第十話
それからというものの、僕らは互いに修行に明け暮れた。
僕は毘沙天神を極める為に、沙梨亜は大嶽丸の三明の剣を封印する為に、それぞれが出来る事を全力で取り組んでいた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
僕はぶっ通しで続けていた毘沙天神を解き、肩で息をしながら大の字で仰向けに横たわった。
拳を天井にかざしてじっと見つめる。
僕は初代と出会ったあの日から劇的に成長した。
しかし、毘沙天神の威力は上がり続けてはいるものの、どうしても初代のレベルには到達出来ていないという課題があった。
あの初代の毘沙天神を思い出す。
一撃で鬼神童子を数十体消滅させ、大嶽丸を吹き飛ばしてみせた初代の毘沙天神。
あれはまさに規格外だった。
僕の毘沙天神とは比べ物にならない。本当に同じ技なのかと疑うレベルだ。
「くそっ……!」
着実に成長してきていると分かってはいるものの、どうしても焦りが募ってしまう。
それもこれも、全ては大嶽丸が原因だった。
テレビではしきりに、自衛隊が導入され、若草山に出撃しているものの、帰ってくる者は一人もいないと報道されている。
十中八九、大嶽丸の仕業だろう。
報道陣も恐ろしかったのか、一週間も経てば、誰も若草山に近づかなくなっていた。
奈良の特別非常事態宣言は未だに継続中で奈良県に立ち入る人間すらまともにいない状況だ。
大嶽丸……。僕はあの猛々しい大男を思い出す。
あれから一切音沙汰はないが、今も若草山に籠っているんだろう。
人間を滅ぼすと言いながら若草山から動こうとする気配は無いが、初代を倒した大嶽丸は力を溜めているに違いない。
大嶽丸が他県に侵攻する前に、何としても大嶽丸を倒す。それが僕に課せられた使命だった。
大嶽丸が動き出すのはいつだろうか。一ヶ月後か? 一週間後か? それとも明日か?
それまでに大嶽丸を倒す力を得なければならないと考えるとどうしても焦りが募る。
「ほら、そんなとこで寝てたら風邪引くわよ」
視界の端でちょこんと沙梨亜の顔が見える。
沙梨亜は僕の顔を覗き込むように僕を見下ろしていた。
手にはタオルを持っている。
「あ……ありがとう」
僕はタオルを有り難く受け取ると礼を言って、起き上がる。
今の沙梨亜は巫女服を着ており、制服姿とはまた違った魅力があった。
極め付けには、頭から飛び出す二つの狐の耳とお尻から生える狐の尻尾がこれでもかと言わんばかりに存在を主張している。
ぴょこぴょこと揺れる尻尾と耳がこの上なく愛らしく感じた。
「やっぱり耳と尻尾はあった方がいいと思うよ」
「い、いきなりなんなのよ、もう」
顔を赤らめてそっぽを向く沙梨亜の姿を見て、なんだか僕まで気恥ずかしくなり、顔を背ける。
「「……」」
一抹の沈黙が道場を支配する。
「そ、そう! どうせ修行ばっかりで、何も食べてないだろうと思って、弁当作ってきてやったわよ! 感謝しなさいよね!」
そう言って後ろ手に隠していた弁当箱を僕に押し付けるように渡してきた。
僕は目を丸くして弁当箱を凝視する。
「これ……沙梨亜が作ってきてくれたの?」
「そ、そうよ! 悪い? 私だって料理くらいできるのよ!」
そう言って顔を真っ赤にして一息に捲し立てた沙梨亜はプイッと顔を背ける。
「あ、ありがとう……」
呆然とした表情で弁当箱を受け取った僕は、可愛らしい包みの弁当箱をじっと見つめる。
沙梨亜が作ってくれた弁当……。
それだけでお腹が満たされるようだった。
「それで……修行の方はどんな感じなのよ?」
沙梨亜は顔を背けたまま尋ねてくる。
でもそんな沙梨亜とは裏原に狐耳は一言も聞き逃さんとばかりにぴょこぴょこと揺れていた。
「うん……強くはなってるよ。でも、まだまだ大嶽丸には勝てない」
沙梨亜は俯く僕を一瞬ちらりと見る。
「そりゃあそうでしょうよ。あの初代様ですら大嶽丸には勝てなかったのよ? ちょっと前まで一般人だったあんたが、ちょっとやそっとであの大嶽丸相手に勝てる訳ないじゃない」
「……っ! それじゃあ僕はっ!」
僕は沙梨亜に詰め寄ろうとした時、沙梨亜がポツリと言った。
「でも初代様は私達が大嶽丸を倒せと言った。ならきっと勝算があるんだわ。朧、初代様の言葉をよく思い出しなさい。初代様はきっとあんたに大嶽丸を倒す方法を話しているはずよ」
そうキッパリと断言してみせた沙梨亜の顔を僕はハッとして見た。
そうだ。あの初代の事だ。きっと無茶な事は言わない。僕らに大嶽丸倒す可能性があったから僕らを逃してくれたんだ。
でも大嶽丸を倒す方法って一体なんなんだ?
僕はヒントになりそうな初代の言葉を思い出す。
すると、一つの言葉が心の中から浮かんできた。
『朧、私をよく見ておけ』
初代はそう言って自分自身が戦う様子をしきりに僕に見せようとしていた。
何故初代は僕に戦う姿を見せたかったのだろうか?
決まっている。そこに大嶽丸を倒すヒントがあるからだ。
僕はそこからさらに初代の戦う姿を鮮明に思い出してみる。
不思議な事に初代の戦う姿はこの目に焼き付いているのか、鮮明に覚えていた。
初代の技はたった一つ、三日月流に伝わる秘伝の毘沙天神、たったそれだけだ。
「あっ……!」
その時、僕の脳内に電流が駆け抜けた。
それは暗闇の中で見つけたたった一つの光明だった。
そう、初代が毘沙天神を放った時、初代はその場から全くと言っていいほど動いてはいなかったが、敵の背後にはいつも大男のような黒い影が現れていたような気がする。
それに大嶽丸との戦いで、初代が合掌のポーズを取った時、一際大きい甲冑姿の男が現れていた事を思い出した。
そうか、もしかしたら僕は毘沙天神を誤解していたのかもしれない。
まさか毘沙天神という技の本質はあの大男の方にあるんじゃないのか?
そこまで思考を巡らせた時、僕は沙梨亜に尋ねた。
「ねぇ、前に沙梨亜は神社の祀っている神と初代が関係しているって言ってたよね? それってなんの神様なの?」
「私の神社が祀っている神は戦神とも呼ばれた神、毘沙門天様よ。初代様は人間で唯一、戦神をその身に宿す事が出来た人物なの」
「なんだって!」
沙梨亜の言葉に僕はあんぐりと口を大きく開けた。
僕の脳内に電流が流れる。
そうか、そういう事だったのか! ようやく分かった。毘沙天神の本当の意味が!
初代はこれを僕に伝えたかったんだ。
「そうか……毘沙天神の心構えって、その戦神を自分の体に降す技の事だったんだ。神を宿らせる精神を作り上げるための手段が毘沙天神の心構えだったんだ!」
僕はようやく答えを見つけ出せた喜びに思わず、沙梨亜の手を取った。
「え? な、なんなのよもう……」
沙梨亜は顔を赤くして顔を背けた……その時、ソレは現れた。
「ほーん、よう分かったなぁ。流石は初代はんの末裔やわ」
「「……っ!?」」
僕と沙梨亜はばっと後ろを振り向き、三歩その場から飛び退いた。
体が勝手に反応したんだ。あまりにも怖気の走る気味の悪い声音と不気味なオーラに毛が逆立つ。
一眼見て、こいつが妖怪だと分かった。
しかもただの妖怪じゃない。この妖怪から感じる不気味さと底知れ無さは、あの大嶽丸にも匹敵する程だった。
一見すると人に見えなくもない外見をしているが、虚空のような、なんの感情も感じ取れない黒い目玉とシワシワの老人のような皮膚は嫌悪感を抱かせる。
しかし、反するように身に纏っている和の装束は黒を基調としていて、赤い幾何学模様がアクセントになっており、一眼見て上等なものだと分かった。
でも最も異様で目を引く部分は人で言う、おでこの部分にある丸い鏡のような物体だろう。
鏡のようなものは光を反射して僕と沙梨亜を映し出している。
しかも輪郭がはっきりとはしておらず、モヤのようなものが噴出していた。
「お前は……何者だ!?」
僕は警戒心を露わにして問いただす。
沙梨亜も既に臨戦態勢に入っていた。
一眼見て並の相手ではないと理解出来るソレはゆっくりと口を開く。
「そう怖がらんでもええ。わしは君達には何もせんよ。ただ教えに来たんや。君達も知りたいやろ? もっと初代はんのこと」
……っ!? 初代の事だって?
僕は謎の妖怪を油断無く見つめ、恐る恐る聞いた。
「あんたは初代を知っているのか……?」
すると謎の妖怪はまんまるい目玉のような瞳をニンマリと歪めて口を開く。
「もちろんよぉく知っとるとも。なんせワシは初代はんとトモダチやったからなぁ。彼女の事ならなんでも知っとるよ?」
僕はさらに警戒心を露わにして叫んだ。
「嘘だ! 初代があんたみたいな得体の知れない妖怪と友達になる訳ないだろ!」
「かかかかかかっ。ま、そらそうやなぁ。信じられへんよなぁ。けど、君、ほんまにそう言い切れるん?」
謎の妖怪はさらに目玉をニンマリと歪ませて心底楽しそうに尋ねてきた。
僕は謎の妖怪の言葉に動揺する。
「な、なんだよ……」
「ほんまは知らんのやろ? 初代はんの事。そらそうやろなぁ、君なんも知らされてないし」
キッと謎の妖怪を睨みつける。そうだ。僕は初代の事なんてほとんど何も知らない。
そんな当たり前の事を今更になって気付かされた。
「あ、あんたなら何か知ってるってのか?」
「やからそう言ってるやん。なんせワシと初代はんはトモダチやし。同じ時間を共に生きてきたよぉ?」
謎の妖怪はニタニタと口を歪ませている。この妖怪からは生理的な嫌悪感を感じた。
そんな妖怪の姿を見て動揺する僕に沙梨亜は鋭く発破を掛ける。
「朧、惑わされないで。こいつの持つ力は間違いなく大妖怪級よ。得体が知れなさすぎる。聞く耳をもっちゃだめ」
するとギュルンっと音が鳴りそうな程、首を大きく動かした謎の妖怪の視線は沙梨亜を捕らえた。
「ほーん、お嬢はん、えらいかわいい顔しとるなぁ。ワシ好みやわ。今晩どお?」
「こ……こいつ!」
僕はギリっと歯軋りして謎の妖怪を睨んだ。
沙梨亜に手を出したらただじゃおかない!
「朧、あんたの反応見て楽しんでるだけよ。いちいち突っかかっちゃダメ。そこの大妖怪! おあいにく様だけどあんたとなんて死んでも御免よ。出直してきなさい」
沙梨亜は謎の大妖怪に一歩も引く事なく、きっぱりと断ってみせた。その頼もしい姿に安堵する。
「かかかかっ。ほんま気の強いお嬢さんやで。まぁ、ええわ。ほんでワシが君達の前に現れたのは他でもない、初代はんの過去を教えに来たんや。朧くん、君はめっちゃ知りたいんちゃう?」
「……」
ごくりと生唾を飲んだ。僕はじっと不気味な大妖怪を凝視する。
正直……知りたい。
僕は本当に初代の事は何も知らない。知っている事と言えば、尋常ではない強さと冷静沈着で物怖じしない本当に頼りになる人物だという事のみだ。
初代の過去なんて、毘沙天神を極める為にも、是が非でも手に入れたい情報だ。
「本当に……初代の過去を知っているのか?」
すると沙梨亜が鋭く僕を睨みつけた。
「おぼろっ! こんな奴の言う事なんて聞いちゃダメ!」
「かかかかかかっ! ええね、ええねぇ、それでええねん、朧くん。もっと欲望に忠実にならんとな。お嬢ちゃん、せっかくの朧くんの決意を邪魔せんといてくれるか?」
「朧!」
心配そうに僕を見る沙梨亜とは裏腹に、僕はとうとう決心して口を開いた。
「ごめん……沙梨亜。僕はやっぱり初代の過去を知りたい。今は少しでも僕に出来る事をやりたいんだ。そこから初代みたいに強くなれる答えがきっと見つかるはずだ」
「……朧」
僕は沙梨亜に謝る。
「心配させてごめん、沙梨亜。沙梨亜の言う通りこの妖怪は信用ならない。だけど今は強くなる為には初代の事をもっと理解する必要があると思うんだ。初代がどんな風に考え、何を感じ、どんな事をにしてあの強さまで上り詰めて行ったのか。強くなるためのヒントが絶対にそこにあるはずなんだ」
沙梨亜は呆れたように僕を見た後、ポツリと呟く。
「はぁ……分かったわよ。あんたって一度決めたらほんと頑固だもんね。でも、その代わり約束しなさい! 絶対にヒントを掴んでくるのよ!それと……絶対に死んじゃダメだからね!」
僕はそっぽを向く沙梨亜をじっと見つめた。
「沙梨亜……ありがとう」
するともののけはニタァと気味の悪い笑みを浮かべて言った。
「ええで、ええで! お二人さん。それでこそ初代はんに託された者達や。ほな早速、始めよか」
「待って、その前に一つだけ教えて欲しい。あんたの正体はいったい何なの?」
当然の疑問だろう。沙梨亜の手前、せめてこれだけは知っておかなければならない。
すると謎の妖怪は再びニマァと目玉を歪ませて答えた。
「せや、まだ自己紹介してなかったな。ワシは時の妖怪・もののけ言うもんや。朧くん、ワシの額を見てくれるか?」
時の妖怪・もののけ……? 何だそれは? と尋ねる前に、もののけの額の鏡を見た瞬間、とてつもない力で吸い寄せられた。
「う、うわぁぁあ!」
「おぼろっ!」
沙梨亜の叫びも虚しく、僕はニタニタと面白そうに笑い続けるもののけの額の鏡の中に成す術なく、吸い込まれた。