番外16 淡い想い(上)
人生というものは数奇なものだとヒックスは思う。“ゼラー”として、盗人として生きて来たし、そう生きて行くしかないと思っていた自分が、まともな商会の見習としてきちんと給料をもらって生きていけているのだから、本当に不思議なものだ。しかもきっかけがその商会の人からひったくろうとしていたことなのだから笑えてくる。本当に、人生何が起こるか分からない。
「おおいヒックス、今暇か?」
「暇じゃないっすけど……手は空いています」
声をかけて来たのはジャイコスという男。“交渉”Lv010なのだが、つい最近まで“ゼラー”だったとかいう信じられない経歴の持ち主だ。他にもここにはつい最近まで“ゼラー”だったけど、ここに来てレベル010になったという者が集まっている。絶対に信じたくないのだが、どうやら彼らが嘘をついているとも思えない。そんな嘘を言っても特にメリットがあるとは思えないからだ。
ヒックスはジャイコスに呼ばれて付いて行く。もともと、ジャイコス達がエルトランドの街に来ていたときに彼らの荷物を盗もうとして失敗したのがヒックスだった。ジャイコスの出方によっては死罪にされていた身なので、彼らは命の恩人と言ってもいいのだが、別に向こうもそれについて恩を着せようという風でもないから、どうにも振る舞いが難しい。無論、今の上司でもある彼らに対して、別に反抗する気もないのだが。
「ヒックス、座布団って聞いたことがあるか?」
「座布団……なんすか、それ」
「これだよ、これ」
ジャイコスは部屋の隅にある四角い物体を、いきなりヒックスに放り投げて来た。大きいものだったので身構えるが、重さは感じない。
「――クッション?」
「まあ、その一種と言っていいだろうな。こいつが大量に必要だという注文が、ゼラード商会に入った。今アルリーが中心になって注文をこなせるか考えているところだ。よそから買ってくるには間に合わなさそうだが、俺達で生産することができるかもしれない。ヒックスはその手伝いに行ってくれ」
「――はい、分かりました」
内職用に用意された部屋のうちの一つで、アルリーはヒックスを出迎えた。
「やあ、ヒックス。元気でやってるかえ?」
アルリーは中年の女性だ。今でこそ“裁縫”Lv010だが、彼女もまた、ついこの間までは“ゼラー”だったというのだから驚きである。この歳になって、急にレベルが上がるなどという話はヒックスは聞いたこともなかった。
「ぼちぼちっすよ、それで俺は何をすればいいんです?」
「まあ待っておくれ、今ユリィさんに計算して貰っているところなんだから」
言い終わらないかどうかの内に、扉がノックされ開かれ――
「アルリーさん、見積もりが立ちましたわよ。充分採算が取れそう」
そこに立っていた人に、思わずヒックスは見惚れてしまった。
年齢は自分と同じくらいか少し上。まだ二十歳にはなっていないと思う。透き通ったみずみずしい肌に、整った美貌。少し憂いを帯びているように見えるのは気のせいだろうか、しかしそれすら美しさに変換されてしまうように見える――
ヒックスの一目惚れだった。
「アルリーさん、さっきの人は?」
思わず硬直してしまって、我に返る頃にはその女性は部屋から出て行っていた。
「ユリィさんだよ?まだ会ったことがなかったかい?」
そう言えば、自分がここに加わった頃、ヘルネとかいう人とユリィとかいう人が一時的に仲間になったとか、そんな話が見習達の間で聞かされた気がする。二人とも高いステータスの持ち主だが“ゼラー”に対してどうこうするような人間ではないので安心するようにとかなんとか。そのうちの片方が今部屋に入っていた人だったと気付いて、ヒックスは憂鬱な気分になった。
あまりにも釣り合わなさすぎる。
いくら“ゼラー”に対して蔑視の感情がないとは言っても、それ以上に相手にしてもらえるかは別の話だろう。
突然質問したり落ち込んだりしているヒックスの様子をアルリーは興味深げに見つめていたが、やがて一言、
「惚れたかい?」
とだけ聞いた。
「いやいや何言ってるんすかアルリーさん、ほらほら早く仕事始めましょー、何をやればいいっすかね!!」
誤魔化し出すヒックスを面白そうに見つめてから、アルリーは座布団作りの説明を始めた。




