8.イズモ遠征
払暁前にギルド<Wind>の島に集まった遠征メンバーは、特にこの世界で初めてのまともな食事をした面々は感涙さえ流さんばかりだったが、抜け駆けして黙っていた沙夜と冷麗に対して恨みの声も上がった。
「また一段と沙夜株が下がった・・・」
「似亜蘭にそう言われると怖いんだけど」
「もうストップ安な筈なんだけどね」
「底無しだね」
「霙とツミレも冷たい・・・」
「自業自得としか」
「そうそう。まだ同行してくれてるだけありがたいと思ってその魚をよこしな!」
暗殺者の似亜蘭、神祗官の霙、盗剣士のツミレに続き、付与術師の高槻も追い打ち、武闘家のフェイフェイは沙夜の魚の切り身を皿ごと奪おうとしたが、
「だが断る!」
沙夜は守護戦士のカバーリングスキルを発動してまで食べ物を死守した。
サブ職業:料理人の弥生が加わった事で卵焼きや魚のお造りやあら汁なども大好評で迎えられた朝食も終わると、沙夜がエルファに問いかけた。
「それで、ルートは?」
「元の北九州市から関門海峡トンネルがどうなってるか確かめたいから、基本、陸路。ただし、戦闘訓練はそのトンネル部分と、イズモ近くにまで行ってからかな」
「グリフォンで先行偵察しようか?」
「いや、なるべく手の内は見せないでおきたい。ハーフレイド規模の十二人だし、パーティーの組み合わせや役割も状況に応じて柔軟に変えるつもりだから、みんなそのつもりでいて欲しい」
「でも、敵の正体とかは明らかでないと?」
「だからこそうちらのパーティーだけでなく、沙夜のところの援軍を頼んだんだけどね。相手の特性その他一切が不明だけど、最悪、イズモ騎士団を全滅させた相手だと思って欲しい」
「そしたら、レギオンクラスのレイドでも足りないくらいなんじゃ?」
「でもね、イズモ騎士団がどうにかなってたとしても、クルメのウォーロードに連絡を取ってナカスの南門の先のゾーンを買わせた相手はおそらく無事なんだ。つまり、地域ごと壊滅しているような状態では無いと踏んでる」
「つまり、強行偵察って奴ですね!」
「未知の敵、燃えるぅぅっ!」
「戦闘が発生するかどうか、まともな戦闘になるかどうかも不明。だけどたぶん、このヤマトサーバーで最重要最優先なレイドである事は間違い無いと思う」
各がうなずいたところで、<Wind>と<紅姫>のメンバーを一部混在させた2パーティーを組み、さらにレイドグループを結成した。
<第一パーティー>
守護戦士:ゴーレッド
モンク:フェイフェイ
バード:エルファ
サモナー:余興
ドルイド:グレンボール
施療神官:ツクシ
<第二パーティー>
守護戦士:沙夜
盗剣士:ツミレ
アサシン:似亜蘭
付与術師:高槻
ソーサラー:弥生
神祗官:霙
レイドグループを組んだ所でエルファが移動補助歌を開始。その効果を増すフルートを吹いて、
「これ、原付どころか自動車並みだよね」
と驚く一行は、元の世界だと50キロ以上はあるキタキュウシュウと関門海峡までを30分もかからずに到達。途中で絡んでこようとするモンスター達は全て置き去りにして駆け抜けた。
小休止を挟んでから関門海峡トンネルのゾーン、<大渦海の底道>へと突入。まだコマンド操作でない戦闘に慣れていないメンバー達への修練の為にも、30から40レベルの相手の敵を丁寧に掃討しながら先に進んだ。
トンネルを難なく抜けるには抜けたが、狭い通路を大きな図体の敵が塞いでいるとその反対側は当然見えなくなるし、ゲーム時の様な見下ろし画面ではなくなった事で、パーティー単位かそれ以上の戦闘全体を把握するハードルは上がっていた。
トンネルの出口に到達してもまだ7時くらいで、少し北上して海岸にまで出てから休憩を挟み、陸地沿いの海上を踏破していくと聞かされて一行は驚いた。
「山間とかの敵との遭遇に比べれば段違いに戦闘の機会は減らせる筈だからね」
「でも、元の世界で300キロくらいはあった筈だから、ハーフガイアでも150キロくらいはあるんじゃ?」
「つまり途中幾度か戦闘があったとしても昼前にはイズモ周辺には到達してるって事だよ」
呆れた事に、事実、二、三度海中や海辺にいたモンスターに襲いかかられたものの付与術師のスリープやソーサラーの移動阻害魔法などで置き去りにして、10時前頃にはイズモ近辺にまで到着していた。
「グリフォンよか便利なんじゃないのこれ?」
「制限時間無いしな~。空を飛ぶ快感は得難いけどさ」
一行はイズモ大社を遠目に望む丘の上で作戦を立てた。
「5キロくらいまではもう少し戦闘訓練しながら接近。たしかレベル70から80くらいの敵がいたからちょうどいい練習相手になるだろ。5キロ切るくらいでいったん停止して、編成を変更して、それぞれ別ルートから似亜蘭さんと、余興のミニオンに憑依偵察してもらいます。
主目標は三つ。
一つ目。イズモ騎士団の存否。生き残りがいるかどうか、彼らが滅ぼされていたとしてその敵性存在がまだ現場に残っているかどうか。戦闘の痕跡が有るかどうかを含めて、報告を最優先。装備は対精神攻撃で固めて抵抗値を上げるポーションの服用は切らさないで下さい」
「心得た」と似亜蘭は答え、付与術師からのバフも受けた。
「似亜蘭さんに周辺部から探ってもらって、クリアになったところからイズモ騎士団本部の中心にある大社の大御柱と階段の頂上にある神殿へ召還獣で偵察。そちらには逆に召還獣での偵察の下見が済むまでは似亜蘭さんは登っていかないで下さい」
「了解した」
「残り10人となる訳ですが、三陣に分けます」
「分散し過ぎじゃないのか?」
「いいえ。冒険者以上の戦闘能力を持つ古来種の騎士団が破れるとしたら、おそらく絡め手です。だから精神攻撃に対する抵抗値を可能な限り上げておく。今回は偵察が主目的だから、相手の手の内と意図を探る事が倒す事よりも優先されます。
だから一陣はゴーレッド。戦闘開始前に可能な限りのバフは受けておきますが、ヒールは基本的にグレンボールの一枚のみ」
「それじゃ瞬殺されるんじゃ?」
「相手がまともなレイドボスならね。でも精神攻撃が主体なら怖いのは単純なダメージじゃない。ここがゲーム時代のセルデシアの仕組みを継承しているのなら、その攻撃を受けた効果はバッドステータスとしてアイコン表示される筈。
その効果内容、持続時間、単独指定なのか範囲指定なのか特定条件なのかランダムなのか。発動時間とリキャストタイム、解除可能なのか否か。それらを割り出すのが先です」
「・・・なるほど」
「つまり何らかの精神攻撃を受けて敵の僕にされるか無力化されるのが前提なんだね」
「です。だから二陣のタンクがフェイフェイさん。ダメージを与える事じゃなくて、耐えながら相手の手の内をなるべく多く剥いて下さい」
「いいねぇ、任せて!」
「盗剣士のツミレさんは、相手に弱体化状態をなるべく多く付与。特にターゲットが跳ねないよう移動阻害をメインに」
「おっけー」
「ヒーラーは?回復役はどうするんだい?」
「グレンボールがバステを受けていたとして回復出来ていればグレンボールと、それから三陣の神祗官の霙さんで」
「あの、私は?」
「ツクシさんは、可能な限り戦闘に加わらないでいて。それは沙夜も同じ。全滅しそうになったらタゲを取ってツクシさんから敵を引き離して。ツクシさんは可能な限りヘイトを取らず、全滅後の蘇生役をお願いしたい」
「全滅前提かい」
「もし本当にイズモ騎士団が全滅させられていたとして、どうやって実現したのかまるで分からないからね」
「で、あたしの出番は何さ?」
「弥生さんは、タゲを移動阻害しながら、威力は弱くてもいいから、周囲のあちこちに範囲攻撃をまき散らして」
「何の為にだい?」
「似亜蘭さんと余興も戦闘が始まっても加わらず、増援や黒幕なんかが潜んでないかの監視を」
「なるほど。つまりどっかに隠れてるかも知れない相手を先ずあぶり出したいと」
「そゆこと。戦況が確定しないと戦法も確定しようが無いからね」
「そう言うエルファは?」
「自分は基本戦闘に加わらないで、目立つようにイズモ大社付近を捜索。もし敵性の存在を見つけたら、出来るだけカイティングして沙夜にひっつけるよ」
「了解。多段階の複数正面作戦をこの人数でやろうってのか。相変わらずだね、エルファさんは」
「うまくいく保証なんてないし、そもそも戦闘になんかならないかも知れない。だけど相手の最初の一手がエルダーテイルの世界に点在する古来種の十三騎士団の殲滅から始まってるとしたら、ここで手合わせしておいた方が今後の為には役立つと思う」
ゴーレッドは<紅姫>のレイド産装備で対精神攻撃耐性を中心に高め、付与術士のバフも受けてほぼ100%近くにまで上昇させた。
一行は似亜蘭と余興の召還獣の偵察が済んだルートからイズモ大社へと接近していったが、
「古来種達の姿は見あたらない。普段ならたむろしている彼らが、一人も、だ」
似亜蘭の報告に、エルファは尋ねた。
「戦闘の形跡は?」
「いいや。食事の途中で席を立ったような、そんな様子さえ残っている・・・」
「了解。継続して探索を」
余興の体はエルファが背負いながら運んでいたが、やはり大社内に大勢いた筈の古来種もかつてのNPCである大地人の姿も無かった。
そうしてじりじりとイズモ大社の内部の探索を進め、本隊も中心地である大御柱の上へと連なる階段の近くにまで進んだ。
「周囲の探索完了。いま現在視認できる敵影は見あたらない。大御柱の上の神殿内部を除いては」
「了解。本隊からは死角になる神殿背後から監視続行を」
「心得た」
「余興。召還獣で階段の上まで」
小さなイタチの様な召還獣は、一段、また一段と、総延長が100メートル、高さ30メートルはありそうな階段を慎重に登っていった。
本隊は、階段正面方向にある建物の陰に隠れながら突入のタイミングを図っていたが、緊張度はいやましていき、エルファの念話以外誰も口をきくものはおらず、互いの呼吸音さえうるさく聞こえるほどだった。
ただでさえ小さい召還獣の姿が米粒のほどの大きさに見える階段最上段に到達すると、神殿正面の扉が開き、巫女姿の女性が一人、姿を現した。
「ナカイリキの巫女、レベル50、大地人の様に見える、が」
余興がそう言った直後、女性が小さく腕を振っただけで召還獣は消滅し、余興は体の中に引き戻された。
「物理攻撃だった?」
「分からない。ただ、傀儡ではなく御身で上がって参られよと言っていた」
見上げると、その女性は隠れている本隊を招くようにその場にふわりとしゃがみこんだ。
「行くのか、行かないのか、どうするよ、エルファの大将?」
「長距離射程の魔法なら狙えない距離でもないよ」
「それで最初に即死攻撃を食らってもね」
「一本道だし、真下からは狙えない位置にいるのも嫌だね」
「アサシンに柱登ってってもらって、背後からぶすりとやってもらうとかは?」
「成功する可能性が無い訳じゃないけど、それも最初にターゲットされて即死する可能性があるし避けたい」
「なら、こういうのはどうだ?」
余興が<真銘の鑿>を鞄から取り出してみせると、エルファはさらに熟考した。
確かに大本の柱を燃やせれば、神殿は燃え落ちて、相手を殺せなくても、手の届かない場所から引きずり降ろす事は出来る。
平地でなら、事前に立てた通りの作戦を展開する事も可能だろうけど・・・。
「エルファ、どうするんだ?」
「グレン、他の誰でもいいけど、あの巫女の名前に見覚えはあるか?」
「見た事はあるかも知れないが、その他大勢に紛れたかどうかってくらいの確証しかないな」
「ここ、古来種も多かったけど、普通のNPCもわんさかいたからね~」
「数十人以上は」
エルファは、その個人的な興味というか調べ物で、元の全国の神社や古墳や遺跡などを調べて巡っていた。
セルデシアのハーフガイアプロジェクトでそれらがどんな風に活かされているのかも、ゲームを続けていく上での楽しみの一つではあった。例えばイズモ騎士団設立者とも言われるリトカとレリアの姉妹のいる<ネノクニ大空洞>は、イズモ大社から北東にある、実際にも古代の遺跡が発掘された猪目洞窟がベースにされていたりする。
そんなエルファだからこそ、ゲーム世界のイズモ大社には、特に用事が無くとも何度も訪れ、その隅々まで入り浸っていた。
古来種の騎士団や、その頭領たるロード=タモンやサクラ姫といった有名人気キャラは、イズモ大社や近辺にそれぞれの居場所を持っていた。イベントがあれば今見ている高御柱の神殿に登る事はあっても、普段あの中にいたのは数人の巫女や神祗官NPCだけだった筈。
「事件現場を焼失させるのも、情報を得る前にその手がかり持ってそうな相手倒しちゃうのも、損だよね。
うん、決めた。
ゴーレッドは階段最上部の左下、グレンボールは右下で待機。あのNPCの視界に入らないよう注意」
「おい、それじゃあんたが即死するんじゃないのか?」
「まあ、バード一人ならいくらでも建て直しが効くよ。話してみて戦闘になりそうなら、抱えて飛び降りられるか試してみる。そしたらタウントしてタゲ取ってみて」
「無茶するなぁ」
「エルファらしいというか」
「入念に準備して作戦立てても、いざってなればうっちゃるんだよなお前」
「よく言えば柔軟なんだけどね」
「余興は神殿を支える柱群の背後で待機。俺が殺されたりしたら、刻印を入れていってみて」
「我も一緒に行った方が良いのではないのか?」
「いいや。たぶん、お前は、あの相手には会わない方がいい」
「しかし、ならなおさら」
「俺にも、どうなるか読めないんだよ」
「ならばこうしよう。エア・エレメンタルを召還。透明化した状態でエルファについていかせ、意識を憑依させる」
「譲るつもりは無いか」
「これが同胞との初めての接触になるかも知れないのなら」
沙夜を含む<紅姫>のメンバー達は余興とエルファの会話の意味を汲み取れなかったが、エルファが折れたのは見て取れた。
「分かったよ。ただしバフや何やかやは受けておけ。ポットも飲ませて。もし敵に取られそうになったらアンサモンしろ」
「了解した」
「沙夜達は展開を見守って、ゴーレッド達が戦闘に入ったら、さっきの作戦をアレンジしつつ、二陣、三陣の順に仕掛けてみて」
沙夜達がうなずき、普段ならレイドボスの攻撃を支えるメインタンクにしかかけられない数々のバフがバードであるエルファにかけられ、対精神攻撃耐性は100%を越え、薬でさらに25%、歌でさらに25%上昇。装備による上昇値が無いエレメンタルでさえ70%を越えていた。そもそもエレメンタルに精神攻撃が効くのかという議論はあったかも知れないが、そこにマスターである余興の精神が憑依しているのなら影響は受けるのかも知れないと判断された。
全ての準備が整うと、エルファは階段を一段、また一段と登っていき、背後から足音を立てずに余興の乗り移っているエア・エレメンタルがついてきた。
仕掛ける事も仕掛けられる事もせず、100メートルあった距離が半分になり、1/3になり、歌の射程範囲の25メートルを切っても戦闘が始まる事はなく、10メートルを切っても相手は立ち上がっただけで、やがて二人は真正面から手の届くような距離で対峙した。
「初めまして、かな。ナカイリキの巫女さん。こうして見ると、たぶん見覚えはあると思う。特に記憶に残ってなかったのは、何かのクエストに絡んではこなかったせいかな」
「お初にお目にかかる古き者よ。この器の主達の記憶によれば、確かにそなたを見かけた事は何度もあるようだ」
「それで、イズモ騎士団はどこに消えた?遠足にでも出かけて行ったのか?」
「いいや。かの者らはもう戻らない。我らの攻撃を受け、その偽りの生に終止符を打った」
「偽りの生ねぇ。戦闘の痕跡とか残ってないから、何となくその手段に想像はつくけど、お前さん達は何者なのさ」
「我らは<航界種>。我は<伝承の典災>アーカシアンテ。汝、古き<冒険者>よ。伝承に語られるに相応しき者なりや?」
背後のエレメンタルが動揺しかけたのを感じて、エルファは、体の裏に回した手の動作だけで制止するよう伝え、その気配はいったん落ち着いた。
「そうさなぁ、自分が自分で伝承されるに値するかどうかなんて分かる奴なんていないんじゃないのか。誰かにとって価値がある事でも、別の誰かにとっては無価値だったりするだろ。立場って一つの要素だけで、その判断基準は変わる」
「其は大地人の間でも、古来種の間でも記憶に残りし者。伝承に語られるべき者なり。つまり我によって葬られるべき者なり」
巫女の両目が銀色に光り、エルファは何らかの攻撃を受けたのだと分かった。だが武器を手に取る事はせず、自分のステータス画面にバッドステータスが付与されていない事も分かった。
「お前達の目的は、共感子って事でいいのか?」
「おお、なぜその情報をすでにして掴んでいる?まさか我らの同胞にすでに接触しているのか?そうでなくば説明がつかぬ」
巫女が手にしている扇を振ると、精神攻撃のバステのアイコンが一つ付き、エルファの対精神攻撃耐性値が30%は低下したが、それでもまだ120%を維持していた。
「その質問には答えかねるな。それで、お前は俺達の敵なのか?」
「汝等が共感子を従順に提供するのであれば敵対関係は成立しない。汝、伝承に謳われし者よ。汝等は我らの助力無くば元の世界への帰還は叶うまい。それでも我らに刃を向けるか?」
「この世界に俺達を引きずり込んだのはお前さん達かどうかは知らない。だけどお前達が俺達の持つ何かを強引にでも奪おうっていうなら、お前達は俺達の敵だ」
エルファが目を凝らしてみると、ナカイリキの巫女のステータス画面、名前の表示は、時々ぶれて、<伝承の典災>アーカシアンテに変わっていた。
彼女が何か大きなモーションを取ろうとしたところで、エルファはその華奢な腰を抱き抱えて地上へと飛び降り、ゴーレッドに向かって放り投げ、
「タウント、攻撃開始!ただし出来るだけ殺すな!」
「そんな無茶な、ってタウンティングシャウトォオッ!」
「汝、語り継がれるに相応しき者なりや?」
巫女は地表にいたゴーレッドとグレンボールに向けて銀色の視線を浴びせたが、二人ともレジストに成功していた。
地上三十メートルの高さから降りても巫女は無傷だった。エルファもふわりと降り立ち、剣を抜いたが、攻撃はせず、近くにいたアサシンの似亜蘭も攻撃の許可を求めるよう目配せしてきたが、エルファは首を左右に振り、むしろ戦闘から遠ざかるよう手振りで伝えると、似亜蘭は距離を取って姿を消した。
「おらおらおらーっ!レベル50のNPCごときじゃ相手になんねーっつーんだよ!変身か?増援か?急がねえと死んじまうぞお前~!」
調子に乗るゴーレッドだったが、普通のレイドボスなら例えそれがレベル50だろうと、戦士一人で容易に削り切れるものではない。なのに巫女のHPは目に見えて減り続け、逆にその反撃はゴーレッドのHPをほとんど削れていなかった。
「精神攻撃系以外に無いのか、こいつ?」
「そう断じるにはまだ早いよ、グレン。そろそろ5割切るな。グレンも余興も20、いや30メートル以上下がって。ゴーレッドは相手が何か大きなモーション入ったらソードバッシュとか止められる技入れてみて」
「あいよ大将!」
「浅はかな。いやあの猪武者達よりはよほど慎重か。さすが謳われし者よ」
ゴーレッドは両手持ち剣で相手のスキルの発動などを止められるソードバッシュでちょうど相手のHP五割のラインを削り込んだが、その反撃は手足のモーションや呪文ではなく、吹き上がった血を浴びる事でそのHPもMPも、ステータスも攻撃力も防御力もレベルでさえ半減し、行動不能状態に陥っていた。
「ゴーレッド、スキル使えるならキャッスルオブストーンを発動」
「か・・・」
しかし両膝を地面についたゴーレッドにはスタンのバステも付き、スキルの発動どころか行動の自由の一切が封じられていたようだった。
エルファはゴーレッドに歩み寄ろうとする典災に鈍足とチャームの呪歌を交互にかけ、その効果がほんの一秒ももたないにしても、
「フェイフェイさん、タンク交代。余興はゴーレッドをエレメンタルで本隊の方へ引きずっていって。グレンボールはゴーレッドにヒールしたらまた距離取って」
後続がかけつけるまでの時間を稼いだ。
フェイフェイは何もない地面へとワイバーンキックを繰り返す事で移動距離を短縮。冒険者の異常な基礎体力もあって100メートルの距離を五秒もかからずに走破。巫女にタウントを入れて盾役を交代した。
「ゴーレッドのバステをデバフ解除とヒーリングで元に戻せるか、高槻さん達急いで確認。ツクシさんはヘイトを洗ってしたら、自分も洗濯。戦闘からは離れてて下さい」
「デバフ解除、出来ました。レベルは戻りましたが、HPやMPは失われたままです」
「了解。敵のおそらくパッシブスキルは、バフや障壁なんかを無視して効果を与えてきます。それはたぶん敵のHPを減らした量に比例するみたいです。これが時間によるリキャストなのか、HP量刻みなのはこれから。ただしさっき自分は近くにいても効果を受けなかった事から、ダメージを与えない事で回避は可能な模様。
盗剣士のツミレさんはバステだけ入れてダメージはなるべく入れないで」
「初めて受ける注文だけど、やってみる〜」
「フェイフェイさん、攻撃ゆるめに。10%刻みに注意して」
「了解、ってもう60%切っ」
言い掛けて言い終える前に、再び鮮血がフェイフェイとツミレを濡らし、HPやMPなどの全ステータスが60%低下。レベルは90から30に下がった。
エルファは巫女にスリープ呪歌を入れ、その一瞬の隙にフェイフェイの体をひきずって本隊の方に後退。
「グレンはツミレさんをお願い。沙夜、タンク交代。ゴーレッドはツクシさんと一緒にまだ控えていて」
「どうせなら一気に削りきればどうなんだい?」
「それはたぶん悪手ですよ、弥生さん。HPが0になる。つまりレベルまで0になったら、この世界に留まれるか復活できるかどうかも怪しい」
「くっ・・・」
「あの相手に移動阻害呪文を入れ続けて下さい」
「それだけでいいのかい?」
「はい。敵が増えたとしても、それを最優先に」
「?」
「沙夜は次の10%削り込む直前でキャッスルオブストーンを使用。あの反撃をやり過ごせるか試してみて」
「了解、アンカーハウル!」
「攻撃急がないで。他のタンクの回復が済むまで時間持たせて」
「問題無い」
「沙夜がキャッスルオブストーン発動したら、自分、いや、余興、エア・エレメンタルで削ってみて」
「わかった」
「80%のラインはゴーレッドのキャッスルオブストーンで、90%は危険だけどフェイフェイさんまたお願いします」
「ここまで厄介な相手は初めてだけど、ここまで削って引き下がる理由も無いよね」
「90からはエンクのナイトメアスフィアとアサシンのパラライジングブロウで補助しながら、エア・エレメンタルだけで100%のラインまで削ります」
「またマイナーな」
「敵が弱いから、逆に効果大きすぎないように注意ね」
「んだんだ」
「神祗官の霙さんは、施療神官のツクシさんと一緒に、戦闘終了直後の蘇生呪文に備えてて下さい」
「蘇生って、誰を?」
「すぐ分かります」
矢継ぎ早に指示を出すエルファの声をBGMに、沙夜は巫女の攻撃をいなしながら、ゴーレッドのHPがほぼ満タンにまで、フェイフェイもレベルが戻りHPが7割近くにまで戻った事を確認してから、小さな手傷を負わせるよう心がけた。
あの鮮血を浴びるのは直接攻撃をした者のみ。近くにいて援護歌を歌っていたエルファは浴びていなかった。つまりヘイトだけの問題ではない。そしてHPなどが減らされる量は自身が与えたダメージ量ではなく、あくまでも相手のHPだけが目安。
「汝、己を偽り周囲をたばかり続けし者よ。謳われるに相応しからず。伝承に刻まれるに能うべからず」
「それがお前に何の関係がある?俺は俺のしたいようにしてきただけ!それを受け入れてくれた仲間だっている!」
「我は<伝承の典災>。己の伝承を欺き汚し続けた汝こそが我が贄に相応しい」
巫女のHPが70%を切る直前、発声ではなく意識操作だけでキャッスルオブストーンを発動しようとした沙夜だったが、なぜか視野はエルファをターゲットし、ハウリングシャウトを発動。距離を一気につめて切りかかろうとした。
「そりゃヘイトリストに乗ってればいつかは狙われない方がおかしいよね。戦闘開始当初からずっと参加してるんだし」
エルファは沙夜に鈍足の呪歌をかけつつ弥生の移動阻害呪文で拘束された事を確認。
「沙夜にデバフ解除、効きません!というかバステのアイコンも出てないです」
「余興、エア・エレメンタルで削って。ダメージ受けたらアンサモンして、デバフ解除とヒール受けたら、サンダー・エレメンタルを召還」
「わかった」
レベル90のエア・エレメンタルが巫女のHP70%を削り込むと、エレメンタルだけが鮮血を浴び、余興は直接攻撃をしていなかったせいか浴びなかった。
レベル20にまで低下すれば、レベル50の相手に瞬殺されるのは当然だったが、その時にはゴーレッドがタンクを交代していた。
「ゴーレッド、何か黒歴史ある?」
「んーなの、男だったら恥ずかしくて誰にも言えねー事の十や二十、てか数え切れねーくらいあるのが普通だろ!恥をかいてこそ人間は成長するもんだって親方も言ってたぜ」
「ごもっともだ。余興の次のエレメンタル召還終わるまでは急がないで」
「あいよ」
「弥生さんは沙夜の移動阻害をメインに。ツミレさんは沙夜にバステ入れていって」
「請け負った。喜んで入れてっちゃうよ~!」
「殺さない程度にね。フェイフェイさん、準備OK?」
「いつでも!」
「サンダー・エレメンタル召還終わったぞ」
「んじゃ、そろそろ仕上げといきますかね」
敵のメインは精神攻撃。二種類のそれはバフなどで無効化しているが、沙夜の受けたそれは防御や抵抗不能の様だった。
デバフ解除も出来ない継続チャームを二人しかいない守護戦士の両方に受けてしまう事は出来れば避けたかった。
「ダメ元でやってみるか」
エルファは、巫女のHPが80%を切る手前で範囲スタンの呪歌に切り替え、さらに巫女の背後に周りこみ、両手でその目を塞いでみた。
「なっ!?」
あまりにも馬鹿馬鹿しい挙動に典災でさえ呆れ硬直し、ゴーレッドも吹き出してスキルの発動が一瞬遅れたが、それでも間一髪でキャッスルオブストーンを発動させてから鮮血を浴びる事に成功。その効果を文字通り受け流す事にも成功した。
「それが、伝承に謳われる者がする事か!?」
「知るかよそんなの。他人の勝手な都合でしか無いものを俺に押しつけるな」
「ほらほらいくよいっちゃいなよー!タウンティングシャウトー!」
フェイフェイが巫女に殴りかかり、タゲを再び取ったところでエルファは距離を取り、チャームされたままの沙夜に鈍足の歌を、巫女も範囲スタンの効果範囲に収めながら、精神攻撃耐性値上昇の歌も切らさなかった。
「ゴーレッドは下がって敵視野外でパシファイ受けて待機。全体が崩壊したらその殿務めて蘇生役達を逃がして」
「トドメさしてやれねーのは残念だけどわーったよ」
「んー、ねーねー、エルファさん。どうせ後は削りきるだけで交代だからさ、試してみてもいーい?」
「いいけど、5%以下にはしないように注意してね」
「やーりい、話せるー!んーじゃいっくよー!」
フェイフェイは巫女の足下に飛び込んでしゃがみ込むと、拳を握り込んで叫んだ。
「しょーりゅーーーけんっ!」
そんな技はもちろんエルダーテイルには無く、エルファが見たところタイガーエコーフィストあたりだったのだが、折り畳んだ体をバネの様に弾けさせながら巫女の体の中央にアッパーカットを叩き込んで宙へ浮かせると、さらにワイバーンキックで追撃を入れて中空の高さにまで押し上げた。
だけでなく、その間に残りHP10%の壁も越えていたのだが、吹き出した鮮血を階段の下に潜り込んでやりすごそうとしたものの、半物質なのか魔法効果なのか物理的制約を通り抜けてフェイフェイのレベルを含む全ステータスに影響を与えていた。
だがそこはレイド慣れしているプレイヤー達の連携で、エンクの高槻はすでに魔法の射程範囲ぎりぎりから弱体化状態を解除。グレンボールも即座に脈動回復を入れ、巫女には余興がサンダー・エレメンタルをけしかけつつ、エンクのナイトメアスフィアやアサシンのパラライジングブロウが叩き込まれていた。
サンダー・エレメンタルはタウント能力を持たない、どちらかと言えば遠距離魔法攻撃型のミニオンだが、攻撃を受けた相手にはスタン判定がかかる。そこにエンクとアサシンとバードの別々のスタン判定魔法や攻撃や呪歌も加わり、巫女は行動の自由を制約されたまま、HPを0%へと減らし続けた。
「我は、我は<伝承の典災>、イズモ騎士団を壊滅させし者!こんな、こんなところで終わらぬ」
「いいや、終われ」
いつの間にか余興が典災の傍らに佇み、<真銘の鑿>を手にしていた。
すでにもう戦闘終了間際。今から引き離す事は出来ないとエルファは判断した。
「似亜蘭さん、残り1%手前でパラライジングブロウ打ち止め、余興のサンダー・エレメンタルでトドメを!」
似亜蘭が最後のパラライジングブロウをかすらせるように入れて飛びすさり後退し、サンダー・エレメンタルから最後の雷撃が放たれる。
そんな決着の間際、典災は呆けたような表情で余興に言った。
「そんな、あり得ない。お前は、消えていて然るべき者!なぜ汝がここにまだ?」
「去るがいい。次の合致のその時まで眠りにつけ」
雷撃が典災の顔面を直撃し、最後に盛大に吹き出た血をアサシンとサンダーエレメンタルは浴びたが、サンダーエレメンタルだけが消滅した。
戦闘が終わっても、エルファは気を緩めなかった。
「霙さん、ツクシさん、急いで!グレンボールは巫女さんに脈動回復入れてから蘇生魔法を!」
「NPCてか大地人も生き返るのかよ?」
「さあね。試してみる価値はあるはずだよ」
グレンボールがヒールを入れてから蘇生呪文を終えた頃には、霙もツクシも駆け寄りつつあったが、余興は巫女の体を階段の下までひきずっていき、裏返すと、巫女装束の背中をめくり上げて肌を露出させ、その背に銘を刻み込んだ。
「おま、余興、何してるんだ?!」
「この者が再び囚われないようにする為の措置だ」
<刻印術士>にしか刻まれた刻印の内容は読めないが、それでもエルファが見る限り、頬に赤みがさしてきた巫女のステータス表示はナカイリキの巫女、大地人の表記からもうぶれる事は無かった。
霙やツクシが駆けつけた頃には服を直しうつ伏せに戻し、二人の蘇生呪文とヒールも受けて、巫女はHPも意識も取り戻した。
だが、
「あの、あなた達は?そして私は、いったい・・・?イズモ騎士団の皆さんはどうされたのですか?」
典災と共にあった間の記憶は失われたようで、死者を出す事なく異質なレイドを初見でクリアしてみせたエルファの様子は浮かなかった。




