2.料理とにゃん太とねこまんまと
取り出したアイテムはカツサンドだった。他のメニューもあるにはあったが、そこは何となく気分だ。
大きく外れは無いだろうし腹もそれなりに膨れるだろうと思っていたが、一口食べてみて、その違和感に驚いた。
カツも、パンの味もしないのである。それは全体として水にふやかしたナンのような、限界までしけらせて湿らせて塩気を抜いたせんべえならこんな味になるのかも知れないと想像させられる味だったが、一応、食べ物ではあった。驚いた事に、具を挟むパンとカツを別々に食べてみてさえ、同じ味がした。
次はホールサイズのピザを出してみたが、ペパロニベーコンにチーズトッピングという元の世界なら最強とも信じていた筈の組み合わせだったが、やはり同じ味だった。
試しに鞄に何故か入っていたタバスコをかけてみたら、タバスコの味はちゃんとした。
仕方なくピザの一切れずつにタバスコをかけて食べていると、余興が物珍しそうに寄ってきた。
「食ってみるか?味は、かなり残念なんだけど、無理すれば食えない事も、無い・・・」
「この借り物の体を維持する為であれば、指示に従おう」
俺はタバスコをかけてない一切れから渡し食べさせてみたが、特にまずそうな顔もせずに食べきった。比較対照がなければ、例えばNPCはどうしているのかと心配になったりもした。
次にタバスコをかけたのを渡してみたが、驚いたような顔をして、先ほどよりは好反応で一切れをぺろりと平らげた。
「これは、何というのだ?」
「辛い、だ」
「辛い・・・」
余興がまだ欲しそうにピザを見つめてきたので何切れかとタバスコを瓶ごと渡してやった。
「あまりかけるなよ?」
そう注意はしてみたが、余興は少しずつかける量を増やしていったので、俺は安全策の為に水筒を取り出して余興の脇に置いといてやった。
自分とは違い生まれて初めての食事を楽しんでいるらしい余興をわき目に、もう少しどうにかならないかと首をひねった。その時目に入ってきたのが、先ほど刻印して燃え続けている槍の穂先だった。
「せめて温めてみるか・・・」
火にかけるとか、焼くというほどには近づけず、遠火にさらしてみたピザは、ほのかに温まっていた。
それで味が変わった訳では無かったが、お湯を沸かすくらいなら出来るのかなとか想像しながらもう少し火に近づけてみると、ピザは突如として得体の知れない紫色のゼリー状の物体と化して地面に溶け落ちた。
試しにもう一枚を、今度は直接火にかけて焼こうとしてみても、結果は同じだった。
「料理人スキルが無いからではないか?」
今ではたっぷりとタバスコをふりかけて真っ赤になったピザをはむはむしながら余興は言った。
「料理人。サブ職業か」
「先ほどの刻印も、我にスキルが無ければ当然失敗していただろう」
カチリと何かがはまった気がした。
試しにその辺に落ちている枯れ枝を集めて火にくべてみても、それらは紫色のゼリーになって消えはせず、焚き火として残っていた。
俺は急いでメニューからフレンドリストを開き、その九割五分以上が灰色だったが、目的の名前を探した。長すぎてカーソルを意識するだけではすぐに見つけられなかったが、指で操作すればもっと早くスクロール出来る事も発見した。
そして記憶の中でも料理人スキルを確実に持っている名前がオンラインの白色に輝いているのを見つけると、迷わずに念話を発信した。
呼び出し音が脳内に鳴り響いた後、応答があった。
「ずいぶんお久しぶりですにゃ。タロさん、いや、エルファさん」
「ご無沙汰です、にゃん太さん。サブキャラずっと置きっぱなしにしたままゲームから離れて、ねこまんまの留守番任せちゃってすみませんでした」
「気にしないで下さいにゃ。私は、設立者の前ギルマスの言いつけというか、遺言を守ってきただけですから」
「ミケさん、やっぱりもう」
「そうですにゃ。エルファさんがゲームに入られなくなってから、一、二年くらいでしたかにゃ」
「ゴメン。なんか・・・」
「いえいえ。その頃はまだ何人かアクティブな方も残ってましたし気にしないで下さいにゃ。みなさんご都合があるのですから」
にゃん太さんは、自分と同い年だったミケさんよりは少し若い。今ならおそらく三十代後半から四十くらいだろう。
ミケさんに誘われてエルダーテイルを始めた初心者の頃は、ミケさんと一緒にあちこち連れ回したりもしたし、タロさはその頃に作った猫人族のサブキャラだった。
だが、それももう十一年くらい前の話。
「それで、ミケさんの言いつけっていうか、遺言というのは?」
「もしギルマスの他に誰もいなくなったら、ギルドを畳んで欲しいと」
「そうか、寂しくなるな・・・。かなり歴史のあるギルドだったのに」
「タロさんと同じ様に、ゲームには入られないまま、でもアカウントは残っている方が数名いましたにゃ。でももうゲームでは無くなってしまって、あちらとこちらを行き戻り出来るかどうかも分からなくなってしまいましたからにゃ。頃合いかと・・・」
「・・・・・」
「でもギルドが無くなる前に、ミケさんを知っているエルファさんとお話出来て良かったですにゃ。ミケさんが最後にログインしてきた時のお別れの言葉もお伝えできますし」
「なんて?」
「みんなに、ありがとう、と」
「今はまだ、あっちに戻れるか分からないし、将来連絡付けられるかどうか見通しなんて立ってないけどさ。もしこっちにいた間の記憶を保ったまま向こうに戻れたらミケさんにも同じ事を伝えてよ。あっちでも知り合いなんだよね?」
「もしその時が訪れれば、お伝えしますにゃ」
「うん。よろしくね。それで、今日連絡した件なんだけどさ、料理、してみた?」
「はいですにゃ。どんなレシピでも同じ味になってしまうのか、調味料や料理道具なんかで差が出るのか、組み合わせを変えながら試しているところですにゃ」
俺はさっきまで余興と試していた事をかいつまんで説明した後に尋ねた。
「今キッチンにいる?」
「はいですにゃ」
「火はかけられる?」
「もちろんですにゃ」
「そしたらどんなのでもいいから、肉を火に近づけてみてくれ。遠火で温めるくらいに、あぶるまでの距離には近づけないで」
にゃん太は言われた通り食材アイテムから肉を取り出し、串に刺して遠火にかざしてみた。じっくり十は数えて火から放し表面をなめてみると、まだ肉の味がした。
「まさか、これは・・・」
にゃん太がもう一度肉を火にだんだんと近づけていくと、肉の油が火に焼かれて弾ぜる音と臭いがした。
「どうだ、焼けてるか?こっちで試した時は紫色のデロデロになっちまったけど」
「音が聞こえているのでは?ちゃんと、焼けてますにゃ!」
「そうか。ありがとう、にゃん太さん!」
「こちらこそですにゃ!」
にゃん太は調理台脇に置いていた塩胡椒を肉にかけつつさらに火にかざし炙り続け、そろそろ頃合いかと口にしてみると、熱々の肉汁が口の中に満ちあふれた。
「ちゃんとした味のする、焼けたお肉になりましたにゃ」
「良かったぜ。あの水につけたナンみたいなのを食べ続けなきゃいけないなんて拷問だしな。だけど俺はサブ職業料理人じゃないから、誰か見つけないといけないか」
「恩返しになるか分かりませんが、エルファさんなら銀行の貸し金庫の奥底に<新妻のエプロンドレス>が眠っているのでは?」
「その手があったか。探してみるよ、さんきゅう!」
「どういたしましてですにゃ」
「でもたぶん、この情報、まだ当分漏らさない方がいいかもな」
「かもですにゃあ」
「それじゃあまた、どこかで」
「はい。その時を楽しみにしてますにゃ」
念話を終えたにゃん太は、手持ちの材料で作れる目玉焼きとホットケーキを、メニュー操作に頼らずに自分の手で作り、ちゃんと目玉焼きとホットケーキが出来た事を確かめてから眠り、翌日さらに色々なメニューを試す為の食材を買い込んだ。
立ち寄ったギルド会館では、ギルドねこまんまの解散手続きを終えた。
自分のステータス画面でギルド欄が無所属に変わった事を確かめ、一人しんみりとねこまんまの思い出にひたろうとワインも買い足して帰宅したが、そちらは水道水の味しかしなかった。悔し紛れにレモン汁を絞り込むと、ちゃんとレモン水の味にはなったが、後からアルコールが効いてきてサワーですにゃこれじゃとぼやいたりもした。
お酒の醸造は、サブ職業が醸造士でないと出来ない為、ではお茶ならば何とかなるかと明日は緑茶と紅茶を試してみる事にした。
にゃん太は作れる料理の範囲をデザートやお菓子の類にまで広げながら、日に日に荒んでいくススキノの様子に眉をひそめていたが、直接何らかの行動を起こす事はしなかった。
だがそれにも限界があった。
エルファと念話で話してから約一週間後の事。買い物帰りのにゃん太を後ろから突き飛ばすように数人の男達が駆け抜けて行った。
「見つけたとよ」
「これでデミクァスさんとこ連れて行けるな」
「この先の路地で挟み撃ちだ、逃げ場は無ぇ!」
下卑な笑みを交わした男達が向かった先へとにゃん太も早足で追った。男達が曲がった一本手前の通りを曲がり、路地の中央で、建物の屋根と壁の隙間へと跳躍。隣の通りを見下ろすと、十四、五ほどにしか見えない少女の手首を男がきつく握って彼らの根城にでも連れ帰ろうとしていた。
にゃん太はひょいと飛び降りると、男の腕を踏みつけるようにして少女を解放。そのまま彼女の腰裏に腕を回すと、
「しっかり掴まってて下さいにゃ」
そう言ってその場にいた誰もが何が起こったのか把握しきる前に狭い路地の両側の建物の壁を交互に蹴って屋上にまで出て、屋根を伝うように距離を引き離し、にゃん太の家にまで少女を連れ帰って保護した。
少女の名前はセララと言った。まだ初心者でしかないレベル19のドルイド。尋ねるまでもなくステータス画面で確認できたのだが、あのまま連れて行かれてたら何が起きていたのかと蒼白になって震えている彼女の前に、にゃん太は暖かな紅茶を入れて置き、さらには砂糖と蜂蜜の小瓶も添えた。
彼女も、どんな飲み物も水道水の味しかしないと思っていたらしいが、香りにつられ、口に含んでみた紅茶の味に頬をわずかにほころばせた。
「これ、どうして・・、どうやって・・・?」
「クッキーもいかがですかにゃ?」
差し出された色とりどりのクッキーに思わず手を伸ばそうとしたセララは、はっと思いとどまり、立ち上がって頭を下げた。
「あの、私、セララと言います。先ほどは助けて頂いて、ありがとうございましたっ!」
「気にしないで下さいですにゃ。我が輩はにゃん太。誇り高き猫人族」
そしてねこまんまのギルドマスターですにゃ、と言おうとして、すでにそのタグは自分についていない事を思い出し、続きを言い直した。
「そして一介の料理人ですにゃ。今はまだ全部のリクエストにお応えする事は出来ませんが、ホットケーキとシュークリーム、どちらがお好きですかにゃ?」
「ホット、ケーキ、を・・・」
「承りましたにゃ」
「あの、助けて頂いて、美味しい物まで頂いて、お世話になりっ放しで申し訳無さ過ぎなので、頂いたら、私・・・」
「さっきの連中はきっとまだセララさんの事を探してますにゃ」
「っ・・・」
「もし良かったら、ここに隠れてると良いにゃ。ここは私の個人宅。個別ゾーンですから、連中がどれだけ探しても見つかる事も押し入られて連れ去られる事も無いですにゃ」
「でも、それじゃにゃん太さんが危ない目に!」
「大丈夫ですにゃ。ここはわかりにくい場所にありますし、町中では戦闘沙汰にもなりませんから」
「でも・・・、さっきも衛兵さん出てきてくれなかったし、きっと、大勢に囲まれたら」
「心配してくれてありがとうですにゃ。でも、セララさんのギルドの皆さんは、セララさんの事をもっと心配されておられるのではないですかにゃ?」
「は、はい。でも、他のみんなはアキバにいて」
「都市間ゲートも、フェアリーポータルも使えないとなると、お迎えに来てもらうにしても大変そうですにゃあ」
「はい・・・」
「とりあえず現状を相談してみると良いですにゃ。助けが来るまでここにはいくらいて頂いても良いですから」
「あの、ありがとう、ございますっ!」
再び立ち上がり、頭を勢い良く下げたセララが念話を始めるタイミングに合わせて、にゃん太は家の外に出た。
五階建ての廃ビルの奥まった一画にある、プレハブのような我が家。ススキノの中心部からも外れており、すぐには見つからないだろうが、さすがにいつまでも見つからない訳は無い。
ここ数日でギルド<ブリガンティア>がススキノを我が物顔で暴れ周り、二カ所ある出入り口の両方に複数人が待ちかまえているのも確認していた。
最悪、自分一人でセララを連れて強行突破し、グリフォンで海峡を越える事も考えた。だが<ブリガンティア>にも高レベルなレイド産装備に身を包んでいる者はいた。
彼がグリフォンを持っている可能性が無いとも言い切れず、一度逃げ損なえば、次はもっと出口の警戒は厳しくされ、例えセララの仲間達が助けに来ても、無事に逃げ出せるかどうかは分の悪い賭けになってしまうと予想できた。
せめて、あともう一人か二人。かつての茶会の仲間がここにいれば。
そう思わずにはいられなかったにゃん太はフレンドリストを開いた。そこにシロエや直継、ソウジロウらの名前が白く輝いていた。
二人がいれば、あるいはソウジロウの<西風の旅団>に助けを求めれば、<ブリガンティア>に囚われていたりこのススキノから逃げ出せなくなっている他のもっと大勢を助け出せるかも知れない。
だが、現実と化してしまった異世界セルデシアでのモンスターとの戦闘や長距離移動が、今まで通りに行く保証も無い事も、にゃん太には想像出来た。
今はまだそれぞれが我が身とこの世界について必死に調べている時期。数十人の身柄を預かるギルマスともなれば尚更うかつに動けない。
にゃん太は、その長いフレンドリストの一番上の方にいるエルファの名前を見て思った。
あの人なら、ギルドに入っていてもいなくても、誰ともまだ知り合いでなくても、何とかしてしまうのかも知れないと。何となれば、ススキノには2000人のプレイヤーがいて、<ブリガンティア>にはせいぜい30人もいないのだから。
では自分が?と考えてみて、にゃん太は諦めた。
シロエならまた違うのかも知れないが、にゃん太は今まで自分でレイドを率いた事も、発起人になった事も無かった。
不甲斐無さを感じながらも、そんな自分でも誰か一人を守る事は出来るかも知れないと、にゃん太は家の中に戻り、ちょうどギルマスとの念話を終えたらしいセララと向き合った。