26.セルデシア世界の移植作業
次で終章の予定です。
始め方は何通りでも、それこそ無限にあったが、
「地球そのものを再現する必要は無いけど、このセルデシア世界を、別の法則を持つ世界に再現できるのかどうかの確認からかな」
というエルファの意見に異論は唱えられず、それは最小限の閉じた世界、人間一人分にも満たない、航界種一人の意識のみが介在できるような極小の空間で、水滴一粒、炎の一片、小石一個を再現できるかどうかから始まった。
「原子とか分子とかそのものをそのまま再現する必要は無いし、それらしく振る舞える情報の固まりさえ再現できれば用は足りる筈だよ」
ロデリック始め、世界中のプレイヤーの間に点在した科学者やプログラマー達が筆頭となり、航界種側の世界へのインターフェイスとなった桜姫やリゾネット達とセルデシア世界の再現に挑んでいった。
もちろんオルノウンであれば指をぱちんと鳴らすくらいにたやすく一瞬で出来てしまう事かも知れなくても、エルダーテイル世界の再構築の後には、それぞれのプレイヤーの思い入れのある、あのゲームやこのゲームなど話があちこちに脱線しないように調整するのはエルファやサーバー間連絡者会議の面々の仕事だった。
さらに、元の世界に戻ったとしてどうやって移植したセルデシア亜世界にアクセスするのか、アクセスしている間の意識の無い体の安全をどう確保するのかという問題にもそれぞれアイディアを出し合いもした。そしてやはり、自分達エルダーテイルプレイヤーの間だけで賄いきれる問題では無い事も早期から認識された。
「行ったまま帰ってきたくないという人達も出てくるだろうから、そうならないような制限もかけないといけないし、向こうで何らかの悪意にさらされて拘束されて任意では元の世界に戻れなくなった時に強制的に引き戻す手段の開発も必要になるからね。でも正直、今の人類の科学レベルだと厳しそうだけど」
そこはトラベラー側の技術で何とか助力出来そうだという見込みも立っていたが、プロジェクト開始から一ヶ月経つ頃には地水火風の再現が、二ヶ月経つまでには小屋から家と庭、そこに住む虫や草花と天候などが再現された。
「順調だけど、間に合うのか?」
という懸念の声も上がっていたが、
「規模を大きくする事は大した問題じゃない。むしろゲーム内でしか存在しない魂魄セオリーや金貨の循環システムなんかを再現する方がハードルが高い。それを地球的な物理法則を持つ閉じた世界の中に組み込んで、破綻無く調整していかないといけないから」
菫星達全サーバーのシステム的な管理に関わる大地人達にも全面的な協力は取り付けていた。
そもそもが情報で成り立っている世界で、地球の様な物理世界に冒険者の蘇りやモンスターのリポップやマーケットや銀行システム、タウンゲートやフェアリーポータルを再現していく事はむしろ難易度が低かった事は後から判明した。
難易度が高かったのは、感覚の再現と、セルデシア世界の構築と維持に必要な資源の確保だった。
後者の資源の確保については、先行投資として、むしろ競うように、航界種側の有力者達がその後に有利な立場を得ようとして出資を申し出た為に目処が立ち、セルデシアで得られた共感子を元にさらなる世界拡張や別亜世界の構築についても算段が立った。
しかし前者の感覚の再現については、触覚味覚嗅覚といった人間の五感か六感を、体を持たない種族にどう伝えるか、構築すればいいのか、人間の体をそのまま再現する事も不可能だったが、これらは余興の様に、他にも数人以上はいた2垢キャラに入り込んだ航界種達がサンプルとしてセルデシアとトラベラーの世界を往復し同族に感覚の情報を共有する事で再現していった。
そして最後の難関の一つが、冒険者が往還しても大丈夫なのか、後遺症などが残らないのかといった安全面の確保だった。
ベータテスターの様に先陣を切りたいという冒険者は数百人単位でいたが、こちらもやはりリゾネットの様に航界種と混在した状態の非常に希な冒険者達が、当人の意志を確認した上で新世界の大地を訪れ、地面に立てるか、体の感覚は今のセルデシアと同じか、その他ゲームシステムの動作など、膨大な確認項目を一つずつつぶしていった。
「再現度は、10%、いや20%くらいか」
限定された狭いフィールドで魔法や戦闘までこなせるようにまで再構築は進んでいたが、意外にエディフィエール達ベータテスターの評価は辛かった。
「見た目はそれなりに整ってきてるんだけど」
「剣を振った時の感覚や、当たった時の感触とか、敵の攻撃を受けた時の衝撃とか痛みとかね。トラベラー側に感覚が無いってのが大きいんだろう」
「データサンプルを増やしていくしかないかね~」
こちらはクラスやレベル、装備、物理か魔法かの攻撃種別の違いなど、個人差による感じ方の違いの再現といった調整も含めて日々進歩していった。
そしてもう一つの難関が、大地人や知性をもったモンスター達の移植というよりは移住作業だった。これはやり直しが効かない事もあり、移住した先で存在がロストしたり損なわれたりする可能性もあるのでもっとも慎重を期さないといけない為、航界種と重複した存在でもある冒険者達が十分に往還を重ねた後、セルデシアでポップした知性を持たないモンスターを強制転移させて状態を確認し、また戻してみる実験などを重ねた。
「情報の固まりとしては、うん、攻撃パターンとかを含めて再現できてるとは思う。けど」
「魂そのものの移植に近いからね~」
とはいえ現在のセルデシアに留まっていてもいずれ訪れる世界の終わりと共に滅びるだけなので、エルファと親交のあるオークやリザードマン、そしてアデルハイド配下の大地人兵士、特に死期がそう遠くない老人達が志願して、先遣隊として移住する事になった。
「我らが介添えすれば、少なくとも今在る在り方が損なわれる事は無かろう」
という桜姫の助言により、志願者にはランク3以上の監察者が一時的に同居する事になった。彼女自身もその宿主と共に新世界へと臨み、先遣隊が普段通りに生存し生活していける環境が出来ているかどうか、どんな事に違和感を感じるかなど、それぞれに話し合って細部をさらに詰めていった。
テストサーバーとも呼ばれるようになった領域は日々拡張を続け、一軒の家と箱庭から村落、町、一つの島、そして今ではフォーランドそのものまで再現されていた。
黄泉やイサナミが絡むクエストの再現性やインスタンスの設定については、イサナミ当人の希望もあり限定クエストとして、条件を満たせば黄泉の攻略は出来るもののイサナミは絡まない物とされた。
似たような時限クエストなどは過去にもあり大して不満の声は上がらなかったが、存在を維持できるようだと確認された後の移住スケジュールが問題となった。
「この世界が閉じられる時に一斉に移ってた、くらいがちょうどいいんでないの?」
という意見も多かったが、
「冒険者がまた来られるようにならないと、航界種側にとっては先行投資が無駄になってしまう。だけど冒険者側の世界の準備が整うまでにはある程度の時間というか期間が必要だけど、それにはあちら側の時間が動いている必要がある」
「つまり、矛盾が起きる訳か~」
「エルダーテイルの開発会社からすれば、権利関係のややこしい話持ち出すかも知れないしね」
「うわーめんどいわそれ」
しかしやはり探せばいるもので、開発会社社員で巻き込まれた者は極少数にしろいたし、権利関係の弁護士などもいてこの世界にいたまま進められる準備は進めたが、やはり後は戻ってからでないと、そして往還が誰にでも可能と確認されてからでないと話は進まない事も明白になった。
そして、時期が問題となってきた。
プロジェクト開始から最短とされた期限の半年まで一ヶ月を残した頃には、セルデシアの地形やモンスターの発生ポイント、プレイヤータウンや戦闘システムや生産関連のスキル、蘇りを含めた魂魄セオリーの再現など、一通りの最低条件は整った。
だが、人類側の元の世界、地球側の時間を動かしてたった半年で、人類初となる異世界と地球外知的生命体との接触イベントを乗り越え、地球に体を置いたまま異世界への精神だけの転移が本当に後遺症などを起こさずに行えるのかといった確認や、各国の政治や技術事情などを乗り越えられるのかは、かなり厳しい条件とも言えた。
「並行して時間を動かせるかどうか次第じゃないのか?」
という疑問に集約された最終ステップの入り口は、エルファからイサナミに尋ねる事で行われた。
「閉じる事はいつでも出来る。並行して時間を動かす事も、半年程度であれば、問題無いだろう。しかし、本当に記憶を保ったままでいいのか、と問うておる」
イサナミとサシで向かい合っていたエルファは迷わず返答した。
「この世界にいた記憶を失うか、預けておきたいという冒険者がいれば、トラベラー側に依頼しましょう。それはきっと実現可能ですし」
「やはり気づいておったか。なぜ他の冒険者達には伝えなかった?」
「別に自分だけが気づいてた訳じゃないですよ。地球外知的生命体と接した誰かが各国政府から争奪の的になるとかも昔からある筋書きですし。でも、そこで数十万人とかいう規模が活きる筈です」
「それでも、この移植計画を勧めた中心人物の扱いはやはり別格となる。自由を失っても良いのか?」
「失うつもりはありませんよ。それだけの布石はすでにみんなで打ってありますし、もし強引な手段を取ろうとする国家政府などがいたとしても、トラベラー側から交渉相手として排除してもらえば勝負はつきます」
「しかし結託する輩が出てくる可能性もあろう?」
「ええ。しかし結局は自由が認められない遊びなんて有り得ないんです。資本主義というものの原理でもありますが、国家がコントロール出来るような代物でもありません。この人類にとっての一大イベントは特にね」
「覚悟は出来ていると?」
「人柱になる覚悟なんてありませんよ。ただ、自分もその新しい楽しみを味わう一人になりたいからこんな事やってるだけですから」
「それだけだとは思えないがな」
「ついでですよ」
「ふふ、愉快な奴よ」
「必死になるとか、一生懸命やるとか、大嫌いな人間ですからね」
「しかし、止めていた時を動かし始めるにしろ、誰かが最初のきっかけを作り呼びかけをせねばならないのではないのか?その重荷はそなたにかかるのではないのか?」
「いいえ。そこはもう手立てを考えてあります。オルノウンにだけ伝えさせてもらっていいですか?」
「我から情報が漏れる事を恐れているのか?」
「サプライズにしたいだけですよ」
「ふふ、分かった。楽しみにしておこう」
エルファがオルノウンに提示したのは単純な力業とも言えたが、好反応をもって採用、実施される事になった。
エルファはさらに世界移植前後、特にオルノウンの手を離れた後に、人類側と航界種側からどんな事が起こり得るのかという懸念事項も共有し、対策を練った。
すべての前準備が整った、プロジェクト開始からきっかり半年後、オルノウンの力を借りてサーバー間連絡者会議からのセルデシア亜世界の移植と、冒険者達の地球世界への帰還計画などが発表された。
さらにほぼ立て続けに、実験研究都市としてトラベラー側世界に移植済みのプレイヤータウン、タムランに、地球側世界の各国指導者達や国連要人、エルダーテイル開発会社の全社員、その他世界的な企業のトップなど合わせて数百人以上が強制召還された。
エルダーテイルをプレイした事が無い人達は当然夢か何かと混乱したが、準備していた冒険者プレイヤー達から事情の説明を受け、唐突な展開に驚愕しあるいは驚喜しつつ、タウンゲートやフェアリーポータル、神竜による世界観光などを含めて、異世界の知的生命体との会合という人類史に残る一大イベントにどう対応すべきか、地球側世界の時間を止めたまま二週間以上、さらに数倍の人員を地球側世界から追加召還しつつ会議に会議を重ね、世間への公表の仕方や、あるいはこの世界との往還に必要とされるインターフェイス機器の開発について全てが極限の速度で進められた。
世界要人達の追加召集から一月後、一応の合意が形成され、機器の開発にも元の世界の時間が動いていないとどうにもならないとなってから、並行して時間が流れ始め、一刻も早く元の世界というより生活に戻りたがっていた冒険者達は戻された。
エルファは個人的な事情として自分の契約元や派遣先の企業の人なども追加召還してもらい、しばらくこの世界に滞在し続ける許可を得ていた。
ツクシは、先に戻る冒険者の一人となった。
「エルファさんが戻られるまでに、私の側の結論は出しておきますから」
「そう。それじゃ、その時までは」
「はい。いったんのお別れです」
メッセージで互いの連絡先などは交換してあった。
短くないハグを交わしながら、ツクシはエルファと唇を重ね、セルデシアから姿を消した。
似亜蘭は、言った。
「私が帰るのは、エルファさんが帰る時ですから」
「でも、会社とかは?」
「オルノウンさんに頼んで何とかしてもらいました!」
実際、似亜蘭以外にもぎりぎりまで留まりたいという冒険者は少なからずいて、各国要人から政府を通じて、世界で30万人に及ぶ冒険者達の帰還タイミングがばらける事について特別の措置が講じられるようそれぞれの企業などに要請されていた。
「オルノウンには、やっぱりだけど、少なからぬ余計な負担をかけてしまったよね」
「仕方ないのでは。それにエルファさんがある程度制御はされてるじゃないですか」
「にしてもね」
各国要人にしろ科学者にしろ、航界種との対話や折衝はもちろん重視したが、それ以上に、地球側の宇宙全体の時を止めてしまってもいるというオルノウンに関心が集まり、それぞれの宗教的信仰もあいまって接触を求める者が後を絶たなかった。
その少なからぬ数が、それぞれの宗教的指導者、例えばローマ教皇などの召還を望んだが、エルファの判断で宗教的指導者は招かないと決めた事もあって実現はしなかった。
「異世界にまで宗教戦争を持ち込ませる訳にはいかないしね」
他には、人類史の詳細などについてもオルノウンに尋ねようとする者もいたが、それらも人類自身で解答にたどり着くべき課題として禁じられた。
並行時間が三ヶ月ほど経って試作型インターフェイス機器で戻ってきた冒険者達もいたし、全く新規に亜世界を訪れる者達も出だした。彼らは地球上で健康状況をモニタリングされ、往還を繰り返す事による身体的精神的影響も確認されていった。
「人口過密になりそうだな」
とは、並行時間が始まってからでさえ数十万人規模の人々が入れ替わり立ち替わり訪れる事で試算され、第二第三のセルデシアか、全く別のゲーム世界の再構築などについても着手され始めた。
その原資については、
「エルファ達が追加召還した者達から得られた分だけでもその下地を賄うくらいはあった」
と航界種達が驚いたほどに、異なる知的生命体や異世界との接触は膨大な共感子をもたらしつつあった。
全てが順調に進んでいるとも言える中で、エルファはまだ警戒を解かず、むしろ厳しくしていた。
月世界にはシロエや濡羽を代表とするヤマト評議会他各サーバーから厳選された冒険者達が記憶の湛えられた静かの海を警備し不測の事態に監察者達と共に備えた。(移動には専用のゲートが両側に作られたが、一般にはその場所は公開されなかった)
セルデシア亜世界の閉鎖一ヶ月前から大地人や知性を持つ亜人間達の移住は始まり、最終日には一部の冒険者達と監視要員の航界種達、そしてイサナミとオルノウンだけが残りその瞬間を待ち受け、その時はやがて騒々しく訪れた。




