事務所が戦場になった
メリーゴーランド小夏日店二階奥にある服飾倉庫の向かいには、従業員用の食堂がある。
食堂の広さは…会議室くらいの大きさで、ちょうど一階の食品倉庫のチルド室の真上に位置している。出入口は二つあって、一つは服飾倉庫と繋がっており、一つは一階従業員出入り口横の螺旋階段と繋がっている。螺旋階段は外と繋がっているため、ドアには暗証番号のロックがかかっていて、一部のパートさんは使えないという、微妙な不便さがあったり、する。
私は社員なので、暗証番号をしっているから…いつもお昼になると店内エスカレーターで一階まで下り、外回りをしながら従業員出入り口まで行き、タイムカードを切ってからロッカーの中に入れてあるお弁当セットを持って階段を駆け上がることにしているのだけれども。もうちょっとこう、緩やかなパスワード開示システム?があってもいいんじゃないかなって、思っていたり。
ぴ、ぴぴー、かしゃ!
うん、ロック解除成功。たまに誤作動おこして開かなかったりするんだよね、このドア。避難経路になってるからなるべく普段から使うようにして、いざというときに開かなくてパニックにならないように心がけていたり、しないでもない。…私、結構心配性なところがね、あったりするんだよ…。
ドアを開けて食堂に入ると…ボチボチ食事してる人が、いる。食品さんが多いかな?ここで食べない人もわりといるんだよね、五階のフードコートで食べちゃう人もいるし。
食堂と言っても、料理が調理されているわけではなく、ドリンクの自動販売機とアイスクリームの自動販売機、給湯コーナー、テーブルが三つと椅子が並んでいるだけの空間。壁には少々雑に社員向けのお知らせが貼られている。
倉庫側の入り口付近には電子レンジと小物が置いてある棚が一つあり、仕出し弁当を注文した場合は、この場所に置かれることになっている。以前、注文していない人が食べてしまって問題になったので、今は事務の毛受さんがお弁当のふた部分に注文者の名前を書いた紙を貼ることになってるんだけど、今でもたまに誤食…無銭飲食する人がいてですね、問題になっていたりしてましてね…。
かくいう私も、二度ほど誰かに食べられてしまい、三度目の被害を被った時に、仕出し弁当とは縁を切る事を決めたのですよ。地味にここの仕出し弁当はボリュームもあって漬物もおいしくて、気に入ってただけに残念でならなかったんだけど。…一食300円の、合計900円の恨みはね、うん、いくら穏やかな私でもね、許せなかったって言うか。
あいている席に座って、お弁当セットを、広げる。
私のお昼ご飯は、おにぎりと、おかずのセット、家で淹れてきたあったかいお茶。毎朝発芽玄米を炊いて、握って持参しているのだ!おにぎりにあうおかずを、小さなお弁当箱に入れて持参しているのだ!
なお、炊いたご飯は三分の一ずつ分けて、一つは朝ごはんで、一つはお弁当で、一つは晩御飯で食べる仕組み。おかずは常備菜…自分で作った梅干しとか、昆布の佃煮、前の晩に作ったおかずの残りなんかを簡単に詰めている。
今日は梅干しと豚の角煮の残りと余ってたプチトマトを持ってきたんだ。…わりとたくさん、食べる方では、あると、自覚してるんだけどね?・・・いやだって私、結構運動する方だし!!いいでしょ、おにぎり三つ食べたって!
「樫村さんもお昼?ねぇ、どぉーお、イベントスペース、終わりそう?」
おにぎりに手を伸ばした私に、サービス担当の古賀さんが声をかけてきた。
古賀さんはいつもサービスコーナーにいる人で、店で扱っている品物全てがどこにあるのかキッチリ把握している、ウルトラスペシャルストアマスターなのですよ!店内の変化をいち早く確認し、それをお客様に伝えるのも仕事のうち、常に店内をくまなくチェックしている、実にそつのない女性でね、すごくしっかりしていてね…。
「荒れ放題の地獄を手厚く修復させてもらって、ようやく大地が完成したので、あとはプロテイン並べる土台作ったら今日は終わりです!」
おにぎりを一口齧りながら、にっこり報告など。
「地獄って!大地って!そおねえ、でも確かに、何もなければ、大地かあ…深ぁーい!ふふ!!」
古賀さんってね、なんていうのかな、すごく、すご――――く、お色気たっぷりの人でね?!
こうして普通に会話しているだけなのに…なんでこんなにも、大人の女性の空気が流れるのっていうくらい、ふぇ、フェロモンがね?!
斜め向かいに座って、私を見つめる、古賀さん!!
カップ麺をすすりながら、笑顔をこちらに向ける、古賀さん!!
麺が、古賀さんの唇に吸い込まれていく生々しさを、思わずじっくりと見てしまう、自分、自分―――!!!
もぐもぐする口元のほくろがまた、色っぽいのなんのって!揺れるロングポニーテールの艶やかさが実に大和撫子で!纏うオーラが、まさに成人向けの何か―!!!!
同じ女性とはとても思えない!私と五つしか違わないのに、この色気!!ねえ、私も五年経ったらこんな色気、出るの?出せるの?…絶対に出せない方に、仕出し弁当一年分、かけてもいいー!!!
古賀さんの色気にクラクラしながら、お弁当を食べすすめる、うん、食が進むね!ちょっと自家製梅干しつまみ損ねちゃったのは、色気、色気に中てられて―!!!ころりと転がる赤い梅干を見る、古賀さんのエッチな視線、視線―――――!!!
おかしいな、なんで今日はこんなにもどぎまぎしちゃうんだろ。いつもだったらもうちょっと落ち着いておにぎりを食べてるはずなのに。
「おつかれー、ねえねえ、今事務所スゲーことになってんだけどさ、カッシーなんか知ってる?!」
どさ、どささっ!!!
ぎ、ギギュガッ!!!
大きなパンの袋を抱えて私の目の前に座ったのは…青果担当の鈴村さん。
ド派手な着席音に、食堂内のみんなの視線が微妙に集まる。…着席の衝撃で二度ほど椅子を破壊しているからね、みんなちょっと身構えちゃうというか。初めて椅子を破壊した二年前、一階の冷蔵庫で作業していたデイリーの吉沢さんがミサイルでも打ち込まれたんじゃないかって、青い顔して一階事務所に飛びこんで、店内が大騒ぎになったという大事件がですね。
どう見てもお肉屋さんか洋菓子屋さんの店主にしか見えない、185センチ130キロの巨体は、支給される作業服をことごとく引き裂き、作っても作ってもどんどん体が増大するため経費がかさんで仕方ないと本部の人がね、時々、いや、しょっちゅう愚痴を言っててですね。…確か今着てるのは、特注の8Lサイズって聞いたことがある。
「え…もしかして、店長と…仙谷さん?」
「そうそう!」
おそらく、経費届を書いていた店長に、仙谷さんが突撃したと、思われる…。仙谷さんは同じ年の新米店長が気に入らないのか、ずいぶん、ずいぶん…陰口を、堂々と、言っていてですね。…いつか、必ず、こういうことが起きるんじゃないかと、多くの人が予想、していたというか。
青果倉庫は一階事務所のすぐ横にある。簡単なプレハブ造りの事務所の壁は…薄い。日々訪れる業者さんとの和気あいあいとした商談でさえ、近くを通りかかれば聞こえちゃうんだもん、白熱した激しい討論なんか、一方的な意見の投げつけなんか…全部筒抜けになるに違いない。
「事務所からさあ、ものすごい怒鳴り声聞こえて来て!!何だろうと思ったら…経理の久保田さんが半泣きになって青果のカット台のとこまで飛び出してきたんだよ。怖すぎて涙出ちゃったんだって…。」
「え、久保田さんが?!」
経理の久保田さんはずいぶんクールに仕事をこなす、この店で一番の…できる社員さん。いつも自信に満ち溢れてて、いつもきびきびとミスを指摘して、いつも雷を落として、でもいつも最後には必ずフォローしてくれて、にっこり笑ってくれて。飴と鞭の使い方なら宇宙一と称される、やり手中のやり手の久保田さんが、な、涙?!ちょっと、どれほど恐ろしい戦いがあの小さな事務所内で行われたというのですか…!!!
「え、ちょっと…クボチャン、だいじょぉぶだったの?…、あたし慰めに行かないと!!」
ずず、ずるぅ~!!!!
勢いよくラーメンをすすりあげる、色気女子!!!スープを飲み干すその姿さえほのかに、いやずいぶんと凛々しくいやらしいのは…なんで?!…いやいや、そんなところに注目してる場合じゃ…ない!!!!!!!
…古賀さんと久保田さんは同期なんだよね。しょっちゅう一緒に飲みに行っているみたいだし、お昼も一緒に食べることが多くて…そういえば、姿が見えない事に、いまさら気が付いてしまった。そうか、だから色気が目に留まってしまって…!!!ちょっと待って、お昼を食べに来る事が出来ないくらい、落ち込んでいるってこと?大丈夫なんだろうか、心配でたまらないよ…!!!
「さっきまでお菓子倉庫の端っこで菊池さんに慰めてもらってたけど、ずいぶん怯えちゃってて。俺気の毒すぎてさあ、声かけられなかったもん。」
「ええ!!それはヤバイ!あたしちょっと見てくる!!!」
メリーゴーランドグループトップレベルのお色気担当…いやサービス担当者が、手早くゴミをまとめて、スピーディーにテーブルの上を拭き上げ、あっという間に食堂から出て行ってしまった。
「店長と仙谷さん、派手にやり合っててさ。俺、ここ20年勤めてるけど、こんなこと初めてだ…。古いビルの時だって、こんな声聞いたことないよ、あんな怒鳴り声が響き渡るなんて思いもしなかった!」
心配そうな顔をしつつも、手元の焼き立てパンをガツガツと口に運んでいる鈴村さん。
「イベントスペースの事で多分もめてるんだと思うんですけど、え、今日って桃井君とかいませんでした?鬼崎さんは?大丈夫なんでしょうか…店長も心配ですね、まさか殴り合いとか…。」
心配過ぎておにぎりが喉を通り難くなってきた…。自慢の豚の角煮がちょっとしょっぱいとか、心理的なものでこうも味というものは変わってしまうものなのね…。プチトマトも、なんかしおれた味がしてちょっとおいしくない…のは、三日前に買ったやつで痛んでいるからかも、知れないけれども。
「今日ね、桃井君は本部で研修なんだって。…いなくてよかったよ、あんなものすごい修羅場、あの子に見せたら、ねえ?鬼崎さんは朝方見かけたからいるはずだけど、あの人おじいちゃんだから…。」
普段、事務所には経理さんと総務さんが在中することになっている。総務の鬼崎さんはもうじき定年で、今年の春に新人の桃井君が入社したばかりで…ってもう半年前の事だ!!時の過ぎるのは早い!!この、桃井君ってのが、ものすごく繊細な子で、自己肯定力の低い子で、…うん、いなくてよかった。
「どうしよう、鬼崎さんも、店長も…すごく心配になってきちゃった、私もちょっと事務所見てこようかな。」
「…俺も一緒に行くわ、カッシー一人で乗り込んでって万が一のことあるとヤバいし。」
鈴村さんが、食べ終わった総菜パンの袋をまとめてレジ袋に入れて、ぐるっと丸めてゴミ箱に投げ入れる。もう全部食べ終わったとか、相変わらずの早食い、大食い…このあと五階に行ってソフトクリームを食べるのが常なんだけども。
「え、ソフトは?」
「そんなのあとでいいよ、鬼崎さんが倒れてたら発見しないとまずいでしょ!店長が倒れてたら俺が戦わないとダメでしょ!!!そもそも俺ここに来る前に行ったんだよ、でもとても入れる状態じゃなくて。」
一人で乗り込もうとしないあたりが鈴村さんというか。この人、昔暴漢やっつけたのに目撃者がいなくて、ものすごく警察ににらまれたという、絶妙な黒歴史の持ち主でね。…その時の被害者が奥さんだっていう、ものすごいハートフルストーリーの持ち主でね?
「じゃあ、すぐ行きましょう。…まだもめてるかなあ、やだなあ…。」
「収束してることを祈ろう、してなかったら俺が踏み潰して収束させるしかないな…。」
いつもだったら。
お昼食べ終わったら、お弁当箱洗いに行って。
そのあと洗面所で歯磨きをして。
スマホで、ゲームをやるところなんだけども。
…それはちょっとお休みにして。
私はお茶をぐびりと飲んで……、立ち上がった。




