分に感じさせる身体と水色のワンピースドレスの姿で、ダイバ国でも男達の視線をまとめて集めていたクラヴィだ。
タマモ達はエミグランの命令でダイバ国に訪れていた。二日連続の移動でも二人は元気そうに、祭りの前の盛り上がる高揚感を感じて楽しんでいた。
しかしタマモは楽しい雰囲気を堪能するためには唯一の懸念があった。
女心と言うべきなのかわからないが、コロコロと変わるクラヴィの機嫌だった。
ここ最近、姿も見せず何をしているかも全くわからなかった上に、昨日は久しぶりにクラヴィと行動を共にした。親書の反応を伺うために、ユウト達だけでは判断できない事もあるだろうと、姿を消せるクラヴィが同席していた。
今日は祭りが開催されるとエミグランから聞き、三人のサポートとしてクラヴィとタマモが派遣された。
とはいえ、タマモは祭りに参加するのが初めてで、鮮やかな色合いで飾られた通りを歩くだけで心が弾んだ。
「こら、タマモ。おばあちゃまの命令を忘れたの?」
クラヴィも同じように気持ちが高揚するが、エミグランの命令が気持ちを落ち着かせる。タマモは同じ話を執務室で聞いたのに遊んでこいと言われたと勘違いしていたのか、キョトンとして
「あれ、何言われたっけ……忘れたんだ!」
「もう、おばかさんね、忘れちゃったの?今日は本当に久しぶりにユウトちゃんに会える日よ……ああ、随分と焦らされた感じがするわね……」
色っぽく体をくねらせるクラヴィをみてタマモは、エミグランがそんなことを言っていたかなぁと小首を傾げて空を見上げる。
二人の目的は、もちろんエミグランの命令以外にない。
ダイバ国で祭りの開催の意味を当然知っていたエミグランは、二人にダイバ国内での斥候。ドァンクの敵となる者を炙り出す事だ。
あれほどまでにヴァイガル国の現状を見せつけても、まだどちら側につくのかなどと議論するのはそれなりの理由があってのことだろうと考えていた。
クラヴィはエミグランの命令を表面的な意味だけで捉えていない。自分が行くからには必ず理由がある。
良きにしろ悪きにしろ必ずエミグランに追い風が吹くように動く。クラヴィが常に重きを置いている信条だ。
だが、何よりもまず今すぐにでもユウトに会いたい。
クラヴィが今日一番楽しみにしていたユウトと面と向かっての再会を果たしたい。
憂はクラヴィの手で果たした。もう心に棘のように刺さる痛みはない。
自分を玩具のように扱った下衆は、原型がわからないほどに血みどろ肉塊にしてやった。
あの時の命乞いと、【実際に女々しくならざるを得ない】切り取ってやった一撃で泡を吹いて気を失い、何度も何度も肉を喰らう獣のようにクナイを牙のように体中を削ってやった感覚を思い出して、一人恍惚な表情になった。
タマモはクラヴィの恍惚の表情が大の苦手で、今まさに何かを思い出してうっとりとしている顔を見て顔が青ざめた。
――……絶対ろくなこと考えてない顔なんだ!――
「タマモちゃん?」
「は……はひっっ!!」
「ユウトちゃんのところに行きましょうか……なんだか急にうずくの……心が」
「は、は、はひぃっ!!」
とクラヴィは無数のじとりとした男達の視線をかいくぐるように駆け出していく。
「ま、まってよ! ねぇさん!」
タマモもなんだかんだと考えながらも一人になりたくなくてクラヴィを追いかけた。
――ワモ剣術道場
クラヴィ達はユウト達が世話になっている道場の前にやってきた。
タマモは本気で走るクラヴィの後を追うのに必死で、道場の門の前につくやいなや倒れ込んで、体に酸素を送り込むために大きく激しく息をする。
「さぁて、ユウトちゃんは元気にしているかしら?」
タマモは、まだ息が整っていないが、座り込むように体を起こして、とても上機嫌にワクワクしているクラヴィをチラリと見上げて、これは大丈夫なやつだと安心して汗を拭う。
「きっと、にいちゃんはねぇさんが来るのを待ってるんだ!」
「そうよね!やっぱり私がいないと何もできないから!」
決してそこまで言われるほどユウトは何もできないわけではない。タマモはそう認識していたが、クラヴィの目は本気だ。ユウトはクラヴィがいないと何もできないと本気で思っている目だ。
クラヴィの一途な思いに反論なんて差し込めるはずがなかった。命がいつあっても足りない。
「は、早くにいちゃんのところに行くんだ!うん!」
「そぉよね!うんうん! 早く行ってあげなきゃね!」
クラヴィは何度も笑顔で頷いて、タマモの手を握った。
「さあ!いくわよ! 待っててねぇぇユウトちゃぁん!」
「ちょっ……ねぇさああああん!!」
姿を消し、クラヴィが走り出すと、タマモは引きずられながら門を潜り抜ける。
愛しいユウトがいるはずの道場に走り出した。
道場の外からでも大きく聞こえる板張りの床に叩きつけられるような音が響いてきて、タマモが身体をすくませた。
「ねぇさん……なんだかすごい音がしてるよ?」
「ふふん、きっと姉妹がワモに稽古つけてもらってるのね」
「へぇ……まだ強くなるのか!」
「いえ、自分たちが弱いと思ってるからよ。強いなんて思ってないわ、きっと」
「そうなのか?」
「……少なくとも、おばあちゃまのお屋敷の中では、あなたをのぞいて一番弱いかもね。イシュメル様とバカ息子は死んじゃったから」
「バカ息子……」
タマモは、死してなおユーシンを認めようとしないクラヴィに悲しそうな視線を向けた。
その視線に気がつくこともなくクラヴィは道場の窓から中を覗く。
「ねぇさん!僕も見た……」
「シッ!」
クラヴィは唇に指を当てて黙れというように見せると、視線が鋭く道場の中をのぞいている。
タマモも気になって窓枠にしがみついてクラヴィの邪魔にならないように覗き込むと
「っぐああああああ!!」
床に叩きつけられるような衝撃音と振動が伝わって、タマモは目を閉じて逸らした。
「どうしたぁ! ワレの力はそんなもんか!全てを知る者ぉ!」
全てを知る者と聞いてタマモはハッと目を見開いて覗き込むと、立膝をつき、顔が腫れ上がり、口の中を切って血が口元からたらりと流れているユウトがワモと対峙していた。
右腕は深緑の腕ではない。つまりなんの力もないユウトがワモと対峙している。
「な、なんでにいちゃんが!」
「……なによなによなによあの男……ユウトちゃんを殴って……何様のつもりよ……」
ブツブツと小さく語り始めたクラヴィの殺気を感じたタマモは固まってしまった。
「にい……ちゃん……右腕がそのままだったら死んじゃうよ……」
怒りが沸々と湧き上がるクラヴィは、奥の隅の方で、哀れな表情で見守る道場生の中に混じって正座し、堪えるような硬い表情で見守るローシアとレイナに気がついた。
――あの二人……なんで黙って見守ってるの……?――
ユウトは肩で大きく息をしながらワモを睨みつけている。
「視線の強さは本物じゃ……あの力を使わずに戦った経験もないのによぉやっとる……もうその辺にしておけ」
「いやだ! まだ……できてない!」
「できてない事を憂うな。おどれが無理をすれば死ぬぞ。わしは向かってくるものには容赦はせん。手加減もせん。」
「……最初に聞いています」
クラヴィは驚いた。こうなる事をわかってユウトがワモと対峙しているのだ。
ユウトの意思で今の状況を作り出しているのであれば、姉妹の表情も納得がいった。何も言えないのだ。ユウトが頑なに心配する姉妹の意見を聞かなかったことが容易に想像できた。
クラヴィはユウトが初めて出会った時に感じた初々しさと、命知らずで無謀とも言える行動や言動が思い出された。
ワモは深くため息をついて道場生達に顔を向け
「おどれら! ここから出ていけ!」
ワモが強い口調で命ずると、ローシアとレイナを除いた道場生は立ち上がって一斉に扉の方に動き出した。
「タマモ、行くわよ」
道場生が出て行くところに合わせて道場の中に入るつもりなのだと察したタマモは、頷いてクラヴィについて行く。
出て行く道場生に乗じてクラヴィとタマモは道場の中に入り込んだ。
「もしかしたら、誰か血みどろにするかもしれないから、見たくないなら外にいなさい」
殺人予告はワモに向けられたものとすぐわかった。クラヴィはじっとワモを見据えていた。しかし、タマモはクラヴィの手を離そうとはしなかった。
道場生が出て行くと、ワモはユウトに向き直る。
「これで弟子にひどい場面を見せんで済む……じゃが……」
ユウトは痛みを堪える苦悶の表情で肩を落としてワモを睨みつけていた。
その目の光は、戦う前から変わっていない。だからこワモは困っていた。
「おどれの勇気は認める。その右腕の力を使わずに戦えるようになりたいと見た目と反して心が強い。じゃが、もう今は無謀にしかなっておらん。命が幾つあっても足りはせん」
ワモは向かってくる相手に対して手加減はできない。敵であっても、たとえ弟子であっても。
レイナがたまらず立ち上がってユウトへ懇願する。
「ユウト様! もうやめてください! ワモ様は本当に手加減されないのです!」
目に涙を浮かべて叫ぶように言う。ローシアは腕組みしてユウトをじっと見つめていた。
――命が幾つあっても、足りない……か――
ユウトは少し笑った。
そして
「うおおおおおおお!!」
無茶苦茶だった。敵と戦う構えなんてユウトは知らない。
ユウトは思った。
もし、この無様な特攻をレイナやローシアから見たら、とても戦いと呼べるものではなく、ネズミが自分の何倍もの大きさの猫に立ち向かうような無謀な姿に見えただろう。
窮鼠猫を噛むなんて、猫の油断がなければ起きるはずはない。
もっとも、ユウトは自分は窮鼠のように潔いものではないとワモの顔を睨みつけて飛びかかりながら思っていた。
ワモは
――おどれは……死ぬことが怖くないのか!――
体がそう反応するように鍛え上げてある。
突然目にゴミが入ったら思わず目を閉じてしまうように自然な反射行動を脳が命令する。
ユウトが打ち抜こうとした胸元を横にずらして攻撃を避けると、前のめりになっているユウトの心臓あたりの胸と背中を肘と膝で挟むように当て身を繰り出した
ドゴォッッ!
――!!
ワモは顔が青ざめた。手応えがあった。
「……が……は……」
「ユウト様!!」
レイナが、ワモの攻撃で板張りの床に力なく倒れ込んだユウトに駆け寄った。ローシアも青ざめた顔でレイナに続いた。
ユウトの心臓は衝撃で痙攣していた。細かい振動しか出ない心臓の動きが、胸を締め付けるような苦しさで、ユウトは徐々い顔が赤くなり始めた。
「お、おい! くそっ!」
ワモは屈んでユウトの顎をあげて気道をを確保して、ユウトの胸を指でつく。
胸の奥に残る衝撃を逃すため、指を使って体内の衝撃の逃げ場を作ると、レイナが手に白い光を宿してユウトのそばに滑り込むように座って、胸元にあてがう。
「なんで……なんでおどれは命知らずなんじゃ!」
ユウトの顔が目を見開いたまま青くなる。
かは、かはと体に呼吸を送りたいができない音が続き、ついには体が痙攣し始めた。
タマモはユウトが苦しそうにしているのを見ていられず
「にいちゃん……死んじゃうよ!」
と握っていたクラヴィの手を振ると
「どいつも……こいつも……ユウトちゃんに無理させて……」
タママの手を握る力が強くなる
「い、痛い……痛いよ!」
「なによ……全てを知る者だからって無茶させて……どいつもこいつも……」
クラヴィがクナイを胸元から取り出した。
「私がどんな屈辱にも耐えれたのはユウトちゃんのおかげ……そんなユウトちゃんを殺したこいつも、見捨てたあんたらも死ぬしかないわね」
クラヴィが必死に蘇生している三人の背中を睨みつけて歩き出す。
タマモはクラヴィの恐ろしいまでの禍々しい殺気にするりと手が離れた。
――だ、だめだよ! エミグラン様の命令じゃないよ!それは!
――死ね。全員死ね
クラヴィがワモの無防備な背中に飛びかかった。
ワォーーーーン!!
部屋の隅にいたシロが遠吠えた。




