物が消えた
「……うん、引っ越し、する」
敷金…帰って来るかな。
奇麗に使ってきたから、原状回復費用の追加徴収はされないと思うけど…どうだろう。
有休を使って、スケジュールを組んで…お父さんに見つからないように引っ越さないと。
保証人、どうしよう。ここを借りる時にお世話になった店長は…もういない。…誰に、頼む?おばあちゃん…は無理だよね。家賃保証会社、調べないと……。
「…あのね、スーちゃん。僕が…研究者をしていることは、知っているでしょう?その、お手伝い、してみない?」
「お手伝い……」
私の、引っ越しとは、関係ない事なのに…どうしたんだろう。
何かまた、勘違い、してるんだね。…ごめんね、私、今ちょっと……頭が、働いて、なくて。気の利いた返事が、返せないよ……。
「実は・・・AI搭載型の人肉す…人肉モデルが完成したんだ。プログラミングで人に対応するもので、実験がしたいと常々思っていて。でね、もしスーちゃんさえよければ、協力してもらえたり、しない?」
「きょう、りょく……」
どうしよう、何か言い返さないといけないはずなのに…何も、言い返せない。ダメだ…頭が、ショックが大きすぎて…回って、くれない……。
「スーちゃんがここに住み続ける事は、難しそうだから…引っ越し。このおうちはモデルに任せて、本体は…僕のおうちに来ようよ?」
「僕の、おうち……?」
それは、どういう…?
「お父さんが来ても、スーちゃんの代わりにちゃんと対応するからね。お父さんの望んでいる言葉を発して、望んでいることもしてくれるんだ。よっぽど親しい人なら…バレちゃうかもしれないけど、たぶん大丈夫だよ」
「大丈夫って…?」
お父さんは、問題しか起こさない人なんだよ…?大丈夫なわけ、ないよ……。
「モデルがきちんと対応できているか記録を撮らせてもらう代わりに、実験協力のお礼金も支払います。お父さんにも協力金と生命維持のための保証金を渡すから、心配しないでいいよ」
「でも」
そんな、迷惑を、かけるわけには…。
「スーちゃんはここに住みたくないでしょう?住居はくつろげる場所でなければならないと…学んだ事があるよ?僕のところなら空いてる部屋もあるし、モエちゃんもいるから寂しくないよ」
「モエちゃん?」
そうだ、モエちゃんに、おみやげ買ったんだった。バルクアップに使えそうな、かわいい木工フレームの砂時計…。喜んで、くれるかな?
「…ダメかな?スーちゃんがもし実験に協力してくれたら、地球人に紛れて暮らす宇宙人たちが、今後大幅に助かることになると予想されるんだよ。おかしな人がこれ以上増えないためにも…ぜひ、お願いします。協力して?」
「お願い、なの?」
アッシュ君の真剣な眼差しを真正面から受けて、少しだけ、心が揺れる。
「うん、僕からの、お願い。スーちゃん、僕の家に引っ越してください。…変な事はしないよ?モエちゃんが厳しいし、手が出せるとも思わないから。空間の組み換えは手配すればすぐにやってもらえるし、何なら僕がやってもいいかな?」
「………。」
どうしよう。
願ってもない、申し出だとは…思う。
でも、頼ってしまって、良いの……?
誰かと一緒に住むという事は、とても…とても、気を使う、事で。
―――すうちゃん、ありがとね
―――すうちゃんがいてくれて、おばあちゃんは本当に…幸せ
―――すうちゃんを見てると…ううん、なんでもないよ
―――すうちゃん……ごめんね
―――おばあちゃん…ごめん、ごめんなさい、ごめんなさいっ…!!!私、全然…気が付かなくて!!気が付けなくて、ごめんね?!
ダメだ…いろんな出来事が次から次へと頭に浮かんで、いつもの自分が…どこかに、消えてしまって。
「じゃあ、夜ももう遅いから、僕の家に行って今後のことを話し合おうよ。間取りの事とか決めないとね。荷物、どうする?全部持って行っていいかな?」
「……全部?」
アッシュ君が手のひらをぱっと広げると、いつものタブレットが出てきて…って、え?
つるつるとタブレットを撫でるたびに、ベッドも、机も、カーテンも、買って来たばかりのお米も、何から何まで…厚みを無くして、光のようになって!!!
立体物が映像みたいになって、タブレット画面の中に…消えていく!
「キーとスマホはバッグに入ってるよね。パソコンは手で持って行くよ。電子配列が貧弱だから破損してしまうと…ようじ君に頼まなきゃいけなくなっちゃうからね。個人情報は…自分で守らないと、…はい」
ノートパソコンを手渡されて、そっと胸に抱きこみつつ…目の前の光景を、確かめる…。
……信じられない。
今の今まで、一緒にご飯を食べていた、お父さんに怯えていた、私の、部屋が。
大学を卒業して、一人ぼっちで越して来たばかりの日のように…なにも、ない、状態に。
……なにも、ない、状態に。
「…じゃ、行こうか」
「う、うん」
私は、三年半暮らしたおうちを…後にした。




