第一章 9 :モブルという男
ローシアがユウトを探し、探されているユウトはヴァイガル国で出会ったグラヴィと手を繋いでレイナのいるギルドに向かっているその頃、レイナはギルドの外で三人の家を借りるため、モブルと対峙していた。
先にミストの外に出たモブルは、準備運動で首を回し、下品な笑いを浮かべながら、ギルド内にいなかった取り巻きも含めて二十人ほどの傭兵と談笑していた。
「ぐへへへぇ ありゃ世間知らずの上玉だなぁ…おい。売っても相当な金になりそうだなぁ。」
なかなかにゲスい思考を巡らせているらしく、その表情は下品を隠しきれず、ただただ醜い。
取り巻き連中はその顔をどう思っているかはわからないが、おこぼれに預かる習慣から抜け出ないため、モブルの機嫌を損ねずに今回もおこぼれに預かるべく、飼い主と同じように笑っている。
悪意で澱むギルド前に、レイナがギルドからゆっくりと現れる。
続いてオルジアも出てきた。テラスの空いている椅子に座ると背もたれにもたれかかり深く息を吐く。
「おい!オルジアァ! 手出ししたらわかってるんだろうなぁ!」
モブルが指差してオルジアに念押しして手出しさせないように釘を刺す。
モブルとセトに念押しされて手出しするほどバカじゃない。図体はでかいのに、細かい事を勘繰るモブルの忠告に軽く手をあげて手出ししない意思を見せた。
あたりを見ると、モブルと取り巻き、レイナの周りにはミストから出てきたギャラリーが集まっていた。
ミストの近辺のには、登録した傭兵の住処が集まっている上に、聖書記選の影響で暇を持て余す傭兵が、今から何が始まるのかと見守っていたが、モブルが出てきた時点でろくでもないことだと察し、その対象がレイナであるとわかると、驚きと哀れみの声が聞こえてきた。
まあ、そりゃそうだよなぁとオルジアが歯噛みする。
それにギルドの周りは衛兵が立ち寄らない地域でもある。
ギルドの問題はギルドで解決すること。
それがヴァイガル国の暗黙の了解でもある。
法で裁く罪人がギルドから出た場合、ギルドが責任持って国へ突き出す。国に属するギルドの衛兵として当然の義務だ。傭兵は時として衛兵のように捕物を行うこともあり、自治が力による作用で整っているこの辺りには衛兵が来ない。
影で今回のような暴力沙汰があったとしても来ることはない。自分達の尻は自分達で拭え、と言うことだ。
関係は良好とは言えない。そのためお互いに色々と都合のいい逃げ道は用意されているらしいが……
とはいえ関与しない関係に、オルジアは衛兵とミストの関係は気楽でいいと思っていたが、今回ばかりははがゆく感じていた。
レイナがミストから出てきて、モブルたちの前に立ち止まると周りを見渡した。
最初に口を開いたのはモブル
「へへへへ。裏口から逃げ出すかと思ったがよくこれたなぁ。」
「ええ。私の問題ですから……私が片付けなければならないので。」
と、胸の前で手を叩くと
「ところで、どうすればあなたは負けを認めますか?」
と、腕を回して準備しているモブルに問う。
「負けだぁ?」
モブルが大声で笑いあげる。気の利いた冗談を聞いたかのように。
「負けなんてねぇなぁ! このモブル様が負けることなんてねぇんだ!」
「そうですか…負けたことないのですね。」
「ったりめぇだぁ! おめえも跪かせてやるからよ!」
レイナが少し笑み、ほっとしたようにいう。
「…よかった。」
オルジアは見逃してしまった。
見たくないから目を逸らしていたわけではない。見ていた
次の瞬間、モブルの顔が鈍い音で弾かれてのけぞるように倒れていく。そして上を向いて血を吹いていた。
あたりにいた連中も何が起こったのか理解できなかった。
レイナの姿を捉えたのはモブルが倒れ込む直前。
木剣を振り上げた後のレイナが、モブルが立っていた場所にいる。
対峙した時は木剣が当たるような距離ではなかった。
誰もが見落としたレイナの初撃は、脳震盪を起こすための顎への一撃。誰もが見落とすほどのスピードでモブルとの間合いを詰め、
見事に芯を捉えた一撃で、狙い通りモブルは脳を揺らされ、さらに舌の一部を噛み破り血を吹いた。
取り巻きも何が起こったのか分からず呆然と見たままだ。
レイナは木剣を片手で持ったままで取り巻き連中を見る。
モブルが一撃で倒された事実にレイナに圧倒され、二、三歩下がった。
見ているだけのオルジアも圧倒されていた。そして笑いが込み上げてきた。ギルドを陰で牛耳っていた暴君モブルが一撃で倒されるなんて想像もしていなかった。
ギルドは力あるものが残り続けることができる過酷な蹴落としが常にある場所。
モブルは確かに力がある、だが節操が全くない。力あるものが全てだという安直な思考でギルドを支配しているつもりになっていた。
それがどうだ、体格差は一目瞭然で負けることが想像できないような相手に一撃でやられている。
これが笑えずにいられようか。相手が女性なら尚更だ。自分もレイナがモブルに蹂躙される事しか想像できなかったことも拍車をかけて笑った。
「まだだねぇ。」
オルジアの後ろにセトが紫煙を纏いながら見ていた。
「あんた、あのモブルの事をまだまだわかっちゃあいないね。」
そうだ、あの卑劣なモブルだ。脳震盪くらいで諦めるようなやつではない。
セトの言葉通り、モブルは倒れた状態から突然動き出した。
「いでぇ……いでぇよ……女の分際で……」
レイナは右足首をモブルに掴まれていた。
血を噴き出しながら目を血走らせて、頭には血管が浮き出ていた。
脳震盪の目眩のため立ち上がることはできなかったが、眩暈がする中、手探りでレイナの足首を片手で掴んだのだ。
「…へへへへ、捕まえたぜぇ?」
レイナの速さが強さの秘密だと見抜いたモブルは、速さの出所である足を掴む事で動きを封じる。
モブルの目的はレイナを自由にさせない事で脳震盪の回復を図るつもりだ。
「おい!お前ら!やっちまえ! こいつは今動けねえぞ!」
速さに驚いていた取り巻きが、レイナの動きをモブルが封じる事で一方的な暴力が可能だ。
これに反論したのはオルジア。大声でモブルを糾弾する。
「モブル! やり方が汚ねぇじゃねぇか!」
「ああん? しるかよ。これは俺らとこの娘の問題だなぁ」
モブルの論調はすでにモブルらとなっている。
呆れるほどに汚い。
セトはこれも見抜いていたのか、特段何も変わらない様子でパイプに煙草を詰め替えて火をつけている。
手出ししない二人を確かめると、モブルは取り巻きに視線を移す。
「おめえら!やっちまえ!相手は女一人だぞ!」
躊躇する取り巻きに檄を入れる。
するとレイナが小さく声を発した。
「…ごめんなさい。」
「…あん?」
「次は痛みます。でも、負けを認めてくれたら治しますから。」
レイナが優しくモブルにそう告げる。
次の瞬間、足を掴むモブルの手首に鈍い音が響き、モブルには追加で激痛が走った。
「ぎゃああああああああぁぁぁ!!」
のたうち回る間に手首から血が吹き出し始めた。動き回って手首の骨が肉と皮を突き破ったらしく、叫び声に悲鳴の色合いが増して行く。
レイナの一太刀
今度はオルジアは見落とさなかった。
何かモブルと話しているレイナの木剣が振り上げられ、レイナの足首を掴むモブルの手首を打ったのだ。
見落とさないように集中してようやく何を行ったのかが見えた。
見えた上で評すると、速すぎる。
「的確に肉の薄いところから芯をついているねぇ。獲物を見た時にまさかとは思ったけどねぇ。」
セトが意味ありげに言う。獲物はこの国では見ることが出来ないレイナの背に背負われている剣のことだろう。
「セトさん。あんた何か知ってるのかい?」
「さあね。アタシも見た事がないから憶測だよ。」
「もったいぶるなよ。」
セトは鼻で笑い、大昔の話だから、ちゃんと思い出したら言うよ。とはぐらかした。
モブルは血を撒き散らしながら叫び、悶え体をくねらせている。
骨折をしたことがないのだ。もともとその体躯で骨までダメージが届いた経験がない。たが、レイナの一撃はその体躯の大部分を覆う筋肉の影響がない薄い部分を狙ったのだ。
ダメージは皮を簡単に通り抜け、骨に伝え切ることで砕いたのだった。
武器を振り下ろすことは誰でもできる。
しかし、手首のように狙うところが小さいところに的確に当てることは難しい。振り下ろす速度が速ければ速いほど難易度は増す。
モブルの手首を砕くほどの速度で狙い打つことはよほど手慣れていないと難しい。
この時点で周りの傭兵達は、レイナが只者ではないと理解していた。
「もう終わりにしましょう? 負けを認めてくれませんか?」
レイナが慈悲の問いかけを投げる。だがモブルは痛みの奥底にある怒りがレイナの慈悲を燃料として燃え上がる。
「う…うるせえ! てめぇ…気が変わったぜ…ぶっ殺してやる!」
ヴァイガル国での殺生はもちろんイクス教のもと禁じられている。重罪だ。
そんなことも忘れるくらいモブルは激昂していた。
衛兵に見つかると、その場で処される可能性もある。だが、たった2回の攻撃でモブルが這いつくばる姿を本人も想像していなかった。痛みと砕かれたプライドを取り戻すには犠牲が必要。気を静めるにはレイナを八つ裂きにしなければ収まらないまでに昂っていた。
「おい!おめえら! あいつを捕らえろ! でなきゃ、俺がお前らをぶっ殺すぞ!」
後ろに下がった取り巻きはモブルの命令に情けない声を出す。
元はと言えばあんたが売った喧嘩じゃないかと言わんばかりだ。
その様子に周りのギャラリーはやってやれよ!と煽る。
モブルを盾にいきっていた連中だ。モブルの加護がない連中の実力なんてたかが知れてる。
それも相手は女だ。やられてしまってはギルドでの仕事は無くなってしまう。
だが、そもそもモブルがいなければ飯にありつけることも無くなるので、下手すればこの国で生きていくことも難しくなる。
担いだ神輿は最後まで担ぐか否か。
担ぐしかないのだ。
「…おい! カミル!」
モブルが軽装の金属鎧を装備している目つきの鋭い男を指さした。
「お前がいけ、相手は木剣だ! とっ捕まえろ!」
「…あんたがやられるような相手は俺には無理だねぇ」
戯けるようにとぼけたが
「ああん?! 馬鹿野郎!俺がやられてもいいのか! お前のその装備は飾りか?!金属と木のどちらが強いかわかんねぇのか!」
と一喝した。
金属と木、どちらが強いかは誰もがわかる。
骨を砕くことが出来ても金属を壊すほどのものではない。衝撃に耐えさえすれば骨を砕かれることはない。金属が全て受け止めてくれるはずだ。
モブルは生身を打たれて痛がっている。
鎧を着ていたらあんな目にあうことはない。当たりどころさえ間違えなければチャンスもある。
モブルの言いたい事はわかる。だがモブルがふっかけた喧嘩に駆り出されるのは正直癪に触る。が、行かなきゃ後で何をされるか考えたくもない。
やるしかねぇのか…とカミルはモブルの前に立った。
「お前も! お前もいけ! 鎧着てりゃ大したこたぁねぇ!」
金属ではないが皮の鎧を着ている他の四人も指名した。
後で指名された四人は、モブルがいなくてはギルドでおいしい生活ができない連中。
前に出るしかなかった。
「5人がかりでいきゃぁ… 大したこたぁねえ! やれ!やっちまえ!」
這々の体であるモブルは、砕かれた手首を押さえながら後退りしている。
痛みが少しでもおさまれば捕まえた取り巻きともども一撃食らわせる腹づもりでいた。
そのために力を温存するため、5人がかりを命じた。
テラスで見守っているオルジアは舌打ちをして、セトに問いかける。
「あれでも手出ししたらだめなのかね?」
モブルの手段を選ばないやり方はギルドの名誉にも関わるとオルジアは常々思っていた。
あの手段を選ばない汚いモブルのやり方はセトも知っているはずだ。
こうなったらモブルは手がつけられない。それどころかレイナを殺そうとしている。
そうなればミスト存続にも関わる問題になる。
セトは紫煙を一息で吹き出して。含み笑いをする。
「…手出し無用だよ。」
先程の大昔の話といい、セトは何かを知っている。
笑っている事は、決してモブルが有利とは言えないと言う事なのかもしれないが、オルジアはその考え方に懐疑的だった。
取り巻き連中といえども登録された傭兵だ。何をすればレイナを捉えられるかは基本知識としてあった。
速い相手はまず初撃を放った後に動きを見極めて、次の手、次の手と時間差で対応するのがよい。
捕まえてしまえば、その速さを生かすことはできない。
人数差は圧倒的な有利を生み出すし、
一人であるレイナは、武器で初撃を放った後は圧倒的に不利になる。
捕まえて、武器を手放させればモブル側の勝ちだ。
レイナの攻撃を鎧で受け止めたところを腕を掴み、体重をかけて倒れ込み、残り四人で押さえ込めば後はモブルが良きようにするだろう。
カミルと呼ばれた男はは四人にアイコンタクトをする。
四人はカミルの意図を汲み取り小さく頷いた。
レイナを要として扇形に5人は陣取った。
レイナは5人を見やり誰が来るのかと気配を探る。
カミルの装備は頭のハチをぐるりと回って額を守るガード。
そのガードの下には、過去に酷い傷を与えられたのか古傷が見える。
手の甲と前腕部、肩から腹までのチェーンメイル
足は脛と足の甲を守る装備だ。
レイナの初撃を見極めて対応できるように。
レイナに飛びかかるタイミングで木剣を見る。どの位置にあるかがわかれば、次にどこを狙うかの予測はしやすい。
上に行けば頭、肩。
後ろに引けば突き、体全体が狙えるが、首、胸、腹辺りか。
どこに木剣があるかを判断して
動きに合わせて鎧で受け止める。避けることより受ける方が手数は減る。減った分次の動きを早くできる。
カミルの動きに合わせて木剣が動き出す。この攻撃を防具で受け止めれば勝ち。
気合を声に変えて叫びながら飛びかかった。
カミルは二つの行動を予測していた。
一つはレイナが避ける事。どちらかと言えば避ける可能性が高いと考えていた。
だが避けてしまえば残りの四人が間合いを詰めてレイナを捕まえることができる。
そうなれば体制を整えて四人がレイナを捕まえている途中に第二撃を行えるだろう。
もう一つは木剣で攻撃をしてくる事。
その場合は金属で守られだ部位で受け止める。そうすればまた四人が木剣を振り切ったレイナの体の一部を捕まえて、後は力づくで抑え込む。木剣が折れてくれれば幸いだが、折れないとしても、木剣を持った手を蹴り付けて離させて、遠くに投げれば勝ち。
イメージはできている。そして四人も同じイメージで間合いを詰めていた。
それぞれ即席ではあるが、モブルの下でミストで色んな仕事をやってきた奴らだ。
速い相手を捕まえるコツは知恵としてある。
対応を心得ている事で、ある程度は息を合わせることが出来る。
イメージはできていたのだ。即席であるがこの状況下で理想的なイメージが。
レイナは木剣を下段に構えた。
装備で受け止めるために、腕の部分を顔の前に持ってきた。顔なら腕、胴なら胸。受け止める部位は決めていた。振り切らせれば勝ちなのだから。
受け止めて掴む、受け止めて掴む!
カミルの視界からレイナの持っている木剣が消えた。
『消えた!木剣はどこだ?!』
それもそのはずだ。カミルの視界の外である脇から振り上げたのだから。
顔の前に持ってきた腕が邪魔で脇を狙っている事に気がつくはずもなくモロに食らった。
下から上に振り上げられた衝撃を食らった脇から肩にかけて、筋がブチブチ!とちぎれる音の次に、骨がありえない方向に動く感覚の後、衝撃で弾けて痛みが脳に伝わる。痛みが脇から鎖骨、そして上腕部にまで広がっていく。
「ぐおおおおおおっ!!」
無理矢理肩の骨を外されたのだ。木剣で。
「…カハッ!」
呼吸すらも止まる激痛で飛びかかった体のバランスなど保てるはずもなく、レイナの横を通り過ぎるようにして地面に滑り込んで倒れた。
時間差で二人が捕まえようとしてるが、カミルがやられた事よりも、木剣を振り切った!とさらに勢い増してレイナに飛びかかる。さらにその横にはもう二人が同じように間合いを詰めてきている。
構えさせない! 捕まえさえすれば!
レイナの木剣は振り抜いたままで、返す前に二人に捕まってしまう。
オルジアは見逃してはいなかった。
いや見逃さなかった。
速い攻撃から目を晒さぬように、食い入るように見ていたが、レイナが一人目を攻撃する前から何か独り言のように口を動かしている事を。
捕まえよ!そして離せ!
第二撃の二人は木剣を振り切ったはずのレイナが視界から消える。いや、空が見えた。
なぜ空が見えるんだ?という疑問の直後、二人とも頭を地面に打ちつけた。
ざわめき始める傭兵たちに混じり、オルジアも驚きを隠せなかった。
「…魔法だ…」
「何で剣で戦いながら魔法が使えるんだ…」
「武器で戦いながら魔法…だと…?」
周りの傭兵達はざわめく。当然だ。これまでに剣で戦いながら魔法を使う剣士など見たことがない。
魔法はマナを介して自然の力を術者に有利にするよう働きかける。
戦闘における魔法は、主に炎のマナを操ることが多い。
何もないところから炎を起こすには、血が滲むような努力と研鑽が必要になる。だが意のままに使えるようになればギルドでも一目を置かれるほどの術者として登録される。実際にそう言った傭兵はいる。
魔法は自然に存在するマナを人間が元々有しているマナを介して、術者に有利になるように奇跡を起こすものだ。自然のマナが術者の意のままに動くことをマナの加護という。
術には詠唱や魔術式と呼ばれる術者がマナを共鳴させる所作がが必要で、レイナの場合は特定の言葉を発する事で自分の体内にあるマナと自然のマナを共鳴させるようにして、マナの加護の力を増幅させ奇跡を起こしているのだろう。
だが、力が増すまで、術者は無防備と言ってもいい。
心を落ち着かせて自らのマナを使って自然の力を借りることは、そう簡単に出来ることではない。
しかし、レイナが行ったのは、戦闘中に戦いながら魔法を使ったのだ。つまり剣を振りながら詠唱してマナの加護を増幅させている。
剣を振るいながら隙のない術者。
剣の腕はギルドでおそらく上位になれる実力の持ち主だ。剣も術も隙がない。同時に魔法が使える。
こんないいとこ取りのわがまま人物は歴戦の猛者でもあるミストの誰も見たことがなかった。
オルジアは自分の見立ての甘さとモブルの哀れさにせせら笑い、そしてつぶやく。
「…モブルに勝ち目がねぇじゃねぇか…」
レイナの術は終わらない。
詠唱を終えているレイナはまだ残っているマナの力を使って続いて残り二人へ攻撃を向ける。
壁よ!敵を弾け!
レイナの起こした奇跡に面食らう残り二人は体の自由が奪われる。
体のバランスが取れず足元を掬われたと思うと空気の壁のようなものが突然ぶつかったかのように吹き飛ばされた。
勢いよく二人とも城壁に叩きつけられ、衝撃で気を失い地面に倒れ込んだ。
ふぅと一息ついて、レイナは残りの取り巻きを睨む。
取り巻きは全員戦意を削がれいるようで、後退りを始めていた。もうこうなったらモブルの一喝でもレイナに立ち向かわせるのは無理だろう。
今にも逃げ出しそうな取り巻きの様子を目で牽制して、モブルに歩み寄る。
すでに詠唱は始めていた。
モブルは恐怖に陥っていた。
術者のあやし方は知っている。当然隙のある詠唱の時を潰せばいいと。
だがレイナは自らその隙を見せることはない。
剣と魔法を同時に使える人間なんて聞いたことがない。
戦いながら詠唱するのだ。
剣を避けても魔法なのだ。剣も魔法を潰すことが出来ない。
気がつけばレイナは目の前にいた。
ひぃ!と情けない声が出る。
魔法は人知を超える力を生み出す。腕力や忍耐でどうにもならないのが魔法だ。
今目の前にいる女は、負けを認めないと魔法を使う。剣で打たれた顎と手首が思い出したかのように痛み出す。
レイナの片手に空気が集まりぐるぐると高速旋回する球状の風が、まるで嵐の音をたてながら構築されていく。
さっきは目に見えないものだったのだが、今回ははっきりと空気が渦巻いているのが見える。
レイナがしゃがんでモブルの目を凍るような視線で見る。
「ごめんなさい。どうしても勝たなければならないので、これ、使いますね?」
肩で息するモブルは喋ることもできなかった。
レイナは手の中で唸るように回転し続ける風の球を悲しそうな目で見つめながら説明する。
「二回目なんです。これを使うのは…一回目は自分でもコントロールできなくて…地面に大穴が空いてしまって…雨が溜まって、そのうち池になったんです。穴を開けた時は、こっぴどくビレーお母様に怒られて、その穴を見るたび、もう二度とするんじゃないよって言われたんですけど、池になってからはお爺さまがいい釣り場ができたって庇ってくれて。」
レイナは懐かしむように話すがモブルからすると何を言っているのかさっぱりわからなかった。
「でも!安心してください!今回はちゃんとコントロールできてますから。地面に大穴を開けることはありません! 人に使うのが初めてなので…不安なんです…」
大穴があき池ができるような力のものを?とモブルが震え出す。
「…傷だったら治せますけど…もしかしたら死ぬかもしれません。そうなったら治せないので、負けを認めてくれませんか?」
モブルの震えがさらに増す。顔も青ざめてきた。
歯がカチカチとなり始める。まがりなりにも戦闘で稼いできたモブルだからわかる目
この女、本気でやるつもりだ。
「わたし、どうしても勝たなければならないんです。だから負けを認めてください。お願いします。」
レイナの手にある風の球が凄まじい音を立て、モブルの目の前にゆっくりと近づけられる。
触れたらやばい。触れたらやばい。負ける、負ける。
モブルの脳内では葛藤と命が天秤にかけられて右に左に揺れ動く。
負けを認めると言うことは、結局のところモブルにとっての死でもある。
レイナがいる限りギルドで従わなければならなくなる。今までねじ伏せてきた連中もここぞとばかりにレイナの肩を持つし、序列でレイナの下になる。
それがはモブルのプライドが許さなかった。
だが、風の球をまともに食らえば、レイナの話が本当なら命すら危うい。
命とプライドの天秤が右に落ち,左に落ち、そして審判を迫るレイナの視線と風の球。
いやだ…嫌だ嫌だ嫌だ!
死にたくねぇ!
命を取る選択を決めた時、モブルの視界は漆黒の闇に落ちた。
********
レイナは腕を掴まれた感覚があり、意識をそちらに向けた。
視線の先にはオルジアがいた。腕はオルジアが掴んでいた。
「そこまでだ。」
視線をモブルに向けると、白目を剥いて口から血の混じった泡を拭いており、気を失っているようだ。
「あんたの勝ちだ。…で、ちっとばかし怖いので、その物騒なものを収めてくれないか。」
物騒なものは風の球のことを視線で伝える。
レイナはオルジアから勝ちを宣言され、少し呆気に取られた顔をしたが、すぐに安堵してため息を一つ吐く。
レイナの手で渦巻いていた風の球は、レイナのいしのもと、次第に威力を失い消え入りそうになると握って消滅させた。
「…すごいな、アンタ。相当腕がある。どこで習ったんだい?」
興味本位でレイナに尋ねると、照れ臭そうに肩をすぼめる。
「腕が立つなんて…そんなことはないです。お姉様には敵いませんし、わたしなんてまだまだ未熟です。」
褒められて少し顔を赤らめた答えが、さらに上にお姉さまがいるという。
なるほど。登録に来たのが一番下っ端の役目だとすると、とんでもない新人が現れたものだと半ば呆れるように世界の広さを実感させられた。
「…まぁ、アンタの勝ちは揺るぎない事実だ。見てみな。」
オルジアがレイナの視線から外れると周りには傭兵達の歓声とレイナへの賞賛と笑顔で溢れていた。
モブルの独裁とも言える傭兵の序列が、今終わったのだ。
ギルドの傭兵の発言力は、貢献している者、つまり強い者が何よりも優先される。
持ち前の傭兵として恵まれた体躯と悪知恵でその頂点までのしあがり、ギルド内での争い事は禁止されているルールを逆手にとって好き放題していた独裁者モブルの支配が、今日突然、レイナの戦いによって終わったのだ。
解放されて、喜びに満ち溢れるのは必然だ。
もちろんオルジアも表情こそ変えないが、その一人だった。
喜びを隠しきれない傭兵たちを割って、セトがパイプをふかしながらレイナの前に立った。
「セト様…」
「派手にやってくれたねぇ。」
「す…すいません!」
「まぁ、いいさ。アンタの実力はよくわかったよ。」
「あ、あの、それだけではなくて。これ…」
セトの前に恐る恐る出したものは木剣だった。
よく見ると、木剣の刃の部分が斜めに割れて、少し力を加えれば簡単に折れてしまいそうになっていた。
「…ごめんなさい…お借りして壊してしまって… あ!あの!お、お姉様がお金を全部持っていますので! お姉様が来られたら、ちゃんと弁償しますので!」
レイナはごく当たり前の謝罪をセトに伝えたが、セトには新鮮に映った。木剣なんて消耗品のようなもので、傭兵たちの剣術上達とストレス発散のため置いている。もともと傷んでいて、そろそろ交換の時期だと思っていたところにレイナが壊してしまっただけの事で、そこまで深刻になるようなことでもなかった。
だがレイナの顔はどうだ。目を潤ませて、このまま何も言わなかったら涙が溢れそうになっている。
まるで子供じゃないか。
荒々しいギルドを取りまとめているセトにとって、ごく当たり前のレイナの応対に、可笑しくなってきて、声に出して笑った。
笑われたレイナは予想していなかったセトの反応に目を丸くした。
オルジアも、セトの気持ちを察したのか、口元だけ緩めて笑った。
セトの反応にレイナは困惑して、あの… あの…と問いを繰り返すだけだった。
笑い疲れたセトは目尻を袖で拭いながらレイナを見やる。
「はー…ごめんねぇ、笑ってしまって。木剣のことはいいんだよ。良いもの見せてもらったお礼さね。」
「いいんですか?!」
「ああ、いいよ。あと、アンタ…レイナとあと二人だったね。ギルドの傭兵として認めるよ。三人とも。」
セトから聞きたかった言葉を聞いて、途端に顔が明るく笑顔が弾ける。
「いいんですか!まだ二人は誰ともわかってないのに。」
「いいさ。あのモブルを子供扱いするようなムスメさんだからね。一人で10人分の働きさ。うちとしては全然悪い話じゃないさね。そのかわり、しっかり働いてもらうよ?」
「はい!」
返事を子供のように元気よくしたレイナはにこりと微笑んだ。
「はっ!…いけない!」
レイナは喜びから一転して、駆け出した。
視線でおうと、レイナに壊された肩を押さえて座り込んでいたカミルに近づき、そばでひざまづいた。
オルジアはその様子を見ていると、レイナの手から淡い光が見え、光を男にあてがう。オルジアはそれが何かは知っていた。光の正体に何度かお世話になっていたから。
「ヒールか…」
どこまでお人好しなんだと鼻で笑う。
蹴落とすことしか考えない奴らにどこまでも慈悲を与える人間がいるなんて想像もしていなかった。
いや、レイナからすると一方的に痛めつけたという反省の心からきているのかもしれない。
モブル達とレイナの戦いはそれほどまでに圧倒的だった。
あの時、レイナ一人だけが勝つことを知っていた。
周りにいる連中は誰もレイナが無事なままだなんて想像もしていなかっただろう。
またモブルが誰かを痛めつける。それも相手は女かよ。
そんな風に哀れんでいたに違いない。
想像を遥かに超えた実力の持ち主がこのミストの一員になることは、ギルドの皆にとってありがたい話でもある。
セトも傭兵達も皆が喜ぶのを見ていると、ことの発端となったオルジアの肩のには降りて、なぜか胸が熱くなっていた。
カミルはレイナのヒールで肩の痛みは抜けかかって軽く動かしてみた。
「大丈夫ですか?」
「そうか…モブルのやつは負けたんだな。」
レイナはうなづいた。
「ごめんなさい…あなたを避けるだけでは私が不利になると思ったので…肩を壊しました。本当にごめんなさい…」
初撃の攻撃は避けたとしても、二人目以降を相手している時に隙が生まれる。その隙に体勢を立て直されて掴まれては負けることは必然で、誰かを行動不能にしなければならなかった。
それがたまたま自分だったとカミルは理解した。
なるほど、ギルドの登録は初めてといっても、もともと持っている素質が違うのだと、スッキリと負けを認められた。
とるべき対策をきっちりされたのだ。
そして、肩の痛みが引いて動けることから、レイナにヒールされ、どこまでもレイナの手のひらだったのだ。と踊らされた感が拭えない。
「アンタ、すげぇな。」
「いえ!…そんなことは、ないです。」
顔を赤らめて照れ臭そうに否定する姿から、およそ先程の鋭い剣撃で肩を壊した人物には到底思えない。
そのギャップに思わず声に出して笑ってしまう。
負けたのにここまでスッキリしたのは初めてだし、何よりこのレイナの見た目に騙された自分たちが滑稽で笑えた。
笑う理由がわからないレイナは、何か喜んでもらえたのかと、すこし微笑んだ。
「アンタ、いい傭兵になれるよ。少なくとも、俺みたいになるなよ…」
「俺…みたいに?」
「ああ。俺たちはモブルに屈服した。力でねじ伏せられた。だが、なりたくてそうなったんじゃねぇ。いつかあいつの寝首でも良いから掻っ切ってやると思ってた。そう考えているやつは少なくなかったはずだ。」
レイナは黙って聞いていた。カミルの両拳が硬く握られるのを見ていた。言葉にも力がこもっており悔しさが伝わってくる。
「だが、もともと俺たちの考え方が間違っていたんだ。あいつにとってこの国なんてどうでもいい。自分さえ良ければいい。そんなゲス野郎だった。」
カミルとレイナがモブルを見る。周りに傭兵が集まっているようだが、その周りだけ喜ぶ様子はない。
哀れみと、怒りが入り混じる負の空気が漂っているように見えた。
「そんな奴に、少しでも従ったのなら、もうモブルのやつと同じだ…おれは…おれは…」
「気を確かにしてください。落ち着いて…」
カミルを落ち着かせようと近寄り肩に手を置くが、拒否して立ち上がった。
「落ち着いてられるかよ! クソっ… 」
「…」
レイナは下唇を少し噛んで、何もできない自分が情けなくなっていた。
「ありがとよ。アンタの恩。忘れねぇ…」
そして、そのまま歩いて、ギルドの反対側へ傭兵達をかき分けてどこかに行ってしまった。
「あいつを責めないでやってくれ。」
悲しげなレイナの顔を見かねてオルジアが声をかける。
「…でも。」
「あいつは、モブルに酷いことをさせられてたんだ。自戒の念でいつも苦しんでた。今日モブルから解放されたが、あいつは、自分の罪は消えない。そう思ってるんだろう。」
「罪…」
「カミルって言うんだ。名前だけでも覚えてやってくれ。そのうち帰ってくるさ。」
モブルとは反りが合わない様子だったオルジアが、取り巻きであるカミルの名前を知っている事に、オルジアの懐の深さを感じたレイナは、やはりこの人は優しい人なんだ。と心が暖かくなった。
「はっ! いけない!」
突然大きな声を出したレイナはまた駆け出していった。
今度は魔法で吹き飛ばした一人だ。
オルジアはため息を一つついて。
「どこまでも優しいお嬢さんだ。」
と呆れるように言う。
釣られるようにセトも鼻で笑って
「まったく…同感だね。」
と続けた。
レイナはすでに自分が吹き飛ばした相手にヒールをかけていた。




