上司が現れた
「…相変わらずだなあ、樫村さん。働く心構え出来てないんじゃないの?給料もらってるんだからさあ、苦手意識とか勘弁してほしいよ。何万人といるお客様をいちいち差別するのやめてくれる?本部なんて毎日頭の悪いクソどもの相手しながら微笑み絶やさないんだよ、お前もし本部勤務になったらどうすんの、秒で失神すんのかよ。もっと成長してもらわないと困るね、もう四年目なんでしょ?仕事なめんなよ?」
ただいま絶賛お小言ちょうだい中の、私。目の前でふきげんそうな顔をしているのは、本部の緑川さんだ。ほんの二か月前までこの店で店長代理をしていた、偉い人。全身しわ一つないお高そうなスーツで身を包み、髪をきっちりとセットし、お高い腕時計のついた左手で銀縁メガネをくいと上げたその眼差しは…冷たくて、神経質そのもの。
「申し訳ありませんでした……。」
腰を折り、謝罪をすると。
「謝れば済む問題じゃないよね?お客様が不愉快に思って本部に連絡を入れてきた、本部の人間が時間をかけて対応した、お前がきちんとした対応ができていれば無駄な労働は生まれなかったんだ。能力のない人間がさ、仕事を増やす罪深さ解ってないでしょ?今日だって俺めちゃ忙しいのに確認するためだけにこっちに来ないといけなくてさ?お前俺一人を動かすのにいくらかかるか知ってんの?」
胸ポケットからハンカチを取り出して、メガネを拭きながらこちらを見ずに…容赦ない言葉を吐いている。……ああ、空気が重いな、早くこの時間が過ぎ去ってくれればいいのに。
「おい、聞いてんのかよ!返事ぐらいしたらどうなんだ!言い訳の1つもできないくらい何も考えてねえのかよ!甘いねえ、ホント甘いわ!!働く責任の重さを全然分かってない!お客様ありきの販売店ってこと全然分かってねえな!お前さあ、ホントこの会社受かったの?変なコネ使って入ったんじゃねえの?ぬるい仕事ばっかしてさあ、ふざけんなよ?!」
「すみません、私の力不足でした。以降気を付けます。」
言い訳の1つでもしたら、それこそ鬼の首を取ったように攻め立てられるという事を、私はよ―――――――――く知っている。
旧店長の田中さんが本部に移動になった後、店長代理としてこの店にやってきた緑川さんには、本当に…心を折られまくったのだ。些細な矛盾点に付け込んで、注意をするという体でとことん従業員を…責める。怒りのスイッチ?が入ると、どうにも勢いが止まらないらしく、この店に在籍していた三か月間で…五人ほど従業員を退職に追い込んだという、経歴がございましてですね。
……わたしも、ずいぶん絞られて、退職届を書くところまでは、行ったのだ。でも、今は産休でお休み中の、スポーツコーナーパートの堂島さんが…ずいぶん、慰めてくれて。なんとか、踏み止まることができた。
そのあとすぐに小久保さんの店長就任が決まって、堂島さんと二人で居酒屋で乾杯した日の事が思い出される。
……もうじき牛島さんが戻ってくるから、早く解放されたいな。この惨状を、あまり見せたくない。ただでさえクレームの件で心配をかけてしまったのに、この状況を見たら大変なことになりそうだ。
牛島さんはメリーゴーランドグループのパワハラ撲滅組合に所属していて、この手の圧迫指導に対して非常に敏感であり、厳しい。普段温厚そのもので、癒し系ナンバーワンを誇っているけれど、怒ると野生の熊のような目の鋭さがね。明らかに獲物を狩る目に変わるというか、敵を叩きのめす力を帯びるというか。
暴君として君臨していた仙谷さんとやり合った時は、この店にいた従業員誰もが震えあがったんだよね…。あの迫力を目の当たりにしたくないというか。元凶は今日たまたま臨店しただけなので、今を乗り切れば明日以降は平和に暮らせるはずだし……。
「お取込み中すみません、ちょっとわからないことがあるので、樫村さんと話させていただいて宜しいですか?」
閉鎖中のキッズコーナーのところで叱責されている私のもとに、アッシュ君がやってきた。……この怒号が響く中、よく声かけることできるなあ、よっぽど困ったことが起きたんだろうか。
「チッ!!なんだ、ここで言え!!十秒で解決しろ!」
憎々しげにアッシュ君を睨み付ける、緑川さん。イライラした様子で、腕時計を睨み付けている。多分、時計の針を見ているんだろうな……。
「コイン洗浄機が詰まってしまって、6000枚ほど出てきません。貸出機の中身が3000枚を切っているので、早急に対応をお願いします。」
一気にコインを入れ過ぎたのかもしれない。貸出機の中には、基本10000枚のコインが入っているのだけど、5000枚を切ると、赤ランプが点灯するようになっている。コインコーナーで遊ぶお客様の中には1000枚単位でコインを借りる人もいるので、早急な対応が必要だ。
しまったなあ、コイン補充が始まってすぐの辺りで詰まっちゃったんだ、多分。作業を始めてすぐに緑川さんが来ちゃったから、早々に抜けたのがいけなかった。怒り心頭の人を目の前にして、作業のチェックをせずに不慣れな新人にあとを任せた私のミスだ。
ここで抜けたら、三倍は怒られる事になるけど、行かないわけには、いかない。…ご飯食べられないかも。
「すみません、ちょっと対応してきます。」
頭を下げて、緑川さんの顔を見上げると。
・・・・・・?
いつもなら、逃げ出せたとか思ってんじゃねえだろうなとか、俺を待たせるとはいい度胸だとか、ねちねちと文句を言って、いつまでたっても開放してくれない、はずなんだけど…。
「……ああ、わかった。じゃあ、お疲れさま。」
?!
あの、緑川さんが……、何一つ嫌味を言わずに、すんなり、帰って行った!!!はい、はい?!はいいい?
「樫村さん、カウンターまで、お願いします?」
「あ、は、はい!」
アッシュ君の声に、はっと我に返って横を向くと…、にっこり笑っている。これは、もしかして……。疑惑の目を向けつつカウンターへと並んで移動するその道すがら、ふと視線を感じて、横を伺うと。
・・・パチっ!!!
ウインクパチ♡じゃ、なイイイイイイイイ!!!!!
今、絶対何かやった!!!何やった?!首根っこをつかみたいところだけど、い、今は勤務中!!!
急ぎ足でコイン貸出機に向かい、前面の扉を開けて覗き込む…。その様子を、後ろから覗き込んで、対処方法を学ぼうとする有能アルバイト店員…、ちょっと待って、なんか、コイン貸出機と開いた扉の中に入り込んだ私を、アッシュ君が閉じ込めてるみたいに、なってる!
「樫村さん、大変でしたね。…もう、安心していいよ?……ほら、これ。」
重厚なコイン貸出機の扉に手を置きつつ、ポケットから…見覚えのあるケースを取り出した、宇宙人!!!仙谷さんのエコーを採取した時に見た、試験管っぽい物体の中には…血液みたいなものが、入っている!
「あの人、ずいぶん、生き辛そうな人だったね。ほら、見て、このエコー。こんなに粘っこい怒りはなかなか収穫できないよ。」
「エコー?また採取したの?どうやって!取っちゃって、大丈夫なの?!」
コインのつまりを取りながら、視線と手を作業に集中させつつ会話など。正直、あんまりあの試験管は見たくないというか、みると未知のテクノロジーを感じて怖くなるというか、アッシュ君が宇宙人なんだって思い知らされるというか、身構えなきゃいけないのがちょっぴり寂しいというか、なんというか。
「大丈夫だよ、ちゃんと法令に則って採取したし、彼は器はきちんとしているから。」
その法令というのが、どういうものなのか、気になるわけなんですけれども……。でもなあ、詳しく聞いたところで、理解できないだろうしなあ。
「ごめんね?ホントはもっと早く助けてあげるつもりだったんだけど。別のお客さんの対応をしてて、遅れたんだ。……傷ついて、ない?」
コインのつまりが解消して勢いよく流れるようになったので、視線をアッシュ君に向けると…すごく、心配そうな、茶色い、目が。…私を、見つめている。
ねえ、なんで、この人…こんなに、切ない表情で、私を見るの?真剣なまなざしが、沈痛な面持ちで、まっすぐ向けられて……、なんでだろう、ちょっぴり、心が……痛い。
「は、ははっ!ありがとう、気にしてくれて!大丈夫だよ!!叱られるの、慣れてるから!」
私、ちゃんと笑えてるかな?不安を感じさせない笑顔、作れてるかな。不安を敏感に感じ取ってしまう人を目の前に、緊張感のようなものが走る。
「…あんまり無理したら、僕はスーちゃんをさらってしまうかもしれない。」
泣きそうな顔をしているのは、なんで……?
私、そんなに無理、してるように、見えるの……?
「お疲れ様~、おっと、おじゃまだったかな♡」
陽気な声が、コイン貸し出し機の扉の向こう側で!
「おおおお疲れ様です、えと、今ですね、詰まりを直せたんでおしぼり補充ができまして私、ご飯いこうかな!」
「お疲れ様です。」
ヤバい!不意を突かれ過ぎてカミカミのへっぽこな返事しかできなかった!落ち着いて返事してる宇宙人がにくい!なんでこの人こんなに余裕あるの?!
「もうねぇ、ゲームコーナー人員増えちゃうからさ、今後は樫村さんにフォロー入ってもらう事、減っちゃうんだよ…、なんか、ごめんね?あ、休憩中に見に来るのは自由だからね♡」
癒し系ナンバーワンの、気遣い───!




