第7話 決行
俺がこの世界に来て早三ヶ月。その間虫けらのように扱われてきたが、勿論それに甘んじてきたわけではない。どうやってデウリスを追い落とすか、その一環としてミエラの能力を伸ばしたりもしながら、俺はひたすら準備が整うのを待っていた。ミエラの能力が上がっていることがばれないかと心配だったが、“ゼラー”のステータスなどいちいち確認する暇人はそうはいない。今のところ、デウリスやデュラ達が彼女の成長に気づくことはなかった。彼女自身についても、時が来るまでしばらく待てと言い聞かせておいたおかげで、今まで通り“ゼラー”の位置に甘んじている。ここを従ってくれるかが心配だったが、どうやら俺には非常に恩義を感じているようで、俺の指示に逆らうような素振りはまったくなかった。ちなみにデュラがまた何度かミエラを誘いに来たが、俺がそのたびに倒して記憶をいじくっている。
そしてその間にも様々な用意を整え、ついに今日が運命の日となった。
「やあこれはデウリス殿。お招きいただき光栄で御座います」
「こ、こちらこそまさか王子殿下に来ていただけるとは夢にも思いませんで……」
チャリーズ王子殿下。この国で五番目に王位に近いその人が、視察に来るということでデウリス商会は浮足立っていた。特に、その身一つで商会を拡大し、天下に名を轟かせるまでに至ったデウリス本人の高揚感と言えば、周囲の人間だれもが感じ取るほどだった。
つまり――時は来たと言えるだろう。
デウリスに“ゼラー”をこき使ってきたツケを払わすのは、今日しかない。
「デウリス様」
意気揚々と王子を案内するデウリスに、ミエラが声をかけた。
“ゼラー”達はおとなしく王子の目に触れないように、との命令が事前に出されていたため、デウリスの周囲に控えていた子分達がミエラを睨みつける。しかし手は出さない。
平等主義者、とまではいかないが、“ゼラー”の立場にも比較的理解があるというチャリーズ王子の眼前だ。側近にまで“ゼラー”がいるという噂の彼の前で、あまり暴力的なことはできないだろう、との俺の読みはぴたりと当たった。
「――どうしたかね、君」
「昨年度の収支報告書に誤りを見つけまして、ご報告に」
言いながら、紙の束をデウリスに渡そうとするミエラ。俺が能力を使ってこっそり手に入れたものである。
「はっ、ばかばかしい。“ゼラー”が何を言っているんだ」
「だいたい、収支報告書はお前たちに見せるようなものではない、どこで手に入れて来た!」
取り巻き達は意に介さず追い返そうとするが、デウリスは困ったようにちらちらと王子の顔を伺っている。この場合、どのように振る舞えば王子の歓心を得ることができるのか、掴みかねているようだ。当の王子は涼しい顔をして、事の成り行きを見守っている。
「……まあ、詳しい事情は後で聞くとして、とりあえずそれを見せなさい」
結局、デウリスはミエラから収支報告書を受け取った。ミエラにまともな計算ができるわけがないし、何を考えてるのかはわからないがとりあえずミエラの勘違いだと指摘すれば丸く収まると考えているのだろう――だが、そうは問屋が下ろさない。
「――っ、これは……!」
読み進めるうちに、デウリスは顔を白黒させる。デウリスの“算術”レベルは002だが――それでもそこに書いてあることが正しいか間違っているかはわかるだろう。
「ヘルケスっ!」
脇に控えていた一人の男をデウリスは呼ぶ。“算術”レベル007。デウリスの周囲では最も“算術”レベルの高い人間だ。元の収支報告書も彼によって書かれている。
「――こんな、馬鹿な……」
ヘルケスは顔を真っ青にした。無理もない。自分がこれまで誇りを持ってやってきた仕事が、“ゼラー”と見下していた女に完膚無きままに潰されてしまったのだ。狼狽する二人を、チャリーズ王子はただ興味深そうに眺めていた。
虚ろなをしたまま、デウリスが問う。
「君、君がこれをやったのか……?」
「はい、私がやりました」
「まさか、ただの“ゼラー”の君が……」
そう言いかけて、デウリスの目が驚愕に見開かれる。ようやく、ステータスウィンドウを用いてミエラを調べるということに思い至ったらしい。
「――なっ!“算術”Lv010だと!あり得ない!!」
そう、ミエラは、俺を除きこのデウリス商会で最も“算術”レベルが高い人間へと急成長を遂げていた。
それぞれの分野でレベルが二桁に乗ればもはや一流の職人、武人である。オートランドにも、何かのレベルが二桁に乗っている者はそう多くはない。名声ある商会の主、デウリスですら算術Lv007の配下を手に入れることがやっとだったことを思えば、ミエラのLv010がいかに異常かわかるというものだろう。
「馬鹿なっ……こんなことが……あっていいはずがない……」
ヘルケスはうわ言のようにぶつぶつと呟いている。だが俺の仕掛けた種はまだまだ尽きない。
「デウリス様」
「――なっ、なんだね」
ミエラの呼びかけに、怯えたように反応するデウリス。彼にとってはミエラが得体のしれない怪物のように見えているのだろう。
「私の同僚をご紹介したいのですが、よろしいですね」
有無を言わせぬ口調に、デウリスが一瞬怯む。ミエラがここまで迫力を出せるとは予想外だが、俺に受けた恩義を返そうと必死らしい。ミエラはさっと右手を上げた。
「シュリ、“短剣術”Lv010」
物陰から進み出るのは、地味な印象を持つおさげ髪の女の子。
「ダイソン、“声楽”Lv010」
次に現れたのは、ひょろりと身長の高い細身の男。
「レガス、“格闘術”Lv010」
更に、白髪の老人。
「アルリー、“裁縫”Lv010」
続いて、中年の女。
「ヘイルト、“占星術”Lv010」
神経質そうな目をきょろきょろさせる男。
「ドマス、“経営術”Lv010」
朴訥とした雰囲気を漂わせる青年。
「ジャイコス、“交渉”Lv010」
朗らかな笑顔を浮かべた青年。
「ヤティ、“語学”Lv010」
飄々とした態度の少年。
同じ“ゼラー”小屋に押し込められていた俺以外の九人は、全員がLv010の力量を手に入れていた。ミエラがLvを上げてもデウリスやデュラには気付かれなかったが、実は毎日他人のステータスを覗くことを日課にしていたというシュリにばれてしまい、なし崩し的に全員のレベル上げを手伝うことになってしまったのだ。まあこの方が効果的なので、結果オーライといったところだろうか。
「な、君達はみな“ゼラー”のはずでは……」
あっけに取られてデウリスが呟く。その周囲では、彼の取り巻き達が絶望しきったような顔でたたずんでいた。彼らのお株であるそれぞれの能力で上に回られたのだから仕方がない。一人、表情を崩していないのは部外者であるチャリーズ王子だった。
「素晴らしい面々ですね。デウリス殿は良い人材をお持ちだ」
「はっ、あっ、そのっ、光栄にございます……」
デウリスはすっかり混乱しきっている。そして、ミエラはそれに追い打ちをかけた。
「いいえ、実は我ら、デウリス様にお暇をいただきに参りました」
「――なっ!!何を言っているんだ!!これまで養ってきたのは誰だと思ってるんだ!!」
「お言葉ですが、確かに我ら“ゼラー”に寝床と食事を用意してくださったのはデウリス様なれど……我らが最も欲しかったものをくださったのは、別の方にございます――」
「最も欲しかったものだと!?いったいなんだそれは!!」
「言われなくともおわかりでしょう。“ゼラー”たる我らが欲するものはただ一つ――
――“ゼロでないレベル”。
それをくださった方に付いて、ここを出ると決意いたしました」
「――っ!誰がお前たちを育てた!――はっ!お前たち、全員確かデュラの所にいたな!あいつか!あいつがお前たちを――」
「いいえ」
錯乱したデウリスを、ミエラは遮る。
「私達のレベルを010にまで押し上げ、この世の地獄から抜け出る喜びを教えてくださったのは――こちらの方にございます」
そして、ミエラと八人の仲間達は打ち合わせ通りにひざまずき――
俺は、デウリスの前に姿を現した。
「――お前はっ!お前こそ“ゼラー”ではないかっ!“鑑定”も“育成”もLv000!そんなお前が、なぜっ――!」
デウリスは、俺を見、俺のステータスを素早く確認して叫ぶ。もはや、隣にチャリーズ王子がいることも忘れかけているようだった。
「さあな、俺はただ、あんたが言った通りにしただけだぜ」
「私が、言った通りだと――」
「ああ、“ゆっくりしていかないかね?”と言ったから、ゆっくりして、そろそろ出て行くのさ」
そうして俺は、禍々しく笑った。
「“ゼラー”だと思ってろくに面倒も見てこなかったのが失敗だったなデウリス。あんたがもし、彼らをきちんと育てようとしていたら、もしかしたらみんなあんたに従っていたかもしれないってのに。でも残念ながら、みんなにLvを与えたのはこの俺だ。だから、俺に付いて来てくれるってよ――大きなビジネスチャンスを逃したな。俺たちはこれからオートランドで商売を始める。せいぜい、潰されないように気をつけるんだな」
そう言って、俺は踵を返す。
元“ゼラー”のみんなも、続いて歩み始めた。
「待てっ!このまま行かせるとでも思っているのか!」
デウリスは慌てて、子分に俺たちを追わせようとする。それをやんわりと止めたのはチャリーズ王子だった。
「おやおやデウリス殿。彼らとはきちんと雇用契約を交わしていたのですかな?」
「――っ、それは」
「我が国では正規の契約を交わさない日雇い労働も認められています。しかし、その場合は労働者がいつ何時でも職を辞することが認められているはず。よもや、デウリス殿がそれを知らないわけもないし、王子である私の目の前で法を犯すはずもない、ですよね?――まあ、“短剣術”Lv010や“格闘術”Lv010を含む面々と貴方の手下がやりあったところで、どちらが勝つかは一目瞭然だと思いますが」
にっこりと、しかし威圧感のある笑みでデウリスに釘を刺す。
結局、デウリスは目の前でLv010の集団が自分の手から抜け出て行くのを、黙って見ているしかなかったのだった。