第二話
『待て、少年』
そう言って僕の目の前にいきなり現れたのは、身長190cmはあろうかと思われる程の大柄な女だった。
顔は傷だらけで至る所に痛々しい傷跡が残っている。
だけど鍛え抜かれたのであろう無駄が無く締まりのある全身の筋肉と強い意志を宿す瞳が僕の視線を釘付けにさせる。
大女は薄い紫色の道着を身に纏っており、腰まで降ろされた黒髪は絹のように艶やかだった。
僕は彼女を一目見て……素直に美しいと思った。
「あ……あなたは……?」
呆然といきなり目の前に現れた大柄の女に目を白黒させながら問う。
『さっきの戦い……なかなか見事だったぞ。流石は私の末裔だ。私は三日月流初代当主。千年前に三日月流拳法を作った者だ』
「え? 初代当主って、それって……僕のご先祖様ってこと?」
僕は呆然と薄紫色の道着を着た女を見上げた。意思の強そうな鋭い目が僕を射抜く。
『そういうことになるな。私は君の強い意志によって現世に呼び出されたんだ』
「強い……意志?」
『そうだ。その黒帯は私のもの。君が私を呼んだんだよ』
「僕が……呼んだ?」
大きい。鍛え抜かれた筋肉と僕よりも遥かに大きい背丈が僕を圧倒させる。女性だとはとても思えない迫力だ。でも不思議と彼女が僕を見つめる瞳には何の邪気もなく、慈愛に満ち溢れるような暖かなものが宿っていた。不思議と安心できる。
『現代に鬼神が復活してしまった。私は君と共に奴らを倒す。その為に君の元に現れた』
僕はさっきの漲るような力を思い出す。何の力を持たないはずの僕が、鬼神童子の殴打に耐え、一矢報いて見せた。そこでようやく理解した。あの力はこの初代三日月流当主が貸してくれたものだと。
「初代様……ありがとう。なら今すぐ若草山に行こう。そこで沙梨亜も待っているはずだよ」
僕は逸る気持ちを抑えて自転車に跨る。視線を上げると、彼方に禿山が特徴の若草山が見える。ここからだと一時間もあれば到着するはずだ。
だけど、初代は僕の肩にポンと手を置いた。女性の手だというのに、どっしりとした重みを感じる。
『待て……少年。今の君では無理だ。あそこにはかつてない程の邪悪な力を感じる。一旦、道場に戻ろう』
僕は睨むように初代を見た。
「そんなの出来ないよ! 沙梨亜が僕を待っているんだ! 一刻も早く僕が助けに行かないと!」
『勇気と無謀を履き違えるな、少年。敵の正体も未知数な現状で敵地に乗り込むのは危険だ。さっきの鬼神も様子がおかしかった。本来、鬼神とは傍若無人に振りまい、譲り合うという事は決してしない種族だ』
僕はさっきの一連の出来事を思い出す。鬼神童子が二体現れ、まるで誰かに命令されたように行動しているような節があった。
『鬼神とは本来、単一で国を滅ぼせる程の強力な力を持った妖怪だ。それが何者かに従えられているなど尋常な事ではない。まずは敵を知るべきだ』
僕は歯を食いしばって拳をギュッと握った。僕は沙梨亜の事を思い出す。あんなにも沙梨亜を救う為に修行を欠かしていなかったというのに、一瞬の隙を突かれ、攫われてしまった。
沙梨亜は……あの時、確かに『助けて』と言っていた。
僕はキッと若草山を睨んだ。
年に一回行われる山焼きにより、山が禿げて見える。あそこに沙梨亜が……と思えば、血が滲むほど悔しいけど、確かに初代の言う通り、今の僕には何の力も無い。
だけど……必ず……僕は己の胸に誓った。
必ず助けに行くから……だから少しだけ待ってくれ……沙梨亜。
僕は歯を食いしばりながら若草山とは反対方向に駆け出した。