大切なものが奪われた
魅留駈山登山口が見えてきた辺りで、ずいぶんにぎやかな声が聞こえてきた。
はしゃいでいる子どもたちの声、犬の鳴き声、談笑する皆さんの声などなど。
魅留駈山のふもとには、小夏日市緑地公園が広がっている。芝生で覆われたなだらかな丘にはちびっ子向けの遊具コーナーやアスレチック、ログハウス状の休憩所などがあって、休日はもちろん平日も人気のある市民憩いの場所となっているんだよね。
今日は日曜日だから、いつも以上に人が多い感じ。ボール遊びやバトミントンを楽しむファミリー、グループ、カップル、ベンチでのんびり空を眺めるご年配の方々、犬の散歩中のご婦人などなど…。
「うわぁ!人がいっぱいだ!!観察しようか、でもスーちゃんいるからどうしよう!ねえスーちゃんは、一緒に観察しませんか!!!」
アッシュくんは目をキラキラさせて休日を楽しむ皆さんを見つめて…、いやきょろきょろと観察してるなあ、これは。楽しくて仕方がないみたい。
人間観察が趣味って人も、いることはいると思うけど、私はそういうの、あんまり興味ないっていうかなんていうか。どうやって断ろうかな。…断ったら暴走しそうだな。
というか、そもそも私、いつまでアッシュくんに付き合ったらいいんだろう。
一応今日は休みだし特にしないといけないことも無いから、夕方まで付き合えるといえば付き合えるんだけど、なんていうか、午前中のやり取りでここまで疲れ切っちゃってることを考えるとね?
でも、ここで見放したら明日の新聞一面におかしなニュースが載っちゃいそうで!!!
「スーちゃん?」
「は、はい、ごめんごめん、考え事してた!ええと…観察?…そうだ!あっちにね、動物園あるよ、見に行かない?」
緑地公園には、小規模ながら動物園があるんだよね。
ごく普通の一般人を観察して目の前でメモとか取り出す可能性を考えると、まだ動物園でメモを取った方がいいんじゃないのかなってね、思ったっていうか!
動物見てる人だったら目線は動物に行ってるはずだから、アッシュくんの怪しげな視線にも気づきにくそうだなって思ったっていうか!!!
地球慣れしていない宇宙人のやらかしにも気が付かないかなって思ったっていうか!!!
「動物園!行った事ないんだ、行きたいと思ってた、連れて行ってくれるの?ありがとう!今すぐ行こうはい行きます、ふんふん!!」
やけに鼻息荒いなあ、大丈夫かな。
少々心配しつつ…なだらかな丘を下って、動物園へと向かうことにした。
緑地公園内の動物園は入場無料なのにかなりのボリュームと設備が整っていて、小夏日市民だけでなく市外、県外からも訪れる人が多いのが特徴だったりする。
緑地公園には広い芝生があるからお弁当を広げる場所にも困らないし、奇麗なトイレもたくさんあるし、ちょっとした売店もあるし、隣には年がら年中色あざやかな花が咲いている植物園もあるし、大きな池にはボートまであって、丸一日楽しめる場所なんだ。そりゃあ人気もあるよね。
特に人気なのが、小動物と触れ合う事ができるこども動物園コーナー。ひつじ、リスザル、くじゃく、モルモット、あひる、うさぎなんかに直接エサをあげたり撫でたりすることができる時間帯があって、列を作ることも多いんだよね。
今日も結構並んでるのが遠くに見える。そっか、今10時だから…朝のエサやり体験の整理券配ってる列だね。
「あの列は何だろう、ああ、今から展示される人を納品しているのかな?」
「あれは動物にご飯をあげたい人の列だよ?!」
動物園に人は展示されてないんですけど!!!
「ああそっか!食べてもらうってこと?動物に自分の身を食わせるとは、なんとも崇高な行為で非常に悲しくもあり尊きことでフウム、人は情け深いと言いますが。」
「動物は人を食べないよ!!!葉っぱや野菜をね、あげるんだよ!!!」
勘弁してええええええええええ!!!
とりあえず、混みあう小動物ふれあいの場を避け、あまり人気のなさそうな動物の檻を見てまわることに…する。
下手に動物と触れ合わせて、膝にのっけたモルモットをパクっと食べちゃったりしたら大問題だもん!!!何をやらかすのかわからないから、一瞬たりとも気が、気が、気が抜けない!!!
動物園内の中央にある、ひときわ大きいバードホールの鳥達を眺めながら、時折アッシュくんをチェックしておく。おかしな触手ははみ出していないか、パニクる兆候はないか、穏やかな顔をしているか、その他もろもろ。
…比較的落ち着いてるみたい。こうしてると本当にイケメンなのになあ…。口を開くと、動くと、ホント残念で…うん、欠点のない完璧な人っていないからねって、人じゃなくて宇宙人だった、いや人になったとか言ってたっけ…ああ、なんか頭がこんがらがってきた。
……小さい頃は、よくこの動物園に来たっけな、そんなことを、ふと思う。…あの頃は、両親も、まだ。
動物を見て、喜んで。花を見て、喜んで。お弁当を食べて、喜んで。公園のブランコに乗って、喜んで。…喜びが、ずいぶん気軽に、溢れていたっけな。
―――すうはどの鳥さんが好き?
―――あのお口が大きな子!!
―――ペリカンさんだね、お母さんはね…あの、紛れ込んだ、スズメさんが好きだよ!
大きなバードホールに、なぜか一匹、スズメが入り込んでいて。クジャクやシチメンチョウ、キジ、オシドリ、キジバトにフラミンゴにウコッケイ…大きな鳥たちに囲まれて、ずいぶん肩身の狭そうなスズメを見た、あの日。
…母は、きっと、自分を、あのスズメに重ねていたのだと。
「ぐ、ぐすん、すん、ぐすん、ぐすん・・・!!!」
・・・?
なに?
なんか、変な音が聞こえ…って!!!
は、はい?!
…ちょ!!
と、隣のイケメンが!!!
な、涙流して…泣いてる!!!
な、何でええええええええ?!
「あ、アッシュくん?!なに、いったいどうしたの…?!」
「うん…グスン。・・・観察園思い出してたんだ、あそこにはね、ずいぶんたくさんの人がいてね、かなりひどい扱いを手厚く施されているのだ!悲しくなるよ、命の冒涜だよ、人はこんなにも尊いのになんで理解しないで宇宙のЖΘ〇ⅹΔ%#にのっとった☆●#@∬・・・!!!」
私の真横で!!!
イケメンのマジ泣きが!!!
あああ!!!やばい!!!涙を拭う手のそで口!!そで口の中に!!!
内臓色のうにゅうにゅが…今にもはみだしそうになってる!!!!!!!!
これはまずい、ヤバイ、出る前に引っ込めないと!!!
ウェストポーチの中からハンカチを取り出し、素早くアッシュくんの涙をふき、ふき、ふき、ふき…!!!そで口に見える内臓色を、押し込み押し込み押し込み押し込み…!!!
「うう。すーちゃん、ありがちゅう、あぐあぐ、僕は僕なので、僕としては、僕の僕、僕、僕、僕…!!!」
「うん、わかった、じゃあね、動物園じゃなくて、お花見よう、あのね、今はね、カンツバキやサザンカがね、すっごくかわいく咲いてるの!!」
アッシュくんの両手を取って!!
さりげなく内臓色が飛び出ないようにそで口を絞りつつ左手で押さえつけ!!
ベンチに座らせ!!!
あふれ出る涙を右手に持ったハンカチで拭き拭き拭き拭き拭き…!!!
私を見上げながら、ぼろぼろとこぼれる涙を、ふきふきふきふきふきふきふきふき・・・!!!
「まーまー、あのお兄ちゃん泣いてるー!!!」
「悲しいんだね、あっちに行こうね?」
あああああああ!!!
チビッ子のやさしさ、優しさ!!!
お母さんの冷静な判断!!!
チビッ子の心配そうな眼差しが、遠ざかって行く!!!
…ああ、よく見ると、お散歩に来ていたおば様グループの皆さんが、かわいそうな目をこちらに向けてる!!女子二人組がなんかうわぁ…って目で、こっちを遠巻きに見てる!!小学生男子がめっちゃへらへらした表情でこっち見てるぅううう!!!
め、目立ちすぎる!!イケメンの号泣、ハンパなく目立ちすぎる!!!
このカオスをどう収束しろと?!
移動しようにもそで口から恐ろしいものが顔を出しそうで動けない!!
…泣き止ますには、泣き止ますには、泣き止む方法、ええとー!!!
ぽん、ぽん・・・。
泣いてる子には、頭をポンポンが、多分っ!!効くはずっ!!!
アッシュグレーの髪を、そっと、二回…軽く、叩く。
10万人から引っこ抜いたというご自慢の髪は……、案外ゴワゴワとしているなあ、こんなもんか。
…男性の髪なんか触ったことないから、平均も何もわかんないというか。
「・・・。」
き、効いた!!!
ヒックヒックとしゃくりあげていたアッシュくんの、動きが止まった!
ぽろぽろこぼれてた涙も止まって…よし、流れてたぶんは全部拭けた!
…あれ、何だろ、私を見上げていたアッシュくんが、顔を下に向けて…ああ、恥ずかしいのかな?
…うんうん、仕方ないよ、悲しかったんだから。
泣き止めたんだから、大丈夫だよ、私は別に笑ったりなんかしないから。
…気分取り直して、お花を見に行こうね?
「アッシュくん…?大丈夫…?動けるなら、移動し」
「・・・スウ、俺は、心が、痛い。」
…ん?
・・・俺?
「ちょ…どうしたの、なんかへ」
様子のおかしいアッシュくんの顔を、のぞきこんだ、その、瞬間。
「・・・っ!!ん、んぅうっ?!?!?!?!?!」
じょ、常識知らずのっ!!!!
う、宇宙人!!宇宙人がああアアアアアアアアアア!!!!!!!!!
ひっ!!!!!!!
人、人人人人人人人のッ!!!!!!!!!!!!
く、くちくちくちくちくちびるっ!!!!!!!!!!!!!!!!!
思わず!!!
後ろに!!
飛び退り!!!
み、右腕で!!!
く、唇!!唇を!!
がガガガがガード!!
…ガードできずに!!
奪われた後だけどっ!!!!!!!!
「…気持ちが、溢れてしまった。…愛してる。」
誰だ!!!!
こいつはああアアアアアアアアアア!!!!