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三日月草子  作者: PQ
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第一話



 僕の名前は三日月みかづき おぼろ

自分でも変わった苗字だと思うんだけど、僕の実家は千年以上も続く三日月流拳法っていう武術の総本山らしいんだ。

でも今時、拳法なんて流行らない。

千年以上続いた歴史ある拳法も、今では門下生は一人もおらず、もはや壊滅状態。

亡き父の遺言の為に、僕がたった一人、遺された道場で細々と汗を流しているだけだ。

昔は凄かったっていう噂の三日月流の技なんて見たこともないし、父ですらロクに修行すらしてなかった。

拳法なんかじゃ食ってけないってのが父の口癖だったし、職業は普通のサラリーマンだった。

母も僕が生まれた頃に死んでしまったらしく、顔すら見たこともない。

僕に遺されたものは、無駄に立派な道場付きの巨大な家と父が遺してくれた僅かな遺産。

あとは御守りがわりにいつも持っている初代三日月流当主が身につけていたという黒帯のみ。

正直何の役に立つのかは分からないけどいつも肌身離さず持っていた。

まぁ、千年も続いた歴史ある拳法の為にも、せめてもの恩返しのつもりで形だけでもそれっぽく修行してるけど、誰も教えてくれる人もいないこの状況で何も身に付く筈もない。

……いや、これは少し違うかな……。僕は内心で軽く笑った。

僕が形だけでも三日月流の修行を続けている理由は別にあるんだ。

そう、それは……。

夏の日差しが照りつける厳しい8月の暑さの中、僕達は自転車に乗って河原を走っていた。

堤防沿いの河原で少しでも涼しい風を浴びようと僕は必死にペダルを踏む。

「おぼろー。もっと、もっとー!」

背中から聞こえてくる能天気な声に僕は暑さに悶えながら非難の声を上げる。

「沙梨亜……。暑いよ。限界だよ。もう降りてよぉ」

「なに情けない事言ってんの。この私が後ろに乗ってやってんのよ。高校の男子達が見たら咽び泣く光景なのに。むしろ感謝なさい」

「そんな事言ったって暑いものは暑いんだもん。ほら、お巡りさんに見つかったら怒られるよ。もう歩こうよ」

「そんなの見つかった時に降りりゃいいのよ。それよりも朧、あんた鍛えてんでしょ? これくらいで根を上げてどうすんのよ」

「だって沙梨亜重いん……ぐえぇ」

首をぎゅうと締めつけられ、僕は呻き声を上げる。ゆっくりと振り返って後ろを見た。

すると幼馴染の少女、沙梨亜が鬼の形相で僕の首を締め付けていた。

「なんか言った?」

「……言ってません」

ようやく沙梨亜の強烈な締め付けから解放される。

「よろしい」

そう言って悪戯そうにニコッと笑う少女を見て、僕の心臓はドキリと高鳴った。

彼女の名前は沙梨亜さりあ

家の裏手の神社に住む女の子だ。

天真爛漫で我が強く、昔から何かと僕の家に入り浸っている幼馴染。

実家は高名な神社だそうで、なんでも昔は凄い陰陽師を輩出したこともある名家なのだとか。

たまに沙梨亜は実家の手伝いで巫女なんかもやったりしているらしい。

こんな暴力的な女の子が巫女なんかやったりして罰が当たらないかなとか思ったりするけど、当然本人には言わない、というか言えない。

「あんたなんか今失礼な事考えてるでしょ?」

「か、考えてないよ!」

再び鬼の形相で睨みつける沙梨亜を見て、僕は慌てて言った。

なんで僕の考えてる事分かったんだろう。エスパーだろうか。

「ふん、あんたの考えてる事なんてこの私には全部お見通しなんだから。いつから一緒にいると思ってんのよ」

そう、プイッと顔を背けた沙梨亜を見て、僕の心臓は再び高鳴る。

僕は改めてじっと沙梨亜を眺めた。

沙梨亜の顔は非常に小さく身長は僕と同じくらい高い。

すらりとした体を包むセーラー服姿の沙梨亜はまるで新人女優のような出で立ちで、老若男女問わず、誰もが振り返りそうな美しさを放っていた。

さらに、陶磁器のように美しく真っ白な肌が制服の下から覗き見え、折れそうな程細い肢体は儚さを感じさせる。

そして何より目を惹かれるのは、完璧なまでに整った眉目だ。名だたる芸術家ですら再現不可能なのではと思わせる程の秀麗さだ。

艶やかで透き通った蜂蜜色の髪はまるで太陽のように明るく輝いている。

「じっと私の事見てどうしたの? 私に見惚れてた?」

沙梨亜は小悪魔のように笑った。

「みっ、見惚れてないよっ!」

僕は顔が赤くなるのを自覚しながら沙梨亜に言い返す。

正直に言おう。

……僕は沙梨亜に初めて会った時から恋心を抱いていた。

ずっと一人ぼっちだった僕に沙梨亜はずっと一緒にいてくれた。

天真爛漫で我が強く、ぶっきらぼうなところがあるけど、そんな沙梨亜の事が、僕は心から大好きだった。

沙梨亜を守れるようなカッコいい男になりたい、強い男になりたい。

そんな強い気持ちがあったからこそ、僕はいつまでも三日月流の修行を続けていた。

そしていつか……心の底から沙梨亜を守れるような強い男になれたその時は……。

この湧き上がるような想いを伝えようと思っていた。

ーーでもこの瞬間、僕らの日常は唐突に終わりを告げた。

ドンっ!

横合いから強烈な衝撃が僕達を襲い、自転車ごと宙に投げ飛ばされる。

「きゃあっ!」

まずいっ! 僕は咄嗟に投げ飛ばされる沙梨亜を抱き抱えて地面に転んだ。

堤防沿いを走っていたせいで、僕達は崖から転げ落ちる。

必死に僕は沙梨亜を抱き抱え、ゴロゴロ転がりながら衝撃に耐えていると、ようやく体が止まった。

「沙梨亜……大丈夫?」

「うん……」

なにが起こったのか、いまいち理解出来ないまま、僕はゆっくり目を開けると、堤防の上に一人の少年が立っていた。

いや、ただの少年ではない。

真っ白な髪に真っ赤な瞳。年は僕と同じくらいだろうか。

その鍛え抜かれた体と頭から飛び出した湾曲する二本の羊のような角を見た瞬間に、こいつは人間じゃない……化け物だと理解出来た。

化け物から放たれるプレッシャーは並のものではなく、ただ見つめられているだけだというのに、死と向き合っているような恐怖を感じる。

でも僕は震える足に鞭を打って立ち上がった。本能的に理解出来たからだ。

この化け物は僕達を狙っていると。

なら僕がやるべき事は一つ。沙梨亜を護る事だ。

僕は力の限り化け物を睨みつける。

そんなちっぽけな抵抗を見せる僕の姿に、何を思ったのか、化け物は獰猛にニヤリと笑った。

「おやおや……こんなところで仲良く二人乗りなんて危ないねぇ。じゃないと今みたいに坂から転げ落ちてしまうよ?」

頭から羊のような二本の角を生やした化け物は口角を鋭く歪ませて邪悪に笑う。

本能的に嫌悪感を感じさせる笑みだった。怖い……殺される……この化け物からは根源的な恐怖を感じる。でも沙梨亜の前で情けない姿を見せる訳にはいかない。僕は震える足に鞭打って立ち上がった。

「君は……何者なの?」

怯える沙梨亜を抱き抱えながら僕は問う。

沙梨亜は恐いのか、僕の体をぎゅっと抱き締めていた。

化け物は慇懃無礼に一礼してみせる。

「これはこれは、お初にお目にかかる。僕は『鬼神童子』。鬼を超えた本物の力を持つ妖怪さ」

僕は目を見開いて化け物を見た。

妖怪……。遥か昔に日本各地に住み着いていたという超常的な力を持つ存在のことだ。

この科学文明の時代に本当に実在していたなんて……。

「鬼神ですって……!?」

僕はハッと沙梨亜を見た。沙梨亜は鬼神童子と名乗った化け物を呆然と見上げている。

「ほう……やはり力ある娘だったか。娘、僕を知っているようだな。この神秘が薄れた時代でも僕らの恐ろしさは十分に伝わっているようだ」

「朧……逃げなさい」

「え?」

僕は呆然と沙梨亜を見下ろす。沙梨亜が何を言っているのか分からない。

「早く……逃げてっ!」

「人間……死ね」

……っ!? 僕はいきなり背後で聞こえた声に息を飲んで、振り返った。

するとその瞬間、目の前が真っ暗になったと思ったら、僕の体が吹き飛ばされていた。

地面を転がりながら強烈に痛む顔面を手で抑える。ここでようやく僕は凄まじい力で顔面を殴られたのだと理解した。

「朧っ!」

沙梨亜の悲鳴が木霊する。かろうじてゆっくりと目を開けると、沙梨亜が鬼神童子に羽交締めにされていた。

「沙梨亜っ!」

頭が真っ白になる。僕はいったい何をやっていたんだ!?  じんじんと痛む顔面を気にせず、立ち上がる。

沙梨亜が鬼神童子に捕まってしまった。僕はこんな時の為に今まで鍛え上げていたんじゃなかったのか!? 沙梨亜が苦しそうに僕を見ている。どうしてこうなったんだ……!? 頭がどうにかなってしまいそうだ。

「へぇ……やるじゃない。頭をカチ割るつもりで殴ったんだけどね。君ももしかして力ある者なのかな?」

鬼神童子が笑いながら呟いた。僕にはもはや鬼神童子の言葉が聞こえない。頭の中は沙梨亜を助ける、ただそれだけしかなかった。

「うおぉぉぉおお!」

僕は沙梨亜に駆け寄る。方法なんて分からない。だけど、鬼神童子の横っ面を思いっきりぶん殴ってその汚い手を沙梨亜から退けさせてやる。

ーーしかし。

「おおっと、そうはいかないぜ。お前の相手はこの俺だ。坊主」

そう言って、僕と沙梨亜の間に入ってきたのは驚くべき事に、もう一体の別の鬼神童子だった。

「鬼神童子が……二体!?」

僕は一瞬、判断が遅れる。

「おい、5番。この坊主はこの俺が貰うぜ。オメーはその小娘連れてとっとと行けや。ノルマはそいつで十分だろ」

「ふん、3番。分かったよ。もうちょっと楽しみたかったんだけどね。仕方がない。この娘で満足するよ。じゃあね」

ほとんど同じ容姿をした二体の鬼神童子が会話をしている。僕はその内容に絶望を感じた。

「お……おぼろ……」

沙梨亜が苦しそうに僕を見ていた。

「お……おい、待て……待ってくれ! その娘は僕の大事な……待ってくれぇ!」

シュンっ! と音を立てて、沙梨亜を連れた鬼神童子がその場から消えた。

僕は目の前が真っ暗になり、絶望の淵に叩き落とされる。伸ばした手が虚しく宙を掴んだ。

何を……何をやってたんだ、僕は。

僕に残されたたった一人の愛しい人が目の前で連れ去られてしまった。

何も……出来なかった。僕は沙梨亜の顔を思い出す。怒った顔、悲しそうな顔、紅くなってそっぽを向いた顔。あの姿をもう二度と見る事が出来ないと思うと心が張り裂けそうになった。

「沙梨亜ーーっ!」

「うるせぇんだよ」

ドンっ! と再び凄まじい衝撃が顔面を駆け抜けていった。

ズザザザァっと僕は草原を転がる。蹲る僕は己に問いかけた。

悔しい……。力の無い自分に。憎い……沙梨亜を連れ去っていったあの化け物が……。強くなりたい……。誰にも負けないくらい強く、沙梨亜を救う為に。

「はぁー。勘弁してくれよ、せっかく黄泉から還ったと思ったらこんなザコに当たっちまうなんてよー。これじゃ、俺もあっちの娘の方が良かったぜ」

その瞬間、ドクンッ! と心臓が一際大きく高鳴った。決めた……。こんなところでうじうじしていても何も起こらない。僕がこの手で沙梨亜を救い出す。その為に……強くなる! そしてこいつら全員を僕が倒す!

ーーそう覚悟を決めた瞬間……どこからともなく声が聞こえてきた。

『少年……その想い、決して忘れるな』

ドクンッ! ともう一度心臓が大きく跳ねた。僕はすくっと立ち上がり、ゆっくりと鬼神童子を見つめる。

何故だろう。体は火を吹くように熱い。なのにさっきまで荒れ狂っていた心が、今はやけに静かだ。

僕はいつも修行でやっている三日月流の構えに入った。

もちろん、僕は本物の三日月流の構えなんて知らない。これは僕が考えた適当な構えだ。

『帯を腕に巻きつけろ』

再び、どこからともなく声が聞こえてくる。いったい誰が……? なんて事は、今は考えない。

今やるべき事はこの拳を鬼神童子に叩き込む。ただそれだけだ。

僕の耳に届いた謎の声は低くも高くもなく、不思議と心が落ち着く安心感があった。

僕は言われた通りに肌身離さず持っていた黒帯を腕に巻きつける。

鬼神童子は目を丸くして僕を見ていた。

「……雰囲気が変わった? ん、待てぇ……その構えは……」

夏の日差しが照りつける河原の草原で、僕は左手の掌を目の前に置き、地面と垂直になるようピンと立てる。

右手は握り拳を作り、脇に添える。生まれて17年間、片時も忘れず、毎日、毎日繰り返した構えだ。

自然と心が落ち着いていく。その時、またもやあの声が聞こえてくる。

『少年、毘沙天神びしゃてんじんの心得だ』

僕は道場に一際大きく書かれていた、三日月流ただ一つの教えを頭に浮かべる。

毘沙天神とは……三日月流が目指す精神のあり方の事だ。

全部で5つあり、毘沙天神を完全に習得した者は比類無き力を得るという言い伝えがあった。

そんなものは眉唾だと思っていたけど、不思議とこの声を聞けば、嘘じゃないんじゃないかと思えてくる。

「心得、其の一。不動の構えを貫くべし」

僕は口に出して宣言する。

「お前は……まさか三日月流の者か。この時代にまで使い手がいやがるとはなぁ」

鬼神童子はニヤリと笑ってガンッ! とその丸太のように太い腕で僕の顔面を殴る。

だけど僕は大樹のようにその場から動かない。

「なに……動かねぇだと」

「心得、其の二。敵を見据えるべし」

僕はキッと、腕を振り上げ、もう一度今にも殴りかかろうとする鬼神童子を見据える。

「心得、其の三。己の限界を超えるべし!」

ガンッ! と再び物凄い力で鬼神童子の右ストレートが僕の頬を直撃する。

ズザザァっと、あまりの衝撃に後退するが、気合いで体勢を崩さず、耐える。正直、痛い。今にも地面に転がって喚き散らしたいけど、僕は歯を食いしばって耐え切った。

「また耐え切りやがっただと……!? この俺様は泣く子も黙る鬼神童子だぞ。人間風情が小ざかしい!」

「心得、其の四。護る者に祈るべし!」

沙梨亜……。僕はいつも側にいてくれたただ一人の少女に思いを馳せる。

待っていてくれ。僕が必ず助けに行くから。

鬼神童子が言葉通り鬼神のような形相で、筋肉で膨れ上がった腕を振り下ろそうとする。

今度こそ殴られたらきっと耐えられないだろう。でも、僕は今まで何度も繰り返した修行を思い出す。僕が続けていた事は結局のところただ一つ。

『少年、今だ。力を爆発させろ』

右手に巻いたボロボロの黒帯をギュッと握りしめる。

僕は全ての想いを拳に乗せて叫んだ。

「心得、其の五。殴るべし!」

ドンッ! 僕は鬼神童子の右ストレートにカウンターで合わせるように、素早く右腕を鬼神童子の脇腹に潜り込ませた。

肉を抉る音が辺りに響き渡る。

「ぐぁ……!?」

鬼神童子が心底驚愕したように目を見開き、僕を見ていた。

僕の拳は鬼神童子の右脇腹をやすやすと貫通し、風穴が空いている。

「小僧……テメェ、なにもんだぁ……? この俺様に風穴開けるたぁ、ただもんじゃぁねぇな? 久しぶりに現世に戻ってみりゃあ、まだ面白い奴が残ってるじゃあねぇか」

しかし、鬼神童子は右脇腹に大穴が開いているにも関わらず、いけしゃあしゃあと喋り続けた。

僕はその光景を目の当たりにした時、こいつが本当に人間ではないのだと実感する。

「気が変わったぜ……小僧。娘を返して欲しくば、若草山に来い。俺は鬼神童子。泣く子も黙る鬼神様たぁ、俺の事よ」

「え? 何を言って……ま、待って!」

鬼神童子はニヤリと貼り付いた笑みを浮かべながら、僕に背を向けた。

「じゃあな」

シュンっと、音を立てて鬼神童子が消え去った。僕は呆然と鬼神童子を見送るも、沙梨亜を助ける有力な情報を得る事が出来た事に一先ず安堵した。

若草山……ここからでも十分に近い距離だ。

今更ながらに拳が震える。鬼神童子に殴られた頬も今だにジンジンと痛む。

妖怪。人智を超えた力を持つ化け物。さっきは本当に殺されるかと思った。でも沙梨亜を救う。そう考えていたら不思議と恐怖も何もなく、代わりに勇気が湧いてきた。

僕は一度深呼吸した後、すぐに若草山に向かおうと決心した時、それは現れた。



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