第65話 脱出
じりじりとした時間が過ぎていく。メヒーシカは次の手を決め切れずにいた。そんな折、ヘルネを見失ったとの報告が入る。
「――美人なだけの人じゃないとは知ってましたけど、こっちの庭で逃げ切るなんて大した方ですねっ……」
思わず舌打ちしてしまう。特使巡りから帰って来たときにはこちらの衛兵とも会話を交わし、そのまま拘束に持って行けそうな流れだったのに、のらりくらりと振りほどかれ、遂には行方がわからなくなったとか。
ヒカルに人手を割きすぎている現状がよくないか。しかし、城島ヒカルの息の根さえ止めてしまえれば、あとに残るのはただの優秀な敵だ。力を奪ったはずとはいえ、城島ヒカルを倒すことを最優先にして間違いはないはず……ないはずなのに、イライラが止まらない。震えが走るのは、相手が、あまりにも強大だからだろうか。それとも、武者震いか。
「……壁を破ります。準備するように伝えてください」
そしてメヒーシカは、ヒカルの部屋の両隣りに控えている衛兵達に指示を出した。危険はある。兵糧攻めにしたほうがいいと囁く心の声もある。しかし、彼女はやはり目の前にある脅威をなるだけ早く取り除きたかった。
廊下の人員を減らし、部屋に入れる。自分も、片方の部屋に入った。魔法の使える者と、武術を使える者が協力して準備をする。魔導石からの攻撃は防げるように処理もした。Lv100の魔導石に対して効果があるか――それだけが心配だが、その心配を振り払う。相手は、Lv010の魔導石しか持っていない。
そして――攻撃の合図を送ろうとした瞬間、その声が聞こえた。
「ミエラ!!移動魔法を使いなさい!!いつもヒカルがしているように!!」
ヘルネ。城島ヒカルに付き従う、いくつものステータスで高レベルを持つ美女。先程仲間がその姿を見失った彼女の声が、いったいどこから聞こえてくるのか。方向を見て、窓の方と気付き、そこから身を乗り出すように下を見る。ジーシカ宮殿の広大な庭園が広がっており、そこを駆ける女性の姿が見えた。万一窓からの脱出に活路を見出していた場合に備え、待機させていた衛兵数名が慌てて彼女を負おうとしている。
「追ってはだめです!!誘導の可能性があります!!」
慌ててメヒーシカは下に向けて叫んだ。上を向いて命令の主を確認し、すぐにヘルネを諦める。それを見届けながら、メヒーシカの頭は高速で回転していた。
移動魔法?それがいかに不利かは向こうもよくわかっているはず。この部屋も、逆側も、廊下も人が控えている。上下もだ。Lv010の魔導石程度で動ける距離はたかが知れている……無理だ、脱出はできない。もしもここに来たら容赦なく攻撃できる――
「きゃああああああっ!!何、なんなの!?」
今度は廊下の方から、そんな声が聞こえた。
「待機してくださいっ!様子を見てきます!」
メヒーシカは部屋の面々に告げ、扉から外に出る。ちょうどヒカル達の部屋とは逆側の廊下、枝分かれのあるところで、廊下の曲がった先を見ながら侍女の格好をした少女が腰を抜かしていた。
「どうしましたかっ!」
「わ、私……今、急に人が二人現れて……二人とも、私よりも少し歳が上くらいの男の人と女の人……それで、焦ったように向こうに走って行って……移動魔法自体は見たことがあったんですけれど……あまりにも目の前だったから……」
目を白黒させながらそんなことを言う少女の言葉には、臨場感や緊迫感があり思わず引き込まれてしまいそうだった。しかし今はそれどころではない。少女の指し示す方向に目をやる。何がおかしかった?移動魔法の距離の計算が間違っていたのか?だが、迷っている時間はない。メヒーシカの計算が正しければ、Lv010なら移動魔法を連発することはできない。次の移動魔法に移るまでに捕まえることができれば、まだ間に合う。
「総員!部屋から出て来てください!移動魔法で脱出されました!事前案の第二形態で追います!」
眼前に迫った勝利を掴み切れなかった悔しさに歯噛みしつつメヒーシカは叫んだ。
一応、このような事態も想定している。錬度の高いエパナの腹心達ならあるいは――と一縷の望みを懸けて、メヒーシカも走った。
錬度が高いゆえに、走り去るのも早い。
誰もいなくなったことを確認してから、侍女の格好をした少女はヒカル達の部屋の前に行く。
「ミエラさん、ミエラさん、開けてください!ヘルネさんに言われて助けに来ました!ジリです!大蛇のときに助けてもらった、ジリです!」
沈黙があった。
しかし、それは誰もいないが故の沈黙ではないことを、ジリは知っていた。
信じてもいいか、罠ではないのか、そんな葛藤が伝わって来るような沈黙だった。しかし――やがて何か大きな音がして、扉にかかっていた圧力が消える。
そして――恐る恐るといった風にミエラが顔を出した。
「ヘルネさんの合図の意味、よく分かってくれましたね。さあ、逃げましょう!」
ジリはミエラの手を取る。そのミエラは反射的にヒカルの手を取り、そして三人は、部屋の外に出た。




