第五章 9:決断
「美味しい!!」
ダイバ国の人気のある居酒屋で、初めて食べた肉団子のおいしさに大声で感動したのはレイナで、美味しさのあまり歓喜の声で他のお客の耳目を集めてしまうと、ローシアはバツが悪そうに顔を赤くして。
「バカ! 少しは声の大きさ考えるんだワ」
「だってお姉様! この肉団子、ものすごく美味しいですよ!」
美味しい食べ物とバニ茶には目のないレイナは、うまさのあまり目を丸くさせて肉団子を頬張る。
目の前にはレイナが頼んでいる三人前とは思えないほどの色とりどりに盛られた食事が、デーブルの上で湯気が踊り、食欲をそそられてしまうことはローシアもわかる。そのうちの一つ目の肉団子で
「おいひい! んごくおいひい!」
と、落ちそうなほっぺたを片手で支えながらほおばり、美味さでとろけてしまいそうな表情と、大胆な食べっぷりで、思春期真っ盛りのユウトでさえも今のレイナの食欲には敵わないなとさえ思っていた。
ユウトは隣で肉団子を崩して食べさせているシロを見て、お前の方が随分と大人しいねと小さく呟くが、肉団子を食むシロにユウトの声は聞こえていないようだった。
微笑ましく見守る他のお客さんと店員に、ローシアは何度も頭を下げながら、すみませんすみませんと小さく連呼する。
食べることになると二人の立場が変わってしまう姉妹に、ユウトは思わず顔が綻ぶ。
周りにいた他の客達は、三人の服装を見て観光客だろうと見ていたので、ほぼ全員が外国には面白い人達がいるもんだなくらいにしか思っていなかった。
「おう!ねーちゃん!いい食いっぷりだな!これ食ってみな!」
レイナと背中合わせに座っていた陽気で人付き合い良さそうな笑顔のおじさんが、自分のテーブルに置いてあった煮物が入った器をレイナに差し出した。
「ええ?いいんですか?!」
レイナは目を輝かせて器を受け取ると、早速一口食べた。あまりにも無防備だとローシアが器を取り上げて「何やってんのアンタ!」と怒って幸せそうに食むレイナにキツく言うと
「いいんだよお嬢ちゃん! 食べな食べな!」
と、嬉しそうに食べるレイナをいたく気に入ったらしいが、ローシアは申し訳なさそうに頭を下げた。
「すみません……ホントに……申し訳ないワ……」
「気にすんなって! そこまで気持ちよく食ってる娘さんは見てる方が気持ちいいからよ!」
と言うと大声で笑った。
煮物をくれた期待に応えるように、レイナはパクパクと頬張り続ける姿を情けない顔で見やるローシアは、片手で額をおさえて首を横に振った。
「ホント……我が妹ながら情けないワ……」
ユウトは、箸休めで窓の外に視線を向けると、ダイバ国の人々が行き交っていた。思い思いの目的に向かって人は歩き、話し、笑っていた。
平和な日常は、こんな穏やかな日常が続く事なのだろうなと穏やかな気持ちで眺めていると、誰かがこちらに向かって走って来ていた。
「あれは……」
ワモの道場で見た道場着だった。髪が立つほどに短髪で、凛々しい若い弟子だった。
「ワモさんの道場生?」
必死に人々をかわしながら、がむしゃらに走っているワモの道場生を見たユウトは、まだワモに走らされているのかと思うと、なんだか可哀想に思えてきた。
平和な人通りの中を一人汗をかきながら走るランナーは、ユウトも元の世界で見た記憶があって自然と重なった。だが、居酒屋にいるユウトと窓越しに目が合うと、止まって指をさして目を見開いた。
「え? ぼく?」
何度も何度も指を差しながら道場生は慌てて居酒屋に入ってきた。
「いらっしゃいませー!」
威勢よく店員の入店の挨拶が聞こえると、道場生が倒れそうになりながらユウト達の席に駆け寄る。
突然のことにローシアは身構えたが、道場着からワモの弟子だとわかって何事かと身構えた。
「はぁ……はぁ……っっ――ロ、ローシアさん! し、師匠がお呼びですっ」
「――!!」
ローシアは親書の件に違いないと、弟子の肩を揺らして
「ワモ様はどこに!」
「――ッ……はぁ、はぁ」
よほど一生懸命に走ってきたのだろう、息がなかなか整わず、胸を押さえて苦しそうだった。だが、ローシアはお構いなしに
「どこにいるの!道場?!」
名前も知らない道場生の肩を激しく揺らすと頷いた。
「行くワよ!」
ローシアは注文した料理の値段よりも多めの金を取り出してテーブルの上に無造作に置くと、レイナ達を置いて居酒屋から飛び出して行った。ユウトも後を追うとシロも同じようにユウトを追って駆け出して外に出た。
ようやく煮物を飲み込んだレイナは料理と出口に何度も視線を動かしてから、ようやく席を立って
「ごちそうさまでした! 美味しかったです!」
と店員にお礼を言ってから席を立とうとしたが、名残惜しそうに料理達を見て、肉団子を二、三個口に放り込んでから二人を追いかけた。
**************
――ワモ流剣術道場
道場の敷地内には、幾人かの道場生が走り終わった直後のようで疲れ果てて座り込んでいたり、寝っ転がって胸で激しく早く息をし、また、井戸のそばで木製の桶に水を入れて浴びる者、飲める量でもない水をまさに浴びるように飲む者など、足りないものを必死に取り込む満身創痍の道場生達がいた。
ローシアは見渡してみたがワモはいなかった。
「ワモ様はどこにいるのかしら!」
誰にいうでもなく大声で問うと、三角座りをし、汗だくで肩で大きく息をした一人の道場生が顔を上げてローシアを見て、道場の方を指さした。
遅れてユウト達も道場に走ってきた。
道場生ほどではないが息は上がっていたが、休ませるまも与えずに「ワモ様は道場なんだワ」と簡単に説明すると、ローシアはすぐに道場に向かって歩き出した。
レイナは、神妙な面持ちでローシアについて歩くが、まだ肉団子を口の中で食んでいた。
道場の板張りの床の軋む音が大きく聞こえる。
数刻前にワモと会って話していたちょうど真ん中に同じように座ってこちらを睨むように見ていた。
「よぉきたのぉ。まあ座れや」
怒りを含んだ低い声に、ローシアは息を呑む。
怒りの源はエミグランの親書がきっかけになっている事は間違いなさそうで、ユウトとレイナは、ワモから発する怒気が圧力に感じて歩を進める事ができなかったが、ローシアは腹の奥で気合いを入れ直してゆっくりと歩み始めると、ローシアを盾のようにして後ろについて近づいた。
ワモはローシアを睨んだまま視線を微動だに動かさなかった。
ローシア達が座るとワモとローシアの睨み合いが続いた。
じっとローシアの目から視線を全く外さないワモ。
ひたすら沈黙が続く。
廊下を談笑しながら通る道場生が、道場の入り口で止まった。ワモの怒気が伝わったのか、ゆっくりと向き直して道場から離れていく。
まるで勝ち負けが決まらない睨めっこのように、感情がわからない二人の睨み合いは、時が止まったかのようだった。
ユウトは緊張感で汗が滲み、汗を拭うために手を額に伸ばすと
「もうええわ!」
ワモが突然の大声で時が動き出し、驚いたユウトは体が反応してしまい、汗が垂れて目尻に流れて目がしみた。
「おどれは何も知らんかったんじゃな」
何か会話をしていた話の続きのようにローシアに問うワモに
「ええ。蝋封の印はエミグラン様のもの。だからこそ国としてエミグラン様の親書を受け取っているはずなんだワ。開ける事はできないワ」
エミグランはドァンク共和国代表として活動していた期間は長い。
その間に、親書なりを送るときに使用していた蝋封の模様を知らないものはいなかった。
むしろ名前と同義である蝋封の模様を知っておく事は外交の最低限の礼儀とも言える。
「まぁのう……やれやれ、とんでもないことになったのぅ」
「アタシ達もクズモ様が開封された時に一緒に内容聞いたんだワ……まさか聖書記を……」
ユウトは、ローシアがワモと話している後ろで、隣に座っていたレイナに身を寄せた。
「――!」
「ねえレイナ」
「は、はい!」
「聖書記がドァンクで誕生するって、そんなことできるの?イクス教の儀式が必要なんでしょ?」
話が想像していたものと違っていたレイナは、少し残念だったが、久しぶりにユウトに質問された事が嬉しくて顔が少しだけ熱くなり、ユウトの問いに答えた。
「おそらくですが、エミグラン様は過去ヴァイガル国の大臣を務められておられましたから儀式の内容を知っておられたのだと思います。ドァンクでも儀式を再現出来ると考えていらっしゃるのでしょう」
「なるほど……でも、もしできなかったら……」
「……おそらく、推測ですけど聖書記がドァンクで誕生する事はそこまで重要ではないのでしょう」
「……どういう事?」
レイナがにこやかな顔から真剣な顔つきになった。
「あの親書は、『聖書記をヴァイガル国には渡さない』ことを明言したのです。そして敵対するとも明言されました」
「それって……」
「ええ……エミグラン様はドァンク共和国ができて初めて、ヴァイガル国と対立して争う姿勢をダイバ国の方々に伝えたのです。ドァンク共和国ができて初めて他国に敵対する事を明言した……その言葉の意味は重いですわ」
「でもそれじゃ……本当に戦争になるじゃないか」
レイナはふっと息を吐き出して
「もうそうなってますわ、ユウト様」
ユウトが思っていたよりも、事態は深刻だった。
ローシアとワモの話は続く。
「ワモ様、ダイバ国としてどうするつもりなのかしら?」
「おどれはドァンクの使者じゃろうが。やすやすと話せるわけなかろうが、ばかたれが」
不機嫌そうにそっぽを向いたワモは、大きく鼻息を吹き出してから
「とはいえ、明日には明らかになるからのぅ。話せるところまで話したるわ」
ローシアは「さすがお師匠様だワ!」と珍しく褒めると、不機嫌そうでそれでも満更でもない顔をして咳払いをした。
「明日から祭りじゃ」
「祭り? ってお祭りかしら?」
ワモは頷いて膝をリズミカルに軽く叩いて
「ダイバ国の祭りは、国の大きな決定事項を行うときに開かれるんじゃ 国民に決めるべき事項についての案を見せ、どちらの意見が多いのか、国民の総意を集めるために開かれる祭りじゃ」
ユウトは、ダイバ国の祭りは選挙みたいなものかと置き換えて認識した。
「あの親書の内容は会議でも揉めた。ヴァイガル国とは同盟を結んでいないが敵対もしておらんし、どちらかが一方的な武力行使にならんように、ダイバ国はどちらにも与しない第三国の立場じゃ」
「それがエミグラン様に寄って変えられようとしている……」
ローシアの補足にワモは頷いて続ける。
「歴史が動く……という事じゃろう……二百年もの間で暗黙で守られてきた平和が終わるんじゃ。綱渡り状態だったとはいえよくここまで長く続いたという方が正しいんかもしれんのぅ」
ローシアは、まどろっこしいワモの言い方で、はぐらかされないため確信を突くように、「で、その祭りだか何だかわからないけど、何を決めるのかしら?」と問う
「……それは明日のお楽しみじゃ」
結局はぐらかされてローシアは小さく舌打ちした。
「それよりも……じゃ!」
ワモは右膝を大きく叩いて立ち上がった。見上げた三人を見下ろしてニヤリと笑み
「……稽古をつけちゃる」
三人は驚いて顔を見合わせる。ローシアはワモの真意が気になって尋ねた。
「どういう風の吹き回しかしら? ダイバ国の重要な役職のワモ様が、ドァンクに肩入れしても良いのかしら?」
先ほどワモから断られた口上をそのまま返すと、ワモはハンッ!と吹き飛ばすようにあしらって
「まだおどれらはわかっとらんようじゃの……まあええわ……わしの気が変わらんうちに返事せぇ……やるんか!やらんのか!」
ローシアはユウトとレイナに振り返ってから可愛らしくウインクしてからワモに真剣な顔で向き直って
「やります! お願いします!」
魔女なき世界のために、カリューダを甦らせる野望を打ち砕くため、断る理由などなかった。




