第61話 虎穴
「ヒカル、ヒカル、起きて」
ミエラが揺すっていると、ようやくヒカルは目を覚ました。しかし、それで状況が好転したかというととてもそうは言えなかった。
「×○※、××■△!!」
ヒカルが何やら言っている、大事なことを伝えたがっているということは分かるのだが、ミエラもヘルネもヒカルが何を言いたいのかがわからない。今までに聞いたことのないような言葉だった。
やがて、ヒカルの全身から力が抜ける。今度は気絶こそしなかったが、この状況に狼狽し、疲労しているのは目に見えて分かった。ミエラはその姿に驚愕する。今までの、絶対に最後はなんとかしてくれると確信を持って言えたヒカルの姿はもはやどこにもなく、とても、小さな存在に見えた。
「……オートランドに帰らないといけない。今やここは邪竜の巣も同然、私達にとって危険極まりないわ。一刻も早く脱出しないといけない」
ヘルネは立ち上がった。ミエラの目をしっかりと見据えて言う。
「私は今から、ヒカルがここでジーシカを去ることを、こちらの苦境がばれないように各国の特使に伝えて来るわ。いい、決して私以外の誰が来ても開けちゃダメ。魔導石を持っていつ戦いになっても大丈夫なように備えておいて」
「分かった――気を付けて」
「あなたもよ」
二人頷き合い、ヘルネは部屋の扉を開けた。
ヒカルが不安そうな顔をする、言葉が通じないので、安心させることができない。だからミエラは、ただぎゅっとヒカルを抱きしめた。
「我が旦那様は大変移り気な方で御座います。それはもう、私達妻が二人いても手いっぱいなくらい……いえいえ、話が逸れましたわね、とにかく、こう言ってはなんですけれども皆様の忠誠を頂いた時点で、旦那様の興味は他に移ったと言ってもよろしいのです。勿論、皆様は最終的には城島ヒカルの支配下に置かれているということを、ゆめゆめお忘れなきようにしていただくことが必要でございますが……それさえ守っていただけるのでしたら、ほとんど今まで通りの幅広い自治を旦那様はお認めです」
「そ、そうでありますか……それは、その、今後とも……」
すでに晩餐は終わり、特使達はそれぞれの居室へ帰っている。そしてヘルネは彼らに一人一人コンタクトを取っていた。言う内容はだいたい同じことである。大事なのは、きちんと分析されると綻びが出るかもしれないので、それを誤魔化せるだけの強烈なインパクトを用意することだ。前提として城島ヒカルが何をしでかすか分からない人間なのは周知の事実なので、移り気という言葉でその性格を表し彼がここで突然立ち去ることもあり得るのだと思わせる、更にはその際に、“幅広い自治”を約束することがポイントだ。現状、特使達は勝手にヒカルの支配下になることを承認した立場になっている。勿論、もともと非常に大きな権限を与えられている特使達ではあるが、それでも国家まるごと売り渡したとなれば、不可抗力だったとしても裏切り者のそしりは免れないだろう。しかし、“幅広い自治”が認められるとなれば、その特使がヒカルとの交渉役になることで、場合によっては国を売ったことを国内にはばれずに済ませることができるかもしれない……と思わせる。淡い希望であっても、苦境に陥った人間には天からの助けに見えるものだ。その人間心理の弱さをヘルネは突き、状況を打開していった。
「そ、それでは最後に城島ヒカル様にご挨拶を申し上げて行こうかと思うのですが……」
「必要ありません、旦那様はもう一人の妻と今“お楽しみの最中です。邪魔するだけの理由があると言うのなら別ですが」
「い、いえ滅相もございません、失礼いたしました」
振り返りもせず扉をバタンと閉める。自分が不機嫌になっていてもおかしくない状況設定まで合わせて言えた。これで特使参りは全て終わりである。
ここまで、ヘルネを引き留めようとか、攻撃してこようとする特使はいなかった。だが、それで終わりというのはあり得ない。今回のヒカルの変調を、陰で仕切った人間がいる。直接的に手を下したのは、給仕の女が怪しかったが――おそらく黒幕はもっと上。そして、特使達の中にそれがいないとすれば……残るは一つ。
「――城島ヒカルの妻、ヘルネです。急な訪問、申し訳ございませんが、至急お伝えせねばならないことができました、入れていただけないでしょうか」
最も高貴な部屋の前に立つ。その扉を開けるのは、侍女や召使いではなく、部屋の主その人だった。自分が安く見られるとか、そんなことは一切気にしない、堂々とした、王の中の王――否、女王の中の女王か。
「おお、それはそれは御足労いただきかたじけない。どうかごゆっくりしていってくれ」
エパナ女王が、ヘルネを自室に迎え入れた。
 




