第76話 接触
「素晴らしいスピードだわ!もう明日にでもジャイに着くかもしれない!」
本日の寝床を定め、ジャイまでの距離を計算したヘルネが、やがて嬉しそうに言った。10日はかかる道のりであると考えられたが、三人の頑張りによりどうやら一日ほど短縮できていたようである。昼間は精神的に参りかけていたミエラも、その知らせを聞くと微笑んだ。
三人は街道脇の茂みに、盗賊や追手に目立たないようひっそりと潜んでいる。とても満足のいくような環境ではないが、もう少しでちゃんとした寝床に辿りつけると思うと、気分もましになるというものだった。
「体も綺麗にできるし、ちゃんとした布団で寝れるし――待ち遠しいね」
「ええ、食べ物も、新鮮なものが食べられるわ」
「お肉と、野菜と、果物と……」
「雨の心配もしなくていいわね!」
ミエラとヘルネの二人が楽しそうに喋ると、まだあまり理解できていないはずのヒカルの表情も少し和らいだ。
しかし――その顔は一瞬にして真剣なものへと変わる。ぱっと手を挙げたヒカルは、彼にも喋れる簡単な単語で、短く、
「音」
と言った。それを聞いて、ヘルネとミエラは慌てて喋りをやめる。すると、二人の耳にも、微かながら馬の蹄の音が聞こえてきた。
「嘘っ――!追手!?」
ミエラが小さく悲鳴を上げる。
「落ち着いて、まだそうと決まったわけじゃない。とりあえず、ミエラは火を消して」
ヘルネはなだめつつ、ミエラに魔導石で使った火魔法を止めるように指示を出す。ヘルネの瞳にも不安の色が浮き出ていた。彼女達に能動的なアクションをすることはできない。もしも自分達を害しようとする者が迫っていたとしても、ただ息を潜めてじっと通り過ぎるのを待つしかない。ヘルネの体術やミエラの持っている魔導石では、ほとんど勝ち目はないのだ。
しばらくしている内に、馬に乗っている人の声が聞こえてきた。その数は、二人。そしてその声は――ティエルヤドーですれ違ったときに聞いた、追手の声だった。
「もうすっかり暗いのに、移動しても逆効果じゃないの?見逃してボク達のほうが先に進んじゃったなんてことになったら、目も当てられないよ?」
「……あと、ほんの少しだけです。また街に入られては厄介なことに……」
「……でも、そのせいで見逃したら……」
「……街に入られる方があとあと大変……」
声を聞く限りでは、このまま進もうとする給仕の女、もとい魔法使いと、もう少し慎重に調べるべきだというドワーフの間で意見が統一できていないようだ。そのまま魔法使いの方が勝って、先に進んでくれとヘルネは切に願った。
その祈りが通じたのかは定かではないが――馬の蹄の音は、やがて通り過ぎていく。その音がようやく完全になくなって――ヘルネ達は小さな溜息を吐いた。
どうやらまた、ぎりぎりの所で命拾いをしたらしい。最大の脅威が去った安堵と、さっきまでの恐怖がない混ぜになった気分で、三人は碌に眠れなかった。
空がうっすらと明るくなってくる。その夜明けは、三人にとって希望の象徴であるかのようだ。
「どうする?敵は向こうに行っちゃったし、いっそのことティエルヤドーに戻るのもありじゃない?」
「――残念だけど、ここからまたティエルヤドーに戻るだけの蓄えはないわ。でも、あの急ぎようを見ると街に入って私達を探し、いなかったらすぐに次の所へ向かってくれるかもしれないわね」
「それじゃあ、食料が持つぎりぎりまで街道沿いにいて、街に入るタイミングをできるだけ遅らせてみる?」
「それが現実的かもしれないわね」
すっかりと気分よく、これからのことをミエラとヘルネは相談する。まさか敵が見落としてくれるなどという幸運が訪れるとは思ってもみなかったので、彼女たちの気分はほんの少しだけ緩んでいた。
そんな、これまでの憂鬱な気分を吹き飛ばすくらいの会話の最中に――
「――見いつけた」
しかし死神は突然訪れる。
草むらの陰から現れたのは、さながら子供のような身長。しかし子供と言うには、あまりにも経験を重ねた瞳と、しっかりし過ぎている体躯。
「ミエラっ!!」
ヘルネの合図でミエラが咄嗟に魔導石を構えるのと、
「城島ヒカル、覚悟おおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!!!!!!」
ドワーフがヒカルに向かって切りかかるのが同時だった。




