第四話
若草山に向かう準備を済ませた僕らは自転車で家を出た。
その間、テレビでは異例の奈良県特別非常事態宣言が出たとひっきりなしに報道していた。
現に家を出ると県外へ飛び出す車で渋滞が起こっている。
自転車のおかげで僕は渋滞に巻き込まれる事は無かったが、実際にこの異様な光景を見ると、尋常じゃない事が起こっているんだと嫌でも理解させられた。
僕の家があるのは奈良、生駒山の麓だ。
数十分かけて東方向にある矢田丘陵を越えると見えてくるのが、禿山が特徴の若草山だ。
麓には東大寺や春日大社といった歴史的名所が点在するエリアだ。
普段は鹿ばかりの、のんびりとした場所だが、今こうして若草山を遠くから眺めても、あの場所に異様な何かがいるのだと直感で理解出来た。
自転車で勢いよくペダルを回しながら横目で初代を見てみると、初代は走ってついてきている。
って、はや!? 僕は横目で初代を観察しながら驚きの声を上げた。
初代は走り難そうな薄紫色の道着を着ているにも関わらず、大股で地を蹴って時速40kmは出ているであろう僕の自転車に余裕そうな表情でついてきている。
やっぱり昔の人は凄いんだなぁ……とか幽霊なんだから浮きながらついてきてよ……とか考えながら初代に負けじとペダルを回していたその時、唐突に初代が立ち止まった。
『待て、少年』
決して大きくはないが、初代の落ち着いた声音に思わずブレーキを踏んだ僕は初代に声を掛けた。
「どうしたんだよ、初代」
僕は突然立ち止まった初代を非難するように見つめるが、
「大きな力を持った妖気がこちらに近づいてきている」
何かを警戒するような初代の言葉に僕は思わず、キョロキョロと辺りを見渡した。
この辺りは田んぼが一面に広がっていて、遮るものがあまりない。目につくのは、どこまでも続く田んぼと脇に伸びる大きな幹線道路だけだ。
妖気がこっちに近づいてきている? それって敵が僕らを見つけたという事だろうか……? と内心緊張していると、白髪の少年が何かを担ぎながら物凄いスピードで幹線道路を跨いで田んぼを駆け抜けていく姿が小さく見えた。
少し遠かった事もあり、確証は持てなかったが、頭から生える二本の羊のような大きな角が残像のように僕の瞳にこびりついていた。
「あれは鬼神童子だ!」
思わず叫ぶ。鬼神童子は僕達に気付いていないのか、田んぼの畦道を飛びはねるように駆け抜けていき、あっという間に視界から消えてしまった。
『少年、奴は私達に気付いていないようだ。追うぞ』
「うん!」
僕らは再び速度を上げ、鬼神童子が消えていった方向へ必死についていく。
鬼神童子の姿は見えないが、初代が鬼神童子の妖気を感じ取っているようで、目の前を先導してくれていた。
妖気を感じ取れるなんてやっぱり昔の人は凄いんだな、と感心しながら、狭い畦道や住宅街の裏道を縫うように走る事、数十分、僕は見覚えのある場所に立っていた。
「え……? ここって僕らの学校だよね?」
そう、僕らが立っていたのはいつも通っている奈良市内にある高校の校門前だった。
『ほう、これが現代の学び舎か。昔と比べて建築技術も随分発達していると見える。だが、ここから奴の妖気を感じる。急ごう』
今は夏休みという事もあるが、特別非常事態宣言が出たことで校舎には人影が全く感じられない。
僕は初代の言葉に頷き、敷地の中へと緊張気味に歩を進めた。
だけどここまで近づけば何の力を持たない僕でも何か嫌な気配が漂っていると感じる事が出来た。
この感覚は鬼神童子と対面したときに感じたあの異様な感覚だ。
こんなにも早く再び鬼神童子に出会える事が出来た喜びと緊張感に支配されながらも、僕らは体育館の前に辿り着く。
『少年、準備はいいか。今から乗り込むぞ』
「……うん」
一滴の汗が頬を伝い落ちる。僕は大事に持っていた初代の黒帯を右手にぐるぐると巻き、ぎゅっときつく握りしめる。
沙梨亜……僕は幼馴染の顔を頭に思い浮かべながら、覚悟を決め、ドンっと勢いよく体育館の扉を開けた。
鍵は掛かっておらず、勢いよく体育館の中に踏み込んだ僕達が見たものは、壇上の中央で腰掛けながら足をブラブラと揺らす鬼神童子の姿だった。