第十五話
一見すると人に見えなくもない外見をしているが、虚空のようななんの感情も感じ取れない黒い目玉とシワシワの老人のような皮膚は嫌悪感を抱かせる。
しかし、反するように身に纏っている和の装束は黒を基調としていて、赤い幾何学模様がアクセントになっており、一眼見て上等なものだと分かった。
でも最も異様で目を引く部分は人で言う、おでこの部分にある丸い鏡のような物体だろう。
鏡のようなものは光を反射して僕と沙梨亜を映し出している。
しかも輪郭がはっきりとはしておらず、モヤのようなものが噴出していた。
ふよふよと浮きながら僕らを見下ろしていたのはかつて僕に初代の過去を見せた大妖怪・もののけだった。
「ちょっとぶりやの、お二人はん。ちょっと待っててぇな」
それだけ言うと、呆然とする僕らを尻目にもののけは大嶽丸に向き直った。
「ぬぅ……もののけ……まさかこの時代まで生き残っていようとは……全ては貴様の差し金だったという訳か……」
大嶽丸はもののけを睨みつけながら悔しそうに言葉を吐いた。
「せやな、なかなか舞台を盛り上げてくれてあんさん良かったで。我ながらナイスキャスティングやわ。でももう終わり。さよならや」
「な……なんのこれしき……!」
大嶽丸がもののけを睨みながらもがこうとした瞬間、なんともののけはするりと形を変形させて大嶽丸の口の中に入って行った。
「ぐぁ……ぁぁ……ぉぉお!」
すると大嶽丸は途端に苦しみだし、喉を抑えつけて掻き毟り出す。
その苦しそうな表情からはさっきまでの威圧的な態度が全く感じられない。
大嶽丸は声にならない雄叫びを上げながら激しくのたうち回っている。
さらにはやたらめったらに炎と雷をあちこちに放ち、大嶽丸が霧に包まれてしまった。
僕らは呆然と目の前で起こっている想定外の事態を見守ることしか出来ない。
初代ですら険しい表情で、悶絶する大嶽丸を見つめているだけだ。
僕はそんな初代に尋ねた。
「ねぇ……初代。もののけっていったい何者なの?」
初代は険しい目付きで大嶽丸を見ながら答えた。
『奴は妖怪全ての産みの親と言われている妖怪の総大将だ。まさかこの時代にまで生き残っているとは思わなかったが……。私が生前、唯一倒せなかった妖怪でもある』
僕は初代の言葉に目を見開いた。
「なんだって……!? 初代でも倒せなかった妖怪? それに妖怪全ての産みの親だって……!?」
『ああ、奴は狡猾でずる賢い。正真正銘のとてつもない化け物だ』
僕は信じられない思いで初代を見た。あの初代が化け物だと認める相手。
いったいどれ程の力を持っているのか、見当もつかない。
「一度もののけに会った時、もののけは初代の事、友達だって言ってたけど……」
すると初代は驚いたように僕を見た。
『なに……? 友達だと……? 面白い冗談だ。私は一度も奴をそんな風に思った事はない。なんせ千年前に私は奴に殺されているんだからな……』
初代は昔を思い出すようにしみじみと言った。その声音からはなんの感情も読み取る事が出来ない。
「な……なんだって!?」
初代を殺した妖怪こそがもののけ。
その信じ難い事実に僕は目を見開く。
いったい初代の最期はどのようなものだったのだろうか。
ただ一つ言える事は、もののけは初代と並々ならない深い因縁のある相手だという事だけだ。
『喋っている暇はないようだ。奴が現れるぞ!』
初代が警告し、僕はバッと前を見つめた。
やがて霧が晴れ、次第に視界がクリアになるにつれ、大嶽丸の姿が明らかになる。
姿形は以前の大嶽丸と大差はないが、鈍く輝く闇色の瞳と額にある不気味な鏡がより異様さを醸し出していた。
そう、あの鏡は忘れもしない、もののけが額に宿していたものだ。
そして座敷童子……いや、もののけがさっきも手に持っていた顕明連と全く同じという事は……もののけの額にあった鏡のようなものこそが顕明連だったという事……!
つまり顕明連はずっともののけが持っていたということになる。
「もののけが真の黒幕だったって事か……」
僕は大嶽丸を吸収・同化したもののけを呆然としながら見つめた。
「はぁぁ! これはええなぁ! 力が溢れる! ごっつ気持ちええわぁ。流石は日本三大妖怪に数えられるだけの事はあるわ。なぁ、初代はん?」
大嶽丸の顔のまま、大嶽丸を乗っ取ったもののけはニヤリと嫌らしく笑った。
初代は険しい表情のまま、油断なくもののけを見つめている。
『もののけ……貴様……あの日の事、忘れたと思うなよ』
瞬間、初代から凄まじい闘気が膨れ上がった。
初代の立ち昇るような激しい闘気を見て、もののけの唇はますます吊り上がる。
「そんな怖い顔せんといてぇな。千年振りやろ? 昔みたいに仲良うしてぇな。ワシらトモダチやろ?」
『ふざけるなッ! 貴様の事を一度足りともそんな風に思った事はないッ! 貴様だけは……貴様だけは……絶対に許さんッ!』
初代の長い髪が自身の激しい怒りによって大きく揺れる。
まるで暴風のような闘気の嵐に僕は立っているだけでもやっとだった。
まさか……あの冷静沈着な初代がこれほど感情を露わにするなんて……!
僕は驚きながらも、初代から発せられる嵐のような暴風にただただ耐えるだけだった。
そんな中、大嶽丸……いや、もののけにずっと抱いていた疑問をぶつける。
「もののけ……どうしてこんな事をしたんだよ……? わざわざ大嶽丸を蘇えらせたり、僕に初代の過去を見せたり、いったいなんの目的があるって言うんだ……?」
すると大嶽丸は黒い不気味な目玉をギョロリと僕の方に動かした。
「そんなん決まってるやん。この状況を作り出す為や。君が初代を現世に呼び戻し、大嶽丸を倒すこの時をワシはずぅっと待っとったんや。くけけけけ、君ら見ものやったでぇ、ワシに踊らされてるとも気付かずに戦っとる様はなぁ?」
もののけは尚も邪悪な瞳を歪ませて、まるで僕らを馬鹿にする様に笑っていた。
『朧……こいつの話に聞く耳を持つな。奴は妖怪という存在そのもの。人の不幸を蜜の味とし、絶望を至上の喜びとする。私達のやる事はただ一つ、奴を倒す事だけだ』
初代は毘沙天神の構えに入り、もののけを睨みつけている。
自分を殺した相手だ。そう考えるとこれ程までに初代が憎しみを露わにするのも無理もない。
だけど……本当にそれだけなのだろうか?
「ねぇ……初代。聞かせてくれないか? 君ともののけにはどんな過去があったの?」
初代はちらりと僕を見て言った。
『私の息子は奴に殺された。……私の息子の名も……君と同じ三日月朧という名だったよ』
「えっ……?」
僕は呆然と初代を見た。
「くかかかっ、懐かしいなぁ、初代はん。あんさんの子供、喰ったのはこのワシやもんなぁ。そら忘れられへんよなぁ。あんさんの息子、朧くん。最っ高に旨かったで?」
その瞬間、初代から凄まじい闘気が噴出した。
あまりの凄まじさに、頑丈な石畳が捲れ上がっている。
『この……下衆野郎が……! 絶対に許すものか』
その時、初代は地を蹴ったかと思うと、一瞬にしてもののけの目の前に現れた。
まさに瞬きをする一瞬の間での移動だ。
だが……。
ドォン!
と轟音が鳴った後、地に伏せていたのはなんと初代だった。
初代は無残にも地面に減り込み、もののけの足蹴にされている。
「学習せえへんなぁ、初代はんも。確か前も逆上してこんな風になっとったよなぁ? そういえばなんでわざわざ大嶽丸を復活させたかって聞いてたな? 答えは簡単。もう一回、初代はん。あんたの絶望の顔を拝みたかったからや。あの時のあんさんの顔……思い出しただけでも笑いが収まらんわ。あの顔こそ、ワシがずぅっと追い求めてたもんなんや」
もののけは想像を絶するほどに顔を歪ませて初代を見下ろしている。
「そこな少年、朧くん。なんとまぁ、名前だけやなくて顔も初代はんの息子そっくりや。いや……そっくりなんてもんやない。君は初代はんの息子の生まれ変わりそのものや。ワシはこの時をずぅっと、ずぅっと待っとったんや。ほんま千年は永かったでぇ。ほんでようやく君が現れた。その時、思たんや。朧くんがもう一編ワシに喰い殺されたら、初代はんのあの顔、もっかい見られるかもってなぁ。どや、ナイスなアイデアやろ?」
もののけは睨みつけ、立ち上がろうとする初代を何度も何度も踏みつけた。
もののけが踏みつける度にズドン、ズドンと大地を揺るがすような地響きが起こり、初代が地に沈む。
あの初代が抵抗も出来ずに軽く足蹴にされるなんて……。
凄まじい力を宿し、復活した大嶽丸を乗っ取ったもののけが、さらなるパワーアップを遂げ、僕らと相対している。
しかも、もののけの額にある顕明連は未だに健在で、もし運良く倒せたとしても、パワーアップして蘇るという非常に厄介な力を持っている。
本当にこんな敵を相手に勝てるのか……?
僕は強く拳を握りしめて、初代を足蹴にしているもののけを見た。
初代を救うべく一瞬の内に構え、威力を一点に集中し、もののけの顔面に放つ。
「毘沙天神!」
ガンッ! と鈍い音を立てて、僕の毘沙天神がもののけの頬に突き刺さった。
だが……。
一度は大嶽丸ですら地に沈めた全力の一撃だったのに、もののけは倒れるどころか、顔を仰け反らせるだけで踏み止まり、ギュルンッと僕に視線を向けた。
全てを飲み込むような闇色の瞳が邪悪に歪む。
「朧くん、今なんかした? ちょっと黙って見といて貰えるか? 今めっちゃいいとこなんや。君の相手はまだまだ後や」
その瞬間、もののけは丸太のような腕を振り上げて、地に伏す初代目掛けて凄まじい速度で一気に振り下ろした。
ズドンッ!
『がぁっ!』
初代の腹に直撃したもののけの一撃は初代をくの字に折り曲げ、その凄まじい威力は初代だけに留まらず、地面さえも陥没させる。
「初代っ!」
僕は初代を救う為、毘沙天神を連打で放つも、全く効いていないのか、もののけは僕に視線すらも寄越さない。
もののけは完全に初代を標的にしていた。
その瞳は激しい嗜虐心で満ちている。
「くけけけけ、どうしたんや初代はん。もう終わりかいな? ほな、朧くん食べに行きまんで」
『ま……待て』
その瞬間、初代は地面に仰向けになりながらも、左手を合掌の形にして胸の前に置いた。
ズドンッ!
もののけへ目掛けて上部から初代の毘沙天神が襲うも、なんともののけは全てを見切っていたのか、容易く初代の攻撃をかわした。
標的を見失った初代の毘沙天神は地面をクレーター状に陥没させる。
「おおっと……初代はんのそれは洒落にならんから避けさせて貰うで。でも今のは腰に力入ってへんからか、しょっぱい攻撃やったなぁ。んでもまぁ、仮にもワシ、時の大妖怪言われとるんや。あんさんらの攻撃なんて時間いじれば、避ける事なんて訳ないで」
もののけはいけしゃあしゃあとそう宣った。
僕はもののけの言葉に愕然とする。
え……? 時をいじるだって……? もののけはそんなことが出来るというのか……?
僕はかつてもののけに初代の過去を見せてもらった事を思い出す。
そうだ……時間の操作はもののけの十八番なんだ。
なら数秒後の僕らの行動なんてもののけには筒抜けなのかもしれない。
でも……ならこんな敵にどうやって勝てと言うんだ!?
大嶽丸の鬼神の肉体に、死んでも蘇る蘇生能力。
さらには時間すらも見通し、僕らの攻撃は予知され、かわされる。
考え得る限りで、今のもののけはまさに最強の妖怪と言ってもいいだろう。
あの初代ですらもののけに敗れたという事実が今になってようやく理解出来た。
「ほな、美味しく朧くんを頂くとしますか」
瞬間、もののけが僕にギュルンと悍ましい顔を向けた。
嫌らしくニタニタと笑いながら一歩ずつ近づいてくる。
「ひぃっ……」
僕はあまりの恐怖に思わず悲鳴を上げる。
僕を……喰うだって? 何を言ってるんだ……? もののけは?
僕はただ突っ立って呆然ともののけを見る事しか出来ない。
だが……。
「ん? なんや、ピリピリするで」
もののけがそう不思議そうに呟き、きょとんとする。
すると今度は沙梨亜にギュルンと首を動かした。
沙梨亜は両手を前に伸ばし、必死な形相でもののけを睨みつけていた。
「なんや、お嬢ちゃんかいな。どこ行ったんか思っとったわ。これ……お嬢ちゃんの神通力かいな?」
瞬間、もののけはまるで何かを振り切るように無造作に片手を振り払う。
「きゃあっ!?」
沙梨亜が短い悲鳴を上げた。
……っ!? 今、いったいもののけは何をしたんだ……!?
するともののけ自らの首筋に指をさし、言った。
「うーん。何にも感じへんで? ちょっとここらへんがピリッとしただけや。もっと力こめーや。こんな風にな」
もののけは無造作に片手を沙梨亜に向けた。
その瞬間、世にも恐ろしい妖気がもののけから発せられる。
僕は思わずもののけに制止の叫びを挙げた。
「や……やめろ!」
「あ……」
ドンッ! と音がした時、沙梨亜は口から血を大量に吐いた。
僕はその光景を目にした瞬間、視界が真っ白になる。
沙梨亜は一瞬、僕を見て微笑んだ後、仰向けに倒れた。
「あ……あ……あ……」
「ほんま脆い種族やな、人間っちゅーもんは。ちょっと力込めるだけで、内臓が破裂しよったで。ほんまは直接喰うつもりやったけど、まぁええか」
もののけの言葉なんてもう僕の耳には入らなかった。
ただ、ただ目の前の光景が信じられず、乾いた声しかない。
だけど……沙梨亜がやられた。それだけは理解出来た。
「あああぁぁぁー!!」
憎い、憎い。目の前の化け物が……ひたすらに憎い。絶対に許さない……。
僕は怒りの感情に支配され、無茶苦茶にもののけ目掛けて、攻撃を放った。
「これは……」
ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ!
「あああぁぁぁー!!」
ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ!
次々ともののけに炸裂する毘沙天神は、次第に激しさを増し、もののけを包み込んでいく。
それでも僕は攻撃を止めなかった。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
やがて毘沙天神の応酬が止み、力を使い果たした僕は、荒い息を吐きながら砂埃が舞う眼前を睨みつける。
だが……。
「なんや、やったら出来るやんか。なんなら今のは初代はんのより効いたで」
砂埃から現れたのは、全身に傷を負いながらも平然と立つ、もののけの姿だった。
「な……」
全力の毘沙天神がほとんど効いてないだって……!?
僕は倒れ伏す沙梨亜を見る。
「沙梨亜……くっ……もののけ、お前だけは絶対に……絶対に許さない!」
僕は再び怒りの感情に支配され、毘沙天神を見境無く放とうとした時、不意にとんと肩が置かれた。
『朧、怒りに支配されるな、奴の思う壺だ。私もかつて冷静さを失ったせいで奴に敗れた。沙梨亜はまだ死んではいない。心を落ち着かせるんだ』
バッと振り返ると、ボロボロになりながらも、悠然と立ちながら僕を見下ろす初代の姿があった。
初代の言葉で冷水を浴びせられたように熱が引いていく。
よかった……沙梨亜はまだ生きている。
「そうこうへんとなぁ。まだまだ地獄はこれからやで?」
その瞬間、初めてもののけが攻勢に出た。
もののけが無造作に初代へ片手を突き出す。
もののけの手のひらからは雷を纏った火炎放射が、初代目掛けて迫る……が。
ここで初代は合掌の構えをとった。その瞬間、眼前に空から光の柱が舞い降りる。
パァン!
もののけが放った火炎放射は天から舞い降りた光の柱に遮られ、霧散する。
やがて激しい光が収束し、瞳を開けると、僕の目の前に立っていたのは、身長4mはあろうかという甲冑姿の大男だった。
「とうとうでよったな、神が」
もののけがポツリと呟く。
そう、僕らを守るように突如として現れたのは、初代の過去で見た、戦神・毘沙門天の姿だった。
毘沙門天はじっともののけを見た後、初代に視線を向けた。
「懐かしい顔よの、初代。そこな少年はそなたの末裔か。うむ、よく育っておる。しかし、目前のあの妖気……かつての仇敵、もののけか?」
『ああ、しかも以前よりもさらに力が上がっている。初手から全力で行くぞ』
「そのようだな。全く、貴様も次から次へと難儀な者よのぉ」
その瞬間、毘沙門天は光り輝き、輪郭がぼんやりと薄くなった。
そのまま初代の身体へと飲み込まれるように吸収される。
毘沙門天を吸収した初代は黄色く光り輝き、力が溢れ出るように旋風が巻き起こる。
瞬間、初代が地を蹴った。
と思った瞬間には、既に初代の拳がもののけのコメカミを捉えていた。
「は……速い!」
僕は思わず呟く。もののけまでの距離は、数十メートルはあった筈なのに、初代は一息に距離をゼロにしてしまった。
「くぅ!」
ガンッ! ともののけも負けじとその丸太のような腕を振り下ろす……も、初代は片手で受け止める事で防いだ。
さらにはもののけの力を応用し、腕を取って投げ飛ばした。
ズドンッ! と轟音を立てて、もののけは地面に叩きつけられ、地面が陥没する。
だが、もののけはダメージを受けていないのか、スッと体を起こし瞬時に立ち上がった。
「くけけけけっ。大嶽丸を吸収して大幅にパワーアップしたワシの純粋な身体能力はあんさんを優に超えてるはずやのに、こうも簡単にやられる。流石は初代はんやで。そらバケモン言われるわ」
もののけは口から溢れる血を拭い取って呆れるように呟いた。
『貴様こそ、私が以前に戦ったどんな敵よりも強い。だが、貴様は必ずここで消滅させる。もう貴様の時代はとっくに終わっているんだ』
光り輝き、身体中から闘気を溢れさせる初代は毘沙天神の構えのまま、宣言した。
もののけはフッと笑みを零す。
「是非そうして欲しいわぁ……やれるもんならな」
『舐めるなッ!』
ガンッ! 再び両者の激しい激突が起こった。
瞬きをする間に幾度も衝突する。
ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ! と初代と大嶽丸の拳がぶつかり合う。
両者の超絶的な戦いぶりを見て、僕は初代の過去を思い出す。
初代は何十年という永きに渡る時間をかけて毘沙天神を完成させた。
その長年の研鑽によって積み重なった武術の腕前は既に達人を超え、無我の境地とも呼べる仙人の域にまで達しているに違いない。
毘沙天神の修行後も数多の妖怪との戦闘経験によって培った初代の毘沙天神は山をも砕き、海をも割る。
激しいぶつかり合いの後、一旦距離をとった両者は向かい合っていた。
初代は再び常勝の毘沙天神の構えを取り、もののけを迎え撃つ。
「いくでぇ……」
対してもののけは1歩踏み込む……と既に初代の目の前に現れていた。
両者の距離は50m程あったはずなのに、もののけはただの一歩で距離を0にしてみせた。
これはもはや速いなんてレベルの速度じゃない。直感で分かった。
もののけはもっと別の異質なナニカの力で、文字通り距離を0にしてみせたんだ。
もののけは時間を操る事が出来る。という事はもしかしたら時間を操作する事で、移動時間さえも0にしているのかもしれない。
あまりにも常識外れな大妖怪に戦慄が走る……が、そんな相手に一歩も引かない初代も十分に化け物だった。
毘沙天神を極めるとあそこまでになるのか……。
初代は一瞬、動きを止め、迫りくるもののけに攻撃を放った。
黄色のオーラが全身から放出し、毘沙門天の巨腕が飛び出る。
もののけの姿が初代の前に現れた瞬間には既に毘沙門天の拳がもののけに触れていた。
しかし、それすらももののけは対応して見せた。
もののけは触れられた瞬間に力の流れに逆らわないように身を捩る事で毘沙門天の殴打を受け流す。
その動きはまるで風に舞う木の葉のようだった。
もののけは流れるような動きで、毘沙門天の腕を指だけを使って捻りあげ、初代の体を回転させる。
そのまま初代の繰り出した渾身の毘沙天神の力を何倍にも増幅させて地面に叩きつけた。
ドォォォォォオオオオン!
『がぁ……!?』
その一連のもののけの動きはあまりにも流麗で目で追う事すらも難しかった。
車輪の回転が目で捉えきれないのと同じように、もののけの動きも見えない。
「あんさんだけが修行してきた訳やないんやで……?」
もののけはニヤリと笑いながら地面に横たわる初代を見下ろしながら言った。
「まさか……もののけも修行していたって事なのか……?」
妖怪が人に勝つために修行するだって……!? どんな冗談だ。
そんな事されたら寿命が短い人間に勝ち目なんて無くなってしまう。
「今のは人間が生み出した『合気』いう技や。相手の力を利用して返す……ワシは時の大妖怪。合気を修行する時間すらもワシは操れる。今のは人間が千年間ひたすらに合気を修行した時の結果や」
……っ!? 修行したという時間すらも操れるだって!?
なんていうめちゃくちゃな力なんだ! そんなのにどうやって勝てと言うんだ……!?
『朧……怯むな。奴は君の絶望の顔を見たいだけだ。惑わされるな』
初代はボロボロの体で立ち上がりながら言った。
もののけは長い舌をベロンと出して笑い出す。
「くけけけけっ! ばれたかぁ。流石は初代はん。長い付き合いなだけあるな。流石にワシでも修行する時間を勝手に操作するなんて事は出来へんよ。昔片手間に身に付けただけや」
なんでもないように言ってのけるもののけに心底怖れを抱く。
片手間に身に付けたというだけであれだけの技を繰り出せるなんて……。
一眼見て分かった。あの技がどれほど途方もない領域の技なのかを。
初代はもののけに言い聞かせるように呟く。
『確かに貴様は強い。戦神を宿した毘沙天神ですら貴様にトドメをさせそうにない。だが……勝機はまだこちらにある』
もののけが不思議そうに目をギョロリと動かせる。
「なんや? 今度はハッタリかいな? もうええて、確かに昔は初代はんの不意をつく事でしか、ようやく殺せへんかった。けど今はもう全力の初代はんですらワシを止める事は出来へん。ワシはようやく初代はんを超える事が出来たんや」
もののけは呆れたように呟く。だが、初代は顔色を変える事なく言ってのけた。
『確かに貴様の言う通り、私だけでは貴様を超えられない。私だけではな』
するともののけは興味を持ったのか、目を細めて尋ねてくる。
「ほう、そらどういう意味や?」
初代はタンッと地面を蹴り、フワリと僕の目の前に現れ、僕の肩に手を置いた。
『朧、君の出番だ。準備はいいか?』
「えっ……!?」
僕は意表を突かれ、呆然としながら初代を見上げた。
「はぁ? なに言うてんねん、初代はん。あんさん、みすみす子孫を無駄死にさせる気かいな。結果なんてもう分かりきってるやろ」
だが、初代はもののけの言葉に答える事なく、じっと僕の目を見つめていた。
『朧、君は今まで戦神を身に降す私の毘沙天神を見てきた。それに私すらも身に降ろす毘沙降神すらも習得してみせた。君にならできる。君が……もののけを倒せ』
え……? 僕は呆然と初代を見上げた。
僕がもののけを倒す……? この僕が?
一瞬、初代の言っている事が分からなくなってしまう。
すると今度は初代が黄色く輝き始め、輪郭が薄くなった。
もののけが目を丸くして初代を見つめていた。
「おいおい、まじかいな。それが初代はんの答えかいな。そんなヒヨコに何が出来る言うんや」
僕は呆然と初代を見つめた。
初代は優しく僕を見ている。
その視線はまさに全てを見通しているかのように透明で、僕を信頼しきっている瞳だった。
どうして初代はこんな僕を信じてくれるんだ……?
少し前まではただの高校生でしかなかったというのに……。でも、初めて初代と出会って、沙梨亜を救う為、僕らは行動を共にした。
初代の力はいつも圧倒的で、いつだって僕に道を示してくれた。
この初代の大きな背中に……僕は密かに憧れていたんだ。
だから……初代がそう言うのなら、初代が僕に期待してくれるのなら、僕が……やってやる。
「初代……ありがとう。ここまで導いてくれて。僕を信じてくれて。分かったよ。もののけは僕が倒す」
僕は一歩前に踏み出した。もののけの巨体がまるで僕を見通すかのようにじっと見下ろしている。
改めて見ると、大きい。いや、それだけじゃない。存在の格のようなものが僕とは決定的に違っていると嫌でも理解できた。
でも、たとえそうだったとしても僕は立ち向かう。
僕は絶対の意思を持ってもののけを見上げた。
「……その眼……なんや、勝算なしに立ち向こうてきた訳や無さそうやな、朧くん。君は初代はんを現世に呼び戻す為のただの呼び水やと思っとったけど、なんや、そうでもないらしいな」
もののけが凄まじい妖気を纏いながらポツリと呟いた。
ここまで近づく事で今のもののけの力がどれほど途轍もないものなのか、肌で感じ取れる。
でも……僕はもののけが大嶽丸を乗っ取った時に、最後は僕がケリをつける事になるんじゃないのか、となんとなく思っていた。
それは僕にしか出来ない……いや、僕らにしか出来ない事がまだあるからだ。
きっと初代もそれに気付いていたからこそ、僕を送り出したんだろう。
僕は初代に視線を送った。
「行くよ……初代」
『ああ、朧』
瞬間、僕は構えを取った。
胸の前で合掌の構えを取り、重心を低くする。
その瞬間、暴風のような風が吹き荒れ、凄まじい力の旋風が僕を取り囲む。
「ほーん……そうくるか」
もののけも異変を感じとったのか、片目を開いて僕を見る。
ふと、横目で初代を確認すると、初代は身体の輪郭をあやふやにさせ、純粋なエネルギー体の状態に変化していた。
「これが……僕の毘沙降神だ!」
毘沙降神……それは自分の身に毘沙天神を極めた者を降ろす三日月流最後の奥義。
僕はより強く初代を降ろそうと力を込め続ける。
その瞬間、初代のエネルギーが僕に向かって降り注いだ。
僕は激流のような膨大な初代の力の渦を耐え切って、構え続けた。
やっぱり凄まじい力だ……これが初代の力……だけど、僕が必ず自分のものにしてみせる!
「はぁあっ!」
気合いを込めて暴風のような力の渦に耐えていたが、これだけじゃない。
むしろ本番はこれからだ!
『行くぞ……朧。毘沙降神!』
ドォン! とさらに力の渦が激しく光り輝いた。
エネルギー体に変化した初代がさらに合掌の構えを取り、僕の体の中で毘沙降神を行ったんだ。
初代が現世に降ろす者はもちろん……。
「なるほどなぁ……初代はん以外にも戦神を取り込む気か」
もののけが警戒心を露わにポツリと言った。
そう、もののけの言う通り、これが僕達のとっておきだった。
僕と初代と毘沙門天の三位一体。
これこそがもののけを倒し得る最後の切り札。
「おぁぁああ!」
天から一柱の光の柱が舞い降りる。
僕らの前に現れたのは黒い見事な甲冑に身を包んだ美丈夫、毘沙門天。
長い髪を束ね、僕を睥睨する毘沙門天は威厳と荘厳なオーラに満ち溢れている。
毘沙門天は静かに僕を見下ろした後、ゆっくりと口を開く。
「三日月の最後の末裔よ。行くぞ」
毘沙門天も初代のように黄色いエネルギー体になった瞬間、僕に飛び込んできた。
凄まじいエネルギーの奔流が僕の体の中で暴れ回る。
「あぁぁぁああ!」
耐えろ! 耐えろ! 耐えろ! 今まで感じた事のない、少しでも気を抜いたら爆発しそうな力の渦を体の中に必死に押し留める。
身体中がバラバラになりそうな痛みの中、僕は構えを取った。
今までずっと慣れ親しんだ僕の最も信頼する構えだ。
左手を地面と垂直になるようにピンと立てて胸の前に置き、右手は脇に添えるだけ。
腰を下ろし、重心を低くする。
毘沙天神の構え。
もののけも脅威を感じ取ったのか、素早く身構えて距離をとった。
「ほんま……こんな隠し球があったとはなぁ……。ほんま呆れるで、君らの一族にはな」
今にも爆発しそうな力をもののけ一点に集中させて、威力を絞り込むイメージをする。
より細く、より尖らせ、より抉り、より穿つ……。
そんな中、僕はある一点に注目した。
もののけの額にある顕明連だ。あれさえ壊せば、もう二度と大嶽丸も復活出来ない筈。
すると一瞬にしてもののけが眼前に現れた。
その丸太のような巨腕が今にも振り下ろされようとしている。
おそらくもののけが時間をいじって距離を0にしたのだろう。
でも……もう既に準備は整っていた。
例え相手がどこにいようが関係ない。この技は一撃必中の速攻技。避ける事なんて不可能。構えを取った瞬間に攻撃が始まる。
僕は体の中にいるであろう、二つの魂に声を掛けた。
行くよ……!
「三位一体! 毘沙天神!」
ドォォォォォォォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオン!!
凄まじい轟音が辺り一面に鳴り響いた。
シュュュュュュュュュウウウウウウン……。
凄まじい閃光が辺り一面を覆った後、静寂が訪れた。
光が止み、力尽きて膝をつく僕の目の前に倒れていたのは、無残にも顔のみが辛うじて原型を保っているだけのもののけの姿だった。
もののけはゆっくりと口を動かす。
「見事や……朧くん。やっぱりワシは……君らには勝てへんかったわ。……結構良い線……いっとったと……思うけどなぁ」
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
僕は荒い息を吐きながら見つめる事しか出来ない。
「ワシはなぁ……ほんまは……死にたかっんや。こんな風に君ら……人間の手で。……妖怪って……そういうもんやろ?」
もののけはまるで冗談を言うかのような口振りだった。
「でも君らには……負けたくないっていう思いもあったわ。……ワシ、妖怪で一番……偉いしな。……そう簡単にやられて……たまるかいな。でも……」
そこでもののけは言葉を区切り、言った。
「今の君らには……やられてもいいわ。……そう思える程の……一撃やった。……おめでとう……君らの……勝ちや」
僕の横にフワリと初代が現れる。初代は静かにもののけを見下ろしていた。
「……初代はん。今まで……楽しかったで? ……今まで色々……悪かったな……でも許して……くれるやろ? ……ワシら…………トモダチやしなぁ?」
『……』
初代は何も言わない。ただ静かにもののけを見下ろすばかりだった。
「けっ……最後まで……つれへん奴やなぁ……まぁええわ……ほな……そろそろ行くわぁ……じゃあな……お二人はん」
その瞬間、もののけの額にあった顕明連がピシリと音を立てて真っ二つに割れた。
同時に砂となって、もののけが消えて行く。
数秒かけてあっという間に砂となったもののけの残骸は風に乗って何処かに消えた。