第62話 苦境
「単刀直入に申し上げますと、城島ヒカルおよびその妻二人は、今日をもちましてジーシカから出国させていただきます」
ヘルネはエパナ女王に対してそう宣言した。女王の居室には、見る限りでは二人しかいない。召使いや侍女が控えていてもおかしくない広さと格式のある部屋に、自分と女王しかいないという状態が、ヘルネに対して不気味さを感じさせていた。
「それは随分急な話だな、一体全体、どうしてそのようなことになったのだ?」
「旦那様にとって、もはやこの国にいることは興味の対象ではない、と言えばよろしいでしょうか――もはやネルジランドの件をどうこう、という話でもございませんので、ここに残る意味も興味も、失われてしまったと言うべきでしょうか」
「興味を失った、か。失ったのが興味だけならばよいがな」
そう行ってエパナは意味深に笑う。ヘルネは動揺を顔に出さないようなんとかこらえた。
「……それはどういう意味でしょうか?」
「別に。ただの言葉遊びだよ」
そんなわけがあるか、という言葉を喉まで出しかかって、ヘルネはこらえる。今エパナとトラブルを起こすのは得策ではない。ヘルネをここに釘付けにして、その間にヒカル達の部屋を攻めようとしている可能性は充分あった。ならばここは、できるだけ何も気にしていないかのように振る舞い、急いで帰ることこそが必要のはず。
「とにかく……そういうわけですので、お世話になりました」
「まあ、待て。今後のことについてしっかりと話をせねばなるまい。我が国はヒカル殿に下ったのだからな」
「その件については、忠誠さえ誓っていただけるのでしたら、ほぼ今まで通りの自治を認めるとの旦那様の話です。特にこれ以上話すことは……」
「“ほぼ今まで通りの自治”?随分曖昧な言葉だなあ。それだけではやはり不十分だろう。直接話して文章か何かに残さねばなるまい」
ヘルネは内心歯噛みした。そうなのだ、他の特使達が、国を売り渡した責任を問われることを恐れ及び腰になったとしても、目の前にいる相手だけは別。特使ではなく女王であるがゆえに、そんなところでは止まらない。
「そうだろう?例えば、ヒカル殿に忠誠を誓った国同士で戦争になりそうだったらどうすればいいのだ?その場での武力行使は認められるのか、それとも禁止されているのか、“ほぼ今まで通りの自治”と“ヒカル殿への忠誠”が両立しない局面などいくらでも想定できる」
見えない剣を喉元に突きつけられているような気になった。じりじりと、切っ先が喉に食い込んでくるような錯覚をヘルネは覚える。
「それは……その」
「さあ、まずは論点を一緒に絞ろうではないかヘルネ殿。そなたもヒカル殿の妻として、またこのような伝令役を担うほどの者だ。無知ということもあるまい」
「――い、いえやはり私一人でエパナ陛下と物事を進めてしまっては、あとあと問題が生じることでしょう。旦那様と共に、改めてこの部屋に参りますわ」
「そうか、ならばまだ少なくとも数日は滞在していただくことになるのだな。どうかジーシカを心ゆくまで楽しんで欲しい」
「――っ!!……それではまた」
ヘルネは勢いよく扉を開け、ヒカル達の待つ部屋へと戻る。
向こうの方が一枚も二枚も上手だった。貫禄が違う。追い詰められていく恐怖が喉の奥からせり上がる。結局、あと数日滞在する旨を言わされてしまった。これでもし、今日明日にでも出国すれば言いがかりを付けられ、追いかけられる大義名分もできてしまう。しかしあの部屋にあれ以上滞在するのはもっと危険だという恐怖が、ヘルネを参らせてしまった。手の平の上で踊らされてしまった格好に、自分自身に対して怒りがこみ上げる。英雄譚に憧れると言っておいて、あの程度の人間だったのか。
しかし苦難はまだ終わらない。
「ヘルネ様、少々お待ちを」
部屋へ向かう廊下の角を曲がろうとしたヘルネを呼びとめたのは、衛兵の格好をした男だった。
「何かしら、私は急いでいるのだけど」
不機嫌な表情を隠しもしない。それで退いてくれればと思ったのだが、相手は気にした風もなく淡々と告げる。
「お部屋に、侵入者がいる可能性があります。どうか、今しばらく我々にお任せください」
「侵入者!?」
「はい、お食事を軽く済まされていたようですので、追加の軽食がご入り用ではないかと女中がお部屋に向かったのですが、返事がなく、あるいは要領の得ないもので、失礼ながら不審に思った彼女が衛兵とともに扉を壊して中に入ろうとしたものの、何かで扉がぴったりと抑えられておりまして……」
「いきなり扉を壊そうとか、何を考えているの!?ちょっと返事がおかしかったくらいで、どうして侵入者という発想になるのかしら!?」
「しかし、お部屋からはミエラ様の声しか返って来ず……そのミエラ様も変なご様子で、とにかく入室を拒まれておりまして……ヒカル様のお声もないあたり、何者かが部屋の中で二人を支配下に置いている可能性も……」
詭弁だ。後付けの理屈だ。要はとにかく、強制的にヒカル達の部屋に入りたいのだ、彼らは。扉の向こうから攻撃を加えるというやり方だとどうしても不確実性が残るから、確実に決めるためにミエラとヒカルの姿を確認して、勝負を決めたいだけだ。
ヒカルと、ミエラと、そして自分自身の、まさに眼前に“死”が迫っている。そのことを改めて感じ、ヘルネは背筋が冷たくなった。
 




