第66話 闇に紛れ
“いつもヒカルがしているように”。これだけでは何を意味しているのか、分かるわけはないだろう。だが、ミエラとヘルネという、城島ヒカルを間近で最もよく見ていた者たちにとっては、“ヒカルがしている”ことと言えば、共通のイメージがある。
最強であることと、捻くれていること。
そして捻くれているという意味を重視すれば、移動魔法を使うと見せかけて使うな、という意味にも取れる。似たような言葉遊びをしていたことがあったので、意志が幸いにも伝わったという結果だ。ヘルネとミエラが一つでも間違えていたら、あるいはジリが助っ人としていなかったら、このような結末を迎えることはできなかっただろう。しかし、今やミエラとヒカルは絶体絶命の窮地を去り、ジリと伴に宮殿を移動していた。
決して楽な道ではない。しかし、Lv010の魔導石が命綱だ。始めから想定されているならばともかく、そうでないところで魔法を使って身を隠されては見つけることは難しい。
綱渡りなのは変わりないものの、こうして三人は宮殿から外の庭園にまで脱出できた。
「うまくいっていればこの辺りに……」
ジリが言いながら周囲を見渡す。ヒカルが、ミエラの服を引っ張ってある方向を指さした。
「ヘルネっ!」
思わずミエラは駆け寄る。ヘルネも三人を見て、安堵したような表情を浮かべた。
「よかった……本当に、よかった……」
しかし、次の瞬間には彼女は厳しい顔に戻る。まだ安心するには程遠い。
「このまま、闇に紛れて宮殿の外に逃げるわ。まだ一度も移動魔法は使ってない?」
ヘルネの質問に、ミエラは頷く。連続して移動魔法を使うことはできないが、幸いにも温存することに成功していた。
「そう、それなら門の近くまで行って、移動魔法で宮殿の敷地から出ましょう」
晩餐が始まった頃にはまだ夕日も見えていたのだが、気付けばすっかり夜になってしまっていた。暗がりのおかげで、自分達の姿は目立たずに済む。
「巻き込んじゃってごめんね」
動きながら、ミエラは小さくジリに詫びた。
「気にしないでください。もしも困ったことがあったら、今度はあたしが助けるって言ったじゃないですか」
ジリは笑って答える。
「おかげ様で、“ゼラー”でもなくなったんですよ。本当に、こんなことってあるもんなんですね。疑ってすみませんでした。今日も、大蛇狩りの詳細を聞かれて宮殿に呼ばれてて……」
「随分と変な時間に呼ばれたのね」
ヘルネが話に入って来た。
「私が夜をお願いしたんです。昼間は街で大蛇狩りのお話をしてお金を稼いでいるので……来た時はまだ明るかったですし、帰りは送ってくださるという話だったので」
「――でも、これで私達と関係があることがばれちゃったから……」
「まあ、その話はあとで考えましょう」
ジリは、大蛇狩りの時と比べれば随分たくましくなったようだった。“ゼラー”でなくなったことが彼女に自信をつけさせたのか、あるいは他に原因があるのか。
ヒカルはそんな三人をきょとんとした目で見つめていた。その視線に何かを感じたか、ジリが尋ねる。
「ヒカルさん、言葉が通じなくなったって……?」
「――そう、なの。原因は私たちにも分からない」
ヘルネの言葉に、ジリも少し息を飲む。けれど、すぐに明るい顔に戻った。
「でも、でもヒカルさんなら、きっと大丈夫ですよね!だって、あんなに強い人なんですもの!」
「そう、ね……そうよね……今は、ちょっと色々あったから混乱してるけど……きっとヒカルなら大丈夫……」
ミエラも、自分に言い聞かせるように言った。
四人はそのままゆっくりと移動し、ついに誰にも見つからず門の近くまで辿り着いた。
「ここなら、大丈夫ね。塀の向こうがどうなっていたか、だいたい覚えてる」
ヘルネの言葉に、ミエラは頷く。そして、魔導石を取りだした。
連発はできない。失敗は許されない。向こう側に誰かがいたら、チェックメイトだ。
「ヒカル、今から移動魔法を使うからね」
ミエラは壁を突き抜けるようなジェスチャーをして、ヒカルに意志を伝えようとする。分かってくれたか、ヒカルはうんと頷いた。
そして、四人はできるだけ近くに寄せ集まり――ミエラが移動魔法を使った。
空間が歪み、そして別の場所に出る。素早く周囲を見渡しても、人影はなかった。
思わず脱力しそうになるのをミエラはこらえる。まだだ。ようやく宮殿の敷地から出たに過ぎない。
「とりあえず、あたしの家に。まだあの橋の下ですけど……」
「――ありがとう、本当に感謝してる」
夜の街を四人は動く。小さな物音にも怯えながら、鼠が走る影に心臓を掴まれながら――それでも、すっかり夜も更けた頃、彼らは無事にジリの寝床に辿り着いた。
家とも呼べぬ粗末な場所が――ミエラには何よりもありがたく、暖かかった。
 




