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隠れ里  作者: 葦原観月
1/1

戻らなかった者

閉鎖的な島には、様々な仕来りがあります。

居王様、黒御子様、お館様と、宝探しの密命を受けた平佐田には、苦労が多い。

 子供が二人、亡くなった――


 その訃報が島全体を駆け抜けたのは、夜明け近くだった。

 昨日の〝しきたり〟で、夜更けまで戻らなかった智時さんは、訃報を聞いて早々に準備にかかったが、さすがに疲れが出たのか、くたり、と倒れてしまった。

 お爺さんは、腰痛は引いたものの、ふらつく足元が頼りなく、内儀とお婆さんは二人で懸命に支度を整え、また、男二人の看病にも忙しく、気の毒なほどに頑張った。時頼は長男としてよく働き、智次も兄を助けて眠い目をこすりながら、ようやく準備が整った。

 平佐田はその様子を、痛む腰に押さえつけられながら、夢うつつの状態で見ていた。


起きて、今すぐにでも手伝いたい――。


平佐田の願い虚しく、重い体は動かない。

慌ただしい気配を全身で感じ、懸命に這い上がろうとして、不意に睡魔の波に呑まれる。

真っ暗な闇の中で、平佐田自身が、宗爺の夕刻の隠れん坊¬を体験し、再び、家内の喧噪に焦燥を感じる繰り返しは、まるで何者かが、余所者平佐田を排除し、これ以上、島の事情に首を突っ込むなと、警告しているかに思えた。

「兄ちゃん、兄ちゃん、朝餉じゃよ」

智次の声に揺り起こされ、ちょっと腫れぼったい智次の顔にほっとしたのは、宗爺の夕刻の隠れん坊と智次が、ごっちゃになっていたからだ。


「智次坊、誰が亡うなった?」


 平佐田の言葉に智次が大きく目を見開いた。

「聞こえたんか。惟清兄は、声がでかすぎるんじゃ。儂も、あの声で目が覚めた。すまん、騒がしかったろ」

智次は、すまなそうに頭を掻いた。

「基衡と清房……兄ちゃんは、知らんじゃろ。二人とも山のほうに住んどる。儂らもあまり遊んだこつはない。顔は知っちょるが。重定兄とは、たまに一緒におった」

 重定坊の名が出て、平佐田は、はっとする。昨日の宗爺の話、見つかった(、、、、、)という三人……


「智次坊、その二人って……」うん。

「重定兄と隠れん坊をしたらしい。二人とも大人しいやつじゃったから、断りきらんかったんじゃろう」

馬鹿じゃ、二人とも……

 智次は悔しそうに口を噛んだ。

「見つかってしもうた。残念なことじゃ。いっそ、全員、見つからなんだほうが良かった、儂……」

 ぐっ、と拳を握った智次を、平佐田は黙って抱き寄せた。

「坊は、せんね? 絶対」平佐田が訊ねると、

「うん。せん。絶対。爺ちゃんの言いつけじゃ。爺ちゃんのように恐ろしい目に遭うのも嫌じゃし、皆に悲しい思いをさせるのも好かん。儂は生きたまま、居王様といたい」智次の言葉に、ほっとする。じゃあ……

「おいが手伝う。一緒に行くよ、弔いじゃろう?」「でも……」

「智頼さん、具合が悪かろ? お爺さんも心配だ。内儀もお婆さんも、忙しかろ。手が空いとるんは〝居候〟だけ」

 平佐田がおどけて言えば、智次は一瞬、眉を寄せたが、すぐに、にかっ、と笑って、背を向けた。

「役に立つ〝居候〟じゃな」


 既に用意されていた膳に着くと、忘れていた腰痛が目を覚ます。

(いかん、いかん。島がおいを受け入れようとしてくれとるんじゃ。ここが正念場じゃ)

 気合いを入れて膳に手を伸ばすが、どうにも食は進まない。

「もうい~かい」が、頭の中を駆け回る。


「もうよかですか。せんせ、具合でも悪か?」

 へっぴり腰で、こわごわ碗を膳に戻した平佐田に、お婆さんが心配そうに訊ねてくる。平佐田はまだ膳に残った朝餉に申し訳なく手を合わせ、そっと腰を浮かせた。いえ……

「ちぃと疲れたんですかね。あははは……年はとりたくない」

「せんせ。せんせは、まだ儂の半分も生きちょりません。しっかりなされ」

 きっとした目で睨まれて、平佐田は肩を窄める。

 慣れぬことばかりで、事実、平佐田はくたくただ。不思議な白に閉じ込められた挙げ句、いきなりの大騒動では、平佐田でなくても疲れるはずだ。神様は容赦がない。


「すまんね、せんせ。ほんに大丈夫か?」

 庭から上がってきた内儀が言う。いえいえ。

「世話になっちょります、役に立つときに立っとかんと、面目ありません」

 ぎくり、と痛む腰を密かに庇い、庭先に降りれば、時頼と智次が籠に荷を載せている。昨日ほどではないが、やはり二人の表情は暗い。

 籠の中身は野菜や花、干した魚類もあるが、昨日と比べれば地味だ。いかにも「弔い」といった感じが、平佐田の胸に一種の寂寥感を覚えさせる。

(基衡と清房……二人とは面識はなかが、道場が始まれば、いずれ顔を合わせる縁じゃったのにな。残念じゃ)


 荷を詰めた籠は二つ。平佐田が大きいほうを背負い、小さいほうを二人の子供が持つ予定であった。

 だが、「いかん。兄ちゃんは、腰を痛めとう」智次の計らいで、小さな荷車が引き出されてきた。子供たち用に、智頼さんが作ったものだ。

 重いものは載せられぬが、荷車自体も軽くていい。本日の荷であれば、これで十分だ。大人の平佐田が引けば、ちょっと情けなく見られそうだが、腰は大事だから、我慢することにする。それでも大きな籠を背負ったお年寄りの視線がちょっと辛くなりかけた頃、

「兄ちゃん、儂、代わろうか?」

時頼が言い出した。

何を言い出すやら。ちらちらと周りの目が平佐田を窺っている様子が、手に取るようにわかる。「平気だよ」と平佐田が言う前に、

「怪我、しとるんじゃろ?」時頼にしては、声高に言う。

「そうじゃ。腰も打ったよな。痛くないか? 儂も手伝う」

 智次が甲高く叫ぶ。周りの目が好奇から同情に変わり、平佐田は二人のよくできた子供に感謝した。


「このたびは誠に……」

入口で深々と頭を下げれば、泣き腫らした顔が、口元を押さえたまま会釈する。

 胸が痛くなるが、それでも昨日よりはいい。中途半端な緊張も、どんな顔をしたらいいかも考えなくていい。

 弔いは、亡くなった人とのお別れの場だ。「いなくなった、二度と会えない人に、悲しい顔をしてはいけない」場とは違う。人には、感情というものがある。


 籠を下ろして履物を脱ぎ、平佐田はそっと、二人の子供の肩に手を乗せる。二人の子供は家人の何とも言えない視線から隠れるようにして、平佐田に身を寄せた。

 基衡は智次より一つ下、清房は時頼の一つ下だと聞いた。つまりは智次たちとやはり、似たり寄ったりの年頃だ。家人としてはその姿を、ついつい目で追ってしまうのも詮無きことであろう。

 あまり面識のない子供としては、家人の思いを汲めば、居たたまれない。もしも二人が子供だけでこの場に来れば、身の置き場に困ってしまうだろう。

 こういった場では、働き手とならなければいけない、お内儀とお婆さんが一緒でも同じだ。二人の優しさを知る平佐田は、一緒に行くと言わずにはいられなかった。居候でも、盾になるくらいはできる。子供ら二人も、不安だったに違いない。

(おい、何だか役に立っちょる)ちょっと嬉しい気もする。


 あ、せんせ。やぁ、平佐田せんせ。本日も来てくだすったか。すまんこってす、せんせ……

 昨日と違い、本日は弔いの場であるから、さすがに人々の声も密やかであり、長話はしない。

とはいえ、すっかりと名前と顔が知れ渡ったようだ。

(ふむ。悪いこつはできんの)思いながら会釈する平佐田に、

「兄ちゃん……有名人じゃなかね。すごか」

感心したように時頼が袖を引いた。


 故人の祭壇に挨拶に並ぶ列に加わり、啜り泣きの声には、やはり胸が痛くなる。女子の泣き声が胸を締め付ける。心の底が重くなる。神様は、どうして子供を……

 隣に座っていた二人の子供が、平佐田の影に隠れるように後ろに下がり、平佐田は祭壇が近くなっている事実に気が付いた。

 祭壇の脇には、昨日のように〝取次様〟の姿はない。家人らしき人たちが泣き腫らした目で、弔問客に応じている。特に知った顔がないので、平佐田は空いた場所に進み出でる。子供たちは、珍しく小さくなって、平佐田の背にくっついてきた。

 本日の不幸にお悔やみを述べ、智頼の代理として訪問した旨を述べる。二人の男衆の不具合を告げ、代理者の不適切を丁寧に詫びた。


「さようですか。智頼さんが……。時盛さんと智頼さんには、ほんに世話になりました。我がこつのように、ようしてくださって。ろくに寝てもおられんでしょう。気の毒をしました。智頼さんは、昨日も立ち寄ってくださって、色々と気を配ってくださいました。お顔の色が、あまりかんばしうなかでしたな。大事にしてください」

 丁寧に頭を下げたのは、お(じじ)さんより少し年長な感じのお爺さんで、皺に埋もれた目が優しい。

 平佐田の謙遜に、「道場のせんせに来ていただけるとは、光栄なこつです」と返した。

「よか、せんせじゃ。あれらも生きてあらぁ、せんせに教えてもらえたのにな」ぼそりと付け加えられた言葉に、平佐田の目の奥が熱くなった。


「では」

平佐田が前を辞そうとして、「坊ら」お爺さんが平佐田の後ろに声を掛ける。

びくっ、と智次が震え、時頼もまた身を強張らせた。だが、さすがに長男だけあって、「はい」と、はっきり答えた。

「教訓にせえ。禁忌は、犯してはいかん。神様を誘うたりするものじゃなか。神様にとっては遊びでも、儂らにとっては、そうはいかんぞ。基衡は今頃、居王様に、こんこんと叱られとろう。島のもんは、島神様の懐から出るものじゃなかとな。わかったか?」お爺さんの言葉に、涙が混じる。

「はい」時頼は大きく頷いて、拳で目をこすった。智次もうなだれながら、こくこくと頷き、袖で目を覆っている。平佐田もまた貰い泣きで、手の甲で目を拭った。

「よか、坊らじゃ。大きくなれ」

皺に埋もれた目が細まり、二人の頭をわしわしと掻き回した。平佐田にはその姿が、居王様そのものに見えた。


 白い布団に横たわった小さな姿には、遠くから手を合わせるだけにした。とても近く寄る気にはなれない。取り縋って泣いている母親の姿も、見てはいられなかった。

気が重いままではありながら、何とか大役を果たした平佐田は、子供たちのためにも、早々に家を辞そうとして、

「兄ちゃん、こっちじゃ」時頼に手を引かれた。

時頼は隣の部屋へと向かっていく。またまた振る舞いか? とも思ったが、賑やかな声は聞こえない代わりに……昨日も聞いた「祝詞」が、耳に届いた。

「居王様にご挨拶じゃ」智次が平佐田の背を押す。

「基衡らは、今、居王様とおる。島の一部として迎えていただくために供え物をし、島中のもんがお願いをすう。居王様の懐から出ようとしたもんじゃ。許しを請わねばならんのじゃ。でもな……」

 智次は、くいくい、と平佐田の袖を引っ張り、口元に手を当てる。平佐田が耳を近づけると

「居王様は別に、怒ってなんぞおられん。これは、建て前じゃ。御子様にだけ供え物をして、島神様に知らん顔はできん。島人は、島神様は居王様じゃと、ちゃんと知っておる。それにな……」

 智次の言葉に重なって、表の方角からざわめきが起こる。智次は顔をそちらに向け、「お館様じゃ」と呟いた。

「お館様?」

平佐田が聞けば、「そうじゃ」智次が答える。

「何かなぁ……兄ちゃん、縁があるぞ」

 くくく、と口を塞いだ。


(何じゃ?)平佐田が思う間に、「祝詞」の声が大きくなっていく。

 気がつけば、時頼に引かれたままに、平佐田は祭壇のすぐ前に来ていた。時頼に倣って、神官の後ろに座る。

 祝詞が続く中、白装束の巫女が静かに近寄ってくる。

「願われるか?」巫女は問い、「はい。願い申す」隙もなく時頼が答える。

「家主の名を申せ。各々の名はご自身で。そなたが代表か? 家主は?」

「儂が、家主に代わって代表を務め申す。家主の名は、智頼。儂は長男の時頼じゃ」

 毅然とした時頼は、なかなかに立派だ。おそらくは、ここでは余計なことしないほうがいいと、平佐田は居住まいを正した。


「居王様に申し上げる。此度の行いに島人は嘆き、大いに悔いを感じておる。再び繰り返さぬよう、互いに認め合い、島を愛しみ、島神様と共にあるこつを……」

祝詞に負けじと朗々とした時頼の声が室内に響き、智次が後ろで「はぁ……」と、感嘆の息を漏らす。

(なかなかのもんじゃ)

平佐田も賞賛を心の底で呟いた。

「次は?」巫女は言い、平佐田と智次を見比べる。

 時頼は大役を終えて、すっかり疲れ切ったようだ。項垂れている。智次が平佐田を目で促し、平佐田は首を振った。

 智頼の家から来ているのだ。息子二人が代理であって、本来、平佐田はおまけに過ぎない。平佐田の促しに応じ、智次が口を開く。

「次男、智次、願い申す」

 ところどころ詰まりながらも、智次もまた、大役を果たした。残るは平佐田だ。

巫女は三度「願われるか?」と尋ねる。

「はい。縁あって島に身を寄せた、平佐田玄海。島の大切な子供を預かる「師範」として、智頼殿の屋敷に厄介となる身でござる。余所者ではあり申すが、いずれの地においても、子は宝。島神様とてご存じであられよう。願わくば末永く、不運にも親元を離れた子に祝福を。すべての島人の親たる島神様の元で、心安らかにあれば、いずれ親を助く力となりましょう。どうか。余所者の願い、島神様にお伝えください。許し、受け入れてやってください、お願い申し上げる」

 がば、とひれ伏した平佐田に倣って、二人の子供も床に額をつける。一瞬、祝詞が止まったような気がした。平佐田は妙な興奮を覚えている。


「よかろう」

 平佐田の背に緊張が走る。低く重い声が、島神様の言葉のように感じられた。

 あまりの緊張に顔を上げられない平佐田を、隣の智次が、つんつん、と突く。

「えっ?」と見れば、智次は顎を小さく上げ、「顔を上げろ」と言っているようだ。仕方なく、恐る恐る顔を上げれば、巫女が穏やかな笑みを浮かべて、会釈した。

「あいがとう、ござおいもした」

時頼が言って、さっさと席を立つ。ぽかん、としたままの平佐田は、智次に追われるようにして部屋を出た。

         


「すごかね、兄ちゃん。儂、感心した」

 何をかと平佐田は時頼に顔を向ける。

 人の不幸など関係なく、庭に面した縁は、青く晴れた空に、数羽の鳥が飛ぶ長閑な光景を広げている。

 部屋を辞した平佐田は、そのまま表口に戻ろうとして、子供ら二人に引き止められた。

「履物を待つんじゃ。女子が持ってきてくれう。「居王様への願い」を、ここに留めておかねばならん。願った本人が持ち帰っては、元も子もないからの。また、死は不浄じゃ。弔いに来たもんが不浄を持ち帰ってはならん。こっそりと帰るんじゃよ。表口から帰ってはならん」

 智次は言いながら、口をもぐもぐさせる。手は既に、油でぎらぎらと光っている。「唐菓子」だ。

さすがに亡くなったのが子供であるから、振る舞いは菓子がいいのだろう。時頼の口の端にも、欠片がくっついている。


 どこかの内儀だろう女子が、白湯を盆に載せて配っている。ほんのりと香る香りは、何かの花のようだ。

「宗爺に聞いたんか。昨日、話しておったろう? まさか兄ちゃんが「弔いの纏め」をすうとは思わんかった。普通は締めじゃから、主がすうんじゃ。代理じゃから、儂は挨拶だけでいい。そう思うとったのに……」

 どうやら知らぬうちに、平佐田は締めをしたらしい。

「何がじゃ? おいは何ぞ、いうたか?」

 緊張のせいで覚えていない。ただ、亡くなった子供を受け入れてやって欲しいとだけ思っていた。子供は神様を裏切ったりはしない、とも。

「兄ちゃんはやっぱり、せんせなんじゃな。儂、大きうなったら、兄ちゃんみたいになりたい。居王様はきっと、兄ちゃんが島にふさわしい人じゃと信じて引き寄せたんじゃ。そうじゃな……兄ちゃんが滋子さんを好いておるんなら、夫婦になるんもいいかもしれん。あの家は男手がおらん。徳子さんも喜ぶじゃろう」

 時頼の賞賛に、ちょっと照れくさくなる。二人の気遣いだとはわかってはいるが、褒められることに慣れていない平佐田にとっては、嬉しい限りだ。だが……

 滋子を引き合いに出されると、何とも困る。何故か二人は、やたら滋子と平佐田の恋の行方を気に懸けているようだが、「この恋は間違いなく片想い」と、当の平佐田は、確信している。

 かつて、ろくに女子と話した覚えもない平佐田に、島一番の別嬪の気を引く要素は、どこを探しても見当たらない。田崎のように自身の見てくれなど気にもせず、ぐいぐいと〝押しの一手〟を繰り出す勇気もない。

 女々しい話だが、ただじっと思いを胸に仕舞い、いつか滋子が、平佐田の手の届かないところへ行ってしまうまで、遠くから見つめているしかないのだ。

(情けなか)我ながら思う。


「そうじゃろう? だから、儂も言うんじゃ。兄ちゃんと滋子さんは、絶対にうまくいく。きっと居王様はそう望んでおられう。最後の守女は島に……」

 智次の口から、またまた守女の話が出て、平佐田は耳を峙てる。

今のところまだ、〝滋子のお相手〟の噂は耳にしていないわけであるから、平佐田にだって「恋心」を抱く権利くらいは、ある。

気の強い女子である事実は、平佐田自身身をもって確認しているが、どんな女子なのかは気になるところだ。

 ところが、いきなり廊下の向こうが騒がしくなり、智次は口を噤んだ。時頼が居住まいを正す。平佐田のみが縁に足を投げ出したまま、声のする方角に顔を向けた。


「お館様、本日はお越し頂き誠に……」

先ほどの家人のようだ、深くよく響く声が廊下を渡ってくる。


(え? お館様?)

 不意に昨日の不思議が平佐田の頭に蘇り、平佐田自身も居住まいを正そうとした。

その刹那、何かが、たんっ、と平佐田の脇を抜けて縁を下りた。

(何だ?)

あまりの素早さに、それが何なのか、平佐田には確認できない。

 だが、島の有力者であるお館様が、こちらに向かってくる。周りいる人たちも、きちんと座っているからには、平佐田もそれに倣わねばならないと、足を引く。しかし、何故か足が言うことを利かない。

(むむ)と見れば、女子が一人、いつの間にか平佐田の足をむんず、と掴み、下を向いている。


「あの……すみません、お館様が……」

お越しであるから足を離してください――と、平佐田が言いかけて、女子がぱっ、と顔を上げた。

平佐田は目の前の顔を見て「いっ」と小さく叫んだ。智次が驚いて覗き込む。

「姉ちゃん、なにしとるん?」「しぃぃぃっ」


 智次の言葉に、滋子が白い指を口に当てて顔を顰めた。智次がすぐに、にたっ、と笑う。何故か二人は、それで通じたらしい。


(どうしよう)


 いくら余所者でも、島の有力者に足を投げ出して背を向けたままという態度は、失礼ではなかろうか。特に世話になったつもりはないが、畳はお館様所有のものであると聞く。

(床は固いよ。腰に響く)

などと、せこい心配をする。

 家人の話し声が近づいてくる。滋子はますます平佐田の足を強く掴み、身を伏せている。よって平佐田の脛辺りに滋子の息が掛かり、平佐田は妙にどきどきする。

 どうしようもない状況に、どきどきとはらはらを押さえつけ、振り返ろうかどうしようかと迷っていると、昨日の感覚が蘇った。


白い目が見ている――


 背を向けているのであるから、お館様が平佐田を見ているかどうかなど、わかるはずもない。

 だが、確かに平佐田は、視線を感じた。昨日と同じ、頭の中を見渡すような視線だ。また、話しかけられるのだろうか、と平佐田が身構え、不意に、背に重みを感じた。


「兄ちゃん、とれた?」

 さりげない声は智次だ、とれた? 何が?

「いかがなされた」

 後ろから掛かる声は、お館様のものじゃない。もう少し年長な感じの、落ち着いた声だ。

「あ、畠山様、儂んとこの兄ちゃん……道場のせんせなんじゃが、でかい棘が刺さってしもうて。取るに難儀しとります。お館様、ちぃと、このままで失礼します。わぁ、こりゃあ痛そうじゃ」


 もはや脛に額をつけるようにして、滋子が足に縋りつく。平佐田としては何とも居心地が悪い。

 すっ、と視線が外れる感覚に、平佐田の腹の底から息が漏れた。


「お大事に」気の毒そうな声は、智次が「畠山様」と呼んだ男の声だ。

中年のその男は、お館様にお仕えし、館のあれこれを取り仕切る家臣のような存在らしい。〝黄色い蝶の御方〟とゆかりのある人物だと言う。

「お館様、こちらへ」

声が遠ざかり、周りの人たちがまた、足を崩し始めて、平佐田の足が解き放たれた。

滋子が「はぁ……」と、気の抜けた声をだし、へたり、と庭に座り込んだ。平佐田には、わけがわからない。

「姉ちゃん、まだ断っとらんのか」

智次がいい、

「うちは、最初から、そない気は、へん。やて、おかあはんがええ話やさかいて、乗り気なんや。うちは女ばっかりの所帯やし、頼る親戚もへん。話がまとまれば男手も借りられるし、色々と助かるしと、そう言うんや。そやけど男手がなくても、うちがなんやてしはる。心配へーれんってまや、説得中や。親さかいにね、おかあはんが断ってくれやらんと、往生する……」

 はぁぁぁ……再び息を吐いた滋子は、ようやく平佐田の足を離した。平佐田は恥ずかしさにかぁっ。となりつつ足を引っ込める。


「せんせ、おおきに」

 滋子に言われれば、平佐田としては「はぁ」としか言いようがない。時頼が心配げに平佐田を見上げ、滋子を見比べるように視線を移す。

「しげ姉、嫁ら嫁すか……」

「あほ、行くはずへん」吐き捨てるように言って滋子は、

「せんせ。履もん、持ってきまんねん」さっさと立ち上がった。

 走り去る背を見ながら、平佐田の胸はもやもやと騒ぎ出す。何が何やらではあるが、何かよからぬ事実を知ったような……

断るとか、断っとらんとか、嫁ら嫁すとか……。不吉な言葉が平佐田の頭の中を木霊する。

 島一番の別嬪と、権力も財政力も十分に持ち合わせ、しかも、女子に負けぬほどの美貌を持った島の有力者が二人並べば、お雛様のように似合っている。  

不意に揃った映像に、平佐田は目一杯、頭を振った。


お宝に関わる者は、多くいます。海に浮かぶ島は、外からの関わりを絶つことはできません。


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