4 羊の涙
丘に咲く花を、羊飼いが摘んでゆく。岩山に聳える城砦にまつわる伝説を語りながら、涙に似た房咲の白い花を小さく束ねて草の葉で結ぶ。
「これは羊の涙という花です」
「えっ、これが?」
サッジが身を乗り出す。
鈴蘭に似ているが、その根に毒はない。蒸すとホコホコした食感で甘みがある。更に特別な調理法で処理すれば、魔法の力を呼び覚ますと言われていた。とても珍しい植物で、スケッチも出回っていないのだ。だから、サッジも噂で聞くばかり。今までその姿形を知る機会には恵まれなかった。
「こんなに、惜しげもなく」
旅する魔法使いは興奮して辺りを見回した。丘の斜面には羊の涙が所狭しと咲き乱れているのだ。
「これは、この丘にしか咲かないのです」
羊飼いが説明する。
アルレッキーナが何事かに気がついた。
「あっ、羊の涙」
楽師の少女は口ずさむ。
ただ君のみ わが腕に抱きて
宵闇さえ 親しく
光の波 羊の涙
「羊たちは、精霊の王妃の死を悼んで涙を流したということです。この花は、その涙から生まれたのです」
淡々と語る羊飼いは、花束を3つ仕上げると旅の3人に差し出した。
「どうぞ、砦の王と精霊の王妃の為に歌ってください」
3人は寂しさを胸に抱きながら、小さな白い花束を受け取った。
「この歌の題名は『羊の涙』と言うのです」
羊飼いはもう一度、伝説の歌を歌った。3人は楽器なしで唱和する。静かに優しく言葉を空へと送り出す。歌は、哀悼の歌であり、それがそのまま草原を守る風の歌となったのだ。
「お昼は我が家にいらして下さい。羊の涙をご賞味いただきましょうね」
「え、羊は。まだ柵に入れる時間ではないでしょう?」
リッターが慌てると、羊飼いはニヤリと笑う。それから足元で寝そべっていた黒い犬をぽんと叩く。犬は億劫そうに羊飼いを見上げた。羊飼いは一歩前に出る。大きな杖を少し持ち上げて、杖の頭でぐるりと円を描く。ぐるりぐるりと動かしながら、可憐な声で歌っている。
風の子供よ穏やかに
お前たちを脅かすものはない
風の子供よ和やかに
お前たちを虐げるものはない
まもれ風
防げ風
草原を吹き渡る
丘を駆け下る
風よ
風よ
わがはらからよ
「お昼の間はこれで大丈夫なんです。この魔法は、朝早くは役に立ちませんし、夜になるとちっとも効かないんですけどね」
サッジはじっと杖を見る。なんと言うこともない羊飼いの杖だ。古くもなく新しくもなく。目立つ装飾も施されてはいなかった。本当に平凡な杖だ。少女が軽々振るには些か重そうではあるが。