記憶がよみがえった
お父さんは、昔から、デリカシーのない人だった。
・・・初めて違和感を覚えたのは、いつの頃だろう?
お前好きなやついんの?と言われて、日記を見られていた事に気付いた時?
一人前に高いブラジャー付けんなよと、背中をばちんとやられた時?
大事にしていた貯金箱を割られて、俺が使ってやったと言われた時?
どんなパンツはいてんだ?と言われて、スカートをめくられた時?
初めて作ったホットケーキを、まずいといって投げ捨てられた時?
大切に育てた花を、全部切られて持っていかれてしまった時?
父の日のプレゼントを渡したら、へたくそな絵だなと笑われた時?
赤ちゃんの頃の裸の写真を、みんなに見せびらかされていた事を知った時?
うんと小さい頃は、まだ、私も。
―――すなおー、高いたか〜い!
―――すなおー、おにぎりもっと食えよー!!
―――すなおー、いいもん買ってやるぞー!!
―――すなおー、公園にでも行くか!!
―――すなおって言いにくいな…今日からお前は砂男だ!!男みたいな顔だし!
―――砂男はなんでこんなに俺そっくりなのかね?
―――ミユキから出てきたのに全くミユキのカケラもねーな!
―――デカっ!!おもっ!!女のくせに男よりでけえのかよ!
―――お前クラスで一番不細工じゃん!!
―――授業参観?うーわ、メンドクセっ!
気がついたら、お父さんが・・・苦手になっていた。
―――おい砂男!!映画つれてってやるぞ!!
―――おい砂男!!今からばーちゃんち泊まりに行くぞ!!
―――おい砂男!!もらったお年玉預かっといてやるよ!!
気がついたら、お父さんという存在が・・・怖くなっていた。
―――ああん?!連れてくっつってんだろ?!来いよ!!
―――ああん?!もう泊まるって言ってあんだよ!行くぞ!!
―――ああん?!ガキのくせに親の言うこと聞けねーの?!
―――ああん?!女のくせに生意気なんだよ!!
気がついたら、お父さんを見るだけで・・・体がすくみ上るようになっていた。
―――お父さん、すうにもう少し優しくしてあげて…
―――はあ?!俺は優しいだろうが!!なあ、砂男っ!!
―――でも…すうは、泣いてるじゃない…
―――オメーのしつけがわりーからだろ?!ガタガタぬかすんじゃねーよ!!
―――ごめんなさい、ごめんなさいっ!
怒らせないように、逆らわずに。
機嫌を損ねないように、全部受け入れて。
出来るだけおとなしくして、目立たないように。
バカにされませんように。
怒鳴られませんように。
見つかりませんように。
怒られたら、謝ればいい。
笑われたら、自分も笑えばいい。
お父さんのいう事は正しい、私は間違ってる。
お母さんがかわいそう、私が頑張らなきゃ。
私が泣いていたら、お母さんが、お父さんに怒鳴られる。
私が泣いてしまったら、お母さんが、お父さんに泣かされる。
私が泣いてしまったせいで、お母さんが、お父さんに暴力を振るわれる。
平和に、穏やかに、丸く収まるように、言葉を、選んで。
―――おもしれーだろ!馬ってカッコイ~よな!!
―――うん、私、馬さん大好き!つれてきてくれてありがとう!
―――父親参観さ、俺が一番カッコよかっただろ!
―――うん、みんなカッコいいって言ってたよ!来てくれてありがとう!
―――あー、こづかいなくなったー!クッソ…
―――お父さん、いつもお仕事してくれてありがとう!この前おばあちゃんにもらったおこづかい、あげるね!!
お母さんが、悲しまないように…我慢をしながら、こらえながら。
お父さんの機嫌がよくなるように…頭を使って、気を使って。
―――すう、ごめんね……
―――大丈夫だよ、お母さん!
お母さんがいたから、がんばれた。
―――俺の前でしけたツラ見せんじゃねーよ!!
―――てめーばっかが不幸だと思ってんじゃねーよッ!!
―――ガキのくせに…親に気を使わせんな!!!
―――母親がいねー奴なんて五万といるんだよ!!
―――今度俺の前で泣きやがったら…丸裸にして放り出すからな!!!
……お母さんがいなくなったら、がんばれなくなった。
お父さんに気を遣う事ができなくなった私は、毎日怒られて、怒鳴られて。
―――ええ?こんな暗い子と暮らせるわけないじゃない!!
―――ちょっと!!かわいい弟の面倒ぐらい見なさいよ!!薄情者!!
―――根暗女の血だねえ、雰囲気が悪くなるったりゃありゃしない!!
―――困ってる家族を無視する思いやりのない子だよ!!
―――もう大人なんでしょ?他人を頼るのはやめてくれない?
―――ねーちゃん、金ねーの、恵んで!!
お父さんの関係者と関わるのをやめようと決めたのは、いつだったかな。
―――すうちゃん、ごめんね。おばあちゃん…もう、限界なんだよ。
出来る限り、誰にも迷惑をかけないように。
出来るだけ、誰からも干渉されないように。
―――頼っていい大人はいるんだからね?
―――こういう時はね、すみませんじゃなくて…ありがとうっていうんだよ!
―――大丈夫、任せなさい!
色んな人に助けられて、この世界にあふれる優しさを知った。
色んな人にお世話になって…自分を失わずに生きることができた。
お父さんと関わらなくても、幸せに生きていけるのだと知った。
だから、私は…生きることが、できた。
……けれど。
お父さんは、思い出したように、私に関わってくる。
―――おーい砂男!!引っ越す事になったからゴミ捨て頼むわ!!
新しいお母さんと、別れたときも。
―――香苗がノイローゼになっちまったからお前がガキの面倒見ろよ!!
弟を置いて、奥さんが失踪した時も。
―――今度こそ運命の相手なんだッて!!結婚祝いはずめよな!!
私と5歳しか違わない人と結婚した時も。
いつだって何の前触れもなく、いきなり私の目の前に現れて…めちゃめちゃにしていく。
高校二年の終わりに、寮に乗り込んできて…寮母さんや担任の先生に迷惑をかけて。
大学三年の夏、アパートに乗り込んできて…大家さん一家に迷惑をかけて。
就職して二年目、メリーゴーランド小夏日店に乗り込んできて…店長に迷惑をかけて。
そして今日…、私のマンションに乗り込んできて。
大家さんに迷惑をかけ、私の居場所を奪おうとしている。
……アッシュ君にも、迷惑をかけてしまった。
お金、返さないと。
コツコツと貯めていた貯金が、また…消える。
……また、貯めれば、いいだけか。
多分、引越ししないと、ダメだろうな。
ここ、すごく…気に入ってたんだけどな。
「…良いこと考えたよ。スーちゃん、引っ越ししない?」
あっ……。
私を覗き込む、アッシュ君の目…茶色だ……。




