第64話 優位と劣位
「さてさて……どうしますかねぇ」
ヒカル達の部屋の扉の前で。メヒーシカはメヒーシカで悩んでいた。
懸念は、魔導石である。レベル010程度の魔導石の存在は確認していたし、それくらいなら対策はいくらでも立てられる。問題は、エルフの村でヒカルが披露したというレベル100の魔導石の方だ。レベル100の魔導石など、およそお目にかかったことはないし、文献を調べてもそんなものに言及している本はどこにもない。メヒーシカが言うのだから確かである――つまり、レベル100の魔導石がどの程度の力を持っているか、判断する根拠がどこにもないのだ。シャラムンは魔導石封じの魔法陣が効いていたと判断していたようだが、相手は城島ヒカル。そもそも彼が魔導石を使った理由は、自分の能力について知られたくないためだと考えれば、魔法陣が効いていなくても、さも魔法陣に困っているかのように振舞った可能性はある。つまり現状、魔法陣程度でレベル100の魔導石を防ぎきれる保証はない。
勿論、十中八九その魔導石はヒカルが潰したとメヒーシカは考えている。根拠の一つは、移動魔法の存在だ。Lv010の方の魔導石なら、移動可能な距離は分かる。横方向なら隣接する廊下か部屋。すでに、こちらの手の者を待機させている。誰かが移動魔法で急に現れたら、迷わず攻撃せよとの命令込みだ。上下方向の部屋についても同様。窓側から飛び出ても、ここは五階なので二度目の移動魔法を使う前に転落死だ。完全に詰んでいるし、向こうも様子が見えない場所に飛び出るリスクが分かっているからそれは使わない。しかし、Lv100の移動魔法ならどうか。そのレベルの移動魔法はほとんど記録にもないので参考程度だが、レベルの上昇とそれに伴う魔法の効力の関係を考えれば、おそらくカバーしきれないほどに移動先の選択肢は増える。にも関わらず、籠城の選択肢を取るということは、おそらく彼らはLv100の魔導石を持ってはいない。扉を抑えたのもLv010の方だ。ここでもわざわざ弱い方の魔導石を出す必要性は無いし、城島ヒカルの性格上、Lv100の魔導石があるならばその力を使ってこちらを蹂躙にかかるのが普通だ。
――だが、絶対ではない。例えば、ジョーカーを敢えて切らず、ギリギリまでこちらの出方を見て、敵の総数を探ろうとしている可能性もある。こちらの魔導石対策を警戒して、奥の手を見せていない可能性もある。ほんの僅かな可能性ではあるが――絶対的に有利な立ち位置にいるからこそ、メヒーシカはためらっていた。
もしももっと自分達が追い詰められていたら、決戦に持ち込んでいただろう。しかしそのような状況ではない。余裕があるのに焦って仲間の命を失うリスクを負うようなやり方は、エパナが特に嫌っている。彼女は協力するにあたって、彼女の部下と、そして何よりメヒーシカ自身の身の安全を特に気にしていた。相手が相手だが……それでも、生きるか死ぬかなら、生きろと。そのためにあとで皆が苦しむことになっても、生きろとエパナは言った。その思いに報いたいという思いが、メヒーシカに博打を打つことをためらわせていた。
無理に攻撃をこのまま仕掛けなくても、兵糧攻めにすればいずれ彼らはにっちもさっちも行かなくなる。奥の手まで出し切って暴れるしかなくなるはずだ。それをできるだけ安全な所で見届けてから、最もよい対策を選んでも勝てるのではないか――
しかし、それはメヒーシカにとっても、油断だった。
城島ヒカルは力に溺れ、周囲に対する警戒を怠ったせいで窮地に陥ったが、メヒーシカもまた、ヒカルに対する絶対的優位を確信してしまったが故に、油断を生んでいた。
あるいは、即断か。
城島ヒカルとその仲間を、力に溺れただけの人間で、まともな方法では友情や人間関係を育むことのできない人達だと思い込んでしまっていたか。
そこに、わずかな綻びが生じる。
「宮殿ってものすごく広いんですね……迷ってないですよね、私、こっちであってますよね……ジクはちゃんと留守番できてるでしょうか……」
国賓が招かれていようが、首脳会議が開かれていようが、政府機能が止まるということはない。エパナとメヒーシカが最強の敵と必死になって戦う裏では、そんなことを知らない役人たちが普段の仕事をこつこつとこなしている。
それは例えば、大蛇狩りに成功したとされる少女からの事情聴取だったり。
そんなわけで、しばらく前に、城島ヒカル一行と偶然知り合い、大蛇狩りの手助けをしてもらった少女、ジリは宮殿に来ているのだった。
「うう……早く来てよかったですけど、ちゃんと間に合うんでしょうか……」
若干不安になりながら、それっぽいところを歩く。なんか高級な絨毯を踏んでいるんだけど、あとで怒られたりしないだろうか。ついこの間まで“ゼラー”だった彼女は、卑屈にそう考えてしまう。
――と、その瞬間、角を曲がって来た女性とぶつかりそうになった。どんな身分の人かわからない。慌てて謝罪する。
「――っと、すみませんすみません……って、ヘルネさん!?」
よく見ると、ぶつかりかけたのは大蛇狩りを手伝ってくれた……というか、一番楽しそうだった女性だ。しかし、少し見ないだけで随分と疲労が溜まっているというか――やつれているように見える。
「……あなた、ジリ!?」
「はい!皆さんに助けていただいたおかげで、レベルも上がって“ゼラー”も脱却できました!その節は本当にありがとうございます!ヒカルさんも……って、今日はお一人ですか?」
そう言うジリを、ヘルネはしばらく見つめ――急に手を引いて引っ張った。
「ち、ちょっといきなりどうしたんですかヘルネさんまたそんな乱暴な……!」
「いいから来て!!」
そのまま物陰に連れ込まれる。ヘルネの目が怖い……
「な、何ですかヘルネさん、私が小市民ってことくらい、よくご存じでしょ……?叩いても何も出てきません……」
「何ふざけたこと言ってるの、ねえ、ジリ、あなた、城島ヒカルを助けるために――どこまでのことができる?」
あまりにも真剣な目で見据えられ、一瞬息を飲む。しかし次の瞬間、ジリは目を見つめ返し、はっきりと答えた。
「大蛇狩りを助けてもらい、“ゼラー”脱却のきっかけを作ってくれた人のためならば……出来る限りのことは、何でもできます。別れ際にした約束に、嘘はありません」
ほんの僅かな綻びから、反撃の糸が垂れる。




