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三日月草子  作者: PQ
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第三話

それから自転車を漕ぐ事数分、家に着いた僕は無駄に広い敷地を潜り抜け、道場へと向かった。

家に着いた時、初代は何やら感慨深げに武家屋敷を見上げ、しばらく突っ立っていた。

何か思うところがあったのだろう。

本邸とは離れたところにある道場は無駄に1番の敷地面責を誇り、ガラリと木製の扉を開けると、古びた木の匂いが鼻腔をくすぐった。

『ここはあまり変わってないんだな。いや……君のおかげか。ありがとう』

初代は道場の中へと進み、正座しながら僕を見つめていた。

修行終わりに毎日掃除しているおかげか、内装は古臭くても汚くはない。

「え、ええとこんな立派な家を遺してくれたせめてものお礼に掃除だけはしようと思って……でもちょっと前にはなかったものもあるんだ」

僕はピッと、冷房のスイッチを押す。ゴォォ、と音を立てて、天井のクーラーが稼働し始めた。

『おお……天井から冷たい風が』

僕はさらに道場の隅っこにある小型の液晶テレビのスイッチも付ける。

『なに、箱の中に人がいるぞ』

初代はテレビを持ち上げ、下から覗いたりしている。

まさかこの反応を目の当たりに出来るとは思わなかった。想像通りの反応をしてくれた初代に少し和む。

『どうやら私の生きた時代から遥かな年月が過ぎたようだ』

初代が感慨深げに目を細めた。

「えと、初代様……は千年前から生き返ったの? あの鬼神童子みたいに」

『初代で良い。私は生き返ってなどいない。黒帯に宿っていた魂が君によって呼び起こされただけさ。言うならば幽霊だ。だから触れる事も出来ないし、ただの人には私の姿は見えないだろう』

幽霊……まさかそんなものがこの世に存在するとは思わなかった。でも本物の妖怪がいたんだ。幽霊くらいいてもおかしくないのかも。

僕は恐る恐る初代に手を伸ばす。でも初代の薄紫色の道着を掴めず、手が通り抜けてしまう。

目の前の初代が本当に幽霊なのだと理解出来てしまった。

「ならあの鬼神童子も幽霊なの?」

『いや、奴には実体があった。君も体感しただろう? 本来ならばこれは有り得ない事だ。奴は何らかの手段でこの世に再び生を受けている』

僕は二本の羊のような湾曲した角を生やした鬼神童子を思い浮かべる。あの太い腕で殴られた頬は未だにジンジンと痛む。

初代には触れられないのに、鬼神童子には触れるどころか思いっきり殴られた。

幽霊と実体、それが初代と鬼神童子の違いなのだろうか。

「でもどうして僕は鬼神童子を撃退出来たんだろう。あの時、右手に漲るような力を感じた。僕はなんちゃって三日月流の修行しかしてなかったのに」

僕は右手に巻いた初代の黒帯をじっと見つめる。

『その黒帯を通して私の力が伝わったんだ。君の毘沙天神びしゃてんじんの心得に呼応したのさ。君も立派な三日月流の一員だ』

「毘沙天神の心得……」

僕は道場の壁に一際目立つように立て掛けられている額縁を見た。

遠くからでも一目で分かるような大きな文字で書かれている。


毘沙天神の心得

其の一、不動の構えを貫くべし

其の二、敵を見据えるべし

其の三、己の限界を超えるべし

其の四、護る者に祈るべし

其の五、 殴るべし


『毘沙天神の心得こそ、三日月流の全てだ。結局のところ、このたった一つの教えしかない。だが、真にこの心得を理解していた者は限りなく少ない。君はまさしくその内の一人だ』

「僕が……」

小さい頃から僕はただひたすらにこの唯一の教えの通りに修行を続けてきた。全ては沙梨亜を護れるような強い男になる為。

『三日月流の真髄は何かを護る強い意思にある。君も何かを護る為に闘っていたんだろう?』

僕は沙梨亜を頭に思い浮かべる。

「そうだよ! 僕が必ず沙梨亜を救い出してみせる!」

僕は真っ直ぐに初代を見つめる。身長190cmを超える長身が僕を見下ろす。

僕の覚悟が伝わったのか、初代の目元がふっと柔らかくなった。

『良い目だ。君はきっと強くなるだろう』

僕は強くなって必ず鬼神童子をこの手で倒す。

改めてそう決意するも、気掛かりなことが一つだけあった。

「でも……どうして鬼神童子を倒せなかったんだろう」

僕は脇腹に風穴を開けた鬼神童子の姿を思い出す。

鬼神童子はあんな姿になっても平然と喋っていた。通常の生物なら決して有り得ない事だ。

妖怪とは皆、あれほどまでに非常識な生命力を持っているのだろうか?

『私も気になっていた。あの鬼神童子という妖怪、何か秘密がありそうだ』

ザザザァ……。

丁度その時、付けっ放しにしていたテレビから雑音が聞こえてきた。

ニュースキャスターの驚く声と怒号が聞こえた後、テレビの画面に現れたのは、何と化け物だった。

僕達の視線がテレビに釘付けになる。

筋骨隆々の肉体に、紅い瞳と白銀の髪、さらに何よりも目を引かれるのは頭から飛び出した巨大な二本の角だ。

一瞬、僕は鬼神童子か……? と勘ぐるもすぐに違うと理解出来た。

この化け物の背丈はあまりに大きく3mは超えているかもしれない。荒々しい顔つきとその身から発せられるプレッシャーは鬼神童子とは比べ物にならない程凄まじい。

テレビの画面越しだというのに、何故だか震えが止まらない。

一目見て生を諦めてしまうような絶望感に襲われる。

突然、テレビに現れた化け物は嫌悪感を漂わせるニヤリとした笑みを浮かべて言葉を発した。

「余の名は大嶽丸おおたけまる。地獄の底から蘇った鬼神魔王ぞ。取るに足らん人間どもめ、この余が支配してやる。文句がある者はいつでも奈良、若草山に来るが良い。いつでも相手しようぞ」

言葉の端々に強力なプレッシャーを撒き散らしながら大嶽丸なる化け物は豪快に笑った。

その後、姿がかき消え、テレビが砂嵐で埋め尽くされる。

一瞬の出来事に僕は完全に言葉を無くした。

でもこの一連の出来事で確信したことがある。

『間違いない。奴こそが鬼神童子の支配者だ。あれほどまでの妖気、只事ではない』

初代が冷静に言葉を発した。あれだけの本能に訴えかけてくるような強烈な威圧にも眉一つ動かさない初代に僕は頼もしさを通り越して、もはや畏怖を抱いていた。

冗談だろ……? 僕はポツリと内心で呟く。

どう考えても人間の身であんな化け物に敵う筈が無い。一目見ただけで分かった。

あの化け物は御伽噺で出てくるような正真正銘の化け物だ。

大軍勢で挑んでも容易く蹴散らされるような本物の怪物。

今の僕には大嶽丸なる妖怪に勝つビジョンがかけらも湧かなかった。

ただ……奴は今、奈良の春日山に来いと言った。すなわちそれが意味する事は……。

「沙梨亜はあんな化け物に捕まっているのか……」

沙梨亜を助け出すには大嶽丸に勝つしかない。

それが僕に課せられた使命。僕は沙梨亜の顔を思い浮かべる。この手で助けられなかったあの悔しさが頭の中で反響する。

『少年、怖いか?』

初代がポツリと問いかけてきた。ああ、怖いさ。怖いに決まってる。何たってあの化け物だ。

昨日まではただの高校生だった僕が挑んでも十中八九蹴散らされるだけだ。

だけど……どうしても沙梨亜の顔を思い浮かべると……どういう訳か、勇気が湧いてくるんだ。

沙梨亜を助け出すのはこの僕だ。たとえ相手が誰であってもこの手で助ける。

何故なら……沙梨亜は僕のたった一人の家族だから。沙梨亜の為ならこの命でも惜しくはなかった。

「そりゃ、怖いさ。でも沙梨亜は必ず助ける。その為なら何をしたっていい。僕は行くよ、若草山に」

僕がそう言い切ると、初代は初めて鉄面皮を崩し、顔を緩ませた。

『良い言葉だ。君ならきっと救い出せるさ。だが、事情が変わった。今すぐ若草山に向かうぞ』

「今すぐ……?」

『敵が想像以上に大物だった。今止めに行かなければ奈良の都が壊滅してしまうぞ』

……っ!? 僕は初代の言葉に息を飲んだ。

奈良が壊滅……? 僕達の街が? 信じたくはない。だけどさっきの化け物の姿を見てしまった僕は嫌でも納得出来た。

大嶽丸なる化け物は容易くそれを成せるだけの力を持っていると。

沙梨亜を救う為、僕は覚悟を決めて初代を見た。

初代は悠然と険しい目つきで若草山の方角を見つめていた。


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