襲う悲劇の始まり
こっそりと世界を包み込むような夜更けだった。
その夜空に日々、姿を変える月が、今日も存在感を強調するように、薄暗い夜空に、細くなった形をして浮かんでいる。
その細くなった月を見上げて、シャルロッテは「はぁ」と息をついた。
ディアルグ王国の王都ザンクトの中央に建てられた王宮が、月の光に照らされ、青白く染まっている美しい造形も、今の彼女の心を慰めはしない。
数日ほど前から、感じ始めた違和感が、それが社交界での殿方が自分を遠くから見詰めてくるような、イヤな視線に似ている、それが何処からか見られているようで、彼女は不安と恐怖を感じていた。
ここはディアルグ王国、フロンディア大陸西側にある国々でも屈指の権力を誇る5王国の中の1カ国である。
自分はそこの王女シャルロッテ・ザンブルク、 城の周囲は何十人という護衛兵に固められ、どんな人間より安全な立場にいる。
そのはずなのに….....!?
なのに、不安を煽るような感覚?
この逃げれない恐れは何なのだろう?
心を締めつけられる………恐怖に!?
誰に話したところで、怖がりだとか淋しいがり屋だと言われ、一笑にふされるのはわかりきっている。
だから私はこの違和感………いや、恐怖感を誰にも告げることが出来ないでいる。
この数日間で見続ける、夢の中に現れる瞳が何者なのかも、それがなんなのかも、自分には思いあたる節がないのだが、その瞳が自分を追い詰めてくる。
今まで自分に求婚してきた多くの男性には、獲物を捕らえるように見つめる瞳をする者はいなかった。
一度も、会ったことのない、男だ。
だけど、あの瞳には見覚えはない。
一度見れば、あんな強烈な印象を放つ瞳を、自分が忘れるはずがない。
でも、ではあれは誰なのか?わからない………わからない、まるで………なのに、確実に、心は不安を覚え、幼い子供のように怯えてしまっているのだ、自分は……
いっそお母様に相談してみようか、と彼女は自らの金色の髪を指で玩びながら考える。
強い魔力を持っているお母様ならば、これがただの自分の気の回しすぎか否か、教えてくれるのではないだろうか。
そう、そうしよう。
自分ではどうにも対処できない問題に向きあってくれそうな存在を見出し、シャルロッテは素直に喜んだ。
それでも、もし、彼女の感じている恐ろしさを感じさせる、視線が現実のものであったら、どうすべきかまではシャルロッテには、まだ考えが回らない。
「そうね………明日にでも、お母様にお聞きすればいいのだわ。
そうすれば、きっとこんな心配が無用だって言ってくださる。 何の根拠もない不安だって……そうよ。」
自らを励ますようにつぶやいて、シャルロッテは窓辺から離れようとした。
とうに、就寝の時刻は過ぎているのだ。
もし、いつまでも眠らずにぼんやりしていた、なんてことが侍女頭にばれたら、口うるさい彼女のことだから、延々と一時間くらいは、自分を捕まえて放してはくれないだろう。
「お小言は御免ですものね」
ペロッと唇を舐めて、シャルロッテは肩をすくめた。
それらをすべて兼ね備え白い、白い肌。細い肩、すらりとした優美な身体、妍姿艶質な美貌を兼ね揃えた王女は、しかしまだ幼さの残る表情で部屋を振り返った………。
しーんと静まり返った寝室。
何も異状はないはずなのに………… 全身の肌という肌がぴりぴりと痛むのを感じる。
シャルロッテは両腕を胸に当て、握りこぶしに力を込めて、誰もいない寝室内をジッと目をこらし、勇気を出して声を投げた。
「誰です?姿を現しなさい!?」
命じることに慣れた、厳しさを含んだ声が宙に響いた時に、空間自体が、かすかに震えだす。
厳しさを孕んだ声が宙に響いた時、空間自体が、かすかに震えたのだ………まるで、 笑うかのように。
「だれ、誰です!!」りんとした声だった。
その声に反応するかのように、天井近くの空間が、徐々に歪み始めて渦を巻き出した。
ククク、と押し殺した笑い声が、静かな寝室内に広がり、人間らしさというものがまったく感じない、偏った感情しか宿していないような声色に、シャルロッテはぎくっと身を強張らせた。
「す….....姿を…..…..」お見せなさい。
そう、言うつもりだった。
けれど、その言葉は途中で彼女の喉に飲みこまれてしまった。
「見たいか?」静かな、けれど心臓も凍えるような声が、耳に届く声色は恐ろしくはない。
その声の主の、人とはあまりにかけ離れた本質が、声に宿っているからこそ、本来なら恐ろしく聞こえるのだが………実際は、とても耳に心地好い、低い声だというのに。
空間の渦は、ひとつの濃い闇を生み出して静止していた。
ぽっかりと、口を開けた漆黒の空洞の中………奥の方から、低い声は聞こえてくる。
これは、魔性の仕業………胸に当てて握っていた手をより強く握りしめて、シャルロッテは後ずさった。
どうにかして、この場を逃げなければならない。
「無駄だ」
すべてを見透かしたような声が、無造作に告げる。
「何者も、わたしを阻むことは出来ないし、させないさ!!。 わたしから逃げようなどとは思わぬことだ………わたしは面倒を好かぬからなっ………足掻けば、そなたが辛い思いをするだけだ、我が花嫁よ。」
「わたくしが………誰のなん、ですって………??」
キッと、空洞を睨みつけて、シャルロッテが問いだすが、そこには理不尽な事に対する怒りが溢れている。
青い瞳が、怒りによって、きらきらと輝いている。
人は自分の生、自分の未来、自分の進む生き方の方向性を決めるのは、自分でなければならない。
それを勝手に曲げるような存在を、彼女は許す気にはなれなかった。
「やっぱり知らぬのか………そなたの父母は、何も知らせてはおらぬようだが、わたしがそなたに求婚したのは、もう10日以上も前だというのにな……」
「それはきっと、わたくしを通すまでもなく、断ろうと思われたからでしょう。わたくし自身、そのような求婚を受けるのは真っ平ですもの!!」
見知らぬ、人ならぬ存在への恐怖に、膝が笑いそうになるのを堪えて、シャルロッテはかたい声で、そう言いはなった。
「面白いことを言う。たかだか人間の分際で、わたしの意向を無視できる、とでも?」
本当に、おかしそうな声だった。
けれど、その裏に潜む気まぐれや悪意を考えると、彼女は気が遠くなりそうだった。
「あなたはわたくしに求婚した、と仰った。
では、その時点で、わたくしと貴方は平等な立場になっているはずです。
そうでなければ、貴方はわたくしをただの玩具としか思っていないことになります。
踏みつけられる虫にだって、意志はありますもの。
貴方がそう思ってらっしゃるのであれば、わたくしは渾身の力で抗ってみせますわ!」
「なかなか………気丈な姫らしい。
奪っていくのはたやすいが、その前にいちおう同意を得ておくのも、また面白いかもしれぬな………」
クスクス、と不安を煽る声とともに、闇はひとつの形を取る。
漆黒の闇を吸い取ったかのような髪と琥珀色の瞳。
青白い肌は、仄かに光を発しているのではないか、と錯覚させるほどあざやかに闇に浮きあがる。
黒衣に身を包んだ青年の姿を目にした瞬間、シャルロッテははっ、と息を飲んだ。
なんという美しさ、美しすぎるその姿は、驚嘆を通り越して、畏怖すらも心に呼び寄せる、謎めいた光を宿す青年の琥珀色の瞳を見た彼女は、もしかしたら自分はとんでもない相手に見込まれ、その横っ面をはたいてしまったのではないだろうか?
「気を失わぬか、助かるというものだ。婚礼の途中で倒れられては困るからな………ふっ」
勝手なことを言い、男は静かに彼女の頬に手を当てた。
「人とは奇妙なものだな。力もない、脆弱な存在に、これほどの美を備えられるとは………我々では、考えられぬことだ。だが、不思議と風情があって、いい。 受け取れ、シャルロッテ。 これがわたしの結納だ。」
そう、男が言い終えた瞬間
王宮の庭から、いくつかの悲鳴が聞こえてきたのだ。
「何を………」
蒼白な顔で、青年を見つめたシャルロッテの前で、彼は満足そうな笑みを浮かべた。
「窓から外を見てみるがいい」
嫌な予感に、シャルロッテは駆け出し、窓から身を乗り出した。
その眼前に、いくつかの影がすうっと浮きあがったのはすぐの事だ、ぎくりとしたのも一瞬のこと………すぐに、それが庭を警備する兵士の姿であることに、彼女は気づいた。
「なんて………ひどいことを………」
全身を切り刻まれ、真紅に身を染めた男たちは、痛みに顔をしかめながら、突然浮きあがった自分の身体を信じられぬものでも見るような目で見つめている。
その痛々しい姿だけでも、シャルロッテの心を打つには充分だったというのに。「準備が整ったようだな。よく見ておくがいい」
男は、かすかに首をかしげ、ゆっくりと腕を組んだ。
まさに、その刹那のことだった。
文字どおり、四肢を引き裂かれる激痛に、男たちが絶叫したのは! 空中でさらに血塗れになった兵士たちの肉体は、力を失ったまま、地面に落ちていく………。
「気に入っていただけたかな?」
楽しそうに、男は尋ねた。
怒りのあまり、震える肩を、腕を、どうしようもできずにいるシャルロッテは、キッと相手を睨み付けた。
「人のことなど、本当に虫けらくらいにしか思ってらっしゃらないのですね。」
「とんでもない。虫には、人ほどに複雑な感情などはない。それがあるからこそ、人間とはもてあそぶのに絶好の存在なのではないか?」
シャルロッテの声にこめられた非難など、歯牙にもかけぬ口調だった。
「そなたがわたしの求婚に応じる気になるまで、ずっとこうやって結納を納めつづけよう。
どれほど殺せば、そなたは頷いてくれるかな?………それを見るのも興味深い、楽しませてもらうぞ?」
威嚇ではない、とシャルロッテは、はっきりと悟った。
人間ならば、威嚇もしよう。
けれど、それはたいがいにおいて、実現される事はないのだと、この魔性の青年の琥珀色の瞳を見れば………
「首を縦に振るまで、きっとあなたは罪のない人々を、手にかけるのでしょうね、一片のためらいもなく」
そっと瞼を半分伏せて、シュラインは呟いた。
「よくわかっているではないか!」
うながすような、微妙な間を取った答えに、シャルロッテは唇をかみしめた。
逃げ場がなかった………自分が頷き、彼の手に身をまかせない限り、この青年は間違いなく、自分の国の民を手にかけていくだろう。
自分一人の為に、何十………いや、場合によっては何百人という人の命が失われるのだ。
それは、できない。
固く目を閉じて、シャルロッテは両親の顔、産まれたばかりの妹の顔を思い出し、謝罪してから決意した。
全身が突然の不運に震える。
「貴方に、嫁ぎます………だから、もうディアルグ王国に危害を加えないで」消え入るような声だった。
青年は満足そうに頷くと、静かに、優雅に彼女の手を取り、引き寄せた。
夜着のみを身につけた彼女の身体を、バサッとゆったりした黒衣で包み込むと、優しく耳元で囁いた。
「大丈夫。 そなたがわたしを楽しませてくれるうちは、この国に手出しはせぬよ。
そなたはせいぜい、わたしを楽しませることを考え、ともに暮らせばいいのだ。
そなたは人なれど、 わたしは花嫁としてそなたを遇することに決めたのだから…..…..」
気の遠くなるような事を、琥珀色の瞳の魔性の青年は平然と言った。
ほんの先ほどまでの、幸せだった時間が嘘のようだった。
ガックリと項垂れたシャルロッテには、彼の魅惑に満ちた笑顔も、優しげな声も、何の意味も持ちはしない、夜空に浮かぶ三日月を見て、シャルロッテはフッと刃のようだ、と思った。
あの月が真実の刃で、この手に届くものならば、この男を殺してやるのに………けれど、三日月は月なのだ。
夜空に浮かぶ宝剣は、決して人の手には触れない。
世界が闇に包まれた。
琥珀色の瞳に見詰められ、黒衣の魔性に抱上げられるようにして、彼女は生まれ育った王宮を去ったのだ。
彼女の姿が消えたことに、城中が騒然となるのは、翌日の朝のことである………シャルロッテの父親と母親は直ぐに妖魔の仕業だと理解した。
国王は捜索隊を作りシャルロッテの行方を追うが、何の手掛かりも掴めないまま、時が流れるのかと誰もが思った頃に、この世界に魔術に長けた新たなる魔術王が誕生する。
それを知った、シャルロッテの祖母であり、キャルロットの母である1人の女性が全てを捨てて、魔術王と契約し魔性に堕ちてまで、シャルロッテを追い求めた。
けれど、神は魔術王の存在は許せぬ者とし、人間にも魔法の才に恵まれた勇者を誕生させた。
魔術に魔法の対立には、2人以外に手出しは出来ずに拮抗してしまい、数年間の戦いを余儀無くされ、魔性に堕ちた女性は泣き崩れるしか出来なかった。
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